与えたかった者の走馬燈 Side:Z
……一体いつからだっただろう。
自分が元々は人間だったということを忘れてしまっていたのは。
そして、醜悪な悪魔となってしまったことを自覚したのは。
思い返してみると不思議な事に時間の感覚が無い。
随分と昔のようにも感じるが、つい最近の事であるとも感じる。
永遠かと感じるほど長かったようで、一瞬だったかのように短かった。
苦難を乗り越えてきたはずなのに、どれも他愛なかったと感じてしまうほどに。
わたしは悪魔として生誕し、それ以外の何者でもないと思い込んでいた。
はっきりとは思い出せないが、生まれたばかりの時、何かに対しての激しい憤りを覚えている。
だからこそ、わたしは『憎悪』の悪魔となり、それ相応の力を得ることが出来たのだろう。
―――いや、正確にはあの男に元の悪魔と混ぜられたからだ。
うまく交わってしまったのは間違いなく相性が良かったからだろう。
なにせ、同じような憎しみを持っていたのだから。
何があっても早く分裂するべきだった。
そうすれば多くの人を犠牲にせずに済んだのだから。
……だが、わたしと悪魔は複雑かつ入念に混ぜられている。
そう簡単に離れることが出来ない。
おまけにその事実すら思い出せない自分自身が、悪魔と袂を分かつことなど到底できるはずもなかった。
だから、己の意志をかなぐり捨てると全てを悪魔に任せた。
わたしは待った。
ただひたすらにその時が来るのを待ち続けた。
悪魔としての渇望を、胸の内に燃え滾る憎悪の火を辺り一面にぶちまけるため。
そして、消えかけていた自分自身をどうにか取り戻すために。
長い間、知識と怒りを体に溜め込みながら、呼び出される時を待ち続けた。
―――そうして、一人の少年と出会った。
「やった……! 父さん! 母さん! これで二人の復讐ができるよ……!」
そいつはぼろ布を身に纏い、暗く小さな世界で焦点の合っていない瞳を向けて嗤っていた。
……だが、本当に人間なのか。
初見だけではただ布切れを被った獣にしか見えない。
それ程までにこの子は追い詰められていたと知るのは、そう時間がかからなかった。
自らをここまでの境遇に押しやった世間と、正義面して悪逆の限りを尽くす騎士。
やつらから幸せを奪い取り全てを無に帰してやる、と痩せこけている顔で少年は唸る。
その怒りに燃える姿は自分をみているかのようで、ほんの少し程度だったが親近感が湧いたのは確かだ。
……だが所詮は人間、それも復讐心に囚われた扱いやすそうなただのガキ。
利用できるところまで利用しつくしてやろう。
懐かしい感覚は一瞬にして過ぎ去り、ただこのカモをうまく運用することだけに思考は傾いていた。
結果として最高……いや、それを通り越し最適という結論に達する。
アントはわたしが授けた力を限界以上に引き出すだけでなく、それを利用して人々を脅し混乱を招くなど、想像していなかった使い道まで見出していた。
国まで滅ぼしたその才能に、わたしが心から嫉妬しそうになるほどに。
今思い出すと、そこまでは悪魔の方が勝っていたのだろう。
わたしの意志なんてほぼ無いに等しく、全ては悪魔の思うがままに事は進んでいた。
―――アントの旅路へと同行することになる前までは。
あの若い騎士たちへ語った通り、契約者にしてはわたしの体に適している人間だった。
だからと言って知恵が足りない子供であるのは違いない。
せっかく与えた力の使い道を間違えてもらっては困る。
一見すると最強に思えるが、『取捨選択』の制約は多い。
自らが得た力だと驕られるより前に、自らが初めから持っている力だと過信しないように忠告しなければならなかった。
それに、わたしが少年から離れてしまっては、のちの行動に支障が出る。
だからこそ、その旅路に連れ添うという選択を取った。
少年は失ったものを取り戻し、奪われたもの以上のものを奪う。
わたしは人々を恐怖に陥れ、そのさまをみて嗤い声をあげる。
それが当たり前となり、いつしかわたしが特に手を加えずとも、『取捨選択』を自在に操り自在に行動できるようになっていた。
自らの欠けたパーツにこだわり、気に喰わなかったら何度でも付け替えなおすほどに。
―――その姿を見て、胸の内からなぜか誇らしさが湧いて出てくる。
わたしを超え昇華できる逸材だと、その時から本気で思っていた。
……そう、わたしはただ、この無知な少年から絶大な信頼を得るために行動している。
そのはずなのに、いつしか彼の望みを叶えることだけに勤しんでいた。
欲するものは全て与え、邪魔なものは全て排除する。
不必要になることやものは、何一つ残さなかった。
それは大悪魔にとって、想像もつかない未知の感情。
けれども大悪魔にとって、それは気付いた時には……あるいは最初から抱いていた感情。
少年が幸せでいられるようにという思いが悪魔の意志を乗り越え、この肉体の指導権を握るまでに至っていた。
―――今思い返すと、それはわたしが生前成せなかったことだった。
この機会を活用して、成せなかったことを成し遂げようと足掻く。
その為だけに、わたしは前面へと出てきた。
だが、わたしは自我を取り戻したわけではない。
悪魔の支配下に長く置かれ続けていた影響で、その思考自体が悪魔そのものに染まり切ってた。
それでも、わたしは彼に尽くした。
ただひたすらに、少年の望むことをやり遂げていた。
……そのはずなのに。
「おかしいんだ、いくら物を手に入れても、満たされている気がしない。隣に君がいるのに、ずっと一人でいるように感じるんだ」
そう告げた少年の顔に笑みは無い。
……わたしはようやく気が付いた。
人々からものを奪う彼が、心の底から笑えていないことに。
どれほど気に入った代用品が手に入っても、強い力を奪い取り襲ってきたものを返り討ちにしても。
その顔に浮かぶ満面の笑みすら、ほんの一瞬だけ……それこそ、その場しのぎの笑みでしかない。
それを思い知ると同時に、これまでに感じたことが無い絶望感が、好みにあるはずもない心を埋め尽くした。
それとともにどこからともなく悪い予感が襲い掛かってくる。
悪魔に虫の知らせなんてものはあるのか分からないが、確かに熱を持たない体が凍えてしまったのではないかと思う程の寒気を感じた。
……そして、それが的中してしまう。
散々奪われてきた少年が、ようやく再出発できるかもしれないラインへとたどり着いたにもかかわらず。
その道の先を容赦なく砕かれた。
きっと彼は、わたしよりもずっとよい成長ができた。
その人生を復讐だけで終えず、幸せに満たされてほしかった。
自分の思うがまま、他人に影響されることなくのびのびと育っていける未来があったはずなのに。
―――その未来は永劫に閉ざされてしまった。
こともあろうに、彼が一番嫌っていた騎士にとどめを刺されるという結末で。
その時に抱いた激しい怒り。
どれほど暴れようとも、体の奥底で引っ掛かって取れない錘のようなもの。
ああ、認めざるを得ない。
わたしは間違いなく、アントの事をを愛おしく思っていた。
だからこそ、憎悪の炎に燃やされたわたしは騎士たちを本気で殺そうとした。
―――その結果がこのザマだ。
悪魔の力を過信していたのは、間違いなくわたしの方だった。
今になって記憶の全てを取り戻したわたしには理解できる。
家族を守るだなんて大層なことをのたまっていたくせに、そんなことすらろくに出来ていない。
守っていたのは生活していくための富と、家族を守る自分のちっぽけなプライド。
どうしてもそれらを捨てきれなかった。
失ってしまうことに恐怖していた。
だから、取り返しのつかないものばかり失っていった。
奪う者たちが悪なのは当然。
だが、失って困るものを奪われないように持っていなかった自分にも責任はある。
……妻が自らを責め続けていたのも、きっとわたしのせいだ。
他人を愛する癖に甘えすぎたせいで、どれほど苦しめていたのか想像できなかった。
挙句の果てに、彼女は取り返しのつかないことをしてしまったのだから。
「そんなところでどうしたんだ? 何かあったのか……!?」
わたしが帰ってきたら、玄関で呆然と座り込む妻。
声をかけても返事はなく、胸に抱いていた三つにも満たない娘の姿はどこにもない。
「ごめんね……ごめんね……」
うわ言を言っている彼女の手には、紙幣が握りしめられていた。
拳の力みかたは相当なもので、紙幣には穴が開き、掌に刺さった爪から流れる血で赤く染まっている。
「あ、ああああああああああああああ……!!」
……全てを察するのに、そこまで時間はかからなかった。
わたしと妻、そして幼い娘と乳飲み子の息子。
ただでさえ貧乏な我が家に、四人もの飢えをしのぐためのお金がない。
だから、最低限の生活を維持するために実の娘を売ったのだと。
そこまで彼女を追い込み、その慟哭を原因を作ってしまったのは、間違いなく自分が勘違いしていたせいだ。
だから、今度こそわたしは使命を果たそうと、ただそれだけの為に頑張って……。
いや、今になって全てを思い出したのだから、そんなことはないか。
わたしを蘇らせてくれたあの男には感謝しているが、同時に絶対許してたまるものかという思いもある。
あの日、わたしが死ぬはずだった戦場で。
見たことも青年が死にかけのわたしを見下ろしていた。
「まだ生きている人がいるなんて驚いたよ。」
口元は笑っているくせに、それ以外はすべて死んだような顔。
「た……」
「た?」
「助け、て、く、くれ……。ま、まだ、死ぬ、わわけ、に、は……!」
「ふうん……死にたくないんだ?」
掠れた声を聴いた青年は一際嬉しそうな声色で語る。
その笑みはゾッとするほど頬まで裂けて見えた。
「つまり、生きてさえいれば他のことはどうでもいいよね?」
そう口走った青年は有無を言わさずにわたしの体からナイフを抜き取る。
そして、どこからともなく取り出した変な大釜にわたしの体をぶち込んだ。
大釜の中は……説明出来ない。
体が砕かれる壮絶な痛みと、何かと共にこねくり回されるような嫌悪感に襲われて、殆ど覚えていないのだ。
それは何かと何かを融合させるだけでなく、余分なものをそぎ落とす機能もあったのだろう。
記憶も自我も喪失し、残されたのは途方もない憎悪だけ。
こうして、悪魔と無理やりに融合させられた醜い男が完成した。
―――わたしが強い憎しみを抱いていたのは、まぎれもなくあの男にだ。
むしろ、そのように誘導されることも計算済みだったのだと思う。
だからこそ、わたしはゾディアックとすんなり融合した。
あの子に召喚されたのも、おそらく偶然などではない。
相性が良くて自分の思い通りに動かせる人形として、あらかじめ用意されていたのだ。
そして、わたしたち二人を使いつぶし、こんな状況に陥ってから記憶をよみがえらせるといった醜悪さ。
アイツこそ悪魔よりも外道な、本物の悪魔じゃないのだろうか。
それにわたしの体に適している人間、そしてアントの体に適しているあの騎士の存在。
それにもっと早く気付いていたら……。
せめて、ここに辿り着く前に自我を取り戻せていたら……。
ああ、でも、そんな事を考えている暇なんて、もう残っていない。
一言だけでもあの子に、愛していると言ってやりたかった。
今度こそ幸せになるまで、わたしが守ってやれたら……。
結局、どうしようもなく自分は力不足だった。
オレは最期の最期まで、あの子に幸せを与えてやることが出来なかった。




