平行死淵形
「――――あ」
白い雪原が一際目立つ牡丹のような紅色に、じわり、じわりと染まっていく。
決して浅いとは言えない右肩から腹部に掛けての裂傷に気付き、唖然とした表情でゆっくりと後ろへと傾いた。
「ライトッ!! う……っ!」
霊長合成獣の背後へと回り込んでいたバリューは、慌ててその場へと駆け寄ろうとするも、一瞬視線をそらした隙に、丸太を束ねたかのような太い尾に薙ぎ払われ、建物を巻き込みながら弾き飛ばされた。
グルルルルルルルルル…………
吹き飛ばした者の姿を一瞥することすらせず、霊長合成獣は唸り声を上げながら、血だまりの中で身動き一つ取れないでいるライトへとゆっくりと近づいていく。
今にも食らいつこうと大きな口を開けたままで。
「こい、つ……!」
鋭爪の一撃を受け多量の血を流した彼は、混濁しつつある意識の中、大きく開かれた霊長合成獣の口内を目にし、あまりの悲惨さに悪態を漏らす。
乱雑に生えている鋭利な歯は口内に所狭しと並び、喉から先は肉塊で埋まっている。
そう、この獣は五感だけでなく何かを捕食することすら失われていた。
その理由はエンデッドのみ知るだろうが、返ってくる答えは想像に難くない。
食事なんて非効率的だから、とさも当然のように語るだろう。
――もはや、この存在は生物とすら呼ぶことはできない。
ただ人間の肉体で作られた意思のある兵器だった。
「く、そ……!」
覆いかぶさってくる霊長合成獣から逃れるすべを彼は持たない。
そのまま、トラバサミのように大きく開かれた口が、ゆっくりと閉じられる――。
「…こっちを向け、バケモノ!」
獣の右隣に位置する民家から爆発と共に火の手が上がる。
穴の開いた家屋の中に立つバリューは燃え盛る家具を前に、どこからか拾っていた白磁の壺を二つほど霊長合成獣へと投げつけた。
勿論、脆い陶器はぶつかった途端にあえなく砕ける。
だが、その中身から零れだすツンとする匂いの黒い液体……動物性の油は獣の体をべっとりと濡らした。
「『焼き尽くせ』!」
荒々しい声とともに彼女の腕から放たれた火球は、あっという間に獣を呑み込んだ。
ギャァァァガァァォァァァァアアアアアアアア!!
全身を炎で焼かれた霊長合成獣は、壮絶な断末魔を出して暴れ狂う。
叫び声が聞こえる以上、呼吸器や喉にあたる部分があるはずだが、炎に包まれていることも相まって見つけることはできなかった。
「ごめん、少し絶えて!」
「ぐ……っ!!」
その間にバリューは暴れる獣を避けながらライトの元へと駆けつけると、右手で襟足を掴み彼を引きずりつつその場から離脱する。
逃すまいと振るわれる狙いを外した歪な爪は、近くの家屋を紙のように引き裂いた。
見た目はおろか、元人骨だったとは思えない爪の一撃は、ライトが引き裂かれたことに気づかないほど鋭く研ぎ澄まされていた。
「待ってて、すぐ止血するから! ううっ、こんな時に『大地の祝福』が使えないなんて……! ライト、死んじゃ駄目だからね!!」
兜の口元だけ下ろし、鎧の内側にしまっていた清潔な衣類の端に歯を立てた。
口元は自分の無力さを嘆いているかのように歪んでいる。
決して彼女のせいではないというのに。
……バリューは不器用だ。
料理を碌に作れた例はなく、男と負けないぐらいに物の扱いも雑なせいで、よくライトから注意されている。
だが、そんな彼女でも怪我の手当てに関しては得意になってしまった。
たとえ戦闘員でさえも、手当てができる腕が無ければすぐさま命が失われていく。そんな、血で血を洗うような戦争だった。
死者を兵器に変える『忌器』がどのような形のものなのか分からない以上、がむしゃらに死者を出すのはためらわれるはずの戦場でもなお、死者の数は日に日に増え続ける。
そんな、精神と魂をすり減らしていく戦場に、立ち続ける者が行えることは限られていた。
だから、えらくシンプルに、たった三つのことだけを意識することになった。
敵を殺すこと。傷を負った味方を死なせないこと。……そして、死体を形が残らなくなるまで燃やすこと。
……彼女は二つ目を選択した。
たとえそれが、死体を作らないために行うことだとしても、それだけしか選択できなかったのだ。
「バ、リュー……! その、手……!」
「喋らない! 油断して『硬化装体』が間に合わなかっただけだから」
力なくだらりと垂れ下がった左手を使うことなく、真っ赤に染まっていた口と右手で割いた服を、あのバリューとは思わない器用さでらせん帯にして傷口に巻き付けていく。
鎧に隠れているせいで確認はできないが、左腕がこのような状態ならば、左半身の臓器も無傷で済むわけはない。
おそらく元の肌の色が失われるほど、内出血で青く染まっている。
「あーあ、あんなに暴れちゃって。痛覚は剥いだと思ったんだけど残ってたのかな。仕方ないなぁ、あとでしっかりと剥ぎ取らなきゃ」
手当てを終えたバリューは、近づいてきたエンデッドの気配を察知し、ライトを庇うように一歩前へと進む。
「そういえば、キミは精霊術師だったね。纏ってる鎧や剣もそうだけど、あの一瞬で火の精を生み出すなんて脱帽だよ。ボクもそれくらい早くコイツを作れたらなぁ」
「…そこでじっとしていろ、すぐに殺してやる!」
壁剣を片手で扱うことは至極困難であることぐらい、彼女だって理解できている。
だとしても、瀕死のライトを見捨てるという選択だけは決して行わない。
また、エンデッドの言う通り、バリューは咄嗟の判断で生み出した火の精霊から属性付与を受けている。
あの時と比較してまともに戦えるとは思えないが、彼女にはまだ隠している切り札があった。
「すごいね。その怪我でまだ抗戦しようとするなんて……いや、そうでもないのかな? あの時はもっと深刻な怪我でボクと交戦していた気がするし……?」
「――――」
相対するエンデッドは、一切の殺意や敵対心を向けることなくつらつらと語った。
ただそれだけのはずなのに、背が高い故か圧し潰されそうな閉塞感が彼女の心内を蹂躙し続ける。
「…貴様を倒せば、あの怪物は――!」
「止まらないよ、残念だけど。作ったのは確かにボクだけど、好き勝手操っても面白くないし、第一、世界がボクのことを認識しちゃうからね。そうなってしまったら、目標が一気に遠ざかっちゃう。それだけは避けたかったんだよ」
「……成程、だから、皆殺しを、率先して、いるんだな……!」
「ご名答。だけど、『不屈』が言っていたように、あまり喋らない方がいいんじゃないかな。そのままだと、数刻もしないうちに死んじゃうよ? ……まあ、いいや。そのうち火は消えるだろうしキミたちも時間が必要そうだから、またおしゃべりの続きでもしようか」
「その、必要は――」
「…ライトは動くな。ここは、私がどうにか……」
「そんな震える手で何をするのかな?」
「――っ!」
壁剣を握る拳に力を入れ、体の震えをどうにか抑えようとする。
だが、いくら力を加えたところで身震いは止められなかった。
それだけでなく、あまりの重圧によるものか、段々と思考すらも揺らぎ始めてくる。
――この男のことだ、仲間になると言えば獣の追撃を止めてくれる。
それは、二人がいずれ裏切ると分かっていても同様だろう。
死を恐れない限り、彼らへ永遠に付きまとうに違いないから。
……それでも、この場を凌ぐことは出来る。
傷を癒して万全の状態で再戦でき、環境が有利な状態であってもエンデッドは喜んで戦いを選択するだろう。
だとすれば、ここはとりあえず――。
『譲れないものがあるんだろ? だったら、それのために人生を使ったらいいぞ。お前らは気負いすぎるからな、少しばかり考えなしで突っ走るのも十分にアリだぜ?』
「あ…………」
なんて適当で投げやりな言葉なんだとその時は思っていたけれど、そうじゃないんだ。
ちゃんと、私たちのことを思ってくれていた。最後まで導いてくれた。
――そんな、溜息交じりに煙管の煙を吹かすおっさんの姿が頭をよぎった。
「…あーあ、バカバカしい。それほど単純だったらどれほど良かったか」
兜の中に潜めている口元に、思わず笑みが浮かんだ。
愚かしい自らを嘲笑するかのような、そんな笑みが。
「急にどうしたの? 痛みのせいでおかしくなっちゃった?」
「…おかしいのは貴様だろう。誘いを断り続けているのに、こうやって手出しすることなく話しているだけではないか」
「戦闘狂じゃないからね。協議の上で問題解決できたらそれが一番じゃないかな」
「……至極、真っ当、だが、効率、だけを、求める、お前を、信用、できるか」
「あのさぁ……。いや、もうこの際はっきりと勧告した方がいいかもしれないね」
「ボクがこんな事を吐露するのも御門違いだけど、……キミたちが命脈を保っていくことは不相応だよ」
影がかかり、表情をなくし……相対する男のように死んだような面持ちで、二人はすっと視線を合わせる。
あまりにも下らないと言いたそうな態度で、ほんの少しだけ不機嫌そうにゆっくりと口達者に言葉を紡ぎ始めた。
それはまるで、無垢なる者を諭すように明瞭に。
「望めば望むほど夢は遠く離れていく。だとしたら渇望していた願いを成就したところで話にならないよね? その頃にはもう違うことを切望して、描いた夢とは離別しちゃうもの」
「だから、キミたちの旅路もボクが破滅に向かうことも、きっと大した価値なんてないんだ。だから全部無に帰ればいい。そうすれば、ボクの願いがついでに叶えられる可能性だってあるからね」
「それでもキミたちは、こうやってボクの邪魔をするよね。そうも足掻いてまで生に固執する理由は、それほどに崇高なものなのかな?」
つまらない、下らないという感覚を捨てたエンデッドの思考が行き着く先は、理解できないことによる疑問だった。
相手の逆鱗に触れておいて、聞き出した言葉を疑問で返す。
煽っているかのようで至極真面目なのだから、論争するだけでも面倒この上ない。
「なぜ、生き続けるか、だったな……」
「…確かに、私たちに残されたのは最後の任と形見の物だけ。それも、いつかは終わりが来るだろう」
「だが、今だけは! 俺たちの、生きる理由だ!」
「…最後の任を……形見を返すことを私たちがやらずして誰が成し遂げられる!」
「だから、今だけは、死ねない! 絶対に……死んで、たまるか……!!」
「…死ぬことはいつでもできるが、請け負った使命を、果たすべき責任を、清算できるのは生きてからこそだ!」
「俺たちは、生き続けてやる……!」
「…なすべきことをなす為に、貴様の野望を打ち砕く!」
「……脆弱な考え方だね。とてもじゃないけどボクを殺したあの時みたいだとは言えないなあ」
ゆらり、とライトが立ち上がる。
蒼白な顔面は、かろうじて生気を感じる程度。
止血のためにきつく巻かれた衣服は血で染まり、その機能を殆ど成していない。
……それでも、彼が視線を逸らす事はない。
「キミたちはあの男に誑かされていただけだ。だって彼は無事に故郷へと帰りつけるのなら、たとえ従えている主を裏切り、別の人に助けを求める、残酷なほどに冷酷かつ計算高い人だよ? 信用できるような人柄だとは、とてもじゃないけど――」
「黙れ。お前には、理解できない。たとえ、天地がひっくり返っても、な」
引きずるようにライトは足を一歩踏み出す。
足元がおぼつかず、指先は悴み、破剣を持っている感覚すらだんだんと失われていく。
だが、まだ立ち上がることが出来る。
その問いに否と答えることできる。
――今ここで、歩を止めてたまるかと。
それだけが、彼を奮い立たせた。
「レイジさんが、自らの利益だけを、考えていた、だって? 確かに、その通りだ……。あの人は、自分が思ったままに、行動してばかりで、よく振り回されたからな……」
「…随分と自分の事を言い渋ってはいたが、結局口に出した言葉が「死にたくない」だったのも笑える話だ。誰だって軽々しく死にたいなどと思わないだろうに」
「キミたち二人を裏切ろうともしていたんだよ? それなのに慕い続けるなんて理解できないなぁ」
「俺たちだって、理解できてないぞ? どうしてあんな、ワガママなおっさんの事を、いつまでも引きずっているんだと、思った時もあった。……けどな、あの人は、いつもすぐそばで、俺たちを支えてくれていたんだ。それだけでも、確かに救われたんだ」
「…もちろん、本人にその気は無かったかもしれない。やりたいようにやってきた人だからな、ついでや気まぐれの類でもなんらおかしくない。それでも、あの人から受け取った言葉は! 与えてくれた思いは! 私たちの中にいつまでも残っている!」
二人は決して逃げ出さない。
生のしがらみから抜け出したいという気持ちが無かったわけではない。
だが、今は死ぬことが出来ないのだ。
彼の思いと自分たちの思いを無にすることだけは、何としても。
「……ああ、言い方を間違えたよ。理解できないんじゃない、その考えに思い至らなかったんだ。救ったとか救われたとか、そんな綺麗事には興味が無いから。だから、キミたちの言葉をどうしても聞き流してしまう。……正直、そんな感性を持っているキミたちを羨ましくも思うよ。かといってボクは変わらないけどね」
やれやれとばかりに頭を振りつつエンデッドはそっぽを向く。
向けられた視線の先に見える霊長合成獣は、体の火を半分ほど消していた。
「じゃあ、質問を変えようかな。――キミたちはすぐそばにいる相棒をなんて思っているんだい?」
「何の、話だ」
「ほら、キミたち二人の関係だってそうじゃないか。尊敬していた親友がキミたちの仲を取り持ってくれていたから仲良くしようと思った。旅の理由も大方親友の遺品を届けるような命が渡されたからでしょ?」
「………………」
「キミたちはレイジ・アベが存命しているから、自分たちも生きているなんて節があった。だから、今のキミたちは酷く脆い。お互いに歩み寄ることは出来ても、その先に踏み込むことが出来ないくらいにね」
エンデッドという人間はとにかく狂っている。
それと同時に、合理性の塊であるからこそ、至極当然な正論をも口に出す。
『キミたちは故人に囚われ続ける、どうしようもなく救いようのない者だ』と。
……二人だって、それくらいは自覚している。
主から渡された地図は最短距離を外れるどころではなく、最長距離の道筋を示されていた。
未だ大陸を脱することすら出来ていないにもかかわらず、己の選択を誤ったことは彼らの指の数をとうに超えている。
――そして、存在そのものが矛盾している者からさえも、その生き方を否定された。
「決して交わることなく死の淵を彷徨うキミたちの形は、まるで『忌器』みたいだね。名付けて『平行死淵形』とか」
この男にとっては、ただおふざけで語っているにすぎないのだろう。
わざわざ二人の事を『忌器』に例える必要などないのだから。
それでも、なぜだか二人の胸の内にすとんと落ちる感覚があった。
まるで、最初からそうだったのだと思い出すほどに。
彼らに執着し続けるエンデッドだからこそ、二人の在り方すら的確に把握していた。
「そうかもな」
「…それで構わない」
「――――ふうん。そうか、そうなんだね……」
素直に認めよう、と二人は言ったのだ。
すぐ隣にいる相棒へと、告白するかのように。
自らを嫌い、隣人を愛してるとは言えないと。
……だが、その目は死んでいない。
陰りも曇りも揺らめきも、決して映ることはなく――。
ただただ目の前の男へと真剣に向けられていた瞳は、光を反射し眩しく輝いているかのようだった。
「キミたち二人ってボク以上の刹那主義者だったりするんだね。だったら、もういいや。先に虚無の世界で待っててよ」
「「断る!!」」
ニヤニヤしていたエンデッドがその場から搔き消えるのと同時に、体が未だ半分ほど燃え盛っている獣が再び飛びかかる。
だが、その場から動くこともままならないはずの二人の顔に諦めの色はない。
むしろ、エンデッドと対峙した中で最も良い不敵な笑みを浮かべていた。
「……いくぞ!」
「…これが、レイジさんが私たちに残してくれたものの一つだ!」
動かせる片方の手で、幾度となく練習してきた印を組む。
それは、本来二人が知り得ることはない東方伝来の秘術。
二人のためだけに作られた、レイジが抱く思いの結晶――――。
「「『在我為転生変』!!」」
刹那、惨憺たる牙が眼前へと差し迫る一瞬のうちに、霊長合成獣もろとも二人は鮮烈な光に包まれた。




