不殺の誓い
「よう、首尾はどうだい?」
「……何か用があるのか、多重スパイさん?」
「厭味ったらしく言わないでくれよ。これから寝返るなんて命知らずな真似が、こんなおっさんに出来るとでも思うか?」
「まあ、無理だろうな」
人の手が加えられていないうっそうとした森の中、二人の男性……ライトとレイジは向かい合って話していた。
だが、その会話はとても穏やかな物とはいいがたい。
何かを言われるたびに辛辣な受け答えするライトに、首を竦めながらもレイジは言葉を続けていた。
二人の仲を知る人から見たら、この光景を信じられない目で見るだろう。
とはいえ、彼がレイジに持っていた信頼が薄れるのも無理はない。
なにせ、この忍は敵国のスパイとして暗躍していたのだ。
自国のスパイとして派遣されていたと思っていたにもかかわらず、敵国である《フォンテリア》にも身を置いている。
それどころかもともとは、戦争の引き金を引き、裏で二国間の諍いを広めていた《カファル》の刺客だと知れば、たとえ疑り深いライトでなくとも信頼が無くなるに違いない。
……そんなレイジは今、なぜか二人の味方に付いている。
そこに何の意図があるのかは定かではない。
もしかしたら、ただ勝率が高そうな方へと移っただけなのかもしれない。
けれども、レイジは二人の事を心から心配してくれている。
彼に疑いの目を向けていても、流石にそれくらいは理解できていた。
―――それくらい、自分はレイジに救われてきたのだから。
だからと言って、こんな現状に至る事になった、レイジの事を許していない。
まさか、殺し合いをしていた相手と共に、敵軍の無力化をするための旅に出るなどという指令が出されると、ライトは到底考えていなかった。
そもそも、あの森の中で二人が鉢合わせた出来事がレイジによって仕組まれていたのだから、なおのこと彼は憤りを感じている。
―――二国間が共闘して《カファル》を倒す。それについては別に文句など一つたりともない。
一挙両得を目論み、多くの犠牲者を出す要因となったその国を放置するわけにはいかないのだ。
けれども、いけ好かない相手と共に旅をしなければならない事だけは、この時のライトにとってこれ以上にとても嫌な事はなかった。
「まったく、おれがバリューとも仲がいいと知った途端にこれだからなぁ。お前とあいつは似た者同士なんだから、もう少し仲良くしていいんだぜ?」
「誰があんな奴と仲良くするか。そうするぐらいなら一人で行動した方が断然効率がいい」
「そんなに嫌う理由は一体どこにあるのかねぇ」
子供のようにむくれるライトを見て、レイジは呆れたように空を見上げて溜息を吐く。
そんなレイジは相変わらず黒装束を着ていたが、ライトは珍しく鉄製の鎧を纏っていた。
とは言っても、それはしっかりとした造りの物ではなく、関節部や体の後ろには何もついてない、動きやすさを重視した代物だ。
普段着ている革製の鎧では、今回の任務において心許ない。
そういった主の配慮から、特注品として授けられたものだった。
「おれとしてはあいつと仲良くしてほしいんだけどなぁ……。まあ、無理強いしても仕方がないか。じゃあ、本題に入るぜ」
「―――ああ」
嫌々そうな顔のままだったが、本題と聞いて態度をしっかりとしたものに改める。
どれほど納得できない状況でも、公私混同はしてはならない。
ライトが騎士号を与えられた時から、その誓いは一度たりとも破ったことがなかった。
「付近に《カファル》の投石部隊が潜んでいる。兵の数は五百、投石機の数はおよそ六台、全て錘を利用している上投げ形だ。ライトたちは投石機を破壊し、兵士たちを混乱に陥れてもらいたい」
「……《フェルメア》が攻撃を仕掛けてきたように見せかけるための部隊だな」
「ああ。おまけに使われている岩石は、雪山でしか取れない鉱物を混ぜる徹底ぶりだぜ。一発でも使われてしまったら、まず間違いなく戦争は悪化の一途を辿ることになるぞ」
「それだけは避けておきたいな。だとすれば、整備兵の無力化も必然的になってくるか……」
「そこは問題ない。おれが出る」
「おい、それはマズいんじゃなかったか?」
「確かにやつらは森から離れた平野に待機している。だが、二人が暴れまわると自然に森の中に入ってくるだろ? その時こそおれが本領発揮出来る。中に入ってきたやつらは全員無力化するから安心していいぜ」
「それなら大丈夫だな。―――さて、どうするか……」
こめかみに手を添えながら、ライトは思考をめぐらせる。
投石機を壊すのはいいが、破壊するにはコツが必要だ。
一つだけでも人を殺すには十分すぎる代物、それも六台。
その全てが一斉に稼働したら……そう考えるだけで、彼の背に怖気が走る。
だが、運がいいことに投石機を無力化するすべはいくつもある。
少し忙しくはなるだろうが、自分一人でも六台全て破壊できるだろうと結論を出した。
整備兵が五体満足でいる限り、投石機は早い段階で再び稼働できる状態となるが、レイジが潰してくれるのだから、その辺りは心配する必要はない。
―――問題は周りの歩兵だ。
投石機を破壊されるまいと、精一杯の抵抗をしてくるに違いない。
そうなってしまうと、あの鎧の力を借りなければ不可能だろう。
……不可能なのだが、この時のライトはどうしてもバリューのことを信頼できなかった。
「……アイツが裏切らない保証はあるのか?」
「またそんなことを考えているのかよ……。裏切るとしたらあの会合の場こそ最適だったぞ。例えばだが……おれが本気で殺しにかかっていたなら、あの場にいた全員の命は消えていたぜ?」
「まあ、そうかもしれないけどさ……」
「それに、バリューは正直すぎるお馬鹿さんだからなぁ。そんな大層なことはきっと出来ないぜ。もうちょっと冗談を真に受けないようになってくれたらいいけど」
「―――それもそうだな。あの脳筋にはそんなこと思い浮かばないか」
「いや、そこは普通納得しちゃだめだぞ? 今はれっきとした味方なんだから」
「そうだとしても、この戦いが終わったらまた敵に戻るだろ。それならあまり手の内を見せない方が得策だ」
「……はぁ」
至極当然そうに語るライトを見ながら、やれやれといった具合に顔を振る。
バリューに限らず、ライトもこんな具合に堅物なところがあった。
だから話が通じない原因は互いにあるのだが、それを二人とも認めようとしないところが、なおの事レイジの悩みの種になっている。
「とにかく、二人で協力して無力化に努めてくれ。決して一人で無茶をしないようにな」
「……保証は出来ない。今でさえ隙を見せたら一撃入れてやりたいぐらいなんだから」
「おい、それだけはやるなよ。この状況が分かっているなら尚更だぞ。……それとも、まだあのことを引きずっているのか?」
「―――」
その言葉を聞いて、若い青年は急に黙り込む。
深く項垂れ、浅く息を漏らすその姿は自らの過去を反芻しているかのようだった。
そしてそんな彼の姿を、黙ってみているほど目の前にいる男は心優しくはない。
「なぁライト、お前は絶対に人を殺すな。……理由はわかるな」
「主様から聞いたのか。……わかってる、無益な殺生はしないって決めているから」
「―――本当か? 余裕なさそうな顔しているぜ?」
「レイジは俺のことをそんなに信用できないのか?」
「それは心外だな。おれはお前の身を案じて言っているんだぞ」
「……大丈夫だ。俺は自分に出来ることを精一杯やっている。ただそれだけなんだから」
「―――それが、自分の身を危険に晒しても構わないと、そう言うんだろ?」
「……そうだ」
まるで睨みつけているかと思うほど、強い意志が込められた黒い瞳が、心配をしてくれているはずの親友へと向けられる。
これが、自分の人生なのだ。
この生き様こそが、己が歩む道筋なのだと。
……そう、訴えているかのように。
「あのなぁ……いくら被害が最小限で済むとしても、お前を犠牲にして得られる平和なんて、主が喜ぶと思うか?」
「喜ばなかったとしても、その方が効率的だ。それに、俺はもう―――」
「その言葉の続きを言ってみろ。両手脚を折ってでも、お前をこの作戦から降ろすぞ……!」
「……」
「ふぅ……」
空を仰ぎ、頭を掻きながら大きく溜息を吐く。
数日後には、彼の相方に同じような態度を取ることになるとは、この時のレイジは全く考えていなかった。
「ライト、お前が抱えている苦しみは途轍もない物なのは、流石のおれでさえわかるぞ」
「はぁ!? レイジはただ俺の事を知っているだけだろ! 俺の心の内なんて―――!」
「わかんねーよ、何も。……けどな、これ以上心配させないでくれよ。任務中に限らず、起きてから寝るまで、頭の中で常にお前たち二人のことを考えてる。忍ぶ者に雑念なんてあってはならないのに、だ」
「そんなに心配する必要は……」
「お前たちは俺の親友だ。心配することは当然で、助けてやりたいと思うことに間違いはない」
「……そう、だな」
「あ、そうだ。とりあえず、ライトはもっと先を見据えていた方がいいぞ」
「……は?」
親友の双眸をしっかと見つめる男は、何を思ったか、唐突にそんなことを語りだす。
これには、ライトもいきなりすぎて驚くが、そういえばたまに話していることが逸れる人だったな、と思い出し、少しばかり呆れた。
「は? じゃない。今と目先の事ばかり考えるその悪癖は相当に酷いぞ? 自分だけならまだしも、近くにいる人も巻き込むところがあるから、本当にやめといた方がいいぜ」
「……? それって―――」
ピィィィィィィィィィィィッ!!
「っ!」
「(静かに……!)」
制止の言葉をささやかれ、ライトは口を噤む。
小鳥の断末魔のような高音域の音が、どこからともなく聞こえてきた。
ピィィィィィィィィィィィッ!!
いや、違う。これは鳥の鳴き声などではない。
野鳥が大声で鳴いているかのように見せかけた短く連続した音……。
つまり、人工的に作られた音が森の奥から聞こえてくると、二人は察知する。
その音色は何処かで聞いたことがあるような……。
―――それこそ、二人がレイジから非常用に貰った、木彫りの呼子笛の音に限りなく近い。
「ほら、なんかヤバそうだぜ?」
「っ! あの脳筋野郎……! 悪い、話はまた今度な!」
「ああ、おれもすぐに準備するぜ」
何が起きているのかは分からないが、相方が緊急信号を出している以上、ライトは動かざるを得ない。
敵に見つかった……などではないと思うが、万が一の可能性に備えていつでも抜刀できるように構えながら、森の中へと駆け出す。
対して、隠密行動をとっているレイジは森の中から外へと移動することが出来ない。
もし、彼の姿が《カファル》側の人間に見られてしまうと、二度と日の目を見ることすらできなくなってしまうだろう。
そんな事態にならないように、ライトは全速力で呼子笛の音がした方角へと走り抜ける。
「ああそうそう、言い忘れていたことがあった」
「何だよ、こんな時に!」
駆け出した彼にかけられた言葉は、その耳へやけに鮮明に聞こえてくる。
……まるで、耳元で囁いているかと思うほどに。
「―――いい加減に悪夢から目を覚ませよ、ライト。また、独りぼっちになるのは嫌だろ?」
ハッと、嫌な感覚がして振り向いたライトは、それを見た。
全身血まみれで、今にも倒れそうなレイジがニヤリと笑っている姿。
―――ずっと後に見ることになる、彼の最期の姿を。
*
「―――! レイ……っ!!」
背もたれていた瓦礫から跳ね起きる、と同時に、体に走り抜ける激痛に顔を顰めた。
二人が旅立ってすぐのあの日に、血まみれのレイジの姿なんて見ていない。
だというのに、その情景が当然だったかのように脳裏を駆けまわる。
「くそっ! 落ち着け……! ただの、悪い夢だろ……!!」
頭に焼き付いて離れない光景をふるい落とすかのように、ライトは頭を大きく横に振る。
それでも、彼の傷だらけの体から嫌な感覚は抜け落ちない。
べっとりとした生暖かい何かに纏わり付かれているような嫌悪感が、手足や背中を駆けずりまわる。
―――それは、あの時……レイジを守れなかった時と同じ感覚だった。
「畜生、悪い予感がする……。無事でいてくれよ、バリュー、ブロウ!」
嫌な予感を振り払うかのように、わが身を顧みず駆け出した。
勿論、戦闘で受けた傷は完治してなどいない。
一歩踏み出すだけで、つま先から首元まで電気が走り抜けるような痛みが、彼の体を駆け抜ける。
それでも、足を止めることも速度を緩めることも自身に許さなかった。
これ以上身の回りにいる誰かを失ってたまるか、と。
その思いを一心に抱えて、二人の元へと駆けつけた。




