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奪われた者の走馬燈 Side:A

 ―――ぼくが、何よりも欲しかったのは、一体何だったのかな。


 北国のとても貧しい家に生まれたぼくは、あまり物を欲しがらなかった。

 だって、どれだけ欲しくても、お金がないから頑張っても手に入らないから。

 それに、欲張ったせいで死んでしまった人も身近にいる。

 ぼくの実の父親は、ぼくが二、三歳ぐらいの幼い頃、出稼ぎするために出兵して、戦場で命を落としていた。

 だから、父親の顔なんて知らない。

 覚えているのは、父の死を聞いて嘆くおかあさんと、その手に握られている血で赤く染まったナイフだけだった。


 その日から、ぼくとおかあさんはたった二人だけで生活を始める。

 父親が稼いできたお金なんて殆どないし、まだまだ幼かったぼくは手がかかったと思う。

 それでもおかあさんは、文句一つすら言わずにあくせく働いていた。


「ねぇ、○○○○。幸せは誰かにあげるものなのよ」


 何かあってもおかあさんは決まって、口癖のようにそう話す。

 だからって、自分が不幸でも構わないわけがないのに。


 おかあさんは、貧しいながらも懸命に働き、ぼくを育ててくれたと思う。

 仕事のせいで全然会えなかったけれど、今頃きっと頑張っているんだと思うと、少しも寂しくはなかった。

 でもそれだけでじゃなくて、自分よりも貧しい人がいたら食事を恵んでいた。

 決して見返りが返ってくるわけじゃないのに。


 ぼくはおかあさんのことが大好きだ。

 でも、自分を優先しない性格は嫌いだった。

 誰かに与えた幸せの分、おかあさんが幸せになれたことなんてなかったから。

 ……それでも、一緒の家で二人静かに暮らすことが、ちっぽけでもぼくにとっては大きな幸せだった。


 ―――あの日、騎士たちがやってくるまでは。


 騎士たちは街の人から法外な税を引き上げて、お金が足りない家庭には、強制労働をさせていた。

 おかあさんは家の物を全て売って、そのお金をあいつらに渡してた。

 父の形見のナイフ以外、思い出の品や安物だけど大切にしていた指輪ですら、ぼくを育てるために売っていたんだ。

 ……でも、そんな日も長くは続かない。

 騎士たちの徴収は一層酷くなって、とうとう貯金が底を尽く。

 そして翌日、おかあさんは消えた。


『出稼ぎに行ってきます。お金のことなら心配しないでね』


 そんな書き置きだけを残して。

 すぐに、あの騎士たちが連れ去ったんだと気づいた。

 でも、幼いぼくには何もできない。

 代わりに、僕は学校に通えるようになった。

 でも、そこは学びの場ではなくて……。

 学校なんて名前をしている、富裕層の遊び場だった。


 お金を持っている人だけが優遇されて、貧乏な人たちが冷遇される、そんな世界。

 中でも一番貧しかったぼくは、よく陰湿ないじめに遭っていた。

 持ち物は全てボロボロにされて、毎日のように暴力をふるわれる日々。

 それでも、ぼくは屈しなかった。

 おかあさんだって頑張っているんだと思ったら、この程度で負けてなんていられるか!


 ―――そんな気持ちも、三年ほどして学校を退学させられた時に消えてしまった。

 追い出された理由は、お金が尽きたから。

 つまり、学費を稼いでくれていたおかあさんが、死んでしまったんだと、そう考えるしかなかった。


 それから、ぼくはたった一人での生活を始めることになる。

 けれど、そこに普通ならあるべきものなんてない。

 ただ捨てきれなかったナイフ以外、帰る家すらもなくなっていた。

 だからぼくは、おかあさんが死んだことによる喪失感に暮れ、建物の隅っこでただ蹲っていた。

 いずれ来るだろう死を、ここで静かに待つだけ……。


 そんな時、通りかかった人の話し声が聞こえてきた。

 今になっても思い出せるくらい、とても鮮明に。


「そういや『幸せは誰かにあげるもの』とか言ってたあの女どうなった? 最近見ねえけど」

「ああ、あのババアか? ぽっくりと死んだぜ? ほんと、最期まで笑顔を絶やさない、気持ち悪ぃ女だった」

「最初の方はいい慰めものだったけど、あんな見た目になっちゃなぁ。もはやバケモンにしか見えねえよな」


 ―――街中を出歩いていた人……騎士たちが話していた人は、間違いなくおかあさんの事だった。


 豪勢な格好をしたやつらの嗤い声が、頭の中にガンガンと鳴り響いてくる。

 ふつふつと心から、熱くて痛くて苦しい何かか溢れ出してきた。


 ぼくは全てを失ったんだ。

 なのに、奪った者が幸せになれる世界なんておかしいだろ!

 だから、全てを奪ったお前らに、今度はぼくが全てを奪ってやる……!


 今になって思うと、この時の軽率な行動はよくなかった。

 けれど、何もかもを失ったのに、冷静でいられるはずがない。

 復讐心に囚われたぼくが、悪魔のことを知るまでには、そんなに時間がかからなかった。


 悪魔は二通りの手段で人間を手駒に取る。

 一つは幽霊のように、人間に憑依すること。

 上手くいけば完全に人格を乗っ取ることができるが、大概上手くいかず、追い払われたり消滅させられたりするらしい。


 もう一つは人間と契約すること。

 悪魔は人間界ではっきりとした実体を持つ事が出来ず、力も契約者に半分ほど持っていかれる。

 しかし、契約に僅かな綻びがあれば、その隙を突き、人間の体にある程度順応した悪魔の力を利用して、契約者の体を触媒に、実体化する事が出来る。


 失ったものを全て取り返すために、そして、復讐を成し遂げるために、ぼくは悪魔と契約することにした。

 復讐を成功させたその後の事なんて、もうどうでもよかったから。


 悪魔を召喚するのは、とても簡単だった。

 召喚の為の触媒である形見のナイフと、ぼくの血液で書いた召喚陣だけで済んだのだから。

 こんなことなら、もっと早く呼び出せばしておけばよかったとどれだけ後悔しただろう。

 でも、それ以上に、ぼくの心には奴らへの復讐心が勝っていた。


「ぼくに力を貸してよ! 復讐を成し遂げるために!!」

「ああ、別に構わないぞ。キサマには見所があるからな」

「やった……! だったらすぐにでも―――!」

「それはダメだ。力が欲しいなら代わりのものをよこせ」

「―――は? なんだよそれ……!」

「なんだよ? とは?」

「ぼくはもう散々奪われたのに! まだ奪われなきゃいけないのかよ!!」


 呼び出した悪魔……ゾウは、ぼくの名を替えることと、体の半分を要求してきた。

 これ以上、ぼくには失うものがないと思っていたのに……!

 けれどゾウは、怒りで我を忘れそうになったぼくへ言葉を続けてくる。


「驕るなよ、人間。物事には対価が必要なのだ」

「たい、か……」

「ああそうだ。だが、お前が失うのはこれが最後になる。これからは、キサマが欲しい物も要らない物も選択できるのだからな」


 ゾウが言っていた言葉の通りになった。

 契約のあと、ぼくは『アント』という名を上書きされて、体の半分を失うことになる。

 だけど、『取捨選択』を手に入れ、『取捨選択』を使わなくていい時が来るまで、ゾウは僕のそばについてきてくれることを約束してくれた。

 ボディガード兼執事として、だったけど。


『取捨選択』を手に入れた後、すぐに騎士たちに復讐した。

 富裕なやつしかいない学校も、貧乏なやつしかいないスラムも、少しだって関係ない。

 騎士たちが従えていた国そのものを、一つ残さず徹底的に潰した。

 何もかもが消えた街を見た時は、凄く晴れ晴れとした気分になれたんだ。


 ―――でも、何かが足りなかった。

 何かが、邪魔だった。

 だから、ぼくは旅をすることにしていた。

 近くの街をどんどん滅ぼしながら、ただ北へ北へと進んでいく。

 多くの人から物を奪った。

 要らないものは全て捨てた。

 それでも、心は満たされず、邪魔なものは残ったままだった。


「ねえ、ゾウ」

「どうしましたか?」

「おかしいんだ、いくら物を手に入れても、満たされている気がしない。隣に君がいるのに、ずっと一人でいるように感じるんだ」

「それは、まだまだあなたが奪われたものに及ばないからですよ」

「それだけじゃなくて、なにか邪魔なものがある気がするんだ。邪魔だと思う物は全て捨てたのに」

「邪魔なもの、ですか……。それは、思い出に残る搾取されてきた記憶では?」

「そうかもしれない……。だけど、それは捨てきれない」

「それなら、それを超えるものを得ることにしましょう。あなたには全てを得る力があるのですから」

「―――うん、そうだね」


 結局、欲しいものは分からず、邪魔なものは僕の原動力となる嫌な思い出だった。

 ―――と、ついさっきまでは、思っていたけど。


 まさか、こんなタイミングでその正体が分かるなんて、昔のぼくには考えられなかったと思う。

 そう、『城砦』と対峙し、喉を潰されて初めて気が付いたんだ。

 おかあさんが言っていた言葉の意味が。


 あの怪物は、ぼくを本気で殺しに来た。

 でも、首を絞めるとき、確かに見えたんだ。

 蒼い瞳がぼくの顔を優しく見つめているのが。

 目を離すことなく、じっと……ずっと見つめていた。

 まるで、慈しみのあるその顔はきっと―――。


 奪うだけじゃ、幸せになんてなれない。

 捨てるだけじゃ、幸せになんてなれない。

 ……だって、それには愛がないから。


 幾度となくなにかを奪っても、欲が満たされることは無かった。

 この世で手に入れられるものは、何だって手に入れることだって出来たのに。

 でも、ぼくが欲しかったものは、今のままだったらどうしても手に入れられなかったと思う。

 ずっと昔から欲しかったソレは、もはやこの世では手に入れる事が出来ないもの。

 ―――それは親からの愛。


 幾度となく無造作に捨てても、何かが邪魔で邪魔するで仕方がなかった。

 今のぼくに必要なんてない、捨てられるようなものは全て捨てたのに。

 でも、いくら放り投げたつもりでも、気付くことなく残ったままだった。

 ぼくがどうしても捨てたかったものは、どうあがいても捨てられないもの。

 ―――それは嫉妬心。


 大人になったと勘違いしていたぼくは、やっとそれに気付く事が出来たんだ。

 でも、もう遅い。

 だって―――。



 ぼくは最期まで、幸せを手に入れる事が出来なかったから。

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