第二話 ロベルトのビール
二日目から量を多めに作った。残った穀物の粕を濾して水分を飛ばす。
金色の輝く水飴が土鍋に残った。舐めると、一回目より上手くできた。
「神様から授かった水飴作りの才能か。これは、売れるね」
村でエレナの家を訊いて訪ねる。エレナの家は村で一番大きかった。
でかい家だな。広さは千㎡で十部屋以上あるな。
家の入口で、老人に声を懸ける。
「こんにちはお爺さん、エレナはいるかい?」
「ピサロから訪ねてくれるとは珍しいな。でも、エレナは接待で忙しいよ」
「接待って、来客か? 誰だい?」
「村に貴族が寄っているんだよ。狩りに行く前と行った後は必ず村に寄るのさ」
何も産業がない村だけど、近くに良い狩場があるんだな。
「せっかく水飴を作ったけど、接待中じゃ、味を見てもらうわけにはいかないな」
「どれ、儂でよければ見てやろう。挨拶が終わったから、儂の仕事はもう終わったし」
見知らぬ爺さんに水飴を分けてやる義理はない。だが、口ぶりから推測して、爺さんと死んだピサロは知り合いだった。ならば、ここは邪険にしておくのも都合が悪い。
「そうか。ならば、頼むよ」
老人は家からスプーンを持ってきて、水飴を一匙掬って口に入れる。
老人の顔色が真剣なものに変わる。
「これは、ロベルトの水飴だ」
「誰だい、そりゃ?」
「お前は覚えていないんじゃったの。ロベルトは、この村一番のビール造りの名人じゃった。同時に水飴作りの達人じゃった」
水飴もビールも穀物を糖化させる。
ビール造りの名人なら、水飴を上手に造れてもおかしくはないか。
「既に達人がいるのなら、商売にならないか」
「ちょっと待て、ピサロ。ひょっとしてお前、家でビールを作っておらんか」
家の中を思い出す。だが、ピサロの家には醸造に使う器具はなかった。
ビール樽はあったが、中は空だった。
「ビールは作っていないな。ビールがどうかしたのか?」
「貴族は狩った獲物を肴に、ロベルトの自家製ビールで一杯やる。それはもう、とても楽しみにしておる。だが、ロベルトがいなくなり、美味いビールが途絶えた」
「それは残念だな。でも、ないものねだりをしても仕方ないだろう」
老人の顔は暗い。
「だが、貴族は村に金を落としてくれる。村にはビールが必要なんじゃ」
「でも、ビールって、一日二日じゃ、できないだろう」
「だから、造ったものがあればと、期待したのじゃよ」
「ロベルトがいなくなったのは、いつの話だ」
「今年の春先じゃよ」
「なら、醸造蔵にビールが、まだ残っているかもしれない。醸造蔵を見せてもらおう」
「わかった。なら、一緒に行こう」
醸造蔵はエレナの家を挟んで、ピサロの家と反対側にあった。
醸造蔵とはいっても小さく、二千㎡の蔵が一つあるのみ。
蔵の隣にある家に、老人が入って行く。
ピサロは家の外で待った。
老人と家人の話し声が聞こえてくる
「村長さん。今日はどうしたんだい」
あの老人は村長だったのか、するとエレナは村長の娘か。
「ちょっと蔵の中を見せてもらえないか。飲み頃のビールがあるかどうか、知りたいんじゃ」
「蔵の中は全部を確認したよ。もうロベルト爺さんが仕込んだビールは全部、売れちまったよ」
蔵の入口から中を覗く。休憩時間なのか、中に人はいない。
奥にビール樽が百程度並んでいた。
ビール樽の前に行く。樽の前に立つだけで、ビールの発酵が上手くいっていない状況がわかった。
それどころか、雑菌の気配がひしひしと感じられた。
上手くは表現できんが、温度管理とホップの添加に失敗したな。
そうして見ていくと、明らかに微生物の気配が違う樽が一樽ある事実に気が付いた。
こいつは、違う。熟成が良い具合に進んでいる。
樽の外見上に変化はない。だが、樽の中の酵母たちが囁いている。
「飲み頃だよ」と。
樽に触ると、樽は冷えていた。他の樽と比べても温度が低かった。
魔法の熟成樽か。こいつだけ扱いがいいな。
「ピサロ。ここにいたのかい。何か見つかったのか」
村長が酒造蔵の人を連れてやってきた。
ピサロはさっそく樽を示して教える。
「この樽だけ扱いがいい。高級な魔法の樽を使っている。このビールなら美味しそうだ」
「どれどれ」と家人が樽を確認して驚く。
「これは、爺様が特別に仕込んだ天然酵母を使った一年熟成ビールだ。もう、全て売ったと思ったが、一樽が残っていた。でも、見た目は普通の樽とほぼ同じなのに、あんたよくわかったね」
樽の中の酵母が囁いた、と答えてもわかってもらえそうになかった。なので、曖昧に答える。
「偶々ですよ。でも、特別な樽はこの一樽だけ。これを出せばもう美味しいビールはない」
「そうか、アンヘル侯爵閣下には、これで最後と答えるしかないか」
侯爵か、大貴族だな。
ちょっと欲が頭をもたげる。
気に入られれば、酒造蔵を持つ頭金くらい貸してくれるかもしれないな。
「なんなら、俺が自家製ビールを壺で仕込んで出しましょうか」
村長は苦笑いする。
「でも、ピサロは、ビール造りなんて、やった経験がないだろう」
「ここまで大規模ならできませんが、少量ならできると思いますよ。来年の春に、またお越しくださいと、侯爵閣下にお伝えください」
酒造蔵の職人も否定的だった。
「でもねえ、美味しいビール樽を当てるのと美味しいビールを造るのは、違うからねえ」
俺も普通なら不可能だと思うよ。でも、俺には神から得た力がある。どうにかなるだろう。
ビール樽を大八車に載せて村長の家に運ぶ。
村長は侍従長に、美味しいビールがまだ残っていたと、事実を伝える。
侍従長は喜んだ。
「侯爵閣下はホップ村のビールが大のお気に入り。今回の狩りでビールが飲めて満足でしょう。ただ、今回で最後なのが、ひどく残念ではあります」
村長はピサロのビールの話をしなかったので、ピサロから申し出る。
「ロベルト爺さんのビールはなくなりました。ですが、美味しいビールはまた造ります。ぜひ、来年の春には、仕込んだビールをお贈りします」
侍従長が半笑いで否定する。
「無理でしょう。ロベルト殿のような醸造家は稀にしかいません」
「そう仰らずに楽しみに待っていてください」
三日後、アンヘル侯爵が帰って行ったので、エレナの家に行く。
「お願いがある。ビールを造る道具を貸してくれ」
エレナの表情は渋い。
「父さんから聞いたわよ。無理な仕事を受けたんですって。自家製ビールでも、酸っぱくないビールを造るのは難しいのよ」
「勝算のない勝負はしない。道具があればどうにかなる」
発酵用の五十ℓが入る壺を借りてきた。
大麦を粉砕して、麦芽と水を混ぜる。混合液を加温して糖化させる。
ホップ村では小規模醸造蔵用への輸出品としてホップを作っていた。
ピサロの畑も三割がホップで七割が大麦だった。
高く売れるのでホップは税として納める。ピサロの家には余っていたホップがあった。
なお、村の醸造蔵で使うホップは特別栽培品なので手に入らない。
糖化した液にホップを添加して濾過する。糖化した液を濾過する。
濾液を壺に移して発酵させ、七日間、置いた。
ここで発酵液を確認する。ビールの泡とアルコール分があるが、まだ味が不十分だった。
酵母の声に耳を傾ける。
「まだ早いよ。冷たくして寝かせて」と酵母の囁きが聞こえた。
神様から授かった能力を使えば熟成期間を短縮できそうだな。
躊躇わず能力を使った。
「雑菌は静かに、酵母は静かにかつ速やかに働いてくれ」
「ぶーぶー」と雑菌からは不満の声が上がった。
「まあまあ」と宥めると雑菌は納得してくれた。
酵母は活発に働くことに意欲を見せ、激しく活動した。
三日後、再び味を見ると、ビールになっていた。
普通なら九十日が掛かるビールが十二日でできたぞ。約八倍の速さだ。もっと力を使えば十倍速、二十倍速が行けるな。いや、千倍だっていけるかもしれん。微生物限定だけど、これはこれで凄い力だ。
力を使ってわかった。醸造家技能十五は魔法の技能だった。対象に触れ刻印を刻む手法で、冷やしたり加熱したりする力もあった。おかげで、秋でも壺を冬の朝のように低温に保つことができた。
さっそくできたビールを持って村長の家に行く。
村長にビールを味見させると村長は苦笑する。
「ピサロや。しばらく姿を見ないと思ったら街にビールを買いに行ったな」
「これは俺が造ったビールですよ」
村長は馬鹿にしたように評価する。
「買ったビールでも造ったビールでも、侯爵閣下を満足させられれば面目は保てる。そう考えたのであろう。考えが浅いのう」
「本当に俺が造ったビールなんですってば」
村長は軽くピサロを叱った。
「戯け、ビールがそう短期間にできるか」
「できる、できないの話は、しません。味はどうですか、ロベルト爺さんのビールに負けていませんか」
村長はビールを飲み、神妙な顔で評価した。
「確かにピサロが買ってきたビールは美味い。だが、ロベルトのビールはもっと美味かった。ピサロが買ってきたビールは味も香りも単調じゃ」
「改善点は多いか。さて、何から改善したらいいのか」
「ピサロが買ってきたビールの欠点はホップじゃな。ビールの味を活かすも殺すもホップ次第よ」
「ロベルト爺さんはどんなホップを使っていたんですか?」
村長は苦笑いする。
「ビールのホップは重要機密じゃ。村で作っている三種類の輸出用ホップとは別ものじゃ。いかに村長といえど、知るわけがなかろう」
ホップって入れりゃいいと思ったのが違うんだな。
醸造家技能十五を持っていれば簡単だと思った。だが、現実はそんなに甘くないらしい。
ちょっと、これはまずい展開になったな。美味いビールを侯爵閣下に贈ると宣言した以上、これは簡単に引き下がれないぞ。