孤独を知る者たち
「お待たせして申し訳ありません。お二人ともご無事でなによりです」
「だから、待ってはないんだけどな?」
あまりにも突然のことだったため多少戸惑いながらも、命の危機を救ってくれたスミレに感謝し、ライトたちは強張った体から力を抜く。
勿論、二人のピンチに駆けつけたのは彼女だけではない。
「いやぁ、待たせちまったなライトのダンナぁ。少々手間取っちまったが、助けれた奴隷たちの避難はとりあえず終えちまったぜぃ」
「それなのに、あんたの方は随分とボロボロじゃない。屋敷ではだいぶ威勢が良かったくせに、実は弱っちいのね」
「だ、大丈夫ですか……? 今、『癒し詩』を歌いますねー!」
相変わらずニヤニヤと笑ってはいるが少し疲れが見られるナトリーに、火にあたらないよう身を縮込ませ覗き込むアイナ、そして、おろおろとしながらも『癒し詩』を懸命に歌ってくれているヒスイ。
奴隷たちと一緒に逃げただろう三人まで、スミレと同様にライトたちの元へと駆けつけていた。
「お前ら……、どうしてここに来た!」
「どうしてって……、飼い主へ一言物申しに来たに決まってるじゃない」
「……はあ?」
「あ、あのー……」
ライトとアイナが一触即発の空気感を醸し出す中、やってしまった……、とばかりに焦りの表情を浮かべていたスミレが悲しそうに目を伏せる。
その態度が何を示しているのか、嫌な予感が胸中を過ぎるが、すぐ後に付け加えられた言葉に安堵と困惑が入り混じった。
「ちょっぴり羽目を外しちゃいました……。サルヴェイさまが起きるまでしばし待っていただけたらと……」
スミレがその場から少し横へと移動すると、下敷きになっていたサルヴェイは目を回して地面に伸びていた。
タックルを受けた際に頭をしたたかに打ち付けたのだろう。ひしゃげたシルクハットが近くに転がっている。
「え、えぇー……?」
「ああ、よくあるわよね、それ。それくらい気にすることないわ」
「…よくある、のか……?」
「それよりもですなぁ……、その腰の……」
腰から出ている狼の頭、そのうちの一体に深々と突き刺さったナイフをナトリーが指さす。
誰がどう見ても、明らかに頭蓋骨から顎まで貫通しているようにしか見えない。
普通の狼ならば、まず即死しているが……。
「あ、これですか? これはただの腰飾りですよ?」
「ひっ!?」
適当に左腰へと手を当てると、ぽろり、とベルト状になっていた狼の頭が取れた。
あまりにもあっけなく落ちたのでナトリーは恐る恐る近づくと、どうやら本当に人形らしくその緻密さに、おおー、と感激する。
「……いや、腰飾りだったんかい!?」
「いいツッコミだねー、ナトリー」
「スキュラと言えば腰の狼ってイメージが強いじゃないですか。なので付けていたのですが、やっぱり邪魔で仕方ないですね」
スミレは狼の腰飾りをまじまじと見つめていたナトリーから奪い取ると、刺さったままのダガーを抜き取ることなく、ぽいっ、と炎の中に投げ込んだ。
邪魔だとは言っていたが、本当に愛着はなかったらしい。
服装のこだわりしかり、下手すれば彼女は"ダァリン"以外の物には関心がないのかもしれないな、などとライトは思った。
「腰ベルトの事はさておいて。あなたさまがライトさまの相棒でいらっしゃるバリューさまですね。初めまして、スキュラのスミレと申します。ライトさまには"ダァリン"を助けてもらうなど、色々とお世話になりました」
「…あ、ああ。バリュー・ヴァルハルトだ」
どうにか座り込むことが出来るほど回復したバリューは、スミレのきわどい格好に目を白黒させながらも、差し出された手を握る。
いくら同性であったとしても、自然とはだけた胸元に目が向いてしまうのは仕方がないのかもしれない。
「……あら? 可愛らしいお心とお声をお持ちなのに、随分と物々しいお名前と口調ですね?」
「え、っ……! ……ち、ちょっと、ライト!?」
「俺は何も言ってないからな! それと、貴女はいい加減に『心象閲覧』で覗き見た人の心を、勝手に暴露するのはよしてくれ!」
「あ、も、申し訳ありません……」
またもやしおらしくなるスミレだが、幾度となく『心象閲覧』を多用していることもあり、ライトはあまり信頼していなかった。
そんなさなか――――。
「何で、だろうね……」
いつの間にか意識を取り戻していたサルヴェイは、空を見上げたままぽつりと呟いた。
介抱しようとスミレは男の体を引き起こすが、いくら触られようとも指先一つすら微動だにしない。
それどころか、焦茶色の瞳は光を無くし何も映していなかった。
敵対していたライトたちは勿論、彼が救ったヒスイたちや、近くで介抱していたスミレすらも、例外なく。
とはいえ、そこまで無気力になってしまうのも当然なのかもしれない。
彼が救おうとした者たちがライトたちの味方についたのだから。
「サルヴェイ……」
「結構早いお目覚めでしたな」
「ナトリーはちょっと黙ってなさい」
空気を読めないナトリーを叱るアイナだが、あまりにもふの抜けたサルヴェイの様子に怒っているのか、ナトリーの体をぐいぐい締め付けていた。
「ああ、そういえばスミレ君は神様だったね。だとすると、悪意に気付かず、加護も効かないのも当然――――」
「えっ? 違いますよ? 神様だからって何でもできるわけないじゃないですか」
「……え?」
「それにですね、先ほどのタックルも喧嘩の仲裁みたいなものですし、初めから危害を加えようなんて気はありませんでしたよ」
無に帰していた顔に少しだけ困惑の表情が浮かぶ。
だとしたら、先ほどのタックルは何だったんだとばかりに。
「じ、じゃあ、どうして……」
「わたくしがサルヴェイさまに悪意や敵意を持つわけないじゃありませんか。退屈と重圧で満ちた暗く深い海窟から家出して、気を抜いたところをあえなく捕まってしまったわたくしを、あなたさまは心の底から助けようと思ってくださったのですから」
スミレが暮らしていた場所は、海に面してはいるが、人間が立ち入ることが困難な場所に位置する暗く何もない洞窟……所謂、秘境に分類される土地だった。
自らの存在を自覚してまもなく、そんな場所に閉じ込められていた彼女の役目……それは、近海の異変を察知、即座に解決し、平穏な海を保ち続けること。
何をさし置くまでもなく、ただそれだけが全てだった。
何者にも会う機会がなく、話し相手すらいない暗澹とした洞窟の中、たった一人で近海の平穏を保ち続ける。
十年、五十年、百年……下手すればそれ以上に渡る途方も無い時間の間、絶えず休む間も無く。
いつしかそれが嫌になるのも無理はない。
空いている時間に鍛えた体で唯一移動できる海を泳ぎきり、彼女は自由を求めて念願の外へと逃げ出した。
……そして、あえなく捕まった。
何も無い洞窟内で得られる知識などごく僅か、だというのに、我が身を省みない行動をしてしまった故の失態だった。
だから、彼女はすぐに逃げることを諦めた。
逃げたところで同じ手で捕まってしまうからと。
それに、このような見た目では誰がどう見ても化け物としか思われない。
化け物を助けてくれる物好きなんて、いるはずがない。
そう、思い込んでいた。
――――サルヴェイに救い出されるまでは。
「ですが! "ダァリン"と離れ離れにされたことだけはどうしても許せません! 愛し合うもの同士、引き裂かれるようなことがあってはならないのです! いいですか、そもそもわたくしと"ダァリン"はですね……」
「――――」
などと昔を思い出しながら目を伏せて語っていたというのに、唐突に怒り出すものなので、その場にいた七人は唖然として言葉を失っていた。
それでも、"ダァリン"についての文句にひと段落ついたのか、ずっと揺さぶり続けていたサルヴェイの肩から手を離すと肩で息をする。
その頃には、サルヴェイの瞳に光が戻りつつあった。
「……君たちも、ライト君と同じ意見だったんだね」
「まあね。色々とお世話になったけど、愛玩動物と同じような扱いは嫌なの。知っているでしょう? 王蛇人はプライドが高いってこと。その辺り、もう少し意識してほしかったわね」
突っぱねるような言い方で答えるアイナだが、その顔はやれやれと言いたそうな忍び笑いを浮かべている。
助けられた四人の中で最も長く屋敷に閉じ込められ、最も世話になったことを思い返しているのかもしれない。
「あたしも良くしてもらった分残った方がいいかな、とは思ったよ。助けた奴隷のみんなの避難場所に屋敷を使わせてもらっているしねー。だけど、室内だとちょっと狭いかなぁ……。何の制限もなく自由に空を飛びたい時だってあるんだよー?」
雨の日は室内の方が落ち着くけど、と付け加えながらヒスイは曇天の空を恨めしげに仰ぐ。
なぜか、自慢の翼を見せつけるように広げたまま。
なんだかんだ口下手な彼女のことだ、「あなたのおかげでこの翼を失わずに済んだ」と言いたいのだろうが、真っ赤になった顔からはボソボソと聞こえにくい言葉しか発せていない。
「サルヴェイのダンナの思いや考え方は普通に理解できますぞ。ですがなぁ……、ダンナがその考えを持つのは自由であれども、あっしらがどのような事を望むのか、それもまた、自由と思わねぇですかい?」
ナトリーは相変わらずおちゃらけた態度でサルヴェイから投げられた問いに答える。
質問を質問で返すかたちとなったが、その本意は表情だけでは判断できない。
自らが何なのかわからない恐怖に屈しなかった彼女の胸中は、きっと、誰よりも深刻に物事を受け止めているのだろう。
「まぁ、居心地が悪かったわけじゃねぇんで、そこんとこは安心してくだせぇ。話してみりゃ従者たちもいい人ばっかでホッとしたぜぃ? 一度逃げ出したかと思えば、大勢の奴隷を引き連れて戻って来たあっしらを特に非難することなく手伝ってくれたんですからなぁ」
逃げた四人の行方を捜していた従者たちの元へ、大勢の奴隷たちを引き連れて戻ったナトリーたちだったが、従者たちはその驚くべき光景に仰天し、口を開けなくなるほど呆気にとられていたことを思い出したのか、相変わらず下品な笑い声をあげる。
「……ああ、それは当然さ。彼らもその殆どが元奴隷だった者たちなんだよ」
あの屋敷はサルヴェイが目指す"理想郷"の終着地ではない。あくまで中継地点として利用している一つである。
では、本物の"理想郷"はというと、サルヴェイと彼が信頼するごく少数の者のみにしか伝えられていない。
それは、どこかの大陸に位置する、豊かな自然に満ち溢れた台地上。身に余る苦痛を受けた奴隷たちが、過度なストレスを感じることのない居住地域の開発を秘密裏に進めていた。
奴隷たちの救出と"理想郷"の開発。移動だけでも大変だというのに、その二つを並行して行っていたサルヴェイは常に疲労困憊な状態に陥っていた。
それでも、彼が決して手を緩めることは決してない。己と同じような立場にいる者を、出来るだけ多く救うために。
……そんな時だった。助けた奴隷たちから手伝わせてほしいという声が上がったのは。
「もちろん、最初は彼らを労働させる気はなかったんだ。僕は僕のエゴで動いているだけだからね、手伝って貰おうなんてこれっぽっちも思っていなかった。……でも、彼らの意思も尊重させたいと思ってね、最終的に無理をしないことを約束してくれたから折れたんだよ」
とはいえども、奴隷時代に心に大きな傷を負い、未だ外に出ることすら怯える者たちだっている。
だから、サルヴェイにとって、スミレたちの行動は許されないというよりも、とても意外に感じていた。
「君たちは、怖くないのかい? 決して悪いことをしたわけでもないのに、心ない暴力や風評被害を受け、果てには好きなように利用されたのちに使い捨てられるかもしれないんだよ?」
「そりゃ怖いぜぃ」
「怖いに決まってるよねー」
「むしろ、恐れを知らない人がいるのなら、この目でしっかりと見てみたいものよね」
何一つ躊躇うことなく、三者とも一様に同じ返事を返す。
笑って顔を見合わせながら、一方でその瞳に決心の色を秘めて。
「……怖いのは当然、か。それでも、"理想郷"を求めないんだね」
「ええ、彼女たちやわたくしが望んでいるのは安寧の地ではありませんから」
ヒスイたちが未だ動くことが出来てないライトたちの元へ駆け寄る姿を、スミレは微笑ましく眺めつつサルヴェイのとなりで腰を下ろすように足を伸ばす。
「たとえ罵られたって、排斥されたって構わないのです。だからわたくしたちは、自分の思うままに生きることができるのですから。ですが、それを駄目と言われてしまったら、それこそ生きている意味なんてない、そうはおもえませんか?」
「それはーーーー」
「それに……。ふふ……、わたくし、飼われるよりも飼う方がどちらかと言うと性に合っているんですよね」
「…さらっと、とんでもないことを言うな。この女神」
「バリューさま。な に か 言 い ま し た か?」
「な……、ナンデモアリマセン……」
ようやく立ち上がってサルヴェイの元まで歩いてきたバリューは、早速スミレからおもちゃのように扱われていた。
これには、その場にいる全員が思わず笑ってしまう。
約一名を除いて。
「はは……、ははは……」
サルヴェイも笑っていたが、それはバリューへと向けられたものでも、スミレに向けられたものでもない。
虚空に向けられた笑い声は、紛れもなく自身へと向けられていた。
自らがどれほど愚かだったかを嘲笑っているかのように。
「なんだ、結構僕は過去に自分が立たされていた境遇を悲観しすぎて、みんなに無理強いをしていただけじゃないか。"理想郷"に囚われすぎて、みんなのことを捕らえてしまっていた僕に、君たちを助ける素質なんて、初めならなかったんだ……!」
「いいえ、それは違います」
「違わないさ。現に僕は――――」
「いいから、聞いて!」
「――――っ」
サルヴェイの頭を両腕で掴むと、多少強引に自分の顔へとぐいっ、と引き寄せる。
そして、かすみかけている男の瞳を、蒼く輝く双眸でじっと見つめ、ゆっくりと微笑みかける。
心の内で生じた煌々と輝く熱を、サルヴェイの消えかかった蝋燭の火へと移すように。
「"理想郷"を盲目的に追い求めていたのは、あなたさまがわたくしたちのことを一番に考えてくださったからでしょう? あなたさまが囚われているのは、『わたくしたちを助けることを、何よりも優先すること』なのですよ。そうでもないと、こんな危ない場所に一人で……それも非武装に近い格好で行くなんて到底出来ません」
「そんな、ことは……」
「いいえ、あなたさまはわたくしたちと同様に、今まで孤独に戦っていらっしゃいました。自らの境遇を理解されることなく、誰かに感謝されることすら気にもとめず、全ては迫害される者たちが平穏無事に生きていける"理想郷"を作り上げるために、つい先ほどまでたった一人で」
「…………」
「……もう、強がらないでください。たまには誰かに甘えてもいいのですよ。あなたさまは決して一人ではありません。それに、ここにはもう、あなたさまとわたくしたちの敵はいないのですから」
「……ああ、そうだね」
サルヴェイは目を閉じてうなだれた。
だが、それは決して拒否のあらわれではない。
なぜなら男の心に秘めていた蝋燭には、再び炎が燃え上がり始めていたのだから。
「僕はまだ、立ち止まっていただけだったんだ。……ありがとう。ありがとう――――」
孤独に戦い続けた男は小さく嗚咽をこぼれ始めた。
自らのあやまちを懺悔し、それでも手を差し伸べてきたことに間違いはなかったと確信するかのように。
……漸くおさまった炎に満足したのか、囚われていた普通の男性がようやく解放されたことを祝福しているのか定かではないが、曇天は嘘のように跡形もなく消え去り、満月の光が彼らを淡く照らしていた。
最後の方で主人公たちが空気になってましたね……。
きっと、サルヴェイたちのことを静かに見守っているのでしょう! きっと……!




