6 光と緑と握った指先
いやほんとどうしたらいいんだろう。明日も仕事あったのに。そもそも俺死んでるかもしれないじゃん。確認する手段ないけど。
「あの俺、家でご飯作って食べてたんですよ」
状況整理の為にも、俺の経緯を話しておいたほうがよさそうだ。
「お料理できるの?」
「あ、結構するほうです」
「へえ~すご~い」
ぱちぱち、と手を叩くアーレさん。俺もなんか頭のあたりをかいてしまう。
緊張感ないなぁ。かわいいからいいけど。
「で、そうっすね。変わったことと言えば変なキノコ食べちゃったらなんか世界が回って、こうふわ~って身体が浮いて……、浮いてどうなったんだっけ。――ダメだ、その後が思い出せない」
「キノコ?」
「そうなんですよ、キノコ。なんていうか、白くて丸くて、でもめっちゃくちゃ美味しかったんだよなぁ」
「美味しかった……」
「ええ。はっきりと味があるってわけじゃないんですけど、やけに旨く感じて、とまらなくて」
まさにあれはやめられない止まらないってやつだった。今考えると明らかにやべえじゃん。買った覚えもない謎のキノコ食べて気持ちよくなっちゃってるとか。
と、アーレさんがハッとしてすぐに立ち上がる。
またバタバタと駆けまわり、乱雑に置かれた本の束から一冊つかんで取り出した。すごいな、このごちゃごちゃした部屋の中から目当ての物取り出すなんて。
アーレさんは、手に取った本をめくり、こちらへと向ける。
「タケヒコくんが食べたキノコって、もしかしてコレ?」
そこには細かな模様――見覚えのない文字のようなものと並んで、絵が描いてあった。
黒のインクで描かれており色まではわからない。だがその形が示していたのは、まさしく俺があの時食べたキノコだった。
「これです! これ!」
「ああ、そういうことなのね。それで魂だけが分かれて……、でもそうだとして何故こちらに――」
テンションが高くなった俺と反し、落ち着いた口調でなにやらぶつぶつと考え込んでいた。
「なんとなく、ですけれど、状況はわかりました。偶然とはいえやはりわたしが貴方をこちらに呼んでしまったようです」
眉根を下げ、アーレさんが俺に言う。
「こちらに記されたこのキノコ。ファナディガス――通称ですが夢見のキノコという特殊なキノコで。いわゆる毒キノコ、といったらわかりますか?」
「毒、キノコ……」
はい俺死んだ。ありがとうございました。だいたい四半世紀の人生終了です。
軽くしてみても全然笑えない。それどころか全くと言っていいほど現実感がない。
「これを食すと現れる症状が――幻覚、高揚、そして眩暈。一種の快楽物質が分泌されるそうです。一度に多く摂取すると、それこそ魂が抜けるほど、と。私が食べたわけではないので事実とは異なるかもしれませんが……タケヒコくんの言われている状況と似ていませんか?」
「そ、そうですね」
「おそらくこれが原因なのではないでしょうか。推測の域を出ませんけれど」
「なるほど、それっぽい感じですね。その、一応ですが納得はできました……」
ただ、完全に受け入れるまでは時間がかかりそう。
でもちょっと待てよ。なんでこっちの世界に資料が載ってるキノコが向こうにあったんだよ。あの時はへんなばあさんがいて――。
「そのキノコが、俺のその、世界にどうしてあったんですかね」
そもそもここが異界とかもまだよくわかってないんだけど。わかんないことだらけだ。
「なぜでしょうか……。その、そこまではわたしもわからなくて。それにやっぱり元居たところへと還す方法も、その……」
申し訳なさそうに床を見つめるアーレさん。
俺は手を見つめた。茶色の枝がびっしり編み込まれたようなものが目に映る。いや目ないけど。
ずっと一生この体なのか?
いやでも手段がないとも限らないのではなかろうか。だってこの世界には魔法? 魔術だっけ? があるんだから。
なんとかなるって。たぶん。たぶん……。
考え込んでいる間、目の前できれいなおねえさんが肩を落としてしまっている――。
俺のせい、なのかな。直接じゃないにしても、こんな風になってしまっているのを見るのは忍びないな……。
「アーレさん」
「はい」
「さっき言われてた、この木――俺が入っちゃったわけですけど、これを使ってなにかされる予定だったんですよね」
偶然とりついてしまったけど、この木に何か頼みごとがあったのではないか。
「あ、ええ。そうです、けど」
「代わりにといってはナンですが、それお手伝いしましょうか。できることでしたら」
「いいんですか?」
お手伝いをする、と口から出てしまった俺の言葉に、アーレさんの表情が、ぱあっと明るくなる。
「え、ええ! もちろんですよ」
俺も乗り掛かった舟というか、艀に足を乗せてすぐのところで後に引くこともできないというか。
慣れない動きで自らの胸を叩く。
木と木がぶつかって、ゴツ、といい音がなった。
「俺もこのカラダに早いとこ慣れたいですし、それがアーレさんの為にもなるなら一石二鳥ってやつですよ」
「イッセキ?」
首を傾げるアーレさん。四字熟語は通じないのか……。慣用句は伝わっていたりするのに。そういや言葉ってどうなってるんだろう。
このスカーフみたいなのが翻訳してくれているそうだけど。
機会があったら聞いてみよう。
「ただその、具体的に何をすればいいのかわからんないっすけど。俺は、何をしたらいいんですか?」
「そうですね。タケヒコくん、具合はもう大丈夫? 歩けそうかしら?」
アーレさんは、俺の方へ手を差し伸べた。
「はい、大丈夫っす」
先ほどのようにくらくらすることはなくなっていた。それよりアーレさんの手に触れることの方が大丈夫じゃなさそう。あんまり女の人の手、握ったことないし、力の加減ができるかどうか。
でも俺は、彼女の提案を断ることもなく、白くて長い指先をおそるおそる枝の指で触った。
柔らかい指が、俺の指先をきゅっと握る。その時、ハラハラしていた気持ちが、一瞬で整った。
不思議な感覚だ。なにか懐かしいような、そうあるべきところへ吸い付いたような――。
慎重に足を動かして、先導されるがまま、正面の扉の方へと向かった。
「……タケヒコくんは怒っていないの?」
アーレさんは、つぶやくように小さく言う。立ち上がった俺の身体からは、やっぱり小さく、儚く見えてしまう。
「アーレさんが意図して俺をここに呼んだわけでもないんですから、何に対して怒ればいいのかわかりませんよ。それに」
その落ち込んだ姿を、俺はなんとかしたくなってしまった。
「貴女のような可憐な方が困っているのを、見過ごせませんから」
後ろからだが、舞台のような芝居がかった口調で言った。
俺の持ちうる最大限のいい声、出せてた気がする。
「……ありがとうございます」
……引かれてないだけマシではある。けどあんまり効果があったとは思えなかった。冗談っぽく伝わってれば、少しでも和むかと思ったんだけど。
俺の演技力ってのは、まあこんなもんだよな。
と、アーレさんが扉に手をかけて止まった。
「少し、眩しいかもしれませんよ」
開いた扉から、白い光が注ぎ込む。じわり、と温かい光に照らされ、視界が白一色になる。
そして目が慣れた時に最初に飛び込んできたものは、――緑色。
手をつないだ俺たちの前に広がっていたのは、深緑の森だった。