まだ見ぬ未来への出航
「むぅ。相変わらず意地の悪そうな顔してるけど……」
相対するバリューは、奴隷時代とは違って全身に甲冑を纏い、口調や声色それに態度すら男性のようにしていたのだが、22どうってことなく正体を当てられたことに少しほほを膨らませる。
「|よく私だってわかったね?」
「あたりめぇだろ、こうも口喧嘩をしたがるヤツはお前以外に知らねぇからな」
「ちぇー。でもさ、22だって人のこと言えないよね。だいいち、喧嘩っ早くなってしまったのは絶対22のせいだもん」
殴り合いの大喧嘩まで発展した二人は、その後も凝りもせず、幾度となく喧嘩を繰り返していた。が、今までと同様に22が一方的にちょっかいをだしてくるといったわけではない。
"おじさん"から散々叱られた22は、彼女にちょっかいを出す回数を減らしていたのだが、逆にバリューは今までの復讐とばかりに何かあったら22のせいにしていた。
結果として最後まで喧嘩別れのような形になってしまったが、どちらも自然と恨みを持つことなかった。
いつの間にか二人にとっての口喧嘩は、"他の人と会話すること"と同意義になっていたのである。
「にしても、随分と一丁前な口喧嘩が出来るようになったじゃねぇか、え? これもあのライトってやつのおかげかよ」
「そう言う22は老けたせいか"おじさん"の口調に近くなって来たよね。それともリスペクトしてたり?」
「当然だろ。わいは"おじさん"に憧れてんだぜ」
「うわ、開き直るとか、22らしくない」
「らしさってもんはそのうち移り変わっていくもんなんだよ。極東の四季みたいにな。33も昔とは比べ物にならないくらい明るくなっただろーが」
「……ま、まあね」
自然と濁りかけた口を悟られないよう、慌てて言葉を紡ぐ。
22は彼女が騎士になったのちに体験する、数々の苦労と身が裂けそうになるほどの挫折を知らない。とはいえ、全てを語るにはあまりにも長く暗い話となる。
再開を懐かしむ彼に心労をかけさせるのはバリュー自身が許せなかった。
「22はいつからここに? 随分手際がいいみたいだけど」
「33が売れてから少したったころだな。そのせいで森が襲ってきただとか、先の大戦だとかに巻き込まれずに済んだんだが……。お前にとっちゃ、災難続きだったな」
「ううん、仕方がないよ。起こってしまったことはもう、どうしようもないんだし」
22が口にした二つの出来事。そのどちらでもバリューは最前線に立っていた。
――――そして、どちらの戦場でも絶対に失いたくない大切なものを失った。
彼女はこの短時間にして既に三、四回ほど、甲冑を身に着けていてよかったと安堵している。それは目の前に立つ不器用な優しさを向けてくれている男性に、どうしても今の表情を見せられそうにないからだった。
素顔を晒した上で対話など行っていては、せき止めているダムが瞬く間に決壊してもおかしくない。
今だって、騎士であるという誇りと22に心配されてたまるかという意地のおかげでどうにか持ちこたえているのだから。
そんな、とても不安定な状態の彼女へと、見当違いの方向から援護射撃が送られてきた。
「そういや、さっきのライトって野郎は33の《ア》《レ》か? 仲が良さそうに見えたが、まさかプライベートの旅行とかじゃあるめぇな?」
22右手の小指をピンと立てると、ライトが入っていった乗船口へと差し向ける。
万国共通のジェスチャーで言わんとしていることが分からないほどバリューは無知ではない。
「ち、ちち違うから! ライトはただの同行人! それ以外の関係なんて、何も――――」
何もない。何一つとしてそれ以外の関係はない。そう22に断言しようとした言葉は、途中で途切れる。
冷やかしともいえる男の言葉を聞き、一瞬にして頭が火照った彼女は、自分が口走りそうになった内容にハッと気が付き、なおのことその壁に深いヒビが入ってしまったのだ。
――――他でもなく、ライトにとっての自分は、本当に旅の同行人としてしか見られていないのではないか、ということに。
考えてみれば当然のことだ。もともといがみ合う敵同士だったのだから、まだ背中を心から預けてもらえていないような、そんな感覚は随分と前から感じていた。
その理由を問いかけることをしなかったのは、その必要がないから……と聞いて自分が傷つきたくない言い訳をしていた。
だが、彼女がそうやって逃げるたびに、ライトはその背を追う必要に迫られる。そうやってバリューが知らないうちに彼には多大なる負荷がかかっていたのではないか。
最近になってライトは今の自分を脱却しようと、突飛な行動に出ることが多くなっているのも、あるいは自分の不甲斐なさが発端にあるのでは……と。
今までに感じたものとは別の焦燥に茫然とする彼女の視野は、深い闇に閉ざされているかのように、何一つとして映らなくなる。
――――間違いなく昔は持っていなかった、いつの間にかバリューの心象に芽生えた名もなき感情。
触れただけでほろほろと儚く崩れ落ちてしまいそうなほど弱弱しいそれを、触れる勇気を持てない彼女は未だ遠くから見つめるだけしか出来なかった。
「何も無いから。……本当に」
際限なく滲み出てくる寂寥感に苛まれたバリューは、辛うじてそう答える。
明らかに様子が変わったことを見かねた22は、それ以上の追及することを避けることにしたのか、小さく溜息を吐き――――。
「……そうか。まあそうしておくとして、同行人を連れた旅ってことは、王女様からの命令かなんかなんだろ?」
「ほんと、言いにくい事とか言えない事ばっかり聞いてくるよね……」
「いや、33がいつになっても生真面目すぎるのが悪いんだっての。そんなんだから"おじさん"も心配して《フォンテリア》から離れられなくなってんじゃないのかねぇ」
「……え? 今、何て……?」
自信を襲ういたたまれなさからわずかでも気を紛らわせるために、右足先をトントンしていたバリューの動きが22の言葉でピタリと硬直する。
「あー、33は知らないのか」
「ねぇ! 聞いてないんだけど! "おじさん"は《フォンテリア》に滞在したままだったの!?」
「ちょっ、急に詰め寄ってくるな! 一旦落ち着け。ちゃんと一から話して話してやるから」
「……わかった」
胸ぐらをつかまれそうになった22は、慌てて伸びてきたガントレットに制止をかける。
彼女と殴り合いの喧嘩をした際に胸ぐらをつかまれて抱えあげられた経験があるからか、流石に二度目は御免だ、とばかりに眉間にしわを寄せて嫌そうにしていた。
「"おじさん"が奴隷商を辞めたのは知ってるよな」
「うん。シェリー国王を狙った18からナイフで刺されて、その時の後遺症でうまく動けなくなったから、だよね」
「あの後会うことなく別れちまって"おじさん"も悔しがっていたんだぜ。……だから知らないってのもあるか」
久々に扱った精霊術の影響で意識を失ったバリューは、与えられた自室に寝かされていたこともあり、あの後"おじさん"が傷を癒して城から出ていったという最低限のことしか知らされていなかった。
だからこそ、滞在し続けている割には一度として会うことがなかったことに驚きを隠せなかったのだが、《フォンテリア》の広大な国土を鑑みると、彼女が想像している以上に遭遇しない確率は割とある。
それでもバリューは納得いかないとばかりに問いを続ける。
「でもさ、《フォンテリア》国内なら各地に移動したことがあるけど、あれから旅館蝸牛を見つけたことは一度もなかったよ?」
「旅館蝸牛は理由があって専門業者に売っぱらったんだが……くそ、説明がまどろっこしい! こうなったら、わいが知ってる限りのことを全部言うから、一度で理解しろよ」
わいは説明が苦手なんだっての、とぶつぶつ文句を口走りながら、22はこれまでの経緯を話し始めるのだが、その最初からまたまた彼女は驚かされることとなる。
「実はな、あの後で"おじさん"は結婚したんだ」
「え? ――――えぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
「そして、相手はよりによって古参の3だったり……と、これ以上は薮蛇か」
「ち、ちょっと待って! その話もっと聞きたいんだけど……!」
「後は"おじさん"本人に聞いてくれ……。あの人はまだ《フォンテリア》にいるから」
「……ほんとに《フォンテリア》に残っているの?」
「あぁ、いるぞ。女王陛下から賜った世界初の事業を立ち上げてな」
「事業を、立ち上げた――――」
バリューは知る由もなかったが、奴隷商を辞めさせられたかの男性は、若い奥さんと共に女王陛下から賜った小さな事業を展開していた。
それは、彼が培ってきた商売と人材育成の知識、そして今は従業員となった奴隷たちの力を最大限に発揮出来る、世界初の人材派遣会社。
一人一人へと価値を説いていた"おじさん"の実力を発揮できる、まさに天職と言えるだろう。
「つまり、"おじさん"は奴隷商をやめて、社長になったってわけ。お仕事は人材派遣といって、技術がある者を派遣して役立ってもらうっていうやつだ。……レンタル奴隷って言った方がわかりやすいか」
「もしかして……さっき働いているって言ってたけど、それって『奴隷として』じゃないの!?」
「ああ、今はここで働いている、純粋に乗組員としてな。ちなみに隷属しているとは一度も言ってねぇぞ。そもそも、奴隷が主人以外とこんなに長話出来るか」
「ふぅん……? そういう契約なんだね」
「そうだ。"おじさん"は俺たちを奴隷っていう枠組みじゃなく、社員って枠組みに入れてくれたんだ」
「――――そっか。みんなも"おじさん"も、あれから色々あったんだね……。でも、シェリー様からちゃんとしたお仕事を貰えて、元気にしているのなら良かった。凄く安心したよ」
ほぅ、と嘆息したバリューは安堵に顔を綻ばせる。城内勤めを始めた頃にずっと懸念していたことを解消できたことは、彼女の心に少しばかりの余裕を齎した。
重たくなった思考が戻ったと勘付いたのか、ここぞとばかりに22は核心の一言をバリューへと問う。
「聞きたいことを聞けて、少しばかりは気も落ち着いただろ? んじゃ、次はわいの番だ。さっき言葉に詰まっていたけどよ、あいつはそんなに信頼できない相手なのか?」
「それは……。もちろん、そうじゃない、けど」
「なんだよ、また昔みたいな意気地なしに戻っちまったのか?」
「――――どうだろう。もしかしたら、あの頃よりもずっと酷いかもね」
再び言葉につまり始めた彼女を小馬鹿にすると、予想した反論はやってくることなく、いやに自虐的な嗤い声が戻ってきた。
この時点で22には彼女の根底に何が蟠っているのかわかっている。だがそれを他人である自分が発するのは良くないと、代わりにバカにしているかのような笑みで首をかしげた。
「まるで、いつまでたっても親離れできない子供みたいだな。そんなんでこれから先やっていけんのかよ? なあ」
「…………」
これでも言い返してこないか、と半ば呆れ返った22だが、兜の下に隠れている笑ったら歳相応の可愛らしい素顔が、あの頃のように何も見つめていない固まった顔をしているのだと思慮して、嫌々ながらも自らに見合わない役を演じる。
「……はぁ、口喧嘩する元気すらなくなっちまったか。あの野郎は信頼できる相手なんだろ、違うのか?」
「ううん、違わないよ。むしろ、今一番信頼できる人は、一緒に旅しているライトしかいないと思う」
「だったらいい加減、そいつに対して素直になったらどうだ? 言いたいことは言える時に伝えろよ。さもなけりゃあ、二度と話すことすらできなくなっちまうぜ? それは元も子もねぇだろ」
「――――うん。そうだよね……!」
心配してくれた22に多少強がるような形で答えた。
遠回しな励まししか出来なかったはずの不器用な男に、ここまで言われてしまっては、バリューとしても後退するわけにもいかない。
……それでも、不安げな表情を消しきれていないのは彼女自身の、生まれ故郷で根付いてしまった悪い性格が問題なのだろう。
ライトが変わろうとしているのだから、私だって……! と思ってはいるものの、どうしても尻込みしてしまっていた。
だが、そんな逡巡に悩む余裕はない。
いつまでも選択できない彼女に、せっかちな時間は待ってくれない。
「おいニジ! もう出航するぞ!」
「はいよ! さあ早く乗れ、大事な旅なんだろ?」
「でも、まだまだ話したいことが沢山――――」
「それはまたの機会にしとけ、次に会った時の楽しみにしておいてやる」
「……わかった。ありがとう、22」
「達者でな。また憎たらしいほどの笑顔を見せに来いよ!」
まだまだ話し足りないといった未練を、急かすように鳴り響く汽笛の音で半強制的にかき消し、バリューは慌てて乗船口へと駆け出していく。
「ったく、いいポテンシャルを持っているってのに、そうやって問題を隠して一人で悩む時間が多いのがお前の悪い癖だぜ。33」
鎧を身に纏ったことで、身を守るだけでなく心までも過剰に守っている彼女へと最後に投げかけたが、運悪く汽笛と潮騒に打ち消され、一単語としてもバリューの元へ届くことはなかった。
*
「ええと、ライトがいる客室は、っと……」
船内に入ったバリューは、廊下を彩る見事な装飾や道行く人に目もくれず、やや急ぎ足でライトがいるはずの客室へと急ぐ。
どこかに行ってしまうわけでもないのに、こうも慌ててしまうのは、きっと22の言葉でレイジのことを思い出したから。
当たり前のように隣にいた人が、気づかないうちに遠く離れてしまうかもしれない。そんな恐怖心が心奥の焦りを後押ししていた。
「そういえば、ライトも私に何か聞こうとしていたよね……!」
あの時、船内で訪ねる機会があるからと彼女は思ったが、今は自分のことを優先せずに、彼の言葉を聞いていればと盲目的に考えてしまっていた。
そのせいか、壁にぶつかりかけ、同じ道を行ったり来たりし、目的の部屋を通り過ぎそうになったが、そんな事に自覚などできるはずがなかった。
「おっと、ここだよね。ふぅ……」
少しだけ心を落ち着かせ、余計なことを考える間を与えないように、さっと扉を開く。
枢機者から借りられたというのに、とても質素な作りをした部屋に目もくれず、彼はどこかと目を光らせた。
「ゴメン、遅くなっちゃって…………あれ? ……あ、そっか。ライトも一日中寝てなかったんだっけ」
船室に入っても返事どころか物音一つない代わりに、彼女の視界に映ったのは、扉の左に置かれていた寝台の一つに横たわっているライトの姿。
普段なら人の気配を察知して目覚められるようにしている彼だが、どうやら疲れがたまっていたのだろう、バリューが声をかけても寝息を少しも乱すことなく熟睡しているようだった。
「ふぅ。これじゃ、私に聞こうとしていたことを尋ねられないなぁ……ん?」
とりあえず体を休めようと椅子に座ると、すぐ近くに置かれていたテーブルの上に黒い紙が一枚。
どうやらそれは書いては塗りつぶしを繰り返したのか、インクで真っ黒になっているようだった。
――――ただ、唯一余白が残っている小さく開いているスペースに、一言で済むような一文だけ残っている。
"大切な話は機会と余裕がある時に"
「……うん、そうだよね。今そんなに焦っていても仕方がないもんね」
右手のガントレットを外した手で拾い上げたメモをもとの位置に戻すと、壊剣を右手に添えたまま寝台に横たわるライトの傍に座った。
相変わらず眠っていても無愛想な顔をしている彼の頭をそっとなでると、黒髪に隠れていた額からザックリと裂けた痛々しい古傷の跡が顔を出す。
バリューが知る限り、この大怪我は戦時中よりも以前から額に居座っていた。
だからこそ、彼女はわかってしまう。きっとライトも自分と同じくらい大変な過去を持っているのだと。
……でも、それを聞くのは彼の心の準備ができてからでいい。
(私もまだ正直者にはなれないし、わかんないこともいっぱいあるもんね)
旅路は未だ半分も進んでいない。急ぎの旅ではあるけれども、今回の一件のようにどうしようもなく停滞せざるを得ない場合だって、これからもあるだろう。
だからこそ、バリューは現状維持を選択する。
これからを万全にするためにも、そして、今の自分を認めるためにも。
ライトを起こさないように、なるべく音を抑えながら鎧を脱ぎ部屋の隅に重ねる。
室内の明かりに照らされ、鈍い輝きを放つ鎧をじっと見つめて、バリューはそっと問いかける。
「私はまだまだ変われそうにないみたい。でも、そのうち、すごくゆっくりだと思うけど、きっと変わるから。だから、その時はまたあなたの声を聴かせてくれるよね? ……コボルド」
当然、返ってくるのは沈黙と鈍い輝きだけ。
鎧の中にいる精霊が彼女を認めない限り、勝手に動くはずも話すはずもない。
それでも今日、こうして彼女が語りかけたのは、他でもない自分のため。認められないことを少しずつ認めていく、その姿勢を忘れないための決意表明だった。
同時に、思い出したかのようなタイミングで、ふわぁぁぁ……、と大きな欠伸を一つ。
「私も働きづめだったし、ぐっすりと寝かせて貰おうかなぁ」
隣り合った寝台の空いている方へと寝転がり、再びライトの顔を見つめる。
どこか苦しそうに思えてしまうその寝顔がいつしか安らかになれるような、そんな手伝いができたらと思いつつ、バリューはゆっくりと目を瞑る。
「……おやすみ、ライト」
寝息と同じくらい小さな一言を口にすると、ほどなくして、船室からは二つの小さな心地よさそうな寝息が聞こえ始めた。
こうして二人は、漸く久方ぶりの睡眠にありつくこととなった。
――――――――その間にも、何者かの魔の手が水面下から忍び寄っていることに全く気づくことなく。
一応今回のお話はこれでおしまいになりますが、もうちょっとだけ続くんじゃよ。




