おやすみなさい
部屋に入るなりスマホを取り出す。
必死で覚えた、あの人が「泣いたよー」と言っていた曲の歌詞を検索画面に打ち込む。
タイトル判明、ついでにダウンロード。
便利な世の中になったものの、1曲耳をすませて聴いてみても、何故あの人が泣いたのかなんてわからない。
聞かない限り。
さてこうやって書き始めてはみたものの、指は思うようには動いてくれない。
そもそも言葉に頼ることが間違いで、それでもどうしても、頼りにしたいのなら本当は、綴るべきはここではない。
以前観た映画で「好きな人が好きな人を、好きになりたい」というセリフがあった。
今の自分はまさにそれで、実際「好きな人が好きな人」を、私も好きではある。
ただ、「好きな人が好きな人」よりも、「私が好きな人」の方をより好きであることが問題なのだ、私にとっては。
なんだかややこしくなってきた。
どうしたいのかというと特にどうしたい訳でもなくて、ただこんな初夏の風の気持ちよい夜なんかに一緒に歩けたら、という程度の感情を、オトナの恋心と呼べるのかどうか。
これが思春期の女の子なら微笑ましいが、困ったことに私はもう40歳なのだ。
それでも恋愛偏差値は中学生の頃のまま、今日も少しでも感情をクリアにすべく、お酒の力を借りる大人。
厄介なのは、あの人がずっと前から知っていた幼馴染ということ。
それからあの人が好きな人は、あの人の伴侶だということ。
今日はひと月に一度、あの人が私の家の隣にある実家に帰ってくる日。
あの人の母の月命日。
今日も私はいそいそと、仕事を切り上げる。
電車通勤の私は毎月この日だけ、あの人の車で帰宅する。
「じゃあまた来月ね」
私の言葉のうちにいつものような名残惜しさを感じ取り、彼女は笑う。
「うん、また来月」
子供の頃、よくお互いの家に泊まりに行った。
「一晩中起きてようね」
と言いながら、いつもいつのまにか眠っていた。
隣に並んで「おやすみなさい」と言える日は、私たちにはもう来ないのかも、と、あの曲を口ずさみながら思ってみる。