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荒野の魔女と杖と俺  作者: 条嶋 修一
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序章 アーレ様と俺

 目を開くと天井が見える。

 天井、とはいったものの実のところ床板なのだが――その床板が真上にある。天地が返ってるわけではなく、これが標準なのだ。


 この仄暗い床下は俺の寝床だ。これは罰を受けているのではない。


 俺が好き好んでここにいる。


 じめじめとした場所、それも少しだけかび臭いほうが落ち着くんだ。


 性根が湿っぽいのは確かにそうだが、このカラダに慣れてからはもうこの寝床しかありえない。


 などと、ぼんやり思考を巡らせているのは、あることを脳から除外しようと必死になっているからだった。


「――ん……」


 俺の耳(に該当するあたり)に息が届く。かすかに熱く、甘い、女性の吐息だ。


 声の主はその後すぐにすぅ、と寝息を立てていた。甘美なその声が俺の思考を妨げていく。今日やるべき仕事を思い起こすことで、隣の存在を一旦、脳の奥のほうに置いていこうとするのだが。


 ――むに。


 という感触が俺の腕に当たってしまっている。


 ――むにむに。


 辛抱が……。


 俺の腕に当たる、とてもやさしいそれは、となりで寝こけている女性の……胸だ。


 豊満すぎるその二つの丸み。優しさと柔らかさの象徴が、俺の腕をつかんでいるのだ。


 これがそうとうに厄介で、別のことを考えていても意識をせざるをえない。とても柔らかくて、優しい感触。幸せとはここにあるのかもしれない。


 ああたまらん。


 視線が天井から隣へと移ってしまう。


 長く、柔らかく、美しい髪。

 閉じた瞳を装飾する長い睫毛。

 透き通るような肌と形の整った鼻筋――そしてみずみずしい果実のような唇が、すこしだけ開いていた。


 生唾を飲み込む。ようなしぐさをしてみたが、生憎そういう器官は今持ち合わせていないので、なんとなくそんなかんじの動きをしてみた。


 薄い寝間着からのぞく鎖骨。そのさきにある柔らかそうな山――谷までくっきりと見える霊峰……。


 美女が身じろぎをすると、俺の腕が彼女の胸の間に強く挟まれ動けなくなる。そして腕の先端を、両の太ももではさんでしまった。


「いけませんいけません、それはマジでいけません」


 そうは言いつつとても元気になる俺。左腕から意識をそらそうとするが、余計に気になって仕方がない。

 いかんこのままだと――。


 下腹部がムズムズしだした。


 これは本当にいけない。俺は彼女から受ける幸せ攻撃『やわらか双丘拘束』から逃れる術を持っていないんだ。


 その時だった。


 その昔ヘソだった当たり、そのさらに下のほうに一本のキノコがそびえたつように生えていた。

 俺は辛抱たまらず、そのキノコを引き抜く。


「んんッ!!!」

 少しの痛みと開放感を感じつつ、そのマツタケにも見えるそれを投げ捨てた。


 もっ、という音とともに、床板に跳ね返ったキノコはぐったりと横たわる。


 その瞬間、すう、と意識がフラットに戻る。

 邪念すべてが、さきほどのキノコに収束されているのだ。今俺の中の煩悩は消えてなくなった。


「アーレ様、アーレ様」


 隣の美女に声をかける。


「おはようございます、アーレ様。朝です。起きていただけますか」


「んん……。あら、タケヒコくん。おはよう……」


 手で口を隠し、アーレ様と呼ばれた美女はあくびをした。すこし濡れた睫毛がまた一層色っぽく感じてしまう。


「あら。……もう、タケヒコくんたら、わたしのベッドに潜り込んでくるなんて……甘えんぼさんですねぇ……」


「あの、ほぼ毎朝言ってますけれど、アーレ様が俺の寝床にきてるんですって」


 否定をしておく。本当にそうなんです。なのでゆめゆめ間違わないでいただきたい。俺は紳士で通っているので。


「……そうなんですねぇ……」


 また目を閉じて布団に顔をうずめるアーレ様。


「するっと二度寝しないで起きてください。俺朝ごはん作りたいんですって」


 俺が言うと、アーレ様がうつ伏せのままもごもごと口を動かした。振動が布越しに伝わる。


「先に作って待っててください。……女の子は時間がかかるんだから」

「ウン百歳以上も女の子って言うんですかね……」


「んん?」

 少しだけ感じる殺気。


「――行ってまいります、我が主」

「よきにはからえ~」

 アーレ様はうつぶせのまま手をひらひらと振っていた。


 部屋を出るとすぐにある階段。そこを上がるとリビングへとたどり着く。

 

 リビングには大きなダイニングテーブルが構えていた。木目のある作りにはなんだか愛着がわく。


 朝食の準備を始めるべく、キッチンへと足を運ぶ際、大きな姿見が視界に入った。


 鏡には、巨大な樹木のようなものが映っている。


 その巨木の上部には三つの大きなウロがあり、なんとなく目と口――顔のようにも見えた。

 下には純白のスカーフが巻いてあって、その更に下には幹が分かれるように二つ、まるで腕のように生えている。

 人間のように簡素なシャツを羽織り、足先にはスリッパみたいにした革の靴を履いた大木が、鏡から俺を見ていた。


 この人間みたいな格好をした樹木――実をいうと、俺だ。


 この身体。最初は凄くびっくりしたんだけど、今ではすっかり慣れてしまった。


 人間慣れって大事だと思う。いや見た目は人間じゃなくなっているのだけれど。

 どう見てもモンスターだよな。だって木が喋って動いてるんだもんな。


 俺の名前はタケヒコ。とある木に人間の魂が融合してしまった、悲しい生き物。

 俺はもともとは人間だった。というかそもそもこの世界の住人ではない。


 よくわからないことだらけで困惑していたが、ここで生活することになって、ま、今はそれなりに楽しい。


 とにかく。


 さっき俺の寝床ですやすや寝ていた美女――アーレ様が、俺の主で超がつくほどのすごい魔術師様。

 その彼女が、この樹木に俺の魂を宿してしまったことが話の始まり。


 この世界とか、人間の魂とか、何を言っているのかよくわからないだろうけど――ざっくりというと、俺はもともとは会社員をしていた。


 ある日の晩、晩酌しながらとあるキノコを食べて気を失って、気が付いたらここ、いわゆるところの異世界にいた。


 まずは、その話から始めて行こうと思う。

 

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