提案と回答
一方、その場に取り残されたバリューはというと……。
(ああああ……、あっという間に連れていかれちゃった……)
一瞬だけ目が合った彼が何処かへと連れ去られていくのをただ呆然と見送りながら、心底心細さに打ちひしがれていた。
当然ながら、彼女らはこれまで別行動していなかったわけではなく……むしろ街中にいる時はほぼ別行動をとっていたが、今回ばかりは勝手が違う。
見知らぬ環境、それも明らかに国際法を無視している闇市場の真っ只中に取り残されるのは、歴戦の騎士として名が通っているバリューでさえ、不安心に苛まれてしまうものだった。それに……。
(ライトは機転の利く考えを持っているから、そこまで心配しなくても大丈夫だとは思うけど……)
どうしても、その身を案じてしまう。心配するなという方が無理な話だ。
だが、今のバリューに彼を助け出すすべはない。
無策で突撃などしては、計画の全てが台無しになってしまう。
(落ち着け、私。今は出来ることをするだけ。後からだって助けに行けるんだから)
そう何度も自分を落ち着かせるように小さく呟く。
だが、大きめの鎧の中にある手の震えは収まらない。
レイジを助けるために全身全霊で大群へと挑み、守り切ることが出来なかったあの出来事が脳裏をちらついて。
「どうぞ、こちらです」
「どうもありがとう」
「(やば……っ!)」
今にも頭を抱えそうになっていた腕を慌てて下ろすと、何事もなかったかのように声が聞こえてきた方向へと顔を向ける。
ここで彼女が奴隷商人ではないことが知られてしまえば、必然的にライトも芋づる式で囚われてしまう事だろう。
それに、もし彼が無事女神を救出し、逃げ出すことに成功していたのならば、自分が足を引っ張ってしまう事態になりかねない。
ロケットは常にバリューが管理している以上、なおのこと怪しまれることは避けておきたかった。
「さて、と。“甲冑姿の男性”か。どこにいるのやら……」
(多分、あの人かな)
カーテンの中から現れたのは、ライトよりも十は年が離れていると思わしき子洒落た男性こと、彼を高額で購入したサルヴェイ。
子洒落た、とは言ったものの、その服装はこの会場から出ていった者たちと比べるとあまりにも特色のないスーツ姿だった。
随分と大きな独り言を発しているが、自発的に語り掛けてくれることを狙っているからなのだろうか。
バリューは鎧の下でうげぇ、と顔を歪める。彼女にとって、スーツ姿の男は苦手なタイプだった。
「あ、いたいた。君が『観測者』を売った方だね?」
「………あ、ああ。そうだ」
「良かった! 口を聞いてくれない方やすぐに金額を支払わなければ脅しつけて来る方もいるんだが、君は誠実そうだ。よかったら少し話さないかい。追加料金を請求してくれてもいいよ」
「あ、ああ……。構わないが……」
「本当かい! 凄く助かるよ!」
「お客様、ご歓談よりもまず先に――――」
サルヴェイの後を送れるような形で、不服そうな顔で黒服の人物がカーテン裏から出てくる。
「あ、申し訳ない。一割だったかな」
どうやら商品を購入した者が、出品者が商品を預けた分の金額を支払う仕組みになっているらしい。
そう慌てないでくれよ、と黒服の人物を宥めつつ肩掛けの革製バッグから、じゃらり、と耳に残る重たい金属音を立てながら、金貨の入った小袋を差し出した。
(い、一割であれ!? ライトってば、一体いくらで売れたの!?)
片手では収まらないほどに膨れ上がっている小袋を驚愕の目で見つめる。
「手際がいいことですね。それとわかっているでしょうが……」
「いやぁ、申し訳ない。目玉商品だけにとどめようとしていたんだけど、まさか最後の最後に彼がいるとは思わなくてね、ついつい衝動買いしてしまった。以後は気をつけるよ」
「よろしくお願いしますよ……?」
訝しげな眼差しを向けていた黒服の男は、相変わらず物騒な顔をしたまま、カーテンの裏へと捌けていく。
サルヴェイは小さく手を振りながら、男の後ろ姿が消えるまで見つめていた。
笑っているように見えて、その実、全く笑っていないような瞳で。
(あ、れ、この感覚……。この人、もしかして……)
ふと、その感覚をどこかで知っているような気がするものの、思い出そうとするバリューへとサルヴェイが声を掛けてきたため、すぐさま思考を切り替える。
「さて、行こうか」
「…ああ」
黒服の男と話していた時にサルヴェイが口にしていた“目玉商品”の言葉で、女神がサルヴェイの手の内にあるとバリューも理解している。その時点で、彼女の行うべきことはただ一つ。
この裏に一癖ありそうな男を、どうにかこの場に長く滞在させておくこと。
それが、今のバリューに出来る唯一無二大仕事だった。
テントから出る頃には空に雲がかかっていることもあり、辺りはだんだんと暗くなりつつあったが、立ち並ぶ売店には未だ人が溢れている。
そんな光景に目をくれることもなく、甲冑とスーツは横並びで歩いていた。
「いやぁ、連れ出してしまって本当に済まないね。この分の取り返しはきちんとするよ」
「…ああ」
だが、サルヴェイは先程から似たようなことばかりを口にしていた。
連れ出してしまったことの礼と、ライトについて今までどのように扱ってきたのか、そして、なぜ手放すという選択をしたのか。
その三つを、言い回しを変えながら問いかけている。
それだけで、バリューにはサルヴェイの意図がだんだんと汲み取れて来ていた。
「そうだ、このマーケットで欲しいものがあったら言ってくれないかい。買えそうなモノならなんだって――――」
「…さっさと本題に入ったらどうだ? 八方美人も疲れるだろう?」
「あー……、気付いていたのか。少しだけでも印象を良くしておこうと思っていたんだけど、余計な事だったようだね」
ばつの悪そうにしょげた顔を見せるサルヴェイだが、その顔には少しだけ安堵の表情も見て取れた。
彼は『観測者』について尋ねているように見せかけて、巧妙にバリューの事を知ろうとしているようだった。
だが、こういった企みの類は、彼女にはあまり通用しない。
正確な理由としては本人もわかっていない節があるが、もしかすると、普段からライトの嘘に付き合い続けているからなのかもしれない。
「歩きながらだと話しにくいから、ここで食事でも嗜みながらなど如何かな」
「…勝手にしろ。私は何も要らないが、時間としては食事時だろう」
などとバリューは返事をするが、ほんの少しばかり焦っていた。
ここは人気の多いフードコート。秘め事を口にするには最も向かない場所だと言うのにこの男は何を語ろうとしているのだろう。
それに、あまりにも考えなしで歩いていたが、間違いなくサルヴェイに誘導されてこの場所に辿り着いている。
油断は禁物、今まで以上に冷静に対処しないと、と今一度彼女は気を引き締めなおした。
「ありがとう。少し待ってくれないかい。席を取ってくるよ」
そう言うとサルヴェイは少し離れた席に近づく。
空席はまばらに残っているにもかかわらず、何故か怪しげな男二人が座っている席に。
「済まないが、こちらの席を使わせて貰ってもいいだろうか?」
「……何だ、アンタ」
「使っているのが分からないのか?」
唸るような声色で発せられる言葉に顔色一つ変えることなく、いつの間にか取り出していた金貨をテーブルの上へと置いた。
「代わりというのも何だけど、これで美味しいものでも食べては如何かな」
「……チッ。おい、別の場所に行くぞ」
「しゃあねぇな」
悪態を吐きながら男たちが渋々席を立つと、そのテーブルには他のテーブルとは違い、小さな金属製の手鐘らしきものが置かれていた。
どうやら、その手鐘が置かれている席をどうしても取りたかったようだ。
「…その席じゃないと駄目なのか?」
「内緒話をする時はね。それにしても、お金を渡せば大体の者に話が通じるのは助かるよ。自らの利益に目を取られてばかりで実に愚かしい。だから、こういった人たちほど、いざという時は何も出来ないんだろうね」
「…………」
「さあさ、席に座って。僕は軽食を取ってくるからさ」
意味深な言葉を発したかと思えば、何事もなかったかのようにニコニコと笑ったまま売店の方へと歩いていく。
バリューがその意図を知ることになるのは、そこまで時間を有さなかった。
「さて、お待ちかねの本題を話そうか」
食事も一段落済み、ナプキンで口を拭いながら、サルヴェイは何の気なしに手鐘を鳴らす。
結局、手鐘についての説明は一切なく、誰かを呼ぶためのものでもなさそうだった。
対するバリューは何一つ頼むことなく、サルヴェイの食事風景をずっと眺めていた。
あまりにも幸せそうに食べるものだから、彼女も少し毒気を抜かれていたのかもしれない。
サルヴェイの口から語られた一言で、隠し通してきていた感情があらわになってしまった。
「最初から核心を突くようで悪いけれど、――――君は奴隷商じゃないね。それに彼へと害を与えていない。そうだろう?」
「貴様――――――っ!」
背負っている壁剣を振り回すには狭すぎるため、ライトから預かり、腰ベルトに引っ掛けていた破剣へと左手を添える。
もしかすると、サルヴェイは彼女を強請ろうとしているのかもしれない。
あの場から連れ出し、こうして誰にも邪魔されずに脅すことができる。理由としても十分にあり得る話だ。
「ああ、そう身構えないでくれないかな。僕は昔から悪意とかそういったものを感知できてね、肩身が狭い生活を強いられたものなんだ」
「…ああ、そうか。私もこうも踏み込んだ話を振ってくるとは思わなくてな」
「早く本題を話せ、と言ったのは君だったと思うんだけどなぁ……。まぁいいや、話を戻そう。きっと君は彼を売りに来たことが目的なのではなくて、別の理由でこのマーケットに忍び込んだのではないかな?」
「…だとしたら、何だ?」
「いやいや、別に大したことじゃないよ。ここに来る者たちは大体腹に一物抱えているからね、深くは聞かないさ」
繰り返し聞いてきた話の中で、数日かけて考えてきた嘘が簡単に看破されてしまった。
この男の洞察力は侮れないと、今更ながらバリューの頭に警報が鳴り響く。
「それで、ここからが話の肝でね。君には協力してほしいことがある。勿論、購入した分の費用はきちんと支払うとも。彼が本物の『観測者』かどうか定かではなくてもね」
「………受けるとは言っていないが、とりあえず聞こう」
(やっぱりバレてるじゃん! ライトのバカぁ!!)
内心で遠く離れたライトへ、届くはずのない罵声を浴びせかけた。
そんなバリューの焦りを知ってか知らずか、サルヴェイは間髪入れずに告げる。
――――彼女よりもずっと前から胸奥に留め続けていた、溢れんばかりの衝動を。
「僕とともに、この狂気に堕ちた救いようのないマーケットへと終止符を打ってくれるかい?」
柔和な顔をしたまま告げられた過激な発言に、沈黙の帳が降りた。
すこしだけ言葉を出せなくなったバリューは、ゆっくりと目を閉じる。
兜の中に隠れている彼女の顔色は何一つ変わることなく、ただ、淡々と言葉を発した。
「…断る、と言ったらどうするつもりだ?」
「諦めるよ、とても残念だけどね。その代わり、君の行先に保証は持てないかなあ」
「…なんだ、結局脅しているじゃないか」
「敵に回るのなら容赦はしない、と言うべきだったかな? ともかく、お金を貰ってすぐに立ち去りたいのなら、僕は止めないよ」
「…チッ」
腹立たしく舌打ちする。
確かに怒りが無いなどということはないが、バリューが舌打ちをした理由はこの男の脅し文句が面倒だからではない。
あの男と同様の言い回しをされたことに対して、彼女は怒っていた。
「出来れば今すぐに答えを出してほしい。この会場は明日には跡形もなくなってしまう、次回の開催日時も不明瞭なまま撤収されるのは流石に困るからね」
「…準備をさせるつもりすらないとは、大概だな」
「そこはご心配なく。僕が持ちうる全てを使って誠心誠意サポートするよ」
「…………」
嘘を見抜くことが得意なバリューでも、サルヴェイが嘘を言っているようには見えなかった。
どのような策を用いるのかは分からないが、彼は本気でマーケットを破綻へと追いやろうとしている。
とはいえども、自信満々に歩み寄り、言葉巧みに人を操作するサルヴェイに、正直なところ胡散臭いという印象しか彼女は持っていない。
故に反対するというのも一つの手ではある。だがそうすると、サルヴェイをこの場に留めておける理由がなくなり、ライトが危険にさらされる可能性が出てくる。
それに、彼女としてもこのマーケットの存在が許せない。
意志ある生命を所有物として好き勝手に扱う者たちを、このまま放置していいのかと懊悩してしまうのだ。
(だからって勝手な行動をするのは良くないよね。でも、ここにいる人たちは大体がロクデナシだし……。はぁ……、こんな時にライトが居てくれたら――――)
「君は悔しくないのかい? 幸せになれるはずだった者たちが虐げられ、まるで物のように扱われるという事実に、ただ見ているだけしかできないことが」
「…それは――――」
「実はね、このベルだってそうなんだ」
食事を終えた後に軽く振ったベルを持ち上げる。
まるで、今にも壊れそうなものを扱っているかの如く、丁重に。
「これはね、『消音手鐘』といって、近くの音を数十分ほど消してくれるものなんだ。このフードコートで話をしたかったのも、これがあったからなんだよね」
「…フードコートで話がしたかったことは理解した。だが、それが先程の話と何の――――」
「この手鐘、実は別名『悲鳴の牢獄』って呼ばれているんだ。鐘を揺らすことで、中に閉じ込められた妖精に致命傷を与えない程度の傷を負わせるところからきているそうだよ」
「な――――!?」
「妖精は外敵に襲われた時、周囲の音を消す悲鳴を発して逃げるんだ。この手鐘はそれを利用して、妖精が気絶してしまうまでずっと悲鳴を上げ続けるような造りになっているんだよ。……これを作った人は本当に、正気を失っているとしか思えないほど、常軌を逸脱している代物だよね」
「…………」
「僕は、こういった物が生まれないように、理不尽に苦しむ者たちが居なくなるように、そのためだけに行動してきた。このマーケットを潰すことだってその一環なんだよ。これを知っても、まだ協力してくれないのかな」
「………私、は――――」
当然、諸手を挙げてサルヴェイに協力し、このマーケットを滅ぼしたい。反対など、できるはずもなかった。
だが、そうすることによって救いを得られるのはその場限りの事だとバリューは理解している。
どっちつかずの選択ほど行ってはならないものは無い。だとすれば、自分はどちらを選択するべきか。
選択しようのない二択に迫られる。
(どうしたらいい、どうしたら――――!)
『騎士になるからって善悪なんて気にしないで。どんなことよりも、自分が守りたい何かのために剣を振るいなさい』
「あっ……!」
「ん? どうかしたかい?」
「…いや、何でもない」
ふと、主から唐突に語られた言葉を思い出した。
それは、確か彼女が自分の善悪を一度疑いかけた時にかけられた言葉。
気を負いすぎるな、深く考えすぎるな、たまには直感に頼ってもいい。
主はそんな意味合いの言葉を彼女にかけてくれた。
その言葉の後に、「元近衛騎士で現国王兼彼女の母からのアドバイス」なんて言葉が引っ付くが、それは置いておくとして。
「…わかった」
前触れなく思い出した主からのメッセージ。
それはきっと、今思い悩む自分の背を押してくれているのだと悟り、彼女は直感を信じることにした。
「…貴様に協力する。やるのなら今すぐ、そして徹底的に片付けることにしよう。」




