押し流し、引き戻す
たとえ足を切り裂かれても。
体が氷漬けにされたとしても。
決して足を止めるわけにはいかない。
抑えきれない衝動を抱えたまま、わたしは大地を踏みしめ歩みを続ける。
心からあふれ出して止まらない熱は、もはや止めようがない。
怨嗟と焦りの叫び声はノイズのように鳴り響き続ける。
……そうだ、わたしは怒っているんだ。
歩みを邪魔しようとする障害物に。
愛するものを奪った人間たちに。
この理不尽な世界に。
ああ……少しずつ思い出してきた。
悪魔にでもならない限り、他人を憎めないような夫がいた。
いつも一人ぼっちで、辛い思いをさせてしまった息子がいた。
誰かの手へと渡り、今や生死すらわからない赤ちゃんがいた。
彼らは幸せになれなかった。
わたしにとっての幸せは、彼らが幸せでいることだけだったのに……。
彼らは無残に殺された!
自己利益しか興味のない人間に!
差別的な格差を生み出した国に!
戦争を肯定する世界に!
幸せになれるはずだった未来を奪われた!!
―――だから、わたしは人間を殺そう。
国の中心で自爆すれば、数え切れないほどの人間を殺せるはず。
殺した人間の魂を使えば、きっと二人を蘇らせることができる。
そして三人で赤ちゃんを探すの。
大丈夫、二人がいればきっとすぐに見つけられるはずだから。
わたしはきっと、悪魔となっているんだと思う。
だから、あの頃のような幸せを望むことは決して許されない。
夫の細かい気遣いも。
息子の無邪気な笑顔も。
赤ちゃんの柔肌の温もりも。
暖かく幸せな家庭も……。
わたしはただの廃塊だ。
だから、何だというのだろう。
幸せも願いも祈りも思いも望みも、全てわたしだけのものだ。
どんな障害がわたしを阻んだとしても、彼らのためなら乗り越えてみせる。
それがわたしの信念だから!!
「……よし。体力もある程度戻って来たことだし、やるか」
普段と変わらないような口調でライトは呟き、ゴーレムを見つめていた瞼をゆっくりと閉じる。
頭の中に思い浮かべるのは荒れ狂う波。
例えるならば……そう。乱風で巻き起こった波浪のような、水の流れ。
イメージを頭の中に思い起こし始めると同時に、乾いているはずの大地から硬剣の刀身へと少しずつ水気が満ち始めていく。
「……今だ」
―――脳裏に浮かぶ巨大な波が自身を包み込む感覚。
それだけを頼りに、ライトは硬剣の切っ先をゴーレムへと垂直に向けた。
『押し流せ!』
透き通ったような声色で発せられた荒々しい言葉。
―――それと共に、硬剣の切っ先から波濤の如く大量の水が噴き出した。
「いっけぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
激流は廃材や瓦礫を呑み込みながら、ゴーレムへと凄まじい勢いで押し寄せる。
だが足に近づいた途端、水は一気に蒸発してしまった。
噴き出している蒸気はそれほどまでに温度が上昇していたのだ。
そして、蒸発しなかった水もその殆どがゴーレムの足をすり抜け、ただ先へ先へと流れていく。
「ぐうっ……!」
そうしているうちにも、彼の体にかかる負荷は増していく。
傍から見るだけでもそれは一目瞭然だった。
体は寒さを堪えているかのように大きく震え、骨はみしみしと悲鳴を上げている。
筋繊維は力を加えるたびに引き千切れていき、血液はまるで沸騰しているかのように脈打つ。
ライトもバリューと同様かそれ以上に、最高出力属性解放を行っていた。
大量の水を瞬間的に使っているせいだろう、ライトの体力はみるみるうちになくなっていく。
一瞬でも気を抜くものなら、属性付与による過負荷で動けなくなるに違いない。
下手すれば死に至る可能性だって否定できない使い方だ。
……それでも、彼はここで力を止めるわけにいかない。
なぜなら、計画はまだ破綻していないのだから。
むしろ―――
「ここからが本番だ!」
自らを鼓舞するかのようにライトは吼えた。
足元に激流があることすら気づいていないのか、何事もないかのようにゴーレムは右足を前へと持ち上げる。
―――その瞬間が訪れるのを、ライトは待っていた。
「今だ……っ! 『引き戻れ!!』」
ライトがその言葉を叫ぶと同時に、硬剣の切っ先から流れていた激流は元の場所……破剣の鋩へと吸い込まれ始めた。
引き戻される濁流の勢いは先ほどよりもさらに激しくなる。
圧倒的な力で蒸気機関を砕き、建造物を抉り、大地を削っていくほどに。
(もっと……もっと強く……!)
どれほど水の引く力が強かろうと、噴き出す蒸気と高熱を帯びた鉄によって水はすぐに蒸発してしまう。
それは、彼だって最初から理解している。
とはいえ、ゴーレムの体を守るのは所詮高温の蒸気程度。
いくら水や生物など熱に弱い外的要因には強かろうとも、熱に対して耐性がある物や熱が通じない物はゴーレムの体に直接干渉できる。
たとえば、この地の至るところに転がっている瓦礫。
ゴーレムの体と同じ蒸気機関の材質であるため、蒸気熱によって脆くなり破損するなどといったことは殆ど無い。
たとえば、植物の生えない不毛なる乾いた大地。
たとえ表面が乾燥しきっていたとしても、その下の砂質土に多くの水が含まれると液状化現象で地盤沈下を引き起こすこともある。
ゴーレムを丸ごと凍らせることができるほどの力さえあれば、ゴーレムの周りに大量の水を流す程の力を出せる。
そう気が付いた彼は、引き戻す水の勢いに乗った瓦礫や足元の地面を水浸しにすることで、ゴーレムを転ばせることを思いついていた。
水が引きずり込み拾い上げて行った瓦礫は、勢いを殺されることなくゴーレムを支える歪な片足へと叩きつけられる。
本体に届くことが無いにしろ、自重を支えている足元の大地は大量の水を吸い、ぬかるみ始める。
たとえゴーレムが頑丈であっても、足元がぬかるむことで不安定になり、足に強い力がぶつけられる状態で、片足立ちを維持し続けるのは不可能だった。
「倒れろおおおおおおおおおおおっ!!」
喉が張り裂けんばかりに叫んだ言葉が、最後の一押しになったのか定かではない。
だがその瞬間、確かにゴーレムのバランスは一気に傾く。
――――そして見上げるほどの巨体は、大地を揺らす衝撃と轟音を上げ、踏み出すために持ち上げていた右足の膝関節部分から勢いよく倒れた。
「はぁっ……はぁっ……」
引き戻した水がある程度硬剣の中に戻ったことを確認したライトは、荒い呼吸を整えようとその場にしゃがもうとするが、力が抜けてしまい倒れそうになる体を硬剣で支える。
疲れと痛みでやつれた顔は、それでもやってやったとばかりに、得意げな笑みが浮かんでいた。
「よし……っ! 上手く、いった……!」
もうもうと立ち上がる蒸気によって、ゴーレムの状態がどうなっているのか目視することは出来ない。
それでも確かに、右膝から地面に倒れる瞬間を彼は確認していた。
「これで、もう……」
周囲に満ちていた白煙は段々と晴れ、巨体の姿も少しずつ見え始める。
ゴーレムはまるで気絶しているかのように、一切の動きが止まっていた。
大地に叩きつけられた右膝は大きくひび割れ、そこから下の部位は噴出していた蒸気の勢いが殆どなくなっている。
―――だが。
「いや、ダメだ……。まだ、壊せる」
ゴーレムの右膝は完全には壊れていなかった。
ひび割れは大きいものの、その殆どは膝の表面のみにとどまり、未だ関節部分は顕在している。
このままではそのうち自動回復されて、また歩き出すのがオチだ。
「壊す……! 壊してやる! この手で、絶対に……!」
ライトは、荒くなっていた呼吸と体勢をたて直すと共にその場から駆け出し、ゴーレムの右膝へと駆け出す。
一切を失った表情と混沌を湛えたかのような漆黒の瞳で、ただ一点を見据えながら。
「あのバカ……っ!」
激流を避けるために瓦礫を少し登り、一部始終を見ていたバリューは思わず悪態を吐く。
唐突に駆け出したライトが何をやろうとしているかなど、一目瞭然だった。
足を上手く壊せなかった場合に考えていたのだろう。
それは、壊れかけたゴーレムの右膝を直接砕きに行くという無茶で無謀な特攻作戦。
普通であれば、それは自分がやるべきことなのだと彼女は思うが、激流に呑まれるわけにもいかず……かといってあのような行動を取らせるわけにはいかない。
遠く離れた場所にいるバリューには、彼が行おうとしている命賭けの行為を止めるすべがない。
「ああもう! 今回だけだから!!」
バリューは激怒のあまり、右拳を勢いよく近くの廃材に叩きつけた。
しかし、それはただ廃材に抑えきれない怒りをぶつけるためだけではない。
『凍り付け!』
その号令と共に廃材と拳の接着面から冷気が噴き出し、地を這うようにライトが向かっている右膝へと伸びていく。
人の走りよりも明らかに早い冷気は一瞬にして彼のすぐそばを通り過ぎ、ゴーレムの右足を薄氷で凍り付かせた。
彼女の残り僅かな属性付与では、ゴーレムを氷漬けにすることは不可能である。
それに壊れかけといっても未だ高熱が残る銅屑を凍らせたところで、あっという間に溶け落ちてしまうのは明白。
だが、そんな十数秒すら持たせることすらできない薄氷でも、ライトが目的地に無傷でたどり着くには十分だった。
膝上まで伸びた薄氷は膝を包み込み、噴き出す蒸気をせき止める。
その熱は内側に溜まり、薄氷を溶かそうと熱を増していく。
水を一瞬で蒸発させることができるその熱が、膝を覆い尽くす薄氷を解かすその前に……。
「今度こそ、壊れろおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
水を纏った硬剣が、薄氷ごとゴーレムの膝を貫いた。
それと同時に噴き出した大量の水は、膝内部にたまった熱によって蒸発する。
――――そして、膨張し行き場を失った空気の塊は、銅の塊を内側から押し出して爆ぜた。




