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『十忠』

(急だったけれど、この人を助けられてよかった)


 荷車の中へ先に入っていくバリューと話している、四十代の見た目をした男性であるスパイスを見ながら、ライトは一人、心から思う。

 二人が前日に寄った国では、彼のような男性の(むご)い死体を見たこともあり、少しばかり心が荒んでいたのだ。

 さらに、話を聞いたところによると、スパイスは産気づいた妻の元へ急いで帰る途中だったらしい。

 だからこそ、ライトはなおの事、スパイスを助けられたことを安堵(あんど)している。

 帰りを待つ家族がいる人、家族を心から愛している人を、ライトはこれ以上失いたくはなかった。

 ―――その脳裏には、自分が守り切れなかった、一人の恩人の姿が浮かんでいた。


「…結構甘ったるい匂いだな。果物か何かか?」

「あー、いくつか駄目になってしまっているか……。まあ、仕方がないかな。命あっての物種だしね」

「俺たちは特に気にしないので大丈夫ですよ」

「そう言ってもらえると助かるよ」


 荷車の中はライトが思っていたよりも広く、少しきつめの甘い香りが漂っていた。

 どうやらスパイスは果実を運んでいたようで、先ほど横転したときにいくつか袋から出て、潰れたり痛んだりしてしまったらしい。

 この甘い匂いに釣られて、昆虫種がやってきていると彼は思っていたのだが、ライト曰く、ここらの蟲は音や振動を感知して襲って来るようだった。

 それを聞いたスパイスは、急いで家に帰りつきたいというジレンマを抑えつつ、ゆっくり進むという選択を取る。


 しかし、広大で植物すらほとんど生えていない高地は、視界を遮るものがなく音もよく響くので昆虫種の生物が馬車を見つけるのはそう難しくなく、何度も馬車は襲われる羽目になった。


「〈アンキロコガネ〉はデカいが、頭部さえ潰せばどうにかなる! 〈アノマリス〉は甲殻が固いから俺じゃ無理だ! 肉体が傷ついたらすぐに逃げる習性だから、バリューはそっちを頼む!」

「…任せろ!」


 コガネ科岩山目に属する〈アンキロコガネ〉は、とにかく巨大な昆虫種で、〈ハクタク〉の倍近くの体長を持つ。

 その巨体のせいで動きこそ鈍重だが、〈ハクタク〉の毒素すら通らぬその肉体と、圧倒的な膂力(りょりょく)によって、あらゆる生物を喰らうこの高地の頂点ともいえる昆虫だ。

 そしてもう一体、〈アノマリス〉はこの地域にのみ存在する、アノマリス科鋼歯(こうし)目の多脚昆虫である。

 全身を超硬質な甲殻で覆い、柔らかい肉を自慢の長い前歯で削いで食べる〈アンキロコガネ〉と同じぐらいの危険度を誇る蟲だった。


「…はあ、はあ、〈アノマリス〉は、撃退したぞ!」

「ああ、こっちも、どうにか、動きが止まった! 今のうちに、移動するぞ……!」


 汗だくになりながらも、二人は急いで馬車に乗り込む。

 その背後では〈アンキコガネ〉が頭部を砕かれ絶命し、〈アノマリス〉は慌てて地の底へと潜っていた。

 ……そう、彼らは一匹の蟲に対してたった一人で果敢に挑みかかり、蟲たちを次々と撃退していた。

 だが、流石に撃退数が二ケタを超えたタイミングで、疲れで動けなくなったのか、二人は馬車の壁に寄りかかる。

 荷車の最善で手綱を持つスパイスは、彼らの様子を見ようと後ろを振り返った。


「これで十二体目だよ……! 本当に君たちは凄いな!」

「いえ、流石に疲労困憊で、動けそうにないですよ……」


 疲弊した表情を一切隠すことなく、その言葉へとライトは答える。

 だが、バリューは荷車の壁面にもたれ、俯いたまま返事をしない。


「バリュー君はやけに静かだけど、本当に大丈夫かい?」

「あぁ、バリューでしたら大丈夫ですよ。体を落ち着かせるために、瞑想しているみたいなので」

「そうだったのか。頼んだわたしが言うのは何だが、無理はしなくていいからね。初めはそんな装備で大丈夫かと思ったものだが……」

「…大丈夫だ、問題ない」

「おいバリュー、いい加減に敬語を使えよ」

「ははは。ライト君、わたしに気を使わなくていいよ。装備の件もわたしのただの杞憂みたいだし、本当に助けられてばかりだしね」


 申し訳なさそうな顔をして、スパイスは二人に笑いかける。

 そのまま、「ところで……」と一息置いて彼らに問いかけた。


「君たちは、まるで『十忠』の方みたいな強さだね。これほどの腕前を得るためには、相当に大変な思いをしたんじゃないかい?」

「『十忠』、ですか?」

「あれ、知らない? 凄く強い騎士の事で、世界各地にいたと思ったんだけど」

「……ああ、聞いたことが無いな。その『十忠』とは、一体何だ?」

「『十忠』を知らないなんて、君たちは凄く遠い場所から旅をしてきたんだなぁ……。それじゃ、『十忠』について簡単に教えてあげるよ」


 スパイスはおとぎ話を語るかのように、ゆっくりと二人に語り始める。

 それは、とある組織が目指した理想の話だった。


『十忠』―――それは元々、騎士の行動規範である十戒を、騎士だけでなく一般人にも広く伝えるため、『誠道騎士連合』が実施していた制度だった。

 そもそも、騎士の十戒とは、騎士が守り倣うべき十の心得である。

 その心得は地域によって少し差異はあるが、基本的に『誠実』『不屈』『戦闘技術』『弱者の保護』『親切』『勇気』『寛大』『正直』『信念』『崇高』の要素で構成されていた。

 それは遥か昔……それこそ、騎士が世に広まりだした頃であり、『誠道騎士連合』が発足された時期ぐらいから、存在していると言われている。

 だが、実際に騎士たちが十戒を守れているかどうかは、定かではなかった。

 それは、地域によって騎士の在り方も様々であり、思想や思考も人それぞれだといった部分があるからだろう。

 ただ、人々や主を守る騎士がその力を利用して、私利私欲を肥やすために暴力を(ふる)う事態も少なくはなかった。


 そこで『誠道騎士連合』は、古来から伝わって来た騎士の十戒を、嫌でも目に入るようにすることで、そう言った問題を防ごうと計画する。

 十戒にあたるそれら十の心得を、それぞれ一番に守っている者を『十忠』とし、最高位の騎士に引き上げるのだ。

 そして、彼らが一番に誇る心構えこそが騎士の十戒であると、騎士を含む多くの人に伝える事で、社会規範の手本を世に知らしめるという狙いを持った政略。

 それが、『十忠』の元になる『誠道騎士十忠制度』だった。


 しかし、それには度重なる問題が有ったという。

 なかでも連合の足を引っ張ったのは、どの騎士が最も十戒に忠実なのかを把握することだった。

 数多くの騎士たちを統括し、一流と呼べるようになった騎士を派遣してきたという自負を持っていた『誠道騎士連合』が、その中からベストを選択するのは不可能に近い。

 ましてや、それぞれの心得を一番に守る者、十戒のうちの一つを誇りとしている者が、他の騎士より弱いとあっては話にならないという懸念点があった。

 そこで騎士連合は、騎士の中でも強者に当たる者、卓越した能力を持つ者に『十忠』の位を授けるという手段をとる。

 そのために連合は、世界中の領主へと派遣された騎士や、自然に騎士となった名前だけの『名義騎士』たちの中から、近年素晴らしき栄誉や名声を得た者を調べ上げた。

 その結果、見事に十人……しかも、十戒それぞれの心得を守る者達が挙げられることになる。

 これにより騎士連合は喜び勇んで、彼らを『十忠』にすると宣言したのだ。


 しかし宣言した直後、問題は発生する。

 それは、彼らが何者なのか詳しく知る者が、連合内に誰一人として存在しないと言う事。

 そう、皮肉なことに『十忠』となった者は、一人を除いて『誠道騎士連合』外の騎士……『名義騎士』や名家の者だった。

 何者なのかわからない者を『十忠』にしたなど、連合の沽券や信頼にかかわる大問題である。

 それでも、『誠道騎士連合』は『十忠』に何者がいるのか、把握することは容易でなかった。

 勿論、彼らの主である者たちは、彼らがどのような人格者なのか存じ上げている。

 これは『十忠』の儀が、主と称号を授与される騎士の二人組を、『誠道騎士連合』本部となる正義都市ネウストラに招くことになっているため。

 けれども、連合がその場で把握できるのは、『十忠』となる騎士の容姿と栄誉だけだった。

 また、主たちは自らの騎士が『十忠』だと、そう簡単に語ることはないだろう。

 それを教えてしまうことは、他国に……いや、世界中に対して、自分の戦力を明かしてしまうのと何ら変わりない。

 なにせ『誠道騎士連合』は、世界各国に騎士を派遣している巨大組織で、顧客の情報を漏らすことは、自らの首を絞めることと同意義になってしまうのだから。

 騎士連合は幾度も交渉を行ったが、結果としてその努力が報われることはなく……。

 最終的に、個人情報が存在しない『十忠』を、騎士連合は抱えることになった。


 ―――騎士連合の苦難は、それだけに(とど)まらない。

 彼らの正確な身分が分からないということは、栄誉や名声も偽りものだという可能性が出てくる。

 果たして、本当に実力がある者なのか……『十忠』の名にそぐわぬ者なのか、確かめるためにも連合は躍起になり、任についているであろう箇所へと伝達を行った。

 だが、『十忠』からの応答は一度としてなかった。

 そもそも、連合が招集をかけたとして、彼らはネウストラに集まるのか?

 下手すればこの大陸だけでなく、遥か彼方……《秘境の民》が紛れている可能性すらある。

『誠道騎士連合』は渋々ながら、調査部隊を派遣し、『十忠』の人となりを明らかにしようと目論(もくろ)んだ。

 しかし、それも失敗に終わる。

 理由は単純なもので、他の『十忠』を調査するにしても、この広い世界で、強大な権力者に対して、どのようにして確かめろというのだろうか。


 よくよく考えれば対策はいくらでもあり、解決方法にもいくつかあった。

 だが、『誠道騎士連合』はここ最近における様々なトラブルによって、内部情勢が乱れきっていたせいか、そのような考えに思い至らなかった。

 挙句の果てに、派遣した騎士の一人、騎士連合から派遣していた唯一の『十忠』が、主を殺害したという噂まで流れ、世間から連合の杜撰(ずさん)さが浮き彫りとなる。

 ―――結局、『誠道騎士十忠制度』は、騎士連合にとって、自らの首を吊る行為でしかなかった。


 結果的に、沽券や信頼だけでなく、名誉や名声すら失墜した騎士連合は、人々の手によってすぐさま解体されることとなった。

 しかし、騎士連合が解体された直後、各地の騎士たちからとある声が上がり始める。


「『誠道騎士連合』がやろうとしていたことは、決して間違いではなかった。我々が騎士である以上、十戒を担う者を尊敬し、見習わなければならない」


 その言葉は多くの騎士達に影響を及ぼすことになる。

 それによって皮肉にも『十忠』は、『誠道騎士連合』が解体された後になって、彼らが思い描いていた〝多くの人に騎士の十戒を伝える〟という目的を達成することになった。

 その後に、『誠道騎士十忠制度』は『十忠』へと短縮化され、全ての騎士が見習うべき存在として敬意を表するようになった。……のだが。

 結局のところ、『十忠』と言われし人物が何者なのか正確にわからないまま、心得とそれを誇る者の二つ名だけが、騎士たちの話題として独り歩きするようになった。



「―――というわけさ。それに、噂だから信憑性(しんぴょうせい)はあまりないけど、『十忠』の者たちは、あの〝勇者〟にも引けを取らないらしいよ。君たちが蟲をばっさばっさとなぎ倒していく姿が、とても人間技とは思えないからもしかして……って思ったんだ」

「なるほど、だから『十忠』ではないかと」

「結局、勘違いみたいだったけどね」


 前を向いて手綱を握ったまま、スパイスは照れ臭そうに笑う。

 興味深そうに話を聞いていたライトの隣で、兜だけが彼より奥にいるスパイスへと向けられた。


「…変な制度だな。騎士達だけでなく、わざわざ一般人に騎士の心得を広めようとするなど」

「そうだね。でも、そのころの騎士連合は、派遣する騎士の不足があって困っていたみたいだから、このような誇り高き騎士が居るんだとアピールして、人員を募集したのかもしれないね。

 そうそう、その『十忠』の二つ名も知っているよ。

『戦闘技術』を誇る『騎士王ドラン』

『勇気』を誇る『夢幻のレリス』

『正直、高潔』を誇る『流麗のダスト』

『誠実』を誇る『破道のディジー』

『寛大、気前の良さ』を誇る『悠鯨のハンス』

『信念』を誇る『炎熱のガルーダ』

『礼儀、親切、信心』を誇る『聖人アクス』

『統率、崇高、清貧』を誇る『将軍ミナガ』

『弱者の保護』を誇る『魔王ライン』

『不屈』を誇る『城砦のハルトマン』

 この十人さ。

 もちろん本名も今では分からないし、見た目を詳しく覚えている者は誰もいないと言われているよ。まあ、わたしも分からないんだけどね」

「なるほど……。先ほどから思っていたのですが、記憶力が凄いですね」

「いやぁ、ただの商人の性だよ。褒められるほどでもないさ」

「バリュー、お前もあの記憶力を見習って……。あれ?」

「……」


 いつも以上に無口だったバリューは、先ほどの戦闘で疲れ切っていたのか、スパイスの話を聞いているうちに舟をこぎ始めていた。


「やけに変なタイミングで寝始めたなこいつ……夜になったら寝られなくなるくせに」

「まあまあ、ライト君も疲れているだろう。少し寝てもいいんだよ?」

「いえ、日暮れの時間帯には中間地点へ着きそうですし、護衛が寝ていては本末転倒です。それに、対象を守ってこその護衛ですし、まだまだ問題ないですよ」

「そうかい? それなら、なるべく早く中間地点に着かなないとね」


 スパイスは再度、心配そうにライトの顔を覗き込むが、ライトは前を指さして大丈夫ですと伝える。

 その顔は一向に汗が止まっていなかったのだが、本人は全く気にしていなさそうだった。


 そして、日が傾き始めた頃、馬車は遂に中間地点へたどり着いた。

 中間地点として選んだのは、この高地では比較的低い所にある、木々が繁茂している場所。

 ここなら巨大昆虫種でも、馬車の音や振動を感知できない。

 それに、ここの蟲は肉食かつ大喰いなので、ほんの二、三百平方メートルの林の中へ好き好んで現れないだろう。と、ライトは考察していた。

 馬を急かせばあと二時間ほどでこの高地を抜けられなくはなかったが、一刻も経たずに日が沈みそうであり、この場にいる全員が疲弊している。

 そのため、今夜はここで野営することになり、スパイスたちは夕飯の準備に取り掛かろうとしていた。

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