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絶幸  作者: まみや


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貫入-4

 年の暮れ、わたしの携帯電話に美浪からのメールが届いた。初詣に誘ったその返事だった。


 大みそかの夜、わたしはファーの付いたダウンを羽織って美浪との待ち合わせ場所に向かった。美浪は待ち合わせの時間よりも早く到着していた。大人びたロングコートにマフラーで顔の半分が埋まっていて、手袋をした手をすり合わせていた。


 「やあやあ、寒いところ申し訳ない」


 「うん、待ち合わせ時間前だし、別に」


 「じゃあ、行こうか」


 「ん?板橋さんは待たなくていいの?」


 もちろん瀬奈にも声をかけたのだが、瀬奈の家では大みそかは紅白歌合戦を見て年を越す慣習がある。今年も例外なく、家族と過ごすのだ。


 「そう、じゃあ行きましょうか」美浪のマフラーから白い息が立ち上った。


 二人並んで自転車を転がし、轍を刻む音が肌を凍るような空気を震わせる。知らない人とすれ違うたびに筋肉が硬直するように緊張して、外灯の下を歩くと肺に温かい息が入り込む。


 神社に近づくにつれて、人通りが多くなってきた。神社の周辺はきっと駐輪場が埋まっていることだろう。


 「自転車、止めるところがないかな」


 「駅近くに地下の駐輪場があったと思うけど」


 美浪の提案に従うままついていき、地下の駐輪場に行きついた。


 「有料じゃん」わたしがそう言うと、美浪は眉をつり上げたので「だけども、セキュリティしっかりしてそうでとても良いと思う」と言葉を足した。


 駐輪場に自転車を止めて地下から上がると、駅前で見覚えのある背中を見かけた。あのイケメン風の立たずまいは和美に違いない。隣にいるのは、どうやら月野和さんだ。予想するに、わたしたちと同じで初詣が目的であろう。


 「よし、あの二人についていこう」


 「は?」美浪は眉間にしわを寄せて「声をかければいいじゃない」と気だるそうに言った。


 「うーん、だってさ、何か面白そうかなーと思ってさ」わたしは目を輝かせて「ほらほら、お二人さん行っちゃうよ。美浪、ほらほら」と美浪のコートの袖を引っ張った。


 わたしたちはまるで探偵の様に物陰に隠れたり、電柱二本分の距離を置いたりして前方を行く二人を追った。この間、美浪は「いつ声をかけるの」と幾度もわたしに催促した。


 「ほらほら、やっぱり初詣だったよ。神社に入ってったね」わたしは声を弾ませて言った。


 「そんなことより、何かあったかい食べ物を食べたい」美浪は耳と鼻を赤くして、本心を細い声で言った。


 「それじゃ、お参りした後に何か食べよ」なんとなく、美浪に対して罪悪感を感じた。


 神社はテレビで見るような賽銭箱までの道のりが人で溢れていることはないが、屋台や露店があるものだから少しにぎわいがあって、敷地を囲む提灯がお祭りの様に感じられた。屋台から漂う煙と共に、美味しく温かいにおいが鼻腔をくすぐる。


 一礼をして鳥居をくぐると、美浪はみるみる力を得たように寒さで丸まった背筋がピンと伸びた。じっと視線を屋台にそそぐ美浪をよそに、わたしはまた美浪のコートの袖を引っ張り、人ごみに紛れ、コッソリ和美たちの背後についた。聞き耳を立てた訳ではないが、和美たちの会話が聞こえる。


 「和美、何をお願いするの」月野和さんはフードをかぶり、賽銭箱奥のまばゆい光を目を細めて見ていた。


 「うーん、なにも考えてないんだけど…」和美はマフラーで鼻まで隠した顔をひょっこりと出し、一度息を吸ってはまたマフラーの中へと戻っていった。「あえて言うなら...あ、うーん。えーと、また来年も楽しいことがありますように、かな」


 月野和さんは和美を見上げて眉をしかめたが、フッと小さく笑った。「一応、受験生だけども、高校生活期限ぎりぎりまでエンジョイするってこと?」


 「いや、まあそうだね」和美はどうも歯切れが悪い。「美穂子は何をお願いするの」


 「私はほら、このさ、筋肉質の体をもっとシュッとしたいな、て」


 「え。健康的で良いと思うけど」


 「和美…」月野和さんはため息をついた。「それって嫌味にしか聞こえないよ。和美はあの松山さんと同じように少し天然がかっているし、それを私は知っているから大丈夫だけど、あまりそういうことを言わないようにね―」


 「呼んだ?」わたしはポンと二人の肩を叩くと、和美と月野和さんは跳び上がって驚き、同時に振り向いた。


 「松山さん!...と若葉さん」月野和さんは喉奥をギュッと握られて、ようやく声を絞り出せたかのような引いた声で言った、


 わたしは月野和さんの反射的に作った顔を見て、人っていざとなったらなかなかおもしろい顔をするのだな、と思った。和美はというと、目を見開き目頭をヒクヒクとさせてあごが外れたように口をあんぐりと開けていた。


 「いやいや、偶然だね。お二人さんも初詣ですかな」わたしは二人の肩をポンポンと叩いた。和美はピクッと反応したが、声が出ない様だった。


 月野和さんは「え、ええ。一緒に、ねえ」と和美に呼びかけると、「そそ、そうそうね」と和美は唇を震わせて答えた。


 すると男性の集団がカウントダウンをする声が聞こえる。


 キュっと身が引き締まる思いがし、来年が身近に感じられた。


 わたしたちは携帯を開いて時間を確認して顔を見合わせると、カウントダウンの「ゼロ」とだけ声が合った。遅れて和美が「ゼロ」と翻った声を上げた。


 そして神社の敷地内にある大きな鐘が年越しを知らせた。体の芯を震わす大きな音ではあったが、その音を聞いた和美は飛び上がって驚いた。


 夏になったら和美を誘って肝試しかお化け屋敷に行きたいな、とわたしは思った。


 「あけましておめでとう」


 先ほどまで来年を感じていたのに、その来年になったという実感は毎年ながらまったくない。今まで年またぎにジャンプして地球上にいなかった、とか、家でお笑い番組を見ていたらいつの間にか新年だった、などとしていたことと並列に並べることができるからだろう。新年の迎え方を変えても新年に価値は見出せないのだが、自身が好きな所で好きな人と迎える新年はなんとなく、うれしいものだ。


 賽銭箱へと続く列に並ぶにぎわう音に耳を傾けると、寒さも忘れてワクワクと高揚感に体が包まれる。


 わたしは何を祈ろうか。今年は受験生であるから勉学の事か、部活の総体も控えているので健康や勝利についてか、他にも高校でやり残すようなことはしたくないから...と考えていると、あっと言う間に賽銭箱の前にたどり着いていた。


 そして考えていたことも忘れ、賽銭を投げた後は美浪の行う作法を真似したのだが、美浪の横顔が印象的で目に焼き付いた。最後に一礼をしてサッと横に移動すると、美浪は 「さて、何か食べましょうか」と声は抑えられていたが、高ぶる感情は目を爛々と輝かせていた。その目は屋台から屋台へと向けられていた。


 「甘酒や田楽があるね。和美や月野和さんも何か食べる?」


 「私もお腹がすいちゃった。美穂子はどうする」


 「私も何か食べたいな」


 「じゃあさ、グッパーで甘酒と田楽を買う班を決めようさ」和美と月野和さんがうなずくのを確認して「ほら美浪、こっちにおいで」と今にも屋台へと走り出しそうな美浪を呼んだ。


 「グッとパーで...」




 わたしと和美は甘酒の屋台の前で、屋台のおじさんが甘酒を用意するのを待った。屋台の真ん中につるされた豆電球のオレンジ色の明かりが屋台の中を温かく照らし、何となしにぽかぽかとなる。


 わたしは湯気が立ち込める屋台の中で「和美さ、さっき何をお祈りしたの?」と聞いた。


 「私?私は...」和美は声を詰まらせ、フーっと吐いた白い息は温かな甘酒の湯気に溶け込んだ。「何をしたいのか分からないから、教えてください、かな」目を絞った和美の目の先は湯気の中だった。


 「はい、嬢ちゃんたち」屋台のおじさんは甘酒を差し出した。「ありがとうございます」紙コップを持つと、甘酒の温かさがじんわり感じる。


 屋台を出たわたしたちは美浪と月野和さんとの待ち合わせ場所に戻る途中、なんとなくぎこちない空気が流れていた。沈黙が続くほど、わたしと和美が踏む砂利の足音が顕著に合わないことが分かる。


 今まで和美のことを深く考えたことはない。いつの間にか友達になって、いつも話していて疲れない相手で、フィーリングが合って、すぐに仲良くなった。イケメンで少し男勝りな部分もあって男だったら絶対にモテてると思うが、時々お菓子を作っては学校に持ってくるような女の子な一面もあったり。そんな彼女に悩みなどあるとは思っていなかった。和美とぶつかったり深く考えようとしたりしなかったのだから、その発想にいたらなかったのは当たり前なのだが。


 なにか一言を探している内に、不協和音のように感じた足音もだんだんと合ってきた。唾を飲み込んで咀嚼した言葉が出てくる。「さっきの...」


 言葉がぶつかった。


 「ふふっ」和美は「先に言ってよ」とわたしに促した。


 「へへっ、じゃあ...」喉の奥があたたかくなってきた。「唐突なんだけども、和美って将来の夢とか何かな、て思って」


 「将来の夢か...子供の頃は飛行機のパイロットだったけど―」


 「パイロット!?」あまりに意外なことで、わたしは目を丸くした。


 「そうそう、操縦士ってやつ。だけど年が経つにつれて『なりたい!』という意識が薄くなったの。だから今はなりたいわけじゃない、本当に子供の夢」


 「ふーん」わたしは和美のパイロットの姿を頭に浮かべた。初めに想像したのは旅客機のパイロットであったが、よくよく考えてみると何のパイロットか言及していないので、戦闘機のパイロットなのかもしれない。


 チラっと和美を見ると、目と目がバチっと合った。




 和美の将来の夢について、それ以上は聞かなかった。聞かなくても返答が容易に分かってしまったからだ。その後は他愛もない話をした。ただいつものように見ているドラマや部活の話ではなく、個人的な話だ。たった何分かの会話で、和美が天体観測が好きだということを初めて知った。


 わたしの自己評価はそこまで人に興味がない、ということ。きっと和美は暇つぶしの話し相手だとしか、心底は思っていなかったのかもしれない。


 待ち合わせ場所で美浪らが来るまで、冬の空を眺めた。和美はもれなく星について説明してくれる。冬の大三角形、オリオン座、おおいぬ座、こいぬ座と順々に説明する和美の声は弾んでいた。和美のテンションが上がる瞬間は過去に何回か見たことはあるが、今回ほど楽しそうに話すことは見たことがなかった。


 「待った?」美浪と月野和さんは両手に田楽とたこ焼きを持っていた。


 「なにそれ」


 「田楽とたこ焼き。おいしいわよ」


 「すでに食べたの?」


 美浪は何も言わずに神社の濡れ縁にたこ焼きを置き、「はい」とわたしに田楽を差し出した。美浪の歯には青のりが付いていた。


 わたしたちは談笑して少し過ごし、甘酒で温まった体が冷めぬうちに帰ることにした。和美と月野和さんとは駅で別れ、美浪と自転車を引き取っての帰り道にわたしは美浪に訊ねたいことがあった。


 「美浪は月野和さんと二人でいた時に、何か話したの?」


 美浪は人見知りだ。わたしが和美と甘酒を買っていた時、美浪のことが心配だった。甘酒と田楽のチームに別れたグーとパーの手の残像がいまだ頭にあった。


 「んー...話と言っても、月野和さんが聞いて私が答える、みたいな感じだったし」


 「インタビューじゃん」


 「そう。でもね、月野和さんって頭のいい人だな、て思ったわ。私と月野和さんの共通の話題を探して話そうとしているのが分かったし」


 「そうなんだ、へー。それで共通の話題は見つかったのかい」


 美浪は眉を上げて満足したように言った。「ええ、月野和さんは本を読むことが好きみたいなの。マンガも読むみたいだけど、小説とか、意外にも山田詠美さんとか」


 「なんか、うれしそうだね」美浪が心を弾ませて言ったように聞こえた。美浪が読書好きなのは知っているが、わたしには活字は学校の教科書以外、無縁な存在であるから本の話はできなかった。瀬奈も読書好きだが、なぜか美浪と瀬奈は噛み合いがかんばしくないものだから、きっと同じ読書好きの友達を見つけて揚々としているのだろう。


 美浪は頬を赤くしマフラーの中に顔半分だけ潜ると、マフラーから白い息を吹き出した。そして美浪は黙ってしまった。巣ごもりのひな鳥のようだ。


 「美浪、どうしたの。ほら、元気出して」


 美浪はキッとわたしを睨みつけた。


 「別にからかったわけではないし、うれしいのは本当だと思ったし」


 さらに美浪はマフラーの中へと潜ろうとする。だがそれ以上潜れないことがわかると、観念したように「そりゃ、うれしいに決まってるじゃない」とポロリとつぶやいた。


 いつも思うのだが、なぜ美浪は自身の感情を殺そうとするのだろう。感情起伏を他人に見せようとはしない努力をしているように見える。ただそうやって、必死に照れ隠しをしている美浪は憎めなく愛らしい。


 「新年からそんなんだと、年末まで引っ張るよ」


 「うるさい」


 新年とは自覚がないもので、いつの間にか「そうなっていた」というのが新年で、何日か、むしろ春を迎えてくらいにならないと新年を感じられない。だからこんな話をふったのだろう。


 「美浪さん、今年の抱負ってなんですか」


 「抱負?んー、考えてないな」美浪は頭をひねり、何か答えを出そうとしていたが「今年は受験生だし、そういえば総体も最後じゃない。頑張らなきゃじゃない?」と答えでもないことを言った。


 なんというか、煮詰まりきらないままに鍋をあげたようで、胸の真ん中あたりがごちゃごちゃとしている。気持ち悪い。会話を中途半端に切るのも嫌だし、だからこんなことを聞いたのだろう。


 「じゃあさ。美浪って将来の夢とかってあるん?」


 美浪はマフラーに埋めた顔半分をひょっこりと出し、頭をぶるっと振った。そして乾いた上唇をなめて、冷えた空気を飲み込んだ。「あるわよ」


 その言葉を聞いたとき、わたしの心は思わず踊っていた。隙間だらけのデコボコに満たされる期待感が十分に感じられたからだ。


 「何になりたいの」


 美浪は「教えない」と言って、巣へ戻る小動物のようにマフラーの中へ顔をうずめた。


 「美浪って、秘密主義の人だっけ」


 「違うわよ。なんというか...」美浪は言葉を詰まらせ、耳を赤くした。そして子供のような甘い声で「言いたくないの」と言った。


 よほど恥ずかしいことなのだろうか。美浪の横顔は、去年のとある授業中で美浪が大きな腹の虫を鳴らした時と同じだった。でもそれならなんで「あるわよ」だなんて答えたのだろう。隠せばよかったのに。ただ、美浪の意志というか、宣言というか、そういうものを感じた。


 会話が途切れてしまって電信柱から次の電信柱までを黙って歩く。つかの間の時間がわたしにとって都合よく、わたしの中にあった美浪の像を再構築させる機会になった。


 わたしにとっての美浪という人間はもともと、多くの人と同じような航路で大人になり、やがて社会人になるものだと思っていた。いい大学に入って、いい会社に就職して、いい人と結婚して...のようなことを考えているものだと思っていた。幸せは後から付いてくるタイプだと思っていた。こんなテンプレのような人生が美浪なのだな、と失礼ながら想像していた。ただ恥ずかしいと思うようなことではないと思う。大抵の大人はこれが理想像、と言わんばかりに像をモテ囃すのだ。


 美浪には何かしらの野望があるのかもしれない。夢で終わりそうな未来像をからかわれたり、叶わぬ夢であったときに大ぼらを吹いたと言われることを恐れると、自分の将来の夢なんて人には言えない。わたしもきっと言えない。


 まだ覚悟が定まっていないというか、足場が固まってないというか、ましてレールの先に何があるのかも見えてないと、夢を実現しようとするのは難しいものだ。


 わたしは美浪を分かっているようで、まったく分かっていなかった。付き合い方をリスタートしようと思う。


 わたしは目を輝かせて「美浪のこと、誤解してたよ」と屈託ない顔で言った。


 「ん?いきなり何」美浪はきょとんとした表情をした。

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