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第三話 侯爵の提案

 ピサロは壺を五つ借りてきてビール造りに没頭した。

 生ホップは収穫時期が過ぎていたので手に入らない。


 村に金を払って、村で貯蔵している輸出用の乾燥ホップを購入する。

 手に入るホップは輸出用の三種類。配合比率を変えてビールを作った。


 美味いビールを早く醸造するのには成功した。だが、すごく美味いビールを醸造するのには、成功しなかった。


 やはり、ロベルト爺さんのビールを再現するには、醸造蔵で管理している特別栽培用のホップを手に入れるしかないか。


 醸造蔵が所有する畑は十二mの塀で覆われていた。

 夜中に梯子を掛けて、酒造蔵が所有する畑に忍び込む。


 畑で作られていた作物はホップだけだった。ホップの収穫は既に終わっていた。

 だが、枯れたホップが落ちていた。手に取り調べる。


 味や香りが、村の輸出用のホップより強かった。

 いや、待てよ。そもそも、ロベルト爺さんのビールの秘密は本当にホップだけなのか。


 こうなると、一度、醸造蔵に忍び込む必要があるな。

 別の晩に、こっそり醸造蔵に忍び込む。


 貯蔵庫の隅に落ちていたホップの味を見る。

 干からびたホップはピサロが入手したものとは味と香がまるで違った。


 そんなホップが三種類あった。

 醸造蔵が所有する畑では、特別に三種類のホップを栽培しているのか。


 倉庫を調べる。輸出用のホップも三種類あった。

 ロベルト爺さんのビールを仕込むのに六種類のホップをブレンドして使っていたのか。


 他にも秘密がないか、調べる。

 井戸水を飲むが、水の味に違いはなかった。


 ビールが入っていた樽に付いている微生物を調べた。酵母だけで優に百種類はいた。

 一つ一つの声を聞く。


 野山を駆け回って同じ声のする酵母を集めた。


 特別栽培用の三種類のホップは村では手に入らない。だが、野生の酵母を探す過程で野生のホップを見つけたので、採取して使用した。


 四種類のホップを使うことで、味と香は格段に良くなった。村長に飲ませる。

 村長は残念そうな顔をして答える。


「前よりは美味しいけど、まだ劣るね」


 夜に眠れなくなった。

 こんなにも苦労するって、醸造家でやっていくのも大変だな。


 月日は経ち、季節は冬から春になった。

 努力と技能のおかげで、ロベルト爺さんが使っていたと思われるホップの割合はおおよそ見当がついた。


 管理されている特別栽培用の三種類のホップは入手できなかった。されど、野生ホップを加える方法で、解決できたと思った。


 けれども、村長には遂にロベルトと同等と言わせることができなかった。


 一冬まるまる掛かった。だが、ロベルト爺さんの造った一年熟成ビールを超えるとの評価を村長から得られなかった。


 そのうち、侯爵一家が春の散策に村に来る、との噂が流れた。

 ピサロはビールを準備した。だが、自信はなかった。


 春の陽気の中、村の走る道を、侯爵閣下の一団が進んで行く。

 ピサロは遠目に見ていた。すると、昼に侍従がやって来た。


「ピサロ殿。アンヘル侯爵閣下は約束のビールをお待ちかねです」

「はあ」と良く冷えたビールを持って、沈んだ気分で村長の家に行く。


 アンヘルはがっしりした体格の赤毛の男だった。アンヘルは立派な衣装の上から春物のコートを羽織っていた。


 アンヘルはにこにこ顔でピサロに催促する。


「待ちかねたぞ。余はビールが大好きだ。さあ、さっそく、ロベルトに負けないビールを飲ませてくれ」


「ご期待に沿えるといいのですが」

 ピサロはお叱りが来るのを覚悟で、良く冷えたビールを木製のジョッキに注いだ。


 アンヘルが期待に満ちた顔で、ビールに口を付ける。そのまま、ビールを一気に飲み干した。

「確かにこれは、ロベルトに負けない美味いビールだ」


 おかしい。村長はこれをもってしても、ロベルトのビールのほうが美味いと評価していた。

 アンヘルが口を付けると、皆もピサロのビールを飲む。村長も「これは美味い」と評価した。


 あれ、どうしてだ? アンヘルが俺のビールが美味いと評価するのはわかる。だが、村長まで、なぜ態度を変えた。


 アンヘルに(なら)って態度を変えたのかにも思えた。だが。村長にそんな素振りはない。

 ピサロが不思議に思っていると、アンヘルがコートを脱いで侍従に渡した。


 ピサロはここで気が付いた。


 そうか、気温か。春先の陽気が気温を上げて、ビールを美味く感じさせたのか。村長がビールを美味いと評価しなかったのも、冬の外気温のせいだったんだ。


 謎が解けてほっとした。

 アンヘルは満足した顔で告げる。


「見事であった、ピサロよ。また狩りの度に美味いビールが飲めると思うと、余は嬉しいぞ」

「ありがたき幸せです。閣下」


「このホップ村は主要街道からも近い。ここをホップや大麦の生産地としてではなく、ビールの生産地としたいと思っていた。お前さえよければ、ここの醸造蔵の支配人になる気はないか」


 来たね。良い役職が。酒を造る公務員か。俺の能力も活かせる。

 引き受けようとした。だが、すかさず若い女性の声で異議が持ち上がる。


「待ってください。すでに酒造蔵には、私がいます」


 声のした方向を見ると、二十そこそこの金髪の女性が立っていた。女性は青い瞳でアンヘルを見据える。だが、アンヘルは素っ気ない。


「セリアか。君のビールはさっき飲んだ。不味くはない。だが、あれでは、他の村との競争となった時に勝てない」


「あと、二年、時間をください。二年で私は、ロベルトお爺ちゃんを超えます」

 無理だろうなと思った。ピサロには神から貰った技術があった。だから、一冬でロベルトを超えられた。


 だが、セリアには才能も恩寵もない。それが、四十年を掛けて到達したロベルトの域に到達する訳がない。


 同時にピサロは、この醸造蔵をセリアから奪ってはいけないと感じた。

 俺の力は対価をもって得た力だ。


 だが、この力は貰いものだ。前途有望な若者を潰してまで振るっていいものではない。

 アンヘルは良いと認めなかったので、ピサロから言い出した。


「なら、その勝負を受けましょう。二年後、俺のビールよりセレナのビールが美味ければ支配人はセリアが、俺のビールが美味ければ俺が支配人になります」


 嘘だった。ピサロはこの村を出てもう村に戻らないつもりだった。

 俺がいなければ、セリアの不戦勝だ。俺は醸造蔵のない場所で、一から醸造蔵を興せばいい。


 アンヘルが渋い顔で確認してくる。

「本当にそれでよいのか、ピサロよ」


「構いません。俺には圧倒的に経験が足りない。二年間、武者修行をしてきます。それで今よりもっと美味しいビールを造れるようになって、戻ってききます」


「そうか。ならば、セリアに一度だけチャンスをやろう」


 その場は二年後に勝負する話で決着した。

 翌日、旅支度を調え家の鍵をエレナに渡す。


 エレナの表情は冴えない。

「本当に武者修行なんて行くの? この村から一歩も外に出た経験はないでしょう」


 旅は慣れている。冒険者時代ずっと旅人だった。

 まあいいさ。俺の居場所は俺が決める。


「何にでも初めてはある。それより家の管理を頼む。二年が経ったら戻って来るよ」

「待っているわ」


 さようなら、親切なエレナ。

 街道をゆく巡回馬車が目に入った。


「ちょうど街道をゆく巡回馬車も来たようだ。じゃあ、二年間の武者修行に行ってくる」


 エレナに見送られ、巡回馬車に乗る。

 馬車には冒険者や旅人が乗っていた。


 道中は適当に冒険者の自慢話を聞きながら時間を潰す。

 冒険の自慢話なら俺もあるんだが、今は醸造家のピサロだからな。


 自慢話が一息吐いたところで、ピサロは冒険者に尋ねる。


「なあ、冒険者さん。街に行ったら美味いビールが飲みたいんだ。美味しいビールを出す店を知らないか?」


「あそこが美味い」「いや、あっちのほうが喉越しが良い」と冒険者は口々に楽しそうに議論する。

結論としては、「仕事を無事に終えて帰ってきて冒険者の酒場で飲むビールが一番美味い」となった。


 わからない話ではなかった。

 冒険者だった頃のピサロでも、同じ質問をされたら、同じように答えただろう。


 だが、ある、女性冒険者の言葉が気になった。

「私は虎狩亭のビールが一番美味いと思う」


 具体的な名前が出る。すると、冒険者の酒場のビールが一番美味いと評価していた冒険者も「虎狩亭のビールは美味いよな」と口々に認めた。


 虎狩亭か。どれ、街に着いたら寄ってみるか。何事も勉強だ。

 馬車はホップ村を出て七日後に、アルキドラの街に到着した。


 冒険者の一団は親切に虎狩亭の場所を教えてくれた。

「虎狩亭は混雑するかもしれないから、少し早めに行ったほうがいいよ」


「ご親切にありがとう」


 宿を取って、すぐに虎狩亭に行く。虎狩亭は三十席ほどの小さな料理屋だった。

 ウェイトレスにビールと焼き鳥を注文する。注文は、すぐに出てきた。


 期待を込めてビールを飲む。

 ビールは冷えてはいたものの、それほど美味しくはなかった。


 冒険者の酒場の安いビールよりは味が豊だ。でも、何ていうか、期待していたのと違う。


 焼き鳥以外に肉料理の注文を出す。食事は少し高いものの美味しい。だが、ビールが料理に合っていない。ピーク時までいたが、客の入りもそれほどではなかった。


 何だろう。この店、冒険者の評価と違うな。

 虎狩亭の件はそれでおしまいでもよかったが、何だか気になった。


 どうせやる仕事もないんだから、ちょいと調べてみるか。

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