第四話 カサンドラからの依頼
翌日、虎狩亭に開店と同時に行って、焼き鳥とビールを注文する。
客がまだピサロだけだった。ウェイトレスにチップを渡して尋ねる。
「ここはビールが美味しいって聞いて来た。だけど、何か焼き鳥を抓みに食べると、少しあっさりしすぎている気がする」
ウェイトレスは厨房をちらりと見てから、渋面で語り出す。
「醸造蔵で造っていた職人が入れ替わったんです。職人が替わると、味が露骨に変わりました。でも、付き合いがあるんで、すぐには仕入れ先を変更できないんです」
「職人が替わったね。それはどこの醸造蔵だい」
「バルトロメオ醸造蔵ですよ」
バルトロメオ醸造蔵の場所を訊く。
翌日、小売りをしている酒屋を回って、バルトロメオ醸造蔵の評判を尋ねる。
「バルトロメオは先代が生きていた頃、良い酒造蔵だったんだけどね。代替わりしてから、評判を落としているね」
他にも、三軒の酒屋で尋ねたが、評判は芳しくなかった。
醸造家ギルドに顔を出す。
「酒造蔵で働きたいんだ。どうしたらいい?」
ギルドの受付の男は、胡散臭そうにピサロを見る。
「ここいらじゃ見ない顔だね。どこかの親方の紹介はあるかい?」
「いや、ないよ。必要なら組合員になる」
「組合員には簡単にはなれないよ。それに、ギルドとしてもどこの誰ともわからない奴を大事な酒蔵には送れない」
「これでも、ビール造りは上手いんだ。アンヘル侯爵にもビール造りの腕は認められた。きっと役に立つ」
受付の男性は素っ気ない。
「駄目、駄目。大貴族の名前を出しても、あんたには信用がない。どうしても組合員なりたければ、紹介者から紹介状を貰ってきな」
冒険者ギルドと違って、職人系のギルドは厳格だな。
信用か。流れ者の俺には当てがないぞ。
初めての街なので、見知った人間はいない。
こういう時にどうしていいか、ピサロにはわからなかった。
とりあえず、かつてを知る冒険者ギルドに顔を出す。
冒険者ギルドに顔を出すと、昔懐かしい活気と空気があった。
懐かしいな、この空気。余所者を余所者と思わず、実力さえあれば受け入れてくれる。
受付に行って尋ねる。
「醸造家ギルドの組合員になりたいんだが、紹介者が必要なんだ。仲介料を払うから、紹介者になってくれそうな冒険者はいないか?」
受付の女性は困った顔をする。
「ここは冒険者ギルドですよ。醸造家ギルドへの人間の派遣は行っていません」
「そこを何とかならないか? 冒険者なら顔の広い人間もいるだろう」
ピサロと話が聞こえたのか、別のギルドの男職員が声を懸ける。
「あんたの要望に合うかどうか知らないが、カサンドラさんが醸造家を探していたよ。話によっちゃ、カサンドラさんが紹介者になってくれるかもしれない」
さすが色々な仕事と人材が集まる冒険者ギルドだ。
「カサンドラって女性はどんな冒険者なんだい?」
「一人で活動している冒険者だよ。手の足りない時は他の冒険者に助っ人に行くこともある。でも、基本的に一人で活動しているね」
独りで活動する冒険者か。腕は確かなんだろうが、性格が気になる。
「人嫌いだったり、気難しかったりするのかい?」
「いや、そんな性格じゃないよ。でも、一人を好む理由は知らない。語らないなら、訊かないのも、仕事だからね」
「わかった。あとはこっちで話をしてみる。どいつだか教えてくれ」
ギルドの職員は指差す。
「あそこにいる。銀髪で、赤い革鎧を着た女性冒険者がカサンドラさんだよ」
教えられた席に行く。一人の若い女性冒険者がいた。
カサンドラはすらりとした長身の女性だった。
女性にしては筋肉が付いており、しなやかな体をしていた。
カサンドラの向かいに腰掛ける。
「あんたが、カサンドラさん? 醸造家を探しているんだろう。俺は醸造家のピサロだ。良かったら、話を聞かせてくれ」
カサンドラは細い眉を顰める。
飲んでいた木製のジョッキを、カサンドラはピサロの前に置いた。
「このビールの醸造蔵を当ててみな。一端の職人ならどこの醸造蔵かわかるはずだ」
ビールをじっと見る。ビールからまだ酵母の気配がしていた。
心の中で酵母に話し懸けると「今、お食事中」と返ってきた。
火入れが不十分で酵母が死滅しておらず、糖度がわずかに残っているな。
カサンドラが不機嫌に尋ねる。
「どうした? 見た目と香りで分からないなら、飲んでもいいよ。ただし、外したら新しいビールを一杯、奢ってもらうよ」
「残念だが、俺はこの街に来たばかりでね。ここいらの醸造蔵は、よく知らないんだ。だが、あんたが飲んでいたビールを今より美味くすることができる」
馬鹿にしたようにカサンドラが笑った。
「ジョッキに注いだ後のビールが美味くなるなんて状況はないわよ」
ピサロはジョッキを手に取る。親指で冷やす魔法の刻印をジョッキに押した。
次いで、残っている酵母に命じる。残存する糖分を消費してくれ。
「どうぞ」とジョッキをカサンドラの前に置く。
カサンドラが疑いも露わな顔でジョッキに口を付ける。
「こいつは、驚いたわ。ピサロが宣言した通りに、ビールが少しだけだが、美味くなっている」
温いビールを冷やして、未発酵の糖分をアルコールと細かい泡の二酸化炭素に分解しただけなんだけどね。
カサンドラは思案する。
「はたしてピサロを醸造家として、信用して良いものかしら?」
「何だって試さないことにはわからないだろう。可能性があるなら、俺を試しに使ってみる決断をお勧めするよ」
カサンドラは決心すると、軽い調子で訊いてくる。
「それで、報酬はいくら欲しいの」
「金は要らない。ただ、醸造家ギルドに入りたい。紹介者になってくれ」
「それなら、問題ないわ。私が抱えている厄介事は醸造蔵が関係しているわ。上手く行けば、醸造蔵にコネができるわよ。醸造蔵にコネができれば醸造家の組合員になるのはずっと楽よ」
おっと、どうやら上手く行きそうだね。
「それなら、お願いしたいね。それで、手伝ってほしい仕事の内容はどんなんだい?」
「実はある商人が廃業予定の醸造蔵を買ったのよ。繁盛はしていないわ」
よくある話だな。だが、冒険者ギルドが絡みそうにはない。
「醸造蔵の経営再建が依頼か? でも、それ、冒険者ギルドの仕事かな?」
「話はまだ先があるのよ。繁盛していない醸造蔵だけど、夜になると時折、不思議なお客が訪れるのよ」
「夜中の客ねえ。ちょいと飲み足りなかったのか?」
「お客は毎回、酒を大八車単位で樽の単位で買っていくわ」
「変わったお客だな。宴席の途中で酒が足りなくなったのか?」
「醸造蔵の周りに店はないのよ。それで、不審に思った店主が客を尾行したわ。すると、お客は道の途中で最初からいなかったように、ぱったりと消えてしまったそうよ」
なるほど、これは普通の客じゃないな。
「不思議な話だな。でも、貰った金貨や銀貨は本物だったんだろう?」
「金貨や銀貨の発行年代と発行国はまちまち。中には血が付着した物もあったそうよ」
ますますもって奇妙だ。だが、これなら、冒険者が絡む理由がわかる。
「お客は人間ではない可能性がある。そう考えて、店主は怖くなったのか?」
カサンドラが真剣な顔をして頷いた。
「そうよ。それで、冒険者を雇って調べようとしたわ」
「俺たちが初めてではない、と? それで、調査に行った冒険者はどうなった? 帰ってこない、とか?」
「いいえ。客を尾行して行った翌日に発見されたわ。眠らされた状態で酒樽に入っていたけどね」
「何があったか、覚えていなかったのか?」
「記憶はあやふやだけど、『醸造家が必要だった』とだけ、覚えていたわ」
生還した冒険者の証言も、これまた妙だな。
「それで、一緒に事件を探る醸造家を探していたのか?」
「そうよ。この奇妙な事件を一緒に探ってくれるかしら?」
普通の醸造家なら気味悪がって断るところだな。
だが、誰もやりたがらない仕事をしないと、美味しい目にも、ありつけない。
新参者の辛いところだな。
「いいだろう。引き受けよう」