久々の休息
「ふーんふふふん、ふふふふーん……♪」
狭く明るい空間から、滴る水音と、誰かの鼻歌が聞こえてきた。
仕切りから溢れかえるほどの湯気のせいで、一目見ただけだと、中に入っているのは誰だか把握できない。
だが、よくよく周りを見ると、誰がシャワーを浴びているのかは一目瞭然だった。
まず、浴室の光からシルエットしか見えないが、体つきは明らかに女性。
その体型は、ほのかに見える影の形からでも、流体のように滑らかな曲線を描きつつも、余分に付いている丸みなどないように見える。
さらに、その長身も相まってか、まるで過酷な野生を生き抜いているネコ科の生物のように、すらりと引き締まっている印象があった。
これだけでも、わかる人にはわかるのだが、他にもわかりやすいものがある。
仕切りの前には、適当に積み上げられたゴツイ鎧と、巨大な剣、そしてこれまた乱雑に脱ぎ捨てられた、薄手で無地の服と肌着。
……そう、女性にしては珍しく、長身長で、がさつで、いつも鎧を着ている人物と言えば―――。
「……随分と楽しそうだな、バリュー」
「当然でしょ!? お風呂に入れるなんて、いつ以来になると思ってるの!?」
「まあ、風呂はだいぶ久しいか。もしかしたら、出発してから一度もないかもな」
「だよね! 信じられない!」
そう、浴室内で大袈裟なリアクションを取っているのは、『城砦のハルトマン』こと、バリューである。
久々に湯あみができたからか、口調も、態度も、いつも以上にテンションが高めのようだ。
もしかしたら、《クラッドレイン》内に入ってから、ろくな目に遭ってこなかったから、その分のストレスを解消しているのかもしれない。
そして、盛り上がっている彼女をさておいて、ライトは渋々とばかりの顔で、近くの穴が開いた壁に寄りかかって座っている。
その表情はとても退屈そうで、足元に散らばる鉄片を適当に蹴り飛ばしていた。
「おい、バリュー」
「なあに、ライト?」
「さっきから思っていたが、別に俺がここにいる必要なんて、無いんじゃないか?」
「何言ってるの! 話し相手がいなくなるし、もしも私が誰かに襲われたらどうするつもり!?」
「いや、誰もお前を襲う奴なんていないだろ」
彼はバリューへとそう告げる。
だが、正確に言えば、ここは室内ではない。
銅で加工された廃材を組み合わせ、溶接されたドームのような広い空間。
その中のとある一角、屋外に設けられている、即席で作られたような、とても簡素な浴場を二人は利用していた。
にもかかわらず、彼がそう断言するには理由がある。
それは―――。
「なにせ、ここに大人の男性はいないからな」
二人が今いる場所は『カッパー』でも、最も安全な場所とされている空間。
あの後、紆余曲折を経て、どうにか安全を確保した二人だったが、そこは、老人と子供を含まない、男性禁制の場所だった。
だが、バリューがどうにか説得してくれたおかげで、二人して安全地帯へと入る事が出来たのだ。
「それはそうだけど……。ん……?」
ライトの言葉を納得できないながらも、彼女は肯定する。が、その言葉は不意に途切れた。
そのまま、少し、考え込むような仕草をして、バリューは問いかける。
「―――いや、ライトは大人の男だよね?」
「……さて、俺は邪魔者のようだから、どこかへ行こうかな」
「ゴメン! 悪かったって! だから置いてかないでぇぇぇぇぇ!!」
「―――はぁ」
不安気な声でライトの事を呼び止め始めたので、渋々と上げようとしていた腰を下ろし、転がっていた鉄片を拾い上げてまじまじと眺める。
これも、彼が最近になって知ったことだが、なぜかバリューは、見知らぬ場所に一人でいるのが駄目らしい。
別に、ライトがいなくなろうと、彼女は一人になるわけではないのだが。
「それなら、鋼の精霊にでも話し相手になってもらったらいいだろ」
「ああ、うん。そうしたいんだけど……」
「そうしたいけど、何だよ?」
「話しかけても、何も答えてくれないの。言う事には従ってくれるけど」
「そんな精霊もいるのか」
「ううん、ずっと一言もしゃべってくれないのは、コイツだけ」
「……コイツって言っているから、口きいてくれないんじゃないか?」
「呼び方は自由で良いって言われているから、そんな事は無いと思うんだけどね。あ、そこのタオルと服取って」
鉄片から視線を外した彼は立ち上がり、円形の穴がぽつぽつと開いていた壁を通り過ぎ、すぐ近くに積まれていた、新しい服と清潔なタオルへと手を伸ばす。
渋々とそれらを取ったライトは、そのまま、彼女がいる仕切りの上へと投げ入れた。
「わっ! ……扱いが雑じゃない? もっと丁寧に渡してくれてもいいじゃん」
「素っ裸のお前がいるシャワールームに入れるか。それに、そんな所を見られてみろ、俺だけ問答無用で追い出される。そんな目には遭いたくない」
「まあ、そうだろうけど。別に、私は気にしないのにね」
「その前に俺が気にする。そんな野暮な真似をするのは良くないだろ」
「……もしかして、ライトって結構うぶだったりする?」
「そんなことはどうでもいいだろ」
「なんだよー、面白くないなあ」
つまらなさそうな声が耳元で聞こえたかと思ったら、既に服を着ていた彼女が、ライトの隣に立っていた。
水気を帯びた長い髪を、苦戦しながらタオルで拭いている。
優しげな石鹸の香りが鼻をくすぐるほど、バリューがすぐそばにいることに驚いたのか、彼はそっぽを向く。
彼女の上気した頬はほのかに赤く明るみ、シャワーを浴びる前よりも明るく、元気になった印象を受けた。
確かに、俺もシャワーを浴びたら、あれくらい変わるだろうなとライトは思う。
彼も疲れと顔の汚れを落とせていないからか、傍から見るととても暗い表情をしているように感じられた。
「あ、ついさきほど上がられましたか」
「すみません、助かりました」
「お役に立てたのなら、なによりです。湯加減はどうでした?」
「丁度良かったです! シャワーなんて久々だったので、凄く堪能させていただきました!」
「それなら良かった! 旅人さんなんて珍しくて、もてなしなんてあまりできませんが……」
「お気になさらないでください。この場所に入れてくださっただけで、頭が上がりませんから」
少し遠くの方にいた、タンクトップにつなぎの袖を腰に巻いて結んでいる女性が、二人の元へと小走りで駆けよる。
謙遜しがちな言動の彼女へ、ライトは深々と頭を下げた。
女性の名前はローア。
年若いながらも、この場所で水道設備の仕事を担っている。
そして、二人の事を助けてくれただけではなく、こうやって公共の施設を使わせてくれる許可まで与えてくれた、心優しい女性だ。
それに、この場所に住む女性の中では珍しく、ライトに対しても普通に接してくれる人だった。
と言うのも、基本的に女性しかいないようなこの空間だと、男性であるライトは異端な目で見られる。
それに、男性から傷つけられた経験がある女性も少数だが存在している。
なので、当然の如く、男であるライトをこの空間に入れるなんて、言語道断だと猛反発されていた。
そんな中、彼もこの場所に入る事が出来たのは、間違いなく彼女のおかげだろう。
とはいえ、ローアはライトたちの案内人などではない。
仕事もあるのだから、わざわざ二人の元へとやってくる必要もないはずだが……。
「もしかして、ここに来たのは、何か用があったのではないですか?」
「あ、そうです。お二人は遠くからここまで来たんですよね?」
「はい、長く辛い旅路でしたよ……」
「それは災難でしたね。『ホーム』は見た目以上に犯罪が横行しているものですから、仕方がないと思いますけどね」
二人が牢にぶち込まれた経緯を聞いているローアは、それを思い出したのか、あはは、と笑いながら額の汗を手の甲で拭う。
黒っぽい汚れが付いたが、気付いていないのか、彼女は言葉を続ける。
「もしよろしければ、もう少し……三日ほどで良いので滞在していきませんか? もちろん、寝食は保証します。わたしは、旅のお話を聞かせてくれたら、それだけで構わないので―――」
「おうい、お嬢さん。ちょいと蛇口の様子が悪いのじゃが……」
「はあい、今から行きます。……ちょっと行ってきます。快い返事を待ってますね」
「あ、その……」
ローアは声を掛けられてあたふたとしていた。
きっと仕事から抜け出してきたのだろう。
手早く会話を済ませた彼女は、声が掛けられた方向へと駆けていった。
そんなローアへとバリューは声を掛けようとするが、その言葉は届かなかったようだ。
「……どうしよう。急いでいるって伝えるべきだよね?」
「まあ、たまには休憩するのも悪くはないんじゃないか」
「けど……」
「疲れを取るのも重要だ。まだ海も超えていないんだし、これから先、ゆっくりと休めるか分からないからな。今回は、ご厚意にあずからせてもらおう」
「ライトがそこまで言うなら……」
「それに、気になる事もあるしな」
バリューが渋々とそう言うなか、ライトは鼻から大きく息を吸い込み、平穏そうな場に似合わない表情で、気を引き締める。
そんな変な行動をする相方の真似をして、彼女も鼻から息を吸い込んで……。
すぐに顔をしかめた。
「ねぇ、その前にシャワー浴びてよね。自分で分かってないかもしれないけど、ライト凄く臭いよ?」
「……わかったよ」
相変わらず、この場でのライトの立ち位置は不遇極まりなかった。




