ゾウの策略
バリューがアントとの一騎打ちをしていた一方。
壊れ、動かなくなった蒸気機関が山のように積まれている荒地では―――。
「……どうした? 刃を防がれたことに心底驚いているみたいだが、そんなに意外だったか?」
ライトは放たれた俊速の一撃を、最低限の動きで破剣を構えて受け止めていた。
顔色一つ変える事なくナイフを弾かれ、ゾウは感嘆の声をかけたくすらなる。
しかし、目の前の青年にわざわざそのようなことを言う必要はないだろう。
なにせこの程度の一撃ならば、切り返せる経歴の持ち主なのだから。
とはいえ、不意打ちを受けたにも関わらず、ここまで平然としている人間を見るのは、ゾウにとって初めての体験だった。
ナイフの一撃が防がれるのは、『炎熱』以来、二度目だったが、こうも冷静だと何かしらの対策を考えているのかもしれない。
そう思考したゾウは、目の前にいる青年を"ただの人間"から、"注意するべき敵"へと危険度を再定義した。
「いやはや、わたくしの正体を知っているにもかかわらず、こうして戦っていることに驚いているのですよ、『誠実』さん」
「あぁ、俺の事も知っているのか。悪魔って誕生してまもなく知恵が与えられるんだってな。羨ましい限りだ」
「知恵者である貴方がそうおっしゃいますか。やはり、人間は欲深き生命ですね」
口調の変化がないせいで、二人は普通に会話しているかのような錯覚を受ける。
だが、ゾウはその間にもナイフを縦横無尽に振り回し、ライトはその一撃一撃を、避けたり弾いたりしていた。
体に攻撃を与えても無意味だとわかっているからか、ライトはゾウへと反撃せず、逃げに徹している。
だが、悪魔に体力などない。
このまま持久戦に持ち込まれたら、ゾウがどんどん有利になるだろう。
「しかし、貴方のその態度には驚きましたよ。触れられた時のみ一時的に実体化しますが、わたくしは本質的に実体を持たない悪魔です。そんな相手に挑む、ただの愚か者だとは想定していなかったのでしてね」
「一時的に実体化しないことはないが、実体を持たない、か。……正直、信憑性に欠けるんだよな」
「信憑性に欠ける、ですか? 現に胸を貫かれ、左腕を折られております。しかし、こうして無傷になれますし、痛みもありませんが、それでも信憑性に欠けると?」
「ああ、明らかにおかしい部分があるからな。だが、今はそんな事よりも、お前に聞きたいことがある」
こうやって問答を繰り返している間にも、ゾウは結構な速度で攻撃を加えている。
だが、ライトはそれを冷静にかつ的確に弾いていく。
その腕前は、感嘆を覚えるどころか一種の驚嘆を感じるほどだった。
けれども、ゾウはただ弄ぶかのようにナイフを振るう。
真紅の悪魔の目に防戦状態で会話しているその姿は、滑稽極まりなくしか写っていない。
ただ、しぶといライトの問いかけについて、ほんの少しだけ興味を抱いた。
「戦闘中に問答ですか? 興が削がれません?」
「俺の疲れがピークに達するまで、このまま剣とナイフを打ち付けあうつもりだろ。そもそも、俺は戦いに興が乗るタイプじゃない」
「おや、気付いていましたか。やはり普通の人間でないことはある」
「俺のことはどうでもいいだろ。お前に興味がある」
飄々とそう告げられた事で、流石のゾウにも興味が湧いた。
きっと自分のことを何もわかっていないだろう人間を、馬鹿にするのも悪くはない。
そんな悪逆な考えで、剣戟の速度をほんの少しだけ遅くした。
「ほう、興味がある、ですか。いいですよ、何でもおっしゃってください」
「じゃあ遠慮なく。お前は、アントに同情したわけでも、契約のためしぶしぶ力を貸してやったわけでも、ましてや遊ぶための道具として契約したわけでもないな?」
「どうでしょうね?そもそも、悪魔の中で、契約者に同情するような者はいないと思いますが」
「まあ、そうだろうな。だが、お前はどれとも違う。―――アントを利用して、人間を滅ぼそうとしているんだろ」
ゾディアックの腕がぴたりと止まる。
だが、次の瞬間には、腹を抱えて笑いだしていた。
「……あっはっはっは! わたくしが人間を滅ぼす?話が飛躍しすぎでしょう。何のためにですか? 悪魔は人間にとっては害でしょうが、我々にとってはただの家畜のようなものですよ?」
「いいや、そんなことはない。お前の名前がその理由の一つだ」
「『ゾウ』……ですか? わたくしの『ゾウ』は、動物の方の―――」
「憎悪の『憎』。憎しみが強い人間に引き寄せられる憎しみの化身。約十三年前に誕生した、比較的新参の大悪魔『ゾディアック』―――それがお前の名前だ」
そう、ライトははっきりと告げる。
確証があるのかどうかはわからないが、その顔には少しばかり自信が感じられた。
「あの少年は、お前が『アント』という名に改名させたんだろ? 組み合わせ的に『像と蟻』と思わせ、自分が大悪魔であることを隠すために」
(……やはり単純な名前だと、こういった明晰な頭脳をもつ者に通用しないか)
「お見事です! しかし、よくわたくしがゾディアックだとお分かりになりましたね」
「まあ、俺は昔、悪魔と取引しようと考えていた時期があったから、ゾディアックという名の悪魔を知っているんだがな。今では馬鹿馬鹿しい考えをしていたものだと思っている」
「左様でございましたか。しかし、それと人間を滅ぼす事にどのような関係がおありで?」
「第四十八聖典三百六十八ページ目。悪魔の章にある一説には、お前たち悪魔の成り立ちが書かれている。もちろん、ゾディアック、お前のことも書かれていた」
「ほう、どのような事でしょう?」
「お前は、最初は名もない悪魔だったそうだな。そして、そのまま名もなき悪魔で生涯を終えるはずだった。―――目の前で多くの仲間が、天使に虐殺されていく様子を見るまでは」
その言葉に、ゾディアックの表情が少しだけ強張って見えた。
だが、ひと時も経つ前にその顔は元の笑みを浮かべる。
「その時から、お前は身に溢れる憎悪に焼かれ、大悪魔に成長した。いつの日か、その天使に復讐するために」
「なかなか面白いことが書いてありますね。作り話としては上出来―――」
「もちろん、それだけならただの決めつけに過ぎないだろうな」
「……まだ、理由があるとでも?」
「ああ、大悪魔であるお前が、わざわざアントと契約を結んだ事だ」
「それはただの気まぐれ―――」
「理由は、天使に復讐するための前段階に過ぎない。復讐を遂げるためには、人間……いや、聖人と聖典が邪魔だった」
ライトは一度話を区切り、大きく息を吸った。
そして、ゾディアックに反論を言わせないがごとく、矢継ぎ早に言葉を羅列する。
「確かに聖人を相手にしたとして、普通の悪魔が戦いに臨んだとして、神の加護を受けるその力の前には非力に近い。大悪魔だとしても苦戦は必至だろうな」
「だが、何食わぬ顔をしている一般人、特に子供だったらどうだ? それに悪魔の力ではなく、普通の攻撃なら、聖人にも問題なく通用する」
「大悪魔であるお前と、アントに与えた『取捨選択』の力……正確には奪った力を使うことで、聖人ですら容易く倒せると踏んだんだろ?」
「つまり、誰かに邪魔される事なく復讐を遂げたい。そう考えたお前は、復讐の邪魔になる聖人や、聖人を読み聖人になりうる可能性がある人間を滅亡させようとした。違うか?」
「ぐっ……!」
ゾディアックは歯噛みし困惑する。
ライトの全てを知っているにもかかわらず、この男は何者だと、そう思ってしまう己に。
まるで、最初から最後まで見ていたかのように、核心を突かれている事に。
「……少しばかり馬鹿にしていましたが、これは想定外ですね」
「どうやら当たったみたいだな。なに、ただの考察したらこの結果に落ち着いただけで、そこまで考えていたわけじゃない」
「ご謙遜を。ここまで見破る事ができる者など、今では貴方ぐらいではないでしょうかね?」
ゾディアックは攻撃の手を一旦止め、ライトから距離を取る。
最初は愚かにも悪魔に逆らった彼へ、絶望をじっくりと植え付けるつもりだった。
だが、このままライト放っておくと、ろくなことがないと察する。
もし逃げられて、その事を同じ『十忠』の聖人に話されでもしたら、計画が頓挫する可能性すらありえた。
そんな事をさせる前に本気で殺しにかかるため、ナイフを構え直す。
「そうか、キサマのような者に問いかける事自体愚かだったな。では、そろそろ仕舞いに……」
「その前に、信憑性に欠ける理由を話してやるよ」
そう言った途端、防戦一方だったライトは、いきなり攻撃動作を行う。
破剣で狙ったのは、ナイフを持つ右腕。
だが、狙いが狂ったのか、その一撃はナイフを叩き落とすかのような動きになり―――。
「……!」
ゾディアックはナイフへの衝撃を緩和するかのように、左腕を被せてその一撃を受け止めていた。
そして、その顔はひどく焦燥している。
まるで、想定外すぎる行動に慌てたかのように。
「どうした? そのナイフがそんなに大事か? まるで―――命と同じぐらい大切そうだな」
そう、ライトはブロウの言葉を聞き、実際に腕をへし折った時に、ゾディアックの本体に気づいていた。
「……なぜだ。なぜナイフが本体だとわかる!?」
「実体がないなら、ナイフを握る事自体できないとは思わないか?」
「さあ、どうだろうな」
「誤魔化しても無駄だぞ。悪魔の召喚には触媒がいる。お前の場合、触媒となる物は"何者かの命を奪った物"だろ?」
「……」
「お前が実体を持たないのは、触媒となったナイフの中に実体があるからだ。まさか、刃こぼれするかもしれないナイフの中に本体があるとは、誰も思わないだろうしな」
ライトはゾディアックに剣を突き付ける。
その鋒は、大悪魔に相対しているとは思えないほど、冷静かつ的確に、紅色のナイフへと向けられていた。
「つまり、そのナイフを壊しさえすれば、アントの『取捨選択』とお前は消滅する。まさに、壊すことを得意とする俺に、お前はちょっといい相手だ」
淡々と告げられたその言葉に、ゾディアックは馬鹿にしたかのような笑みを返す。
その顔に先程まであった、ライトに抱いている余裕はもうない。
だが……それでも、ゾディアックは笑い続ける。
いつの日か味わった己の悲運と同じような感覚を、そして、悲運だと呪う自分自身を憎悪するように。
「クックック……! 流石の頭脳と言うべきか。だが、それがどうした! 昔と違い、今のキサマは一人きり。力になれる者など誰一人としていない事を忘れたか!」
「一人きりだろうと関係ない。俺はお前を壊す、ただそれだけだ」
「ほざいてろ。その言葉が懇願に変わるのには、そう時間はかからないだろうがなぁ!」
挑発するや否や、ゾディアックは後方へ飛びのきつつ、左手で指を弾く。
……この時、ライトは失念していた。
ゾディアックがナイフによる攻撃しか仕掛けてこなかったこともあるが、奴が持つ力はそれだけはない。
たとえ、自分の力である『取捨選択』をアントへ与えていたとしても、それを動かし、魔物を生成するぐらいの力なら全然残っている事に。
そして、この辺りは壊れ、動かなくなった蒸気機関が山ほどある。
それらを利用して、ある程度の力を振るう事は造作のないことだった。
ゾディアックがライトから距離を置いた瞬間、周囲のガラクタが集まり、人のような姿と化す。
出来上がったそれは、即席とは言えども、大悪魔の力が宿った蒸気機関のゴーレム。
ライトの十倍近くあるその巨体は、ひと1人殺すには過剰なほどの存在だった。
「さあ、孤高なる者よ! 吾を消滅させれるものならさせてみるがいい!」
紅く光るナイフと蒼く光るゴーレムの核が、焦りつつも表情を崩さず、ゾディアックを睨みつけているライトの姿を照らした。




