3 俺と鏡と木みたいな何か
「あの、アーレ、さん?」
「はい、なんでしょう」
問いかけられたアーレさんは、にっこりと笑つた。女性――ましてやこんな美人と話すと思うと否応なしに緊張してしまう。
「ここ、どこなんでしょうか……?」
「ここは、わたしのおうちの……物置、かな?」
「おうち、ですか」
アーレさんの家。言葉の通じない人の家に、俺がいる……?あとなんで物置?
そういえば俺、何してたっけ……?
給料出たから鍋の材料買って、それから食べて飲んで……あれ、その先どうなったんだ。
思い出せない。記憶の一部が抜けてるような。
ただ、だいぶ酔っていたことだけは覚えている。
もしかして俺、酔っぱらってとんでもないことしてしまったのではないだろうか。
今まであんな風になることなかったからわからないけど、覚えていないという事実がどんどん恐怖心を煽ってくる。
酔って知らない女の人の家に勝手に上がり込んで――。ってやばい、やばいよこれ。
だが、聞かなければ先に進まない。
「ええっと、俺は何故あなたのおうちに?」
ちょっと声が震えてしまった。情けねえなあ……。
「なんででしょう?」
「え?」
癖なのだろう、アーレさんは顎に指を立て、首をかしげている。
「私にもちょっと想定外だったもので……まさか別の魂が宿るなんて思わなかったものですから……」
「たま、しい……?」
先ほどからオウム返しすることしかできていない。
魂というのはアレだろうか。一寸の虫にも五分だけあるとか、死ぬ前と死んだ直後の差分質量がそれであるとされる、あのスピリチュアルなスピリッツのことだろうか。
「その、魂? ちょっと追いつけないんですが……魂が、宿るってどういうことですか」
混乱している。聞いてる自分も質問がよくわからない。どういうことなの。
「あ。そうですね、わかりにくかったですね」
アーレさんはまた立ち上がり部屋をうろうろと歩き回っている。さきほどのように霧のような煙は落ち着いたのか、とてもよく見える。
というわけで、後ろから見えるアーレさんも……その、とても良いと思いますね。うむ。
気持ちが落ち込んでいるときは尻だな。俄然元気出てきたよ。
ん? ちょっと待て。
お尻を目線で追っかけていて気付くのが遅れたけど、俺がいるこの部屋、というか物置……ものすごく散らかっていた。
ひっくり返った椅子の足や、ひしゃげた陶器や木箱に何かの瓶。紙束が高く積み上げられ、それから更に崩れたような跡も見える。
足の踏み場もないからか、アーレさんはコケそうになりながら何かを探していた。
もしかして俺が動けないのも散らかったモノのせいなのか? 首すら回せないくらい物が散乱しているの?
「お待たせしました~」
うっすら額に汗をかいたアーレさんが持ってきたのは、大きな板――姿見だった。
「はい。タケヒコくん」
何気に俺を『くん』づけで呼んでいたのを俺は聞き逃さない。ご褒美だぜやったぜ。
いや今それは置いておかないと。何故なら。
アーレさんが笑顔といっしょに向けたその姿見の鏡面に、問題があった。
鏡部分に細工でもしてあるのだろうか、そこには観葉植物のような、樹木の幹や枝が折り重なったものしか見えない。
「なんです? これ」
白い幹と黒い幹が交互に編み込まれた正面部分。その下の部分は材質が異なっているのか、いくつもの樹皮に覆われていた。
上部に見える枝も見たことのない材質で、伸びているものによって種類が様々。
太い幹のようなところには、ウロのように三つの大きな黒いくぼみが見える。
とにかく、その鏡面に映っているものは、木。まぎれもない植物の、『木』だった。
「木、ですよね? この木が何か……?」
その言葉に、アーレさんがふるふると首を振る。なんか顔だけじゃなくて仕草もかわいいなこの人。
しかし、どういう意味だろう。絵画をはめ込まれてるのか、とも思ったが、違うみたいだ。
「タケヒコくんです」
「はい?」
俺。その俺がどうしたってことだろう。
木。鏡。俺。
いやいやいや。
だが頭の中で否定しても、ニコニコしたままのアーレさんがウソをいっているようには、みえない。
となるとやっぱりこれは、鏡、で。
映っている木が正面に向いている、と。
んで、俺。鏡。木。
ということは、もしかしてこれ――。
「俺、ですか? この木が?」
「はいっ」
即答。そしてまぶしく輝く笑顔。
「……木かぁ~」
「木、ですね」
俺は何故か人様の家で――『木』になっていた。