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紅影と高級愚餐(フルコース)

「しゃがめ!!」

「……っ!」


 後方からの端的に従い、ライトはすぐさまその場に(かが)む。それから秒も迎えぬうちに、


「っらああああぁぁぁぁ!!」


 間近まで戻ってきたバリューが、鋼の精霊術『武装荷変・直長(ちょくちょう)』により長長剣状へ変形させた壁剣を、咆哮と共に横一直線に薙ぎ払う。

 一掃されるかたちとなった紅影たちは断末魔の悲鳴すら出さず、断面から血とは違う紅い液体を溢しながら、最初に現れた影と同様に地面へ溶け込むように消えていった。


「悪い、助かった」

「…油断するな。私ならばまだしも、ライトはただでは済まないのだから」

「わかっている。……しかし、厄介な相手だな」


 先程女性が影を使役するために発した一言は、高級聖餐(フルコース)品書き(メニュー)……その前菜(オードブル)に当たる。

 高級聖餐の品書きは紅影たちへ下す命令の役割を果たしているのだろう。


 高位等級の術式であることはまず間違いないが、兵を指揮するような扱い方を伴っているものとなると見当が付かない。

 一目散に逃げることも一手だが、紅影の行動範囲がわからない以上、逃げ回り続けるということも出来なかった。


 故に底知れぬ力に警戒しながらも、二人は継戦の姿勢を整えて女性へと向き直る。

 十体を超える紅影を一薙で溶かされてもなお、女性は索然とした表情で標的たちの姿を淡々と見つめ返す。


「ふうん、前座鮮菜(オードブル)は余裕なのね。だったらこれならどう?」


 不遜な口ぶりとともに両腕が広げられると、上向きに開かれた掌からは、どろりと影と同色の液体のようなものが溢れ出していく。


「長期戦は不利だ。一気に方を付けるぞ」

「…わかっている!」


 ライトが紅影に囲まれていたうちに離された距離を縮めようと、二人はほぼ同時に地を駆ける。

 接近戦まで持ち込むことさえ出来れば、紅影による攻撃のては弱まり、女性も上手く制御出来なくなることだろう。


 しかし、女性には紅影を支配する力だけでなく、バリューを軽々と吹き飛ばす膂力をも持ち合わせている。

 至近での戦闘でも苦戦を強いられることになるだろうが、ライトたちには女性に次の手を出させないように肉薄する以外の手段はない。


「…貴様がどのような力を持っていようとも、近距離からの挟撃はどうしようもあるまい!」

「やらせるとでも思った? ────泥縛(パンプキン)汁物(スープ)


 並走していたバリューたちが二手に分かれる直前、タイミングを見計ったかのように女性は品目令言(レシピメニュー)を発すると、掌から溢れる影の勢いが増していく。

 同時に彼女の足元から影が広がり、二人が踏み締める地面が沼地のように液状化していった。


「…っ! 使役出来るのは人型の影だけではないのか!」

「してやられたな……。こんな足場だと碌に戦えない、いったん引くぞ」

「ふふ、逃げようとしても無駄。そのままゆっくりいたぶってあげる。────蒸焼(ポワレ)魚料理(ポアソン)


 逃げる暇を与えることなく新たな品目令言(レシピメニュー)指示(オーダー)すると、足を取られて上手く動けなくなったライトたちの周りに紅影の集団が再び現れる。

 ただ、それは先程の紅影たちよりも遥かに異質だった。


「なんだ、この……悪趣味な……っ!!」


 女性を非難するようにバリューは吼えるが、眼前の光景を受け入れられないのか声の震えを隠しきれてはいない。

 現れた影たちはやはり一体も余すことなく無貌で紅い外套をまとっている。

 ……だが、決して()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 ある影は屈強な兵士のように筋骨隆々な姿をしていた。

 また、ある影は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 近くには()()()()()()()()()()()()()()()()()に、その影と手を繋いでいる()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()もいた。


 貌の無い頭に、影で形成された体躯。

 武器だけでなく農具や工具、玩具までをも持って二人へと迫り来る紅影たちは、紛れもなく人間ではない。

 そう理解し、確証も得ているというのに……。


 見た目はおろか仕草の細部に至るまで、まるで生きている人のような錯覚に襲われるほどの精巧さだった。


「悪趣味? どうして? 使()()()()()()()()使()()()()()()()()()()?」

「使える、ものだと……? ────人の命を冒涜しておいて、何をのたまう!」

「無駄だ、バリュー! 彼女に聞く耳があったとしてこの場で議論する余地はない! 今はこの足場から脱することだけ考えろ!」

「ぐっ……! だ、だが……」


 狼狽るバリューの手は側から見てとれるほどに震え、握りしめている壁剣を滑り落としそうになっていた。

 成人相手ならばまだしも、『城壁』として誰かを守る者である彼女に、老人や子供、妊婦といった守られて然るべき者たちを攻撃するなど出来るはずもない。

 たとえそれが、ガワだけ模した異形だとしても。


「バリューは戦闘能力が高そうな成人型の相手をしろ! 俺は残りを相手する!」

「………すまない」


 バリューを狙っていた妊婦の影が突き出してくる包丁を、ライトは接触の直前で弾き飛ばす。

 足を取られ身動きが難しい状況ではあるが、幸いにも全く移動出来ないほどではない。


 小さな声で謝るバリューにライトは静かに首を振り、背中を預ける。

 彼も敵にすることはまずあり得ない相手と戦うことに多少の心詰まりがあるが、一刻も早くこの場からの逃走だけを念頭に置き、障害物を除去して退路を確保するように割り切っていた。


 ひっきりなしに襲いくる影たちを二人して悪戦苦闘しながらも蹴散らしていく。

 だが足元の不安定さも相まって、その場からなかなか抜け出せない。


「まだ足掻くのね、煩わしい……。じゃあ、これならどうかしら。────口直し(ソルベ)


 一向に二人が手傷を負わず、苛立ちがピークに達したのだろう。

 戦闘を見ていた女性は腹立たしげに新たな品目令言(レシピメニュー)指示(オーダー)すると、


「? 動きが止まった……?」

「…影たちが引いていくぞ。あの女、私たちを殺すことを諦めたのか?」


 指令に応じた紅影たちは攻撃の手を止め、一定以上離れた場所に移動しライトたちへと体の正面を向ける。

 そして、得物を持つ腕を高々と掲げ……。


「っ! マズい!」

「…マズいって、何がだ!?」

「誰でもいい! 俺たちを囲んでいる影を突破しろ!」


 最低限の言葉を告げたライトは荒れた息を整える間も無く駆け出す。

 瞬間、紅影は持っていた道具を二人へと投擲し始めた。


 ただ、構えなどないに等しいスローイングで放たれた影たちの得物は、大きく弧を描いて二人よりも手前の位置に落下していく。

 得物が小さいものならばまだ届くかもわからないが、それらを持つのは子供や老人、非力な人ばかりだった。


 ライトは大袈裟に言っていたが、投擲したところで自分たちの元へと届くわけがない。

 そう決めつけてバリューはライトに続いてその場から移動する。


 そう、届くわけがない────()()()()()


「う、っぐ……!」

「えっ!? ……っ、な────!?」


 苦悶の声を聞き、慌てて駆け寄るバリューは信じがたい光景を目撃し硬直する。

 血が滲む左脇腹を抑えて蹲るライトの足元には、血が付着した文庫本が液状化した地面に溶け込み始めていた。


 口直し(ソルベ)が遠距離から敵に得物を投げつける戦法なのは見るだけでわかる。だが、口直し(ソルベ)の効力はそれだけではない。

 泥縛(パンプキン)汁物(スープ)で影が触れている地面を液状化させたように、口直し(ソルベ)は紅影が投擲した物を影に触れている異分子へと送り込む力があった。


 事実、老人が投げた本は地面に落ちる直前、複雑な軌道を描いてライトの腹部へと叩き込まれている。

 本がぶつかっただけで体が抉れるはずもなく、ライトにぶつかった瞬間を確認出来ていないことから、投擲から一定時間後に加速するのだろう。


 そして、地面に落ちた物は溶け、女性が伸ばした影の中に戻り、紅影たちの元へと帰ってくる。

 投擲、着撃、回収のサイクルがループするのだとバリューは気づくが……その時には、既に高速化した投擲物が二人の元へと一斉に迫っていた。


 *


「あはは。もう、動くことも出来ないの? あなたたちって粘り強いだけで、そんなに強くないのね」


 時間にして僅か数分。たったそれだけで、ライトたちは絶対絶滅の状況に立たされていた。


 初めは投擲物をどうにか弾き返しつつ回避に専念していた二人だが、足元の悪さにより次第に体力が尽き、飛来した得物に手傷を負わされる。

 遂にはライトが手傷の酷さから動けなくなり、彼を庇うようにバリューが盾になり続けることで場が膠着状態に陥っていた。


「…元から、物量で優位なくせに、随分な物言いだ」

「あの御方が強いと言っていたからただ拍子抜けしただけ。それよりもそんな無駄口を叩く暇なんてあるの? 命乞いとかしないわけ?」

「…する必要がない。ここで終わるのなら、私たちはそれだけの命だ」


 未だその身に投擲物を受け止めながらも、バリューの声に揺らぎはない。

 打開策など思い浮かびもせず、体に寄りかかるライトは直ちに手当てを行わねばならないほどの重傷を負っている。

 だが、たったそれだけの失意で諦めるなど有り得はしなかった。


「ふーん。だったら、そろそろとどめを……!」


 彼女の返答を諦めの言葉だと受け止めた女性は、死の宣告を告げた時のような笑みを浮かべると、右手を上に掲げ────。


「いやいや、中々訪れないものだから急遽ここまで向かってみたけど……流石に虐めすぎだよ、ドロシー。ボクはカレらの送迎だけを言伝たんだから、その通りにしてくれないとさ」


 虚空から聞こえてきたのは、嫌に静かで冷たい声だった。

 何者かの制止の声に反応したように紅影たちの攻撃が止み、その場に溶け落ちていく。

 バリューに抱え込まれていたライトが霞んだ視界で女性を捉えると、霧中で姿が見えない何者に戸惑いの表情を向けているように見えた。


「で、ですが、この者たちは……!」

「キミが心底ボクのことを思慮してくれているのは把握しているよ。でもね、あまりにも余計な手出しをされたらボクだって困窮してしまうんだ。……理解してくれるかな?」

「……はい、わかりました。すぐに戻ります」


 不服そうな面持ちだったが、声の主を裏切ることだけはしたくなかったのだろうか。

 二人へと舌打ちを残して、女性は濃霧の中に後退する。


「ま、待て……!」

「ん? キミにそう発言されなくても、コチラから出向くよ。ボクたちはずっとキミたちの到着を待ち侘びていたんだから」


 コツン、と硬いものが地面を突く音と共に、女性が消えた箇所からカーテンを引くように霧が晴れていく。


「三種の神器の一つである『三叉槍(トリアイナ)』を携えていただけでなく、クラーケンすらをも従えていた、史上最悪に近い暴威の悪鮫を無に返した英傑であるキミたちをね」


 近づいてくる杖の音と感情を感じさせない声。

 幾度も体験するはずもない体の底から湧き上がる恐怖心わ飲み込みながら、二人は霧に浮かび上がる百を超える人影に目を凝らす。


「それに、ボクはキミたちの情報を得ていて、キミたちはボクの情報を知ることすらままならない状況じゃ、とてもじゃないけどアンフェアだよね。だから、今日この時を以て、改めて自己紹介を実施しようと皆に提案した次第なんだ」

「まさか、お前は────っ!!」


 ……嫌な予感は随分と前から抱いていた。

 行く先々で奴の意図を感じさせる出来事があり、関わった者たちの殆どが僅かな間で終わりを迎えていた。


 だからといって、信じられるはずがない。

 奴は二度、自分たちの手で殺されているはずなのだから。


「そのまさかさ。……さあて、前も口にした気がするけど、久しぶりだね『誠実』、そして『不屈』。またキミたちと巡り合えてボクは光栄に思うよ!」


 霧が完全に晴れ、二人の退路は完全に閉ざされる。

 霧中から現れた死人のような因縁の男は、自分が彼らに二度も殺されている事実を許すように、口角が裂けるような笑みで笑いかけた。


「エン、デッド……っ!!」

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