8 小さな森と果てなき荒野
せりあがっていく土台に、へっぴり腰でつかまる。
「ななななんで! 何してるんですか!」
「大丈夫、大丈夫」
びびりまくってる俺に、アーレさんは平然と告げる。
「あ、でも立ったら落ちちゃいますからそのままでいてね」
「なんで笑ってるんですか!」
俺のリアクションが面白いのか、アーレさんの笑い声が聞こえる。
どんな表情をしているのか、顔がみたいけど今は無理。だって地面が突然宙に浮いたら誰だってこうなるだろ。
視線が徐々に木の枝を抜けていき、どんどんと上昇していく。周りは葉っぱだらけ、身体がデカいからかすこし枝に当たって怖い。
「うわわわ」
俺は必死に足元の土の縁をつかんで、恐る恐る見下ろした。
池のあったアーレさんのおうちと森が眼下に見える。
まるであのキノコを食べた時のように、森が小さくなり、一面の緑が視界に広がった。
そしてそれは、次第に変化する。緑が少なくなり、赤い大地へと変わった。
「森がなくなって――」
正確には、森がその赤の大地のたった一部だったことに気づく。
足元だけではなかった。
さっきまでいた森以外、すべての大地に緑色は見当たらない。足元に広がった赤い地域のほかに――、太陽の昇った方角からおそらく東に位置するだろう方向には、くすんだ色の土地が見えた。
さっきまで見えていた森が、こぶし大くらいにしか見えなくなっている。
ほんとにここ、どこだよ。絶対俺の世界じゃない。
それに、どこを見ても植物が圧倒的に少ない。
一本の川と隆起した山も見えるが、緑色なんてほとんどない。遠いからだろうけどゴマがまばらに振られているくらいにしか見えない程度だ。
その中でも一層酷いのは、くすんだ色の地域だ。灰色にも見えるその場所には、ほんとうに何もない。
砂漠のように小さく勾配がみえるほどしか変化もなく、全てが同じ色、同じ情景――。
それを見てしまった俺の身体が、冷たくなってしまったのか、身震いしてしまった。
「これって……」
詰まってしまった俺の言葉に、アーレさんが答えてくれた。
「大地は、少しずつ活動を止めています」
しかしその声は、悲しく響いている。彼女はそのまま、静かに続けた。
「タケヒコくんが見ているそちらの方は、更に荒れ――死した大地、とそう呼ばれているんです」
俺の視線の先、灰の世界を枝で差している。遠く広がるその荒野を見つめたまま。
「なんで――」
また言葉が途切れてしまう。
それは、アーレさんの声が、どこか自分を責めているような、そんな風に感じてしまったから。
「ずっと昔。遠い遠い昔に、とても悲しいことが、あったんです」
「悲しい、こと……」
なんだろうか。聞いてもいいのならすぐにでも聞きたいが、どういう言葉で尋ねたらいいのかが、わからない。
俺の身体――樹木でできた身体の震えはとまらず、悲鳴をあげているようにすら思えた。
「生き物は追われ、ずっと遠くへと移っていきました。……まだこの辺りにもわずかに残るものもいますけれど」
周りを見渡してみる。
小さな森の奥の方、灰の大地とは真逆に位置するところには、石のような建物が集まったものが見えた。
川辺にたてられたそれらは、人工物のように見える。集落……? 人が住んでいるのだろうか。
「私は、ここに森を広げようとしています」
風に晒された髪を手で抑え、アーレさんが呟いた。目を伏せて紡いだ言葉は、しかし風に負けぬ強さで、しっかりと俺へと届けてくれた。
「――なんでそれを、貴女が一人でされているんです」
人だっているかもしれない。追われた者の誰一人何もしようとしないなんて。この人を残して、逃げてしまったのなんてそんなこと。
「それは……ここでこうすることが、私の役割、ですから」
役割――。
その言葉に、ドキリとした。
それが意味するものは、俺の考えるものとは違うだろう。それがわかっていても、心が締め付けられてしまう。
昔に欲した、それを、思い出してしまう。
そして、何も得ることをしなかった俺には、否応にも目の前の彼女がまぶしく感じてしまった。
「私はここを、緑で埋めたいって、そう思っているの」
植林とか、栽培とか、そういうのは全くわかんないけど。
でも草木や花、ましてや樹木が育つのには、膨大な時間がかかることは知っている。
この人は、それをやり続けているんだろう。
「それを、少しでもいいから――お手伝いしてもらえますか?」
果てしなく遠く広がる土地に――荒野に、一つだけでも森がある。
この人は、それを創り続けてきたんだろう。
――たった一人で。
「……俺でよければ」
俺は、その日、魔女に出会った。
荒野の中で、たった一人で森を作る――アーレと名乗る魔女に出会った。