極めて濃厚な応接間
「なあ。おまえ、本当に『観測者』なのか?」
「……」
従者が発した言葉に何の反応も示さず、終始下を向き、前髪で隠した瞳で前方に広がる風景を睨む。
愛想が悪いと暴力を振るわれる可能性もあったが、余りにも喋りすぎると怪しまれるだけでなく、ボロを出してしまう危険性がある。
故に作戦の失敗を避けるべく、ライトは馬車に乗っている間、極力無言を貫いていた。
「……まあいい。どちらにせよ今晩の報酬を受け取ったら、やっとこの仕事ともおさらばできる」
聞いてもいないのに先程から幾度となく話しかけてくるのは、沈黙が苦手なのかもしれないと、俯いたままのライトは推測する。
そして、ここまで色々と情報を零していることに全く気づいていないあたり、堅苦しい顔の割に口は比較的軽そうだ。
だが、それに乗じて問いかけを行おうものならば、どのような結果が訪れるのかは目に見えている。
(駄目だ、今はまだ動く時じゃない)
情報を聞き出したい気持ちをぐっと堪え、彼は再び前を見つめる。
マーケット会場から僅かに見えていた、丘の上にぽつんと佇む豪勢な屋敷は、少し目を話していた隙にすぐ近くまで迫ってきていた。
「到着したか。……っと、その前にお前は目を瞑れ」
「……はい」
門前で馬車は止まり、その場に降らされたライトは、従者から告げられた言葉に従って大人しく瞼を閉じると、首輪を外された後上から麻袋のようなものを被された。
「悪いがここから先は見せられない。中の構造を知られて脱出されてはたまらないんでな。その代わり、お前はオレが担いでやるから少し我慢しろ」
「……わかりました」
案の定、脱出を警戒されていたのか、サルヴェイの従者はライトを荷物のように担ぎ上げる。
こうなってしまうと、碌に抵抗することが出来なくなるという算段からだろう。
他の奴隷たちも同じように運ばれたのかもしれない。
(まあ、脱出方法は女神と遭遇したのちに考えればいいとして、問題は女神がどこに囚われているかだな)
男に担ぎ上げられたライトは、目を開けていても意味は無いからか瞼を閉じ、思考状態に入った。
屋敷がどのような作りをしているのか、馬車に乗っていた間と降りた瞬間だけ、彼はその目で確認出来ている。
勿論、そんな短時間の目視で建築面積の把握することは困難だ。
だが、奴隷たちがどこに囚われているかの目星をつけるぐらいなら、出来なくもない。
奴隷を管理するならば、個室を与えることはまず無い。人目につきにくい建物の中心、もしくは普段人が立ち入らない屋根裏や地下を選択するだろう。
女神の事情を垣間見ると、屋根裏に隠すのは明らかに向いていない。
(連れて行かれる場所にもよるが、まず地下から捜索するか)
などと特にやることもないので、男に担がれ、運ばれていたままライトは今後の作戦を練っていた。
「さて、ついたぞ。これももう要らないな」
「っ! ――――!?」
幾度となく階段を上下し、右へ左へと曲がった末にようやく目的地にたどり着いた従者は、彼を足元へと丁重に降ろすと、すぐさま麻袋を剥ぎ取った。
室内は何故か薄暗闇に染まりつつあった外よりも明るく、あまりの眩しさにライトは目をしかめるが、よくよく周囲を見渡して硬直する。
それほどまでに想像を絶する光景が眼前に広がっていた。
「あ、の……? これは――――?」
「それでは、どうぞごゆっくり」
呆然と表情が固まったライトに見向きもせず、男は淡々と挨拶を行い、早々に部屋から出て行く。
――――牢獄とはかけ離れた、小綺麗で洒落た応接間から。
「え、うそー……! 本当に普通の人が来た……!?」
「だから言ったのに、相変わらず疑い深いんだから」
「男、というのも誠にけったいですなぁ。なんだかんだで女性だけを集め、一大ハーレム帝国でも築く気かとばかり思っていたので、相当な番狂わせですぞ」
「な、え……!」
直後、ライトは囚われていた女性たちになすすべなく取り囲まれる。
奴隷にしてはあまりにも綺麗な身なりで、健康的な素肌を晒している珍しい亜人種たちに。
それは、結託して逃亡を企てることを防ぐため、一人一人鍵付きの牢に閉じ込められているだろう、と考えていた彼の想像を遥かに超えていた。
「何だこれは、たまげたなぁ。と言わんばかりの顔をしておりますなぁ」
「いや、その……どうなっているんだ、この状況は?」
「ん、見ての通りだよ? アタシたちはサルヴェイとかいう大金持ちに買われて監禁されているんだー」
「監禁と言うよりかは軟禁と言った方が正しいわね。この階は自由に使えるんだし、特にこれといった事もされていないんだから」
「むしろ今までで一番良くしてもらっている節すらありますなぁ。名目上保護されている状態とはいえ、ここまで自由に行動できるとなると、逆に猜疑心が芽生えてきますぞ」
「ま、待ってくれ。一度に話されると流石に混乱する。代表して誰か詳しく教えてくれないか?」
取り囲まれじろじろと観察されているのはさておき、もう少しわかりやすく状況を把握するため、話す対象を一人に絞ろうと声を掛ける。
矢継ぎ早に続けられる会話についていけなくなるのも無理はない。
彼女らは視覚的にもライトを混乱させる見た目をしていた。
溜息を吐きそうなほど綺麗な声色だが、たまに間延びした言葉を発する鳥人と、舌をチロチロと出しながら辛口な言葉遣いをしている蛇人、そして、あまりにも変な口調で長々と喋っている半透明な女性。
現状を把握しきれていないにもかかわらず、このようなアクが濃すぎる面子に囲まれてしまっては、思考が停止しかけるのも無理はない。
「だったらわたしが話す。それでいいわよね?」
「いいよー」「お任せしますぞ」
強気な声で蛇人種の女性が、ライトの前へのっそりと這い寄る。
三人の中では一番大きいこともあり、鎌首をもたげると気圧されるほどの威圧感を感じられた。
「自己紹介は後にして、今は一体どんな状況なのかを先に教えてあげる。わたしたちはサルヴェイっていうキザったらしい男に買われて、この屋敷に連れ込まれたの。これはあんたも同じでしょ?」
「ああ、その通りだ」
「で、あんたと同じようにこの部屋に案内されたのよ。以上」
「以上って……」
わかりきっていることだけを語った彼女は、これ以上は何も話したくないとばかりに、威嚇したままの姿でそっぽを向く。
気に触るようなことはしてないはずなんだがなぁ、とライトはこれ以上機嫌を損なわないように口を閉ざしかける。
が、このまま会話を終わらせるわけにはいかないため、意を決し蛇人へと再度問いかける。
「流石にそれだけではないだろ? ここに来て一日二日というわけでもなさそうだしな」
「何? もっと詳しく聞きたいわけ? ……別にいいけど、面白いことはないわよ」
「構わない。続けてくれ」
心底うんざりとした冷たい目線で、再度ライトを見下す。
対するライトはその瞳をしっかと見つめ返し、決して視線を逸らさない。
「……はぁ。はいはい、わかったわよ。言えばいいんでしょ?」
根負けしたかのように首をすくめた彼女は、もたげていた鎌首をライトと同じぐらいの高さまで下ろす。
耳につけている大きな金のイヤリングが、重そうな音を立てて揺れた。
「わたしも最初は冗談かと思ったわ。でも、サルヴェイってヤツはマジで変人だった。デカい魚人の医者にわたしの体を治療させて、食事もバランスが整ったものを一日三食分も作ってたのよ。おまけにわたしに合う寝床まで与えて……ホントわけわかんない」
「あの火傷跡は殆どなくなっちゃってるし、すごく腕の立つお医者さんだったねー」
「おまけに一部の所有物を返してくれたり、ぴったりの衣服を用意していたりと、まるでお人形にでもなった気分ですなぁ」
「成程、ここに住む元奴隷たちは、みんなそのように扱われているということか」
「そうじゃないかしら。わたしはここにいる三人のことしかよく知らないけど」
聞く限りだと、誰か一人だけを特別に優遇しているというわけではなく、誰に対しても奴隷とは思えない施しを受けていることになる。
奴隷を労働、慰み者として扱っているとは考え難く、自らが利用するために購入している節もない。むしろ……。
「(奴隷を保護している……? にしては何故高額な者ばかり――――いや、収集癖者ならわからなくもないが……)」
「"高額"ぅ? その言葉は聞き捨てなりませんなぁ」
「あっ。わ、悪い、気を害してしまうような言い回しをしてしまって。珍しい方々と言うべきだったな……」
つい声に出ていた疑問に口を挟まれ、慌てて訂正する。
期間の長さはどうであれ、奴隷と呼ばれていた時期が確かにあるはずの者たちに、気が抜けていたとはいえ金額のことを口に出していいはずがないのだから。
「いやいや、そうじゃないんだよダンナぁ。言い回しを気にするほどあっしらは短気じゃないですぞ。気になったのは、どうしてあっしらが高額だってわかるのかってハナシだぜぇ」
「何だ、それなら簡単だ。貴女たちのことは昔本で読んだから珍しい種族だと記憶している。ただそれだけだ」
「随分と記憶力がいいんだねー。でも、あたしみたいなのは書物でも見かけないんじゃない?」
ぴょんぴょんと飛び跳ねるように近づいてきた鳥人は、自慢げに翼腕の羽根を見せつける。
シャンデリアの淡い光に照らされた翼は、眩いほどの青緑色でライトの顔を照らした。
「まあな。ああは言ったが、さほど自信があるわけでもない。よかったら名前と種族を教えて貰ってもいいか?」
「いいよー。じゃあまずはアタシからね。アタシはヒスイ。名前の通り翡翠色の珍しい羽根を持ってる白鴎鳥人だよー」
「よろしくな、ヒスイ。白鴎鳥人なのはすぐにわかったが、ここまで綺麗な翡翠色の翼を見るのは初めてだ」
「ほ、褒めても何も出ないよー?」
顔を真っ赤にしてバタバタと両翼腕を振る。風圧が凄いのか、半透明の女性が飛ばされないように蛇人の女性にしがみついていた。
ライトにとって先程の褒め言葉はただの社交辞令でしかないのだが、どうやらヒスイは少しばかり勘違いしているようだった。
鳥と同様の翼腕と両足に、横が切り取られたワンピースのような衣服を着用しているヒスイは、白鴎に近しい種である以上、通常の個体であれば体毛は白一色なのだろう。
対する彼女の羽根は光沢を放つ翡翠色。ワンピースが橙色なのもあり、その色合いは尚更映えていた。
「ヒスイどのは、あっしらの中では一番常識ある鳥人なので、一番意気投合しやすいかもですな」
「……そうかしら、あの子も大概ヤバいヤツよ? 今だって、初対面の相手に魅了使っているんだし」
「あぅ……! い、言わないでよー! 効かないからって隠してたのに!!」
「嫌な感覚に襲われていたのは確かだが……まさかこんなところで……」
「下心見え見えでゴメン! もうしないから、白々しい目で見ないでー!」
ヒスイも通常の鳥人と同様に、催眠や魅了は得意らしい。
実のところ鳥人は雄がいない種族である。故に、子孫繁栄には他種族(主に人間)を利用しなければならない。
『鳥人の声を聞いた者は惑わされ、海の底に沈められる』とはよく聞く話だが、その過程の間に子作りが含められていることは、実はあまり知られていなかったりする。
だからといって、こんなところで魅了を使い始めるのは流石に洒落にならない。
そのことを予め知っていたライトでなければ、まんまと魅了に引っ掛かっていたかもしれないのだから。
「そんなに貰い手がいないのなら、この際耳耳でもいいんじゃない?」
「嫌ーぁ!! 耳耳だけは勘弁してー! と、とにかく、アタシの番は終わり! 次はアイちゃんねー!」
「え、わたしなの? やらなくちゃ駄目? どうしても……?」
先程までライトに色々と教えていた蛇人の女性は、心底嫌そうな顔をする。
状況を語っていた時と比べてやけに嫌がっているのは、自分の事を語ることが苦手だからなのかもしれない。
「はあ……王蛇人のアイナ。王蛇人の割に人間部と王蛇部がはっきりと別れていたから、珍しい存在として捕まった。これでいいでしょ」
「あ、ああ……」
チロチロと細長い舌を出しながら、腹立たしげに吐き捨てる。
苛立ちを紛らわしているのか、尾の先を叩きつけたり物に巻き付けたりしていた。
蛇人は装飾品の類を衣服として身に付ける習性があるが、身包みを一切剥がされていないところや高級感のある毛糸のキャミソールを着ている辺り、サルヴェイから大切に扱われていることが見て取れる。
「いやぁ申し訳ねぇ。アイナどのはこう見えて臆病な性格でしてな。こうやって強気な風を装っているのですぞ」
「……」
「おっと、あんまり睨まないでほしいですぞ。あぁー、恥ずかしくて溶けちまう~」
射貫くような視線をなよなよしく受け止めていた半透明な女性は――――。
バシャン!!
「……!」
大きな音と水しぶきを上げてその場に崩れ落ちた。
その上で水浸しになった床から笑い声が聞こえてくるものだから軽くホラーである。
……悔やまれる点は、笑い声が下品なところだろうか。
「デュフフフフフ……、びっくりしたかいダンナぁ。これがあっし、流体人のナトリミルテットが誇る得意技ですぜぃ。あ、ナトリーとでも呼んでくだされ」
「お、おう。よろしくな、ナトリー」
流体人……その名の通り不定形な人間。液体で構成されている体組織は解明できていないが、ありとあらゆる存在に変身できるという。
それ以外については詳しく判明されておらず、ライトもその程度の知識しか持ち合わせていない。
女神や『観測者』には劣るものの、珍しさで言えばこの中でも群を抜くレベルの存在だった。
そんな生命体であるナトリーだが、当の本人はこれと言って気にしていなさそうではある。
むしろ、さっきの態度からしてこの中で最も茶目っ気と余裕をもっていた。
(これで全員……だとしたら、とりあえず共通点は一つあるか)
そう……三人の自己紹介でこの場にいる者たちは『希少な存在』ということが完全に把握できた。
これまでの情報と組み合わせると、サルヴェイは庇護欲がやけに強い大金持ちのコレクターとなるのだが、おそらく彼の目的はそれだけではない。
耳元で囁かれた『理想郷』というものは、少なくともここを指しているわけではなさそうだった。
だとすれば、サルヴェイの目的、その終着点は――――。
「さて、次はダンナの番ですぜぃ?」
「そうだな……っと、その前に。ここにあと一人いると思うんだが……」
「「「あっ!」」」
先程からその場を前後にしか動かないアイナの側へ足早に近寄ったライトは、そのまま彼女の背後を覗き込む。
その行動に三人は一斉に慌てだすが、時すでに遅し。
彼の視線には、離れた窓辺に腰掛け、憂いを帯びた顔で外の景色を見つめながら、度々溜息を吐いている人影がしっかりと写った。
「やはりここにいたか」
「何? やっぱり、あんたもすーちゃんの追っかけってわけ?」
「……は? す、すーちゃん?」
唐突な行動を怒られるのはまだわかるとして、アイナが言った“すーちゃん”に関しては、ライトの理解が及ばなかった。
困惑した返しになってしまったが、それが逆に信用に値すると踏まれたのかもしれない。
人の形に戻っていたナトリーが、彼の助け舟を出す。
「どうやら違うようですなぁ。とんだ赤っ恥を晒しましたな、アイナどの?」
「べ、別にただ間違えただけだし、恥ずかしいことなんてないから!」
「まあ、追っかけではないが、探していたのは事実だけどな」
「危害を加えるつもりは、ないんだよねー?」
「ああ、むしろその逆だ」
「逆とは一体どういう――――」
「少し話をさせてくれたらわかるさ」
「……わかったわ。手短にしてよね」
小さく頷いて、窓枠に肘をついた人影へとゆっくりと歩み寄った。
近づくにつれて人影の姿形は異形のものへと変貌していくが、彼の足は止まらない。
手に入れた奴隷は全員が平等で十分以上の施しを受けている。
ならば、彼女だってその例外に含まれることはないだろうと。
「探しましたよ、女神スキュラさん」
「……どちら様でしょうか?」
聞き覚えのない声にハッと振り向いた女神は、清らかな川のように青く長い髪と深海のように濃紺を湛えた瞳をもつ、二十代前半ぐらいの見た目をした深窓の令嬢のような女性だった。――――下半身を除いてだが。
胴体には四匹の狼の面が虚空を睨み、八本に分かれている長く太い異形の足は蛇のように鱗に覆われていたが、蛸足の如く関節部が存在しないようなしなやかさを持っている。
それこそ、知識のない人から見れば、ただの怪物と恐れられても仕方がない見た目ではあった。
しかし、上半身は間違いなく人間の女性であり、何故か衣類の一切を身に付けず豊満な胸を湿った長髪で隠しているような状態だったので、なるべく視線に気を配りながらライトは語る。
「自己紹介はみんなの前で行いますよ。ですがその前に自分のことを簡単に言うのならば、そうですね、“貴女を海に連れ戻そうとしている者”、でしょうか」
「……!」
「少しだけお時間をいただいても?」
「ええ、構いませんよ。考えてばかりいても良くありませんし」
ゆっくりと手を差し伸べるライトに驚きと困惑の表情を浮かべながらも、どのような目的なのか理解したのだろう。彼の手を取ると、静かに近寄った。
「わぁ……、まるで、御伽噺の王子様みたいー……!」
「何よ、結局追っかけと大差ないじゃない」
「まあまあ、あっしらよりも女神どのの方が魅力的ではありますからな。さもありなんと捉えましょうぞ」
「貴女たちは何を言っているんだか……」
手を取ったまま騒いでいた彼女らの元へと戻って来たライトは、開口早々ため息を吐く。
二人旅で複数の女性に関わるのは彼にとって初めてであるが故に、普段以上に気負っていた。
「愛の逃避行……かぁ。いいなぁー。アタシもこんな体験してみたかったなぁ」
「乙女チックな想像をしているところ悪いけども、ヒスイどのの場合だと、愛の逃避行の頭に“一方的な”が尽きそうですな」
「とにかく、コイツは最初からすーちゃん目当てだったんでしょ。ほら、早く行きなさいよ。計画が台無しになっても知らないわよ」
案外ピュアな乙女たちは三者三様の言葉を投げかけ、すっかり見送る立場で二人の事を見つめてくる。
だが、そんな彼女たちの期待をある意味裏切る形で、ライトはその場で足を止めた。
「あのなぁ……。軟禁されている貴女たちも、このまま見過ごすわけにはいかないし、当然解放するつもりだからな」
「えっ!?」「はぁ!?」「ほほう……!」
「まあ、俺がここに来れたのは、ただサルヴェイを運良く騙せただけだ。無事に脱出するには、どちらにしろ貴女たちの力を借りる必要があった」
「ち、ちょっと待ちなさい! 脱出の力を貸すって言っても、わたしたちは屋敷の造りなんて知らないわよ!?」
「その辺りは安心しろ、ここから入り口までの道のりならちゃんと覚えている」
「……え? 今なんてー?」
「記憶しているから安心しろと言っている。袋を被された上で担がれて移動した以上、距離感は流石に検討つかないが、どのタイミングで曲がったか、階段を登り降りしたかぐらいはわかるしな」
「オイオイオイ、マジですかいダンナぁ……」
「『観測者』の名を騙って潜入する以上、これくらいはできないとな」
「ほう『観測者』を騙ったのですか……たいしたものですね」
(やっぱり、本物か。これはついてるな)
他の三者は『観測者』という単語に何の反応を示さなかったが、彼女だけは目敏く反応した。
見た目だけでも疑いようがないが、知る人ぞ知る『観測者』を理解している以上、間違いなく探していた女神に違いない。
「なんでもいいけどよぉ、相手は超大金持ちだぜぇ? あっしらで何とかなるとは思えませんぞ?」
「何、その時はその時だ。臨機応変にいこう」
(とはいえ、無策で脱出するのは不味いな。彼女たちの力を借りて、効率的に脱出するにはーーーー)
スキュラに差し伸べていた手を戻したのち、唇にあててライトは脱出に最適な手段を脳内でシミュレートし始める。
彼がこうも急いで脱出しようと目論んでいるのは、単にバリューと早く合流するためだけではない。
従者が言っていた「今晩の報酬を受け取ったら、やっとこの仕事ともおさらばできる」という言葉の意味を汲み取った上での判断だった。
「そういえば、皆さん自己紹介がお済みでしたね。それでは遅ればせながら……付近の海を統治しております、女神スキュラことスミレと申します。どうぞお見知り置きを」
「……ん。あ、はい。以後スミレさんと呼ばせていただきます」
考え事に耽っていたライトは慌てて返事を返すも、スミレは気にしていなさそうに微笑み、丁重にぺこりとお辞儀する。
人間なのか他の生物なのかはさておき、亜人たちの中では最も礼儀作法がなっていた。
「ほら、みんな自己紹介したんだから、次はあんたの番でしょ!」
「ああ、そうだな。俺はライト・ディジョン。『観測者』という体で潜入した記憶力だけが取り柄の人間だ。好きなように呼んでくれ」
「じゃあ、ディジーで!」
「却下」
「酷い!?」
流石にその名前で呼ばれるのはマズいと思い、ライトは速攻で断る。
脱出後に行動を共にすることはまずないだろうが、外でその渾名を口にされてしまっては、『十忠』を知る者から疑われることに違いない。
「ねぇ、酷くない!? 好きなように呼べって言ったくせに却下されるとか!」
「いや、その……。すまないがそれだけはやめてくれ。高名な騎士と同じ渾名など、オレには一生向いてない」
「そんなことないって! ライトはアタシたちを助けにきてくれたんでしょー! 今思えば名前もナイトに近い発音だし、今だけはアタシたちを守る騎士ってことで! ねぇー、そう思わない!?」
「別に」
「名前は置いておくとして、ダンナがあっしらを守ってくれる騎士という点は同意ですな」
「素敵な渾名ではありませんか。この場限りではありますが、その名で呼ぶのも良いと思います」
魅了の一件もあってか、ヒスイはやけに熱が入っていた。
アイナはどうでもいいと言わんばかりにツンとそっぽを向いていたが、ナトリーとヒスイは何故か微笑ましそうにライトの方を見ている。
彼が意識する間も無く、あっという間に断り辛い雰囲気になってしまっていた。
「はぁ……。わかった、ディジーで構わない。とはいえ、その口振りだと協力してくれると受け取れるが?」
「うん、アタシは協力するよ! そりゃあ、部屋としては広いよ? でも自由に飛びまわれるほど広くはないからねー……」
「わたしも賛成。ここにいたら危害が加えられることはなさそうだけど、ずっと閉じ込められているのは嫌なの」
「あっしもついていきますぜぃ、ライトのダンナぁ。ここにいても退屈だし、置いてけぼりは勘弁してくだされ」
「さて、あとは覚悟さえ持ってくれればすぐにでもここからーーーー」
「あの……、これからすぐ脱出するおつもりですか」
「はい。せめて今晩中にはこの屋敷から出てーーーー」
「ダメです。ここから脱走するなんて、わたくしには出来ません」
「えっ……」
先程まで乗り気だったスミレは、何があったのか急に意見を翻した。
窓から外景を悲しそうに見つめていたというのに、どのような心境の変化があったのだろうか。
あまりにも突然のことに困惑を隠せないまま、ライトは彼女へと問う。
「それは、一体どうしてですか?」
「だって……っ」
しゃくりあげそうになった声を口で塞ぎ、俯いて瞳に涙を浮かべる。
それは愛する者から引き離されることを拒んでいるかのような表情でーーーー。
「だって、愛しのダァリンを置いて逃げるなんて、出来るはずないでしょう!?」
「……ダァリン?」
「そうです! わたくしの愛してやまないダァリンが離れた場所に監禁されているのです! 一度暴れ始めたら手がつけられなくなるからだとは思うのですが、愛するもの同士を引き離すなんて流石に酷いと思いません!?」
「え、ええ。その通りだと思います」
外を見つめながら溜息を吐いていたのは、元いた場所に帰りたいといった理由ではなく、共に連れ添っていたダァリンのことを思慮していたからだと、ライトは今更になって察した。
「ああ、愛しのダァリン。あなたは一体どこに行ってしまったの? いつ何時でも一緒だったからかしら、離れていると背中が凄く切ないの。ああ、あなたが居ないとわたくしはもう……もう――――!」
「う…………」
「まあ、初めてこの光景を見ると引いちゃうよねー」
よよよ……と、ふらつき始めたスミレは、近くにあった手頃な石柱へ縋るように抱き着くと、ミシミシと嫌な音が響き渡った。
あれほどの絞力に耐えられるダァリンとは、いったい何者なのだろうか……。
「わ、わかりました。貴女の“ダァリン”を救出したのちに脱出することにしましょう」
「本当ですか!?」
「ええ、約束します。とはいえ、ダァリンと呼んでいらっしゃる方の特徴を知らない以上、探しようがないのも事実です。何かあれば教えていただきたいのですが……」
「特徴と言われましても……あっ!」
「何かありましたか」
「ええ!ダァリンと言えばといったものがありました」
柱にしがみついたまま、ライトに向けてびしりと指を差す。
「ズバリ、ダァリンのイチモツは硬くて立派なのですよ!!」
「は、はあ……」
「……なんです、その顔は?」
「いや、だってー……ねぇ?」
「そいつぁ、流石に誤解を招く言い方かと思いますぞ」
「それでは……、ダァリンは常にガッチガチだと言った方が良かったでしょうか?」
「――――――――」
パシャン。
「あー、ナトリーが溶けた。ナトリーってこういうのに弱いよねー」
「多分、違う物のことを言っているとは思うけど、やっぱりアッチしか思い浮かばないわ……」
面白そうに溶けたナトリーを突っつくヒスイ。
引きつった笑いを浮かべるアイナ。
なかなかに収集がつきそうもない状況に、ライトは頭を抱えることしかできない。
とにかく、姦しい亜人の女性たちに翻弄されるばかりだった。
「もう一つ、理由としてはあるのですよ?」
「まだ理由があったのですか……」
しばらくしてようやく柱を手放したヒスイは、申し訳なさそうにライトへと語りかけるが、その内容はあまり彼を気遣っているようなものではなかった。
「ええ。正直なところ、わたくしたちを買ったあのお方は、ちょっとした蟠りにハマっているみたいですし、少しばかり相談に乗ってあげようかなぁと思ってはいたのですが……」
「いや……。だからといって、ずっと囚われているわけにもいかないでしょう」
「それは……! ――――その通りです。しかし、あなたさまから『囚われている』などと言われるのは、どうも釈然としません……」
「何です、その理由……。はっきりと言ってもらえませんか?」
「……わかりました。それでは、お言葉に甘えて」
あまりにも変な理由を告げられ、ライトはつい投げやりな言葉を発してしまった。
――――彼は失念していたのだ。
自分を律することが出来なくなった時、まず最初に自分の首を絞めることになることを。
「先程から、あなたさまは合理的な考えを掲げている割には、さほど冷酷になりきれていないではないですか。 少なくともこの策は、両者共に被害が少ないことを考慮した上で練られたものですよね? だからダメなのです」
目を伏せて、そっと語る。
「――――だから、わたくしたちと同様に、あなたさまもずっと心の檻に囚われたままなのですよ?」
「――――――――――――――――」
それは、今も彼の脳裏に残り続けるあの人を否定するかのような言葉で……。
背筋を凍らせるには、十分すぎる一言だった。
チョンチョンに関しては、実際に検索してみるとわかりやすいかと思われます。




