貫入-6
「やあやあやあ、和美じゃないか」休日の部活の休憩中に、バスケ部の休憩ともたまたまかぶったわけだが、部室棟のベンチに座っていた和美は申し訳なさそうな顔をして軽く会釈をした。別にわたしは気にはしていないのだが、和美にとっては忍びないのだろう。わたしから話すべきだろうか、話を切り出すことは恩着せがましく、和美に余計な重荷を背負わせることにならないだろうか。
快晴の青空を分断するように飛行機雲がキーンという音をのせて空に描かれる。
天気とは裏腹に湿っぽくて、煮え切らないこの気持ちをどうにかしたくて、きっと自分のためなんだろうと思う。「久しぶりにめちゃくちゃいい天気だよね」そしてわたしは横目で和美を見て、声のトーンを落としてこう言った。「またバスケ部が体育館を練習で全面使っていることを気にしているの?」
和美はピクッと反応して、顔を一瞬だけしかめた。口を開いては、閉じて、また開いては、閉じて。
和美の気持ちを気遣おうとすればできないこともない。ただわたしは、この和美が嫌いなのだ。和美が切り出すまで待ってみよう。休憩時間が終わるまでの五分間、きっとわたしは嫌な人だなと思われるのかな、と客観的に自分を評価した。ただ、そんな憂慮も無駄に終わってくれたのだった。
「...うん」そしてハハッと乾いた笑い声。「前も、今日も、なんか...嫌だな。最近バスケが楽しくないかも」
本音なのだろうが、核心ではないような気がした。それについてはわたしも共感できる部分だから、声に出したらダメなような気がする。
「いつもバレー部には迷惑かけて、申し訳なく思っているのだけれど、顧問の嵐山先生やバスケ部の―」
「楽しくやってくれなくては困るんですが」わたしはわざと話を遮るように切り出した。「楽しくやってもらわないと、せっかくバレー部が使うはずだった体育館なのにさ、なんか悔しいよ。これで総体初戦負けとかだったらマジで処刑ものだと思う」
和美は口元に手を添えて重くなる顔を支えた。
「わたしたちバレー部一同は体育館を奪われて、学校の外周を駆け回ったり、グラウンドの隅で青空バレーをしたりで、次の総体は絶対に良い成績を残してやるって、みんな思ってるよ」
和美はゆっくりと縦に首を振り子のように振り、落ち着き払って「そうね」と咀嚼するように言った。
「悪いんだけど、死ぬほどわたしからプレッシャーをかけさせてもらうよ。和美は周りから何を感じようとも、バスケやって良い成績残すために頑張らないとさ、カッコ良くないと思うよ」
やはり思うことはあって、わたしはさっきの和美が嫌いだった。それは身勝手だと思ってるし、人の性格を否定するものなのかもしれないが、わたしは間接的なのかもしくは和美にとってわたしを含む原因であって、そのせいで和美が落ち込んだり暗くなったりするのが嫌だったし、やっぱりその和美が嫌いなのだ。後でどう転がろうと、わたしの行動で責任を押し付けられるのなら納得できる。
「わたしたちはそういう星の元に生まれてきたのかもしれないから、周りを気にするのはよすべきだと思う」
和美はふふっと笑い、照れたように頭を掻いた。
「ありがとう」
やっぱり和美は笑っていたり、活発でいるのがとても良いと思う。わたしはこっちの和美が好き。
「なんかさ、季夏って、こういっちゃなんだけど、うーん、言っていいものなのかな」
「なんだよー、言えし」
和美はちらっとわたしを見て、すぐに目を伏せた。「お節介おばさんみたいだな、て」
「はあ」わたしはぽかんと口を開けて空を見上げると、開いた口に虫が飛び込んできた。そして反射的に近くの水道に向かって、ぺっぺと吐いた。
休憩も終わりそうなタイミングで和美と別れて練習場所に戻る途中、わたしと和美との会話をこっそりと聞いていた不届き者を発見した。美浪と後輩の森ちゃんだ。部活棟の物陰に近づくと、「あ」と目が合った瞬間に互いに声が漏れた。美浪はニタニタと締まらない顔をしていたのだが、森ちゃんは目が泳いで落ち着かないようでいた。美浪にしっかりと肩をつかまれているし。「二人して何やってるの」
森ちゃんは取り繕った笑顔で、だが今にも崩壊しそうな表情がとても可哀想だ。「先輩、違うんです、そんなわけじゃなくて...別に聞きたくて聞いていたわけじゃなくて」
「そんなわけがあって、聞いていました。お節介おばさん」
その引き締まらない顔をひっぱたいてやろうか。とでも言いたいが、すっかり挙動不審な後輩の前で美浪を殴って怯えさせるわけにはいかず、せいぜい美浪の耳たぶをつかんで引っ張りまわすことぐらいしか思いつかなかった。
「ちょっと季夏、やめてやめて。ゴメンて」
「森ちゃん、練習再開するから、ほら行こう」
「は..はい」
そんなこんなで練習を再開し、青空バレーは日が暮れる前まで行った。練習は美浪が頭でトスしたボールを七星がスパイクして終わった。こんなことは日常茶飯事なのだが、森ちゃんがどうもあれから元気がなかった。部内で一番声を出し、練習に熱心な子であるのに、オドオドとしているというか、チラチラとわたしは森ちゃんからの視線を感じていた。
部室で着替えて部室棟前のベンチにて三年生同士で話していると、着替え終わった森ちゃんが部室から出てきた。わたしと目が合った森ちゃんの視線はあっちの方へ。
「お疲れ様です...お先に失礼します」
その声は弱々しいというよりは、申し訳なくてしょうがないという感じだ。
早く逃げたい。そんな背中をわたしは追いかけた。校舎と体育館を結ぶ渡り廊下を越え、学校のシンボルである百年樹を通り過ぎ、裏門近くの駐輪場へ小走りに、いつも使わない校舎のカドを曲がってようやく追いついた。「待って、森ちゃん」
森ちゃんは「何でしょうか...」と声は絞りだしたようで、手に持った自転車のカギでカチッと開錠した。
「今日の練習、なんか元気がなかったみたいだし」わたしはできるだけ言葉を選んだ。「あれからだと思うのだけれど、合ってる?」
森ちゃんは背負っていたショルダーバッグを荷台に乗っけた。ゆっくりと右足はスタンドに近づくのだが、ゆっくりと地につけた。
「たぶん、今日話さなかったら次も引きずると思って、今日中に話しかけたのだけれど、良くなかった?」
森ちゃんは目を合わせようとしないが、顔を上げてくれた。何か言いたそうだがきっかけが見いだせないようで、まごまごと指が遊んでいた。
それを見てあきれたり、どうこうとかというわけではなく、時間が気持ちを溶かしてくれることを期待するしかないな、と思った。また明日になったら、どうにかなるでしょ。「とりあえずだけど、わたしは立ち聞きしたこととか気にしてないし、なんかあったら話してよ。気を付けてお帰りね」わたしは手を振って踵を返した。だが三歩も歩かないうちに、森ちゃんに呼び止められた。
「私、バスケ部のことをすごく誤解していたみたいで、キャプテンの人もものすごく申し訳なさそうにしてて、だけど私はバスケ部のことを強い部活だからって体育館を占有する調子こいてる連中だと思ってて...」
森ちゃんは正直で素直なイイ子だ。だがイイ子すぎる。
「キャプテンがバスケ部のキャプテンと話しているのを聞いちゃって、今までバスケ部に対して思ってたこととか恨みみたいなこととか態度とか、キャプテンには迷惑ばかりかけて...ごめんなさい」
やがて森ちゃんは泣いてしまった。溜まっていたものがあったのだろう。言えなかった苦しさから解放されて安心したのだろう。
わたしは森ちゃんの肩を叩いて「大丈夫よ。バスケ部とは今後、仲良くね」と励ました。森ちゃんなら仲良くできるはず、わたしには根拠のない自信があった。
部室棟に戻るため、いつも使わない校舎のカドを曲がったところで、また美浪とバッタリと会った。ニヤニヤと気持ちの悪い笑みの美浪と一緒に入江と七星もいるわけで、わたしの荷物を持っていた。
わたしが美浪の耳を掴もうと手を伸ばすと、美浪はひらりとかわして部室棟の方へ走っていった。
三人で美浪の走り去る後ろ姿を見届け、入江がわたしに荷物を渡した。
「帰ろうよ」
そうしてわたしたちは帰路についたのだが、この三人で並んで帰るのは珍しいことで、会話ができるかな、なんて心配していた。しかしながら先ほどのことが気になっていたのか、入江が切り出した。
「さっきは立ち聞きゴメンなんだけど」
「別にいいよ。どうせ美浪にそそのかされたんでしょ」
「うん。もったいないから見に行こうって」
もったいない、にいたずらをする前の子供のような美浪の笑顔が浮かんだ。ケケケという妖怪のような声が耳元で遠くなったり近くなったり。美浪なんて気にせず聞き流そう。
「森さんとなんかあったの?」
森ちゃんとの間には何もないが、森ちゃんの中で変わった価値観がある。後輩たちがバスケ部のことを良く思っていないことは入江も知っていることで、ギクシャクした関係に三年が引退したバレー部のことを危惧していた。後輩の中心人物である森ちゃんに生じた変化が、今後後輩たちにどんな影響を及ぼすのか。少なくともわたしや入江にとってはたぶん、いや、きっと胸のつかえが取れる希望となるだろう。
わたしが入江に顛末を話すと入江は 「へー、良かったね」と他人事のように答えたのだが、ホッとしているような横顔が垣間見れた。
校門を出てからしばらく歩いて、気付いたら忘れていたものがある。「あ」と七星は後ろから迫る何かの存在に気付き、わたしと入江も後ろを振り返った。
自転車に乗りベルを荒々しく鳴らして、獅子のごとく猛スピードでこちらに向かう美浪の姿を眼球に捉えた。そしてあっという間にわたしたちの横に着いた。
「なんで置いてくのよ!」美浪は息を切らしながらさらに「部室棟の方で待ってたのに!」と期待を裏切られたような眼差しを向けてくるのだが、わたしたちは誰も同情などしなかった。
美浪は置いといて、話題の中心はわたしになった。
入江は納得したようにうなずき、わたしを褒め讃えた。「季夏が森さんを追いかけた時、どうしたんだろうな、て思ってたけれど、今思うとエライなて思う。森さんが立ち聞きしてた時から気になっていたわけでしょ?」
「様子がおかしいのはすぐに分かったし、心配だったからで、だけども別にエライと言われることの程ではないです、はい」日頃から褒められ慣れていないせいで照れてしまう。
そんなわたしに茶々を入れたい美浪は「知らない子供のハンカチをわばわざ交番まで届けるお人よしよ?当然でしょ」と自慢げに話した。
わたしと入江が美浪に冷めた視線を投げる一方、七星が珍しく口を開いた。「単純に、根が優しいだけじゃないの?」と、意外に単純な答えがわたしと入江に突き刺さった。さらに七星は「損するタイプだけど」と付け加えると、刺さったものが胸をえぐり始めた。