相手を傷つけるということ
「…幸せは誰かに与えて共有しあうもの。その意味を最期に自力で気付けただけでも、君は私よりも凄いよ」
まるで眠るように息を引き取ったアントを見下ろしつつ、聞こえないほど小さい声でバリューは呟く。
そこにはもう先ほどまでの殺意はなく、ただついさっきまで敵だった少年を、弔うかのような表情をしている。
―――アントの最期は苛烈なものだった。
必死になって喉を守り続けたその四肢は、『物衝反射』によって捻り潰されている。
まるで走馬灯を見ているように、うわ言を漏らしていた喉も最終的には締め潰された。
喉と四肢を潰されたことで、アントは壮絶な痛みに襲われたことだろう。
でも、その顔は悔しさと満足が入り混じったかのような笑みだった。
……そして、その一部始終をブロウは見ていた。
平然と立っているように見えるが、息は荒く、動きがぎこちない。
それはそうだろう、アントの必死の抵抗は『物衝反射』に身を包んでいても、完全には防ぎきれなかったのだから。
致命傷の肉体は限界に近く、早く手当をした方が賢明だろう。
だが、バリューはそんなことを気にせず、空を見上げ、何かを思いふけっているようだった。
「おい! 大丈夫か!?」
「……」
「……おい、鎧の! まさか、死んだわけじゃねえよな!?」
「―――ああ、生きている。少し意識が飛んでいたようだ」
「意識が飛んでたって……! ぜってえヤベェやつじゃねーか!!」
慌てふためくブロウをよそ眼に、バリューはやはりどこか意識がもうろうとしているのか、ふらふらとその場からブロウの元へ歩き出す。
「…気にするな。『大地の息吹』で少しずつだが、傷は癒している」
「それって、さっき言っていた精霊術ってやつか」
「…ああ、そうだ」
そう、こうも彼女が落ち着いている理由の一つが、大地の精霊術『大地の息吹』だ。
この術は大地に宿る生命力を分け与えてもらい、自身もしくは相手の自然治癒力を高める力がある。
……けれども、失った血液や肉体が戻るわけではない。
いわゆる応急処置の類というべき術だ。
だとしても、どうして冷静でいられるのか。
―――それは、昔の自分が言われたことを反芻していたからかもしれない。
「……悪ぃな、オレの代わりに復讐してくれてよ」
「…復讐?」
まるで心外そうな声色で、バリューは返事をする。
ブロウの付近に戻ってくる頃には、ある程度呼吸が整ってきていた。
「…復讐したつもりはない。ただ、あいつはやりすぎたんだ」
「確かにそうだな。好きなだけ暴れまわって、ホント自業自得だぜ!」
「…そこまでにしておけ。あまり貶すな」
「は? 何言ってんだよ、人の物を散々奪ったやつだぞ!? こんな奴死んで当然に―――ぐふっ!?」
「いい加減にしろ!!」
「……っ!!」
バリューは有無を言わさず、ブロウの脇腹を蹴り飛ばす。
その一発に手加減などはない。
不意の一撃による驚きと痛みで、ブロウは声を発することが出来なくなっていた。
「…ブロウ。貴様が復讐にとらわれているのはわかる。現に、その手足はアントに奪われたのだからな」
「……っ! だ、だったら―――!」
「…だとしても、死者を貶めるな。奴がやったことが決して許されざる事だとしても、命を冒涜するその行為は、騎士以前に人としてやってはならない」
「……なんでだよ」
「…何も得られないからだ。死者を辱めて、喜ぶような態度をとるようなら、私は貴様を人間とは呼ばずに、悪魔と呼ぶこととしようか」
「……」
その言葉に、ブロウはキッと顔をしかめながらも、おし黙る。
流石に『悪魔』のような扱いは、されたくなかったのだろうか。
「……」
「……チッ」
結局、双方の睨み合いは、バリューに軍配が上がったようだ。
「…わかったか?」
「……」
「…返事は無しか。それなら―――」
「わかった! わかったっての! アイツの事は許せねぇけど、これ以上の文句を言ったって意味ねぇからな!」
「…それならいい」
「―――やっぱり、アンタは変なヤツだな」
「…?」
正直な返事に感心したバリューが、突き刺していた壁剣の柄を握りしめる。
そのタイミングで、兼ねてから気になっていた疑問をブロウは問いかけた。
「なあ、どうしてそこまでオレに構う? あの時、剣があったら楽勝だっただろ」
「…別に、剣がないと戦えないわけではない」
「いや、それくらいは見ていてわかったけどよ。だとしても、わざわざオレを助けるような真似をしなくてよかっただろ」
「…騎士だから、という理由ならば納得するか?」
「いいや、納得できねぇ」
「…はぁ……」
頑なに問いを投げかけてくるブロウに、バリューは大きく溜息を吐き、首を竦める。
その態度は、いいわけのつかない子供を相手する事に、辟易としているようにも見えた。
だが、ブロウを静かに見つめていた双眸は、そのような扱いをしていない。
むしろ、どこか懐かしいさを感じて、優しげに揺らいでいた。
「…そうだな、少しだけ昔話をすることにしようか」
「は? 昔話?」
「…ああ。私が私である所以を作ってくれた人から、教わったことを話してやろう」
「それがオレに構う理由だってのか?」
「…それと、今回アントを殺した理由でもある」
「……それってどういうことだよ?」
「…聞けばわかる」
そう言って間も無く、彼女は語りだす。
自分を変えてくれた、大切な人から教わった出来事を……。
*
「なあ、いい加減に観念しようぜ、バリュー」
「な、なんのことかな……?」
口に煙管を咥えていた男性が、石の上に座って少女を見下ろしている。
紺の薄衣と首の墨色をしたマフラーは、まるでその人物の様相を示しているかのように、静かに風で靡いていた。
対する少女……バリューは、普段身につけている鎧を傍らにおき、無難で薄手のシャツとズボンを着ている。
地面にぺたりと座っているその足元には、手入れ中の壁剣が乗っかっていた。
「おいおいとぼけるなよ。投石部隊を相手にした話はもう伝わっているんだぞ」
「……やっぱり、その話、だよね」
男性……二人の親友であるレイジに確信を突かれ、バリューは苦笑いを浮かべた。
それはまだ、《フェルメア》と《フォンテリア》が戦時中だった頃。
なんだかんだでライトとバリューが、『二人で敵地の拠点を撃破せよ』との命を主から賜り、喧嘩しながらも旅していた時の話である。
二人はつい最近、フォンテリア国付近に潜んでいた投石部隊を撹乱し、投石機を破壊した後どうにか逃げてきたところだった。
そこまではまだいい。
当初考えもしなかった投石部隊を発見し、咄嗟の策として場を引っ掻き回す事で、投石部隊が潜んでいる事が《フォンテリア》側に伝わったのだから。
問題はその最中、投石部隊を奇襲した時の事。
ライトが投石機を破壊して回っている間、バリューはただ敵視を集め陽動に回るだけで、一切の武力を用いていなかった。
もちろん、ライトが受けた負担は半端でない。
疲労のせいか、キャンプ地で昏々と眠り続けていた。
……まだ姿を晒した事がないバリューにとっては、鎧の手入れができる丁度いいタイミングだったが。
そして、ライトに少しだけ悪いなと思いながら、鎧を脱いで手入れを始めようとした時、別行動していたレイジが突然現れた。
かと思いきや、バリューへの説教がいきなり始まり、今に至る。
「もちろん悪いとは思っているよ。あいつの足を引っ張ってしまったから」
「はぁ……。ライトに対してはこうも辛辣なのに、どうして他の人にはそう出来ないんだか」
「そ、そんなこと……」
「なあ、誰かを傷つけることから目を背けていると、そのうち何も守れなくなるぞ」
「それくらいわかって―――!」
「いいや、わかってないな」
レイジの目がキッときつくなり、睨まれたバリューはのっぽな体を縮こませた。
けれども、そんな様子を気にすることなく、彼は淡々と事実を述べる。
……彼女にとって、残酷な事実を。
「あの投石部隊だがな、まだ投石機を隠し持っていたぞ」
「えっ!? 嘘だよね……?」
「嘘なんて言ってない。そして、それを動かすための人員は半数以上が無傷だった。……何があったか想像できるな?」
「……わ、私のせいで、犠牲者が出たんだね。私があの時、少しでも戦っていたら―――!」
「あー、泣くな泣くな。泣かせたくて言ったわけじゃないぜ?」
自身が行った行為のせいで、国民……中には一般人にも被害が出ている事を察したバリューは、ポロポロと涙を流して懺悔する。
そんな彼女の姿に戸惑って頭を抱えるレイジだったが、そのままにするわけにもいかないので、そんな状態でも言葉を続けた。
「それに、こうなったのは決してバリューだけのせいではないぞ? だがなぁ、少しでも手負いにさせておけば、敵軍の計画が後回しになっただろうことも事実だ」
「グスッ……でも、私は傷つけたくない」
「おれだって多くの人に手をかけてきた。自分が死なないためにも、間接的に誰かを守るためにも、それは必要な出来事だったんだ。―――お前なら理解できるだろ?」
「わかる、けど……」
言い淀む彼女を見て、レイジは大きく溜息を吐いて、頭を掻く。
けれど、態度とは裏腹に、その顔は真剣そのものだった。
「あのな、バリュー。大事なのは、その人に自分がした事を、絶対に忘れないことだ」
「忘れない、こと―――」
「だってそうだろ? ただ無作為に殺して回ったら、ただの殺人鬼と変わりないぜ」
「それはそうだけど……」
「世の中にゃ善しかない、悪なんて他人から見た視点だ。だったら自分の正義を貫きゃいいさ。相手のことも考えながらな、っと!」
岩の上からレイジは飛び降り、音一つ鳴らすことなくバリューの近くで着地する。
咥えていた煙管は、いつの間にか衣服の隙間に差し込んでいた。
「ああそれと、誰が相手でも死んだやつを悪く言うのはダメだぜ? 死人に口はないんだ。いくら罵られようとも、何の返事も来ることはない。だからって貶しっちまったら、その時点で人でなしの仲間入りだ」
「……な、何の話?」
「あ、脱線しちまった。要するに、過去にとらわれるなって事だ。……いや、忘れちゃいけないけどな。けど、いつまでもそればかり考えてちゃ、前なんて見えないだろ?」
「……うん」
大きく頷いたバリューの顔に、もう哀しみの表情はない。
意思を持って困難と向き合う、そんな表情に変わっていた。
「多くの傷、多くの死を背負って生きること、それが力を持っている人の宿業なんだぜ―――なんて、女の子に言うようなセリフじゃなかったな」
「ううん、ありがとうレイジ。頑張ってみる……ちょっとずつになるかもだけど」
「少しずつでいいんだぜ? 無理する必要はないからな、地道な努力こそ成長の近道だ」
いい顔付きになったもんだと、レイジは改めて思う。
彼が初めて会った頃と比べたら、バリューは見違えるかのように感情が豊かになっていた。
けれども、レイジはまだまだいい顔が出来るはずだと考えている。
―――だからこそ、こうやってお節介をかけているのだ。
だが、彼がそう思った途端、バリューは不安そうな表情に逆戻りしていた。
「あのねレイジ、私は……」
「ん? どうした?」
「私は、ただ怖がっているだけなんだと思う」
「怖がっている、か……。誰だって死ぬのは怖いぜ?」
「そうじゃなくて……。人を傷つけることが、怖い」
「ああ、そっちか。バリューは優しいもんなぁ」
「そんなことないよ……。ただ、自分が傷つきたくないの。だから、他人も同じように傷を負わせたくない。ただそれだけ―――って何その目」
話している言葉を中断して、彼女は問いかける。
言われた側であるレイジは、とても納得いかないような顔で、バリューを見ていた。
「その割に、ライトとはいつも喧嘩してるじゃないか」
「う……! そ、それは―――」
今度は恥ずかしさのせいか、バリューは視線をさまよわせる。
心なしか頬も赤らんで見えた。
「ん? 言い淀むってことは理由があるんだな?」
「……あいつはちょっと苦手。凄く直接的なのに、どこか分かりにくいから」
「あー、そう来たか……」
(―――やっぱし直感だけは凄いよな、バリューは)
「なにか失礼なこと考えてなかった?」
「いや、そんなことはないぜ?」
訝しげに問う彼女に、すぐさまレイジは答えを返す。
内心ではバリューの直感にヒヤヒヤしていたが、彼は冷静さを装って、再び口を開く。
「バリューの言う通り、ライトはそんな感じの態度をしてるやつだからなぁ。けど、本人に悪気はないんっぽいから、少しだけ大目に見てやったらどうだ?」
「……向こうが少しでも譲歩してくれたらね」
「なんだそりゃ。こりゃあ、仲良しになるにはまだまだ時間がかかりそうだなぁ」
「仲良くなんてならないから!!」
「あっはっはっは! やっぱりおまえらは面白いやつらだぜ!」
レイジは身長の割に大きく無骨な手で、バリューの頭をがしがしと撫でた。
髪の毛は乱れ、ちょっぴり痛そうな顔をしている。
でも、きっと彼女は悪い気を微塵も感じていなかった。
むしろ心地よさを感じられて、もう少しだけそうされていたいと、そう思ったに違いない。
―――なにせ、バリューには味わったことがない感覚だったから。
*
「…と言うわけで、私はお人好しだからな。目の前にいる人をどうしても助けたくなってしまう」
「ふん、だから、オレに構ったってか」
「…まだ疑問が残るか?」
「……いや、十分すぎるくらい納得いく理由だったぜ」
「…それならよかった」
握っている柄に力を込め、深々と突き刺していた壁剣をあっさりと引き抜く。
そして、小気味の良い音を鳴らして、鋭剣だったそれは、元の平たい板のような形に戻っていた。
「なあ、どうしてさっきのままの形にしねぇんだよ? それじゃあ、ろくに何かを切れないだろ」
「…もちろん、切れないから、だ。私はよっぽどのことが無い限り、何かの命を奪う気などない」
「不憫なヤツだな」
「…好きでやっている。とやかく言われる理由はない」
「へいへい。……っと」
バランスを取りながら立ち上がった姿を確認して、バリューは遠くの方を見つめる。
その先にいるであろう、彼の姿を探しながら。
「…さて、行くか」
「行くって、どこにだよ」
「…ライトの元に、だ。あいつはまだ戦っているかもしれない。……それに嫌な予感もする」
「ちょっと待て! アンタが受けた傷は相当なもんだろ! そんなボロボロの状態で行くってのか!?」
ブロウへの返事は無い。
さっきまでの余裕はどこに消えたのか。
……それとも、余裕がないことを思い出したのか。
バリューはふらふらと歩みを進め続ける。
「おい! 待てって!」
「…立ち止まってる時間なんてない! こうしているうちにライトが致命傷を受けていたら、貴様はどうする気だ!!」
「……っ!?」
「…私は大丈夫だ。とにかく、先に行かせてもらう!」
純粋愚直なブロウですら、その変貌ぶりに気付かざるを得ない。
やはり、明らかに焦っている。
―――そんな様子を見て、ブロウは違う誰かがそうなっていた所を思い出しそうな気がした。
「ったく! 見てらんねぇな! オレも行くぜ!!」
「…ろくに戦えないだろう?」
「バカにすんなよ? オレは元々遠距離専門だ。銃さえあれば、どうとでもなんだよ」
散らばった銃器を拾い集めながら、ブロウは答える。
正直、本人にすらバリューと共に行くと言った理由がわかっていない。
けれども、どうしても行かなければならない。
とにかく、そう思ってしまったのだ。
「…そうか。ならば行くぞ、ブロウ」
「おうよ。ゾウの野郎をぶん殴ってやろうぜ」
そうして、満身創痍ながら準備を整えて、二人はライトの元へと歩みを進めた。




