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湖畔に佇む屋敷の主

居場所を追われた者たちは、一体何処へと辿り着けるだろう。


否、一度住処を奪われてしまった者に安息など、永遠に訪れないのかもしれない。


放浪者の大半が迷い子みたいに露頭に迷うように。

或いは、愛に飢えた獣が野生を失うように。

何かを失わないと生を謳歌できない。


勿論、なにもかも失ってしまったら、何者であっても生きてはいけない。

ならば、失われた分をどのように補うのか――――。


……両者が分かたれたのは、きっとそれだけの違いでしかなかった。

 人里離れたとある丘陵地帯、濃霧が立ち込める湖畔の丘の上に、それはそれはとても立派な屋敷が佇んでいた。

 建造されて幾年の月日がたったのか分からないが外観は苔むし、蔦に覆われた壁の一部は大きく破損している。

 人が住むには不向きと言わざるを得ない。

 それでも、その造りや原型は今なお荘厳なまでに維持しており、相当に頑丈で秀逸なものと判断して間違いないほどのものだった。


 アハハハ……

 エヘヘへ……

 ウフフフ……


 そんな屋敷から、子供がはしゃいでいるような声が時折聞こえてくる。

 時間と場所が違っていれば多少は微笑ましく感じられるのだが、現時刻は三日月が大地を明るく照らすほどに夜が更けている。

 近くに民家らしきものは存在せず、人間が生活できるような環境も整っていない。

 状況としては子供の声が絶えず聞こえてくる方が不自然極まりなかった。


 だが、それもそのはず。

 無邪気にはしゃいでいる声に聞こえるそれは、背丈以外は子供とは言い難い存在から発せられているのだから。


 アハハハ……

 エヘヘへ……

 ウフフフ……


 音源は屋敷の中、壊れた天井から差し込む月光を浴びて寝転んでいる黒い小さな人型の生物から発せられていた。

 生物の名前はゴブリン。しかし、ここまで体色が黒く、血走った目と歯並びが整っている牙を持つゴブリンは非常に珍しい。

 どうやら彼らは月光浴の最中らしく、各々が目を閉じ、心地よさそうな声を出している。はしゃぎ声に聞こえていたのはこの音だった。

 月光浴を行なっている姿は比較的珍しいが、大型生物の骨を削って作った棍棒や、拾ったり奪ったりした人種の武器を持っていたり、動物の皮をして作った簡易的な衣服を身に纏っているといったところは普通のゴブリンと大差ないようだった。


 そんな月光浴の真っ最中、屋根で出来た影の中から一匹のゴブリンが出てきたかと思うと、近くで月光浴をしていたゴブリンを蹴飛ばした。

 蹴飛ばされた者は険悪な表情を向けるが、蹴飛ばした方は冷ややかな顔で自分の背後を親指で指す。

 その態度である程度の察しがついたのか、渋々といった顔で棍棒を拾い上げ、先程自分を蹴飛ばしたゴブリンを一瞥した後、薄暗がりの中に入っていった。


 ホールの大階段の真裏へと回り込むと、ひと一人が入れそうな穴がぽっかりと開いている。

 どうやら地下への階段が伏在していたようで、ゴブリンは石造りの段を棍棒で足元を確認しながら注意深く下へ下へと降りていく。

 階段は下っていくにつれて段々と明るくなっていき、降り終わるころには、辺りは松明の光で明るく照らされていた。

 そして、階段から続く一本道を抜けた先には、小部屋のような空間があった。


 上から降りてきたゴブリンがたどり着いたそこは、元々牢獄として使われていた空間を改築したのだろう。

 カンテラが四つほど天井にかけられ、数か所の空気穴と鉄造りの重い扉が設けられた、所謂シェルターのような場所だった。


 が、今では穀物や食材が乱雑に置かれ、中央にひと一人は入りそうな大きさの大鍋が、水をなみなみと注がれた状態で設置されており、ゴブリンたちの料理場と化しているようである。

 そんな悪臭漂う不衛生な環境の中、白塗りの長帽を被り、壁際にある何かを覗き込んでいるゴブリンがいた。


「なあ料理チョー、まだ火も付けてねぇのかヨ」

「まだダ。こいつが死ぬまでもう少しかかル」

「しぶといナ、さっさと殺っちまおうゼ」

「止めろゴロル、味が落ちるだろうガ!」


 料理チョーと呼ばれたゴブリンは、持っていた鉈を振り上げゴロルと呼ばれたゴブリンを威嚇する。

 その様子を見て手を出そうとしていたゴロルは、渋々とその手を引っ込めた。

 どうやら今日の獲物を料理しようとしているようだが……。


 ゴブリンたちが見ていたのは、短い黒髪を赤く染め上げ、壁に力なく寄りかかっている、動物の皮を加工して作られた鎧を身に纏った青年。

 鮮血で彩られたその顔は、下を向いているせいで良く見えないが、半開きになっている瞳は黒く淀んでいるかのように見える。

 そして、彼の付近に落ちていたのは一振りの剣。それも、剣身が黒い直方体をしている珍しいものだった。


「久々の獲物なんだゾ、早く食べたいと思わないカ?」

「捕ってきてくれたことは感謝すル。だガ、久々の獲物だからこそ美味く食べたいだロ!」


 相変わらず早く食事にありつきたいのか、ゴロルは料理チョーに度々噛みつくが、いつまで経っても料理チョーは手出しをしようともしない。

 味が落ちる、美味く食べたい、などと語るのは食に関する意地か。

 それとも、"料理長"といった役割を与えられた使命感からのなのかもしれない。


「そんなに暇なラ、コイツを捕まえた経緯を教えてくれヨ。それが終わったら頃にはコイツは死ぬだろうシ、血抜きもすぐ終えられるからナ」

「ちぇッ! まあいいヤ、教えてやるヨ。コイツは『砂縛穴(さばくあな)』に嵌った仲間を助けようとして隙だらけだったのサ」


 そう、青年には仲間がいた。その人物は彼よりも少し背丈が大きく、鎧に身を包み巨大な剣を背負っていた。

 旅の途中だった二人は草原に出来ていた獣道を並んで歩いていたのだが、まさかそれが命取りとなるとは思ってもみなかっただろう。

 足並みをそろえていたせいで、『砂縛穴(さばくあな)』に同時に足を踏み入れてしまったのだ。


 穴に嵌ってすぐ青年は鎧の人物に放り投げられ『砂縛穴(さばくあな)』から脱するも、鎧の人物はその一瞬のうちに腰付近まで体が埋まってしまっていた。

 重たい鎧を着ているせいで身動きが取れず、更に青年を担いだ時に足元の負荷が増えたのでさも当然ではあったのだが、

 そんな彼を助けようと、青年は丁度付近にあったロープを使おうと身を屈ませる。

 ――それが罠だとは気づかずに。


「……屈んだそのタイミングを見計らったオレは、この棍棒でガツンと殴ったのサ! 鎧のヤツは砂に埋もれたままだったから手出しもされなかったシ、運ぶこと以外はオレ一匹でも楽勝だったゼ」

「鎧のヤツはどうしたんダ?」

「そりゃア、置いてきたに決まってるだロ」

「はァ!? 何やってんだヨ! 食える飯が減ったじゃないカ!!」

「し、しょうがないだロ! あんな重たいヤツ連れてくなんテ、引き上げるどころか引きずり込まれてしまうに決まってル!」

「はァ、勿体なイ……。今から引き上げに行ったところデ、砂だらけで旨みなんてないどころか食べれるかも怪しいシ――――」

「文句を言うくらいなら、自分で獲物を捕らえてくればいいだロ!」

「適材適所を知らないようだナ! オレは料理チョーだゾ! 怪我したら誰が料理をするんダ!」


 ゴブリンたちがギャアギャア騒いでいるうちに、青年の腕がピクリと動く。

 捕まって数時間が経つものの、ゴブリンたちは彼に大きな手出しを加えていない。とはいえ、出血が止まるたびに幾度も傷口を開く程度だった。

 どうやら料理チョーは青年が衰弱死することを狙っているようで、その度に青年の顔は鮮血に彩られ、素肌から血の気が失せていく。


 勿論、最初は抵抗しようとしていたが、麻痺毒が武器に塗られていたのか、はたまた血を失いすぎているせいか、血の気の失せた蒼白な体は彼の言うことを聞いてくれない。

 拷問のような仕打ちと失血によるショックで、青年の意識は朦朧としていた。


「チェッ、まあいいヤ。大好物にありつけるなんて久々だしナ、寛大な心で許してやル。……けどなア、あとどれぐらい待てばいいんだヨ! みんな腹を空かせてるんだゾ!」

「せかすナ! 久々の特上品ダ、どうせなら美味く食べたいだロ!」

「じゃア、オレは何のために居るんだヨ!」

「戦いに向かないオレを守るためダ! 嫌なら上の誰かと交代しロ、真っ先に食べることは出来ないだろうけどナ」

「じゃあ何か話せヨ、いい加減暇ダ! さもないと――――」

「やめロ! 勝手に殺そうとするナ!」


 我慢の限界が訪れたのか、ゴロルは手に持つ鈍器を振り上げる。


「腹が減って仕方がねえんだヨ! このまま待っていてモ、何も得られるものなんて――――」

「……それなら、俺の話に、付き合ってくれよ」


 そっと告げられた誰かの声が、怒鳴り声を静かに遮る。

 力が抜けているような声色ながら、何故か有無を言わせないような威圧を感じられた。


「……はァ? 料理チョー、この期に及んでオレを脅すつもりカ?」

「いいヤ? 勝手に殺すナ、としか言ってないシ、脅すつもりなんてさらさらないゾ」


 だとしたら、一体どいつが……と言いたげな顔をしていたゴロルは、何かに気がついたのか青年へと目を向ける。


「ああ、そうだ。俺だよ。今から、お前らに食べられる、()()()()()()だ」


 青年……ライト・ディジョンは半ば途切れがちな意識を保ったまま、喰らうものであるゴブリンたちに笑みを浮かべて語りかけた。

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