ある諍いの終焉
「さて、お前たちはあの時、テリブル王と共に逃亡した第三遊撃部隊だな?」
兄弟騎士をどうにか引きずり、バリューの元へと戻ってきたライトは、開口一番、武装を解き、跪いていた兵士たちに問いかけた。
「……あぁ、そうだ」
兵士たちの中で最も老いた風貌をしている、壮年の男が返事を返す。
彼は、先ほどの戦闘に参加していたものの、戦闘技術が他の者より優れていたのか、はたまた前線から離れていたのだろう、体に怪我らしきものが見当たらない。
また、圧倒的な力を持つ敵である、ライトの問いに臆することなく、真っ先に答える度胸もあった。
「貴方は……第三遊撃部隊の隊長か」
「いかにも、その通りだ。第三遊撃部隊、部隊長のアレフと申す」
そう言って、男は首を深々と垂れる。
その姿に、背後にいた兵士たちから、どよめきが起こる。
手を後ろに組み、腰よりも低い位置まで頭を下げるその行為は、カファル国において最大級の謝罪を意味していた。
「我が国を滅ぼした張本人に復讐する! と息巻いていた王の口車に乗せられたことに今気づいたよ。……いきなり襲い掛かって済まなかった」
「まあ、そう悔やむな。起こったことは変えられないのだから。……まぁ、実を言うと俺たちも、奴に会ったら何かしらの復讐をする気でいたから、特に問題もないさ」
「そうか。 ……ん? 復讐?」
懺悔している表情をしていたアレフは、復讐と聞いて顔が変わる。
それは、怒りではなく、驚きの表情だった。
「いいのか? 一国の騎士であるあなた方が復讐などをしても? 確か、専属騎士は私闘を禁じられていたはずでは……」
……そう、専属騎士は私闘どころか、私怨による個人的な行動を、主の許可なしに認められていない。
そもそも、騎士連合が定めた規約では、主の許可があったとしても、私事を持ち出して行動することを良しとはしなかったが……。
更に、彼らは特別な称号と二つ名を持ち合わせた騎士、『十忠』であった事を堂々と名乗ってしまっている。
勿論ではあるが、『十忠』が私怨による復讐など言語道断。ライト達が復讐を行ったということを他の『十忠』に知られた時には、その身に何が降りかかろうともおかしくはない。
すると、アレフの問い掛けに対してライトは苦笑いを浮かべ、顔には冷や汗が流れ始める。
「いや……実は……」
「…私たちはもう騎士ではない」
「……はい?」
いや、先ほど声高に宣言していたではないか、と言いたそうなアレフへ、ライトは頭を搔きつつ、バリューは首を竦めながら答える。
「戦争が終わってから、俺たちは我が主から解雇、国外追放されたんだ」
「…武装と少量の銀貨、剣の手入れ道具のみ、一緒に持ち出すことを許可されたが、それ以外の物は恐らく処分されているだろう」
「だから、先ほど名乗っていた二つ名とかは過去のもので、今は何の効力もない」
「…まあ、そうなるな」
「え? はっ?」
アレフは、二人が急に話し始めた解雇の話に付いていけず、混乱していた。
「…「これは事実だぞ」」
そんなことはいざ知らず、念を押すかのように、二人は口を揃えて言った。
彼らの言葉に狼狽しながらも、アレフは問いかける。
「ち、ちょっと待ってほしい。あなた方は我が主に恨まれるほど、先の戦争で活躍した功労者ではないのか? 先程の戦いで、あなた方がいかなる実力を持っているのかわかったからこそ、追放された理由が分からない」
「まあ、普通はそうだよなぁ。だが、理由なんていろいろあるわけで」
「…実力があるから解雇しない、ということにはならないだろう?」
「それは、そうかもしれないが……」
ライトたちの返事に困りながらも、アレフは問いかけを続ける。
「さらに、我が国は…こう言ってはあなた方を貶すことになるが、あなた方の国へ手を掛けることなく、戦争状態に持ち込んでいる圧倒的に優位な状況だったはず。
それを覆したのは、あなた方の主の功績であろう?
不利な状況から一転し、戦争に勝つような立ち回りができる頭脳の持ち主が、重要な戦力であるあなた方を、みすみすその手に余らせ、解雇するとは思えないのだが…?」
詳しい話を聞こうとする隊長につられ、周囲の兵士たちもライトたちの元へと集まってきていた。
取り囲まれるような形となった二人は、答え辛そうに言葉を濁す。
「流石に我が主の為、といって働きすぎたんだろうなぁ……」
「…先ほどの戦いで分かるように、私たちの戦術は他の者と明らかに違う。なるべく戦わないよう身を引いていたつもりだったが、目立ってしまったのだろう」
「〝『十忠』の騎士は居場所を悟られてはならない。〟そう騎士連合も定めていたしな。身元がバレてしまった以上、解雇されても仕方ないな」
「…まあ、思い切り名乗れたのは、それが理由でもある」
「それに、あの時は思いっきり命令違反していたしな」
「…あの場ではそれが―――」
「ち、ちょっと待ってくれ!」
大げさともとれる態度で語る二人に、隊長は困惑した表情をする。
周りにいた兵士たちも、二人に向けていた視線の意味合いが、だんだんと変わってきていた。
「では先ほどの宣言は……」
「…言ってしまえば、死者の名を騙っているに過ぎない。何の意味にもならない、ただの脅し文句……辺りになるのか?」
「だけど、今回のことで脅しには十分使えると分かったな。次からこういった手合いには、率先して宣言していくことにするか」
「…ちなみにだが、先ほど宣言していた国も、ライトの国と最近合併したからもう使われていない。今はフロライア連合国という名になっている」
「そうか……」
これ以上、問いかけても聞ける話はないと悟った隊長は、口を閉じ、その場に座り込む。
もしかすると、二人の返答に呆れ、かける言葉がなくなったのかもしれない。
二人の周りを取り囲んでいた兵士たちも、多少の愚痴を零しながら隊長の背後へと戻っていった。
「ところで、これは提案なんだが―――」
脱力感に見舞われている隊長に、ライトは言葉を発する。
ついさっきまで、雑に語っていたとは思えないほど、深刻な表情で。
「提案……?」
「ああ、貴方たち全員、フロライア連合国の兵士として就く気はないか?」
「…行く当てがないのなら、一考の余地はあると思うが」
「……」
その言葉を聞いて、アレフは黙り込む。
先ほどまで敵だった者から、唐突に古巣の兵士にならないかと問いかけられたのだ、警戒するのも当然だろう。
「さっきバリューがキレて言ってたと思うが、貴方たちの国、カファル国の王テリブルの陰謀によって起こった戦争では、こちら側に多くの被害をもたらしている」
「…フォンテリア国の被害はフェルメア国よりも酷い。未だ国民のおおよそ半数が、普通の生活を行えない状況に陥っている」
「だから復興への人手が、全く足りていない状況である。……ということか」
「そうだ。それに、今の状況で他国から攻め入られてしまえば、ひとたまりもないだろう。」
「…悪くない提案のはずだ。だから、手を貸してほしい」
二人は真剣な表情でアレフを見つめているが、対するアレフは疲労を見せていた顔を一変させ、二人の顔を睨みつける。
数々の戦いを潜り抜けてきた人物であるのだろう。先ほど二人が見せていた威圧感に負けないほどの圧力がそこにはあった。
「元敵国民の提案を、そうやすやすと呑むとでも思ったか? そもそも、あなた方は国から捨てられた者たちだ。なぜ自分たちを捨てた国の再建を望む?」
アレフが感じる疑念は、至極当然のものである。
確かに二人は国から見捨てられ、追い出され、下手すれば命を狙われている可能性だってあった。
だが二人は、少しも悩むそぶりを見せなかった。
「戦争はもう終わったんだ。悔恨、復讐、悲哀、怨嗟…そういったものはほどほどにして、過去に押しやるべきじゃないか?」
「それはっ―――!」
「…そう簡単に過去を消し去ることができなくても、二度と同じ過ちを繰り返さないための教訓になるだろう? 違うか?」
「……」
「これは受け売りになるんだがな……」
反論を発することはなくなったが、依然、納得いかない様子だった隊長へ、とライトはゆっくりと語る。
それは、まるで昔を思い偲ぶかのようだった。
「『たとえ、どのようなことがあったとしても、起こってしまった事実は変えられない。壊れたものが直らないものならば、また新しく作り直せばいい。やり直せばいい。何よりも、同じ過ちを繰り返さないよう、努力を怠らないべきだ』と、主は俺に言ってくれた。…戦争が終わった今こそ、その時じゃないか?」
「…そうだな、私は『力を持つ者は、力を持たない者の壁となり、支えてやらないといけない。たとえ相手が何であったとしても、昨日の敵は今日の友として接する。そうすることで互いの平和を築いていこう』と主に言われた。そのことは今でもこの胸の中にある。祖国の国民だってきっとそうだろう」
触発されたバリューも、主の言葉を誇らしそうに語る。
そんな、どこか懐かしそうで寂しげな二人の表情は、追い出された者にしては少しばかり奇妙だった。
「あなた方は……解雇した主のことを恨んでいないのか?」
「恨むだなんて、とんでもない!」
「…むしろ、私たちは主様のおかげで、今までやってきた。恨むどころか感謝しかない」
そう語った二人の表情は、先ほどとは打って変わって、晴れやかで自慢げだった。
「そうか…、あなた方は主に恵まれたのだろうな」
アレフは自らの考えを改め直す。
過去を教訓と捉え、敵味方の区別をせず正当に評価する彼らの主は、非常に素晴らしい人格者だ。
きっと、解雇、追放されたのは二人の身を案じてのことだろう。
彼がそう思わざるを得ないほどに、目の前にいる二人の表情には一片の曇りもなかった。
そう思ってもなお、アレフの表情は依然として緊迫したものだった。
「それでも、我々は貴国らの敵であった。それは逃れようのない事実だ。我々戦士たちは恨まれても仕方がなく、その覚悟はとうにできている。だが、国民たちはそうもいかない。彼らはただ幸せな生活を求めていただけなんだ。だが、あなた方の敵国民であったことに変わりはない……」
そう、アレフが唯一気に病んでいたのは、敗戦国となったカファルの国民たちの処遇であった。
先の大戦で発生した損害は、ライトたちから聞いた限りでも相当なものであり、正確な数値で考えるならば、その倍以上の損害が発生していてもおかしくはない。
それほどの損害を賠償するなど、国家資産の全てを支払っても足りない可能性すら出てくる。
さらに、敗戦国民は差別や偏見の目で見られることなどよくある話で、この大戦では国王テリブルが裏から手引きしていたことも相まって、フェルメア国民とフォンテリア国民からの印象は最悪だろう。
そのような苛酷な環境に、カファルの国民たちが駆り出されるような事だけは、隊長はどうしても避けたかった。
「ああ、貴方の考えは尤もだ。だが、そう心配することはないぞ」
「……? 何を言って―――」
戸惑い、座り込んだままの隊長へ二人は手を差し伸べる。
「これは、決して俺たちだけの望みではないんだ」
「…この大戦に関わった全ての人達の望みでもある。それは先ほど話しただろう?」
ライトはニッコリと笑い、バリューは優しい視線を向ける。
彼らが差し出した手は、一向に戻されることなく差し伸べられていた。
アレフはそんな二人の行動で、漸く言葉の真意に気付く。
それは、彼にとって天地がひっくり返るほどの衝撃をもたらすものだった。
「……まさか、我らの国民たちも、その連合国に加盟しているのか!?」
そう、ライトたちは一度たりとも、〝フロライア連合国は、フォンテリア国とフェルメア国の二国が合併してできた国だ〟とは言っていない。
フロライア連合国は大戦によって影響を受けた付近の小国と、原因となったカファル国も包含していたのだ。
その大きさは東の大国、神都ミリアムに負けずとも劣らずなほどに巨大なものとなっていた。
「貴方たちは王政が崩壊する直前で、国王直属の護衛部隊として、ここまで連れて来られたのだろうが、王政が崩壊したカファル国では混乱が生じていたんだ」
「…そこで私たちの主様は、戦争賠償としてカファルの国民達を、これからはフロライアの国民として復興支援することを要求した」
「だから、戦争賠償について、特に心配する必要はないぞ」
「え、いや、だが……」
未だ夢でも見ているのではないかと狼狽する隊長へ、バリューは口を開く。
「…戦争の傷が癒えるには、多くの時間を費やすことになるだろう。けれど、互いに手を取り合い団結して何かを成し遂げることも、差別や偏見なく愛し合うことも、きっとできるはずだ」
その言葉はぶっきらぼうさがあったが、それ以上に、まるで聖母のような慈悲深さを感じる程の暖かさを感じられた。
そして、その言葉を聞いた隊長の頬に、一筋の水線が流れる。
「そうか……そうか……っ! もう、戦争は終わったんだな……! ありがとう! ありがとうッ!!」
二人の宣言と隊長の感謝の言葉は、兵士たちに波のように伝播していき、割れんばかりの歓声が上がった。
まるで信じられないことが現実になったと実感した隊長は、目から零れる涙を拭くことなく、二人にこうべを垂れて感謝の言葉を述べる。
こうして、多くの人々を苦しめていた戦争は、ひとまずではあるが、漸く終わりを告げようとしていた。