Past:雨の滴る暗い日の事
それは、フェルメア軍とフォンテリア軍がまだ敵対していて、二人がまだ出会う前の話―――
暗雲に太陽が隠され、こんこんと降り続ける雨の日、フォンテリア軍は隣接する森の警戒を行っていた。
両国にそれほど大きな戦力差があるわけではないのにも関わらず、この時の戦況はフェルメア軍が押している状態だった。
そもそもフェルメアとフォンテリアは、それぞれ名称こそ似ているが、それ以外は全くと言ってもいい程に違っている。
どちらも大陸の端の方に存在する国家だが、フェルメアは大陸の北端、フォンテリアは南端に位置していた。
南国のフォンテリアは温暖な気候で、多くの生命が快適に生活することができる、恵みに満ち溢れた土地である。
それゆえに、農業や水産業といった第一次産業が発達しており、人口も大陸内の国の中では一番を誇っていた。
対するフェルメアは霊峰連なる豪雪地帯に囲まれている極寒の都市であり、豊富な鉱物資源の輸出や、その資源を加工することで経済を成り立たせていた。
人口は大規模国家の中だと最低数となるが、長い間過酷な環境で生活してきたことにより、他国に比べて屈強な者が大勢いる。
温暖な気候で、豊富な食物資源があり、人海戦術で長期的に戦線を迫り上げんとするフォンテリア。
寒冷な気候で、豊富な鉱物資源があり、少数精鋭で短期的に一点突破を狙うフェルメア。
両国とも領地、財産、資源、兵力はそれほどの差がない状況にも拘らず、どうしてフェルメア軍が優位に立ち、フォンテリアが劣勢に追い込まれていたのか…。
―――それは、地利の差だった。
温暖かつ過ごしやすい気候で生まれ育ってきたフォンテリアの兵士たちが、フェルメアの気候やそびえ立つ霊峰を突破する事は、困難極まりない。
それもそうだろう。彼らは過酷な環境で生活する知恵も肉体もない状態で、いくら山越えの作戦を立てていたとしても、決して一筋縄ではいかないのだから。
反対にフェルメアの兵士たちは、その屈強な肉体で寒さをものともせず、平地も何の問題もなく踏破できる。
下手すれば凍死してしまう霊峰群と比べると、フォンテリアの土地はフェルメア軍の足かせにすらならなかった。
そのため、フォンテリアが攻め入れずに困っているところを突いたフェルメア軍は、瞬く間にフォンテリアの領土まで攻め入ることに成功した。
―――だが、その現状をよろしくないと思う者が一人。
(成功したのはいいけれど、このままだと一度撤退することになりそうだ)
大粒の雨を受けながら、その人影はゆっくりと歩みを進めていた。
確かに、今の状況はフェルメアが優勢だろう。
しかし、その人物には、フェルメア軍が森から攻め入ろうとしたことが、失策だったとしか思えなかった。
少数精鋭だからこそ、フェルメア軍は一塊となって行動し、ここまで攻め入ることに成功している。
不意を突かれたフォンテリア軍は、陣形や兵力を整える暇もなく、瞬時に叩きのめされ、毎度の如く撤退を繰り返していた。
そのおかげで、姿を隠しながら都に侵入できる森の中へと、フェルメア軍は難なくたどり着くことができた……。
―――だが、それは、果たして本当なのだろうか?
人海戦術を得意としているフォンテリア軍が、少数精鋭で突破できるような防衛部隊を、フェルメア軍の対策として配備するだろうか?
最初にフォンテリア軍と戦った際、フェルメア軍が圧勝する結果となった。
けれども最前線に立っているはずのフォンテリア軍が、なすすべもなくフェルメア軍に敗れるほど、無防備だったとは思えない。
そもそも、こちらが相手の環境をある程度知っているのだから、相手だってこちらの環境を知っていてもおかしくはなく……むしろ、知っているからこそ、この戦略をとっていたのだとしたなら―――。
フェルメア軍は、フォンテリア軍の罠にまんまとはめられた可能性がある。
もしも、フォンテリア軍がフェルメア軍の作戦を前もって読んでいるならば、人員を細分化し、網目状に配置することで、敵がどのようなルートを使って攻め入りに来るかを把握しようとするだろう。
所謂、ローラー作戦と呼ばれる戦法だ。
兵の数がこちらよりも多く、このあたりの立地も把握しているフォンテリア軍にとっては、これ以上にないほどの作戦といえる。
おまけに、配置された人員は生存優先の戦い方ができ、移動による疲弊もない。
その場に待機されるだけでも脅威だが、フェルメア軍が撤退する状況に陥った場合、束になって襲撃されるとなると、人員が減ったフェルメア軍ではひとたまりもないだろう。
そして、この森に入ったことがフォンテリア軍に知られているとすれば、森全体が包囲されていても、少しもおかしくはない。
どちらにしろ、このままだとフェルメア軍はここで、返り討ちに遭う運命を避けられないだろう……というのが、彼の考えだった。
(この戦闘を避けるためには、気づかれないうちに敵の指揮官を討ち取るか、一旦散り散りに逃げて、反撃の機会を窺うべきだな)
背丈よりも一回り大きい暗緑色のレインコートを着こんだ彼は、そう考察する。
そして、それは皮肉にも、彼が最も信頼を置いている“ある人”の言葉通りに、事態が悪い方向へと運んだという意味でもあった。
(だからこそ、こうして俺の出番が回ってきたのかもしれないな……。正直、第二主力がどうなったところで、どうということはないが……)
そう、今回フェルメア軍は第一主力を温存し、第二主力部隊での攻略を行っている。
陽動兼偵察、そしていざという時は主戦力ともなりえる人員、それがフェルメア軍の第二主力部隊だ。
幅広い活躍が見込まれる彼らだからこそ、この使命が与えられているのであり、どのように立ち回ってもある程度の成果を挙げられるからこそ、仕事を選ぶ権利は無い。
……たとえそれが、蜥蜴の尻尾として扱われることであっても。
勿論、犠牲は無いに限るし、国王は一度たりとも、彼らを囮として扱ったことはない。
第二主力とはいえ、大切な兵力なのは確かであり、彼らの帰る場所にはきっと、暖かい家庭が待っているのだから。
―――だとしたら、彼はどうなのだろう。
たった一人、フェルメアの民とは全く異なる血を持つ彼は、フェルメアの地を帰る場所と呼べるのか……。
そして、帰らぬ者となった時、悲しんでくれる人はいるのだろうか?
頬にわずかながら雨粒が伝った。
「……風が強くなってきたか」
風で飛ばされそうになるフードを抑えながら、青年は呟く。
依然歩みを止めようとする、向かい風の中を進み続ける彼の顔に悲しみはない。
いずれにせよ、あれは避けようがない出来事で、起こるべくして起きたものだ。そうやって、とうの昔に割り切っている。
……だが、彼は雨粒に感謝した。
もし、頬をたたいてくれなかったら、きっと、今の状態のまま余計なことばかり考えていたに違いない。
「―――よし!」
気合を入れなおすように彼は小さく吼え、目的地へと歩みを続けた。
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「うーん……。こっちで合っている……はず」
薄暗い森の中、立ち往生していたそれは、森の中にいることが異様だと感じてしまうほど、豪勢で立派な鎧だった。
銀鋼で作られているその甲冑は、幾度となく磨かれてきたのだろう。白金かと見間違えるほどの白い光沢を持ち、厚い雲に覆われている今ですらその輝きを隠しきれず、鎧に当たって弾けるキラキラとした雨粒の光を反射し、辺りをほんのり照らしている。
胴体は、鍛えられた男性の肉体を流線型に整えなおしており、“戦士の三主位”と呼ばれる部位(胸郭、上腕、大腿)が大きく波打ち、その波から生まれた小さな波が、他の部位に発生しているような形状。
頭部には竜―――それも“大陸の守護者”という名を冠した『三嶺竜』の一体、翔藍竜ティフォーネになぞらえた兜が、本物に負けないほどの威圧感を醸し出していた。
バランスを調整するため、荘厳な大顎は半分以下に潰されているのだが、少しでも実物を意識しようとしたのか、大顎を模した箇所はそれぞれ開閉でき、上顎を開くと目元が、下顎を開くと口元が露出するようになっている。
そんな趣向が凝られた鎧だからだろう、一瞥しただけならば、ただ見た目が洒落ている程度の代物だと決めつけてしまう者の方が多い。
……そして、そのように勘違いした者たちは、かの者と対峙し、痛い目に遭うことで、ようやくその鎧の本質を知る。
多くの人が知る銀鋼の特徴は、白金には劣るが強力な耐食性と、白金を超える硬度と耐衝撃性を持っていること。光沢は白金より鈍い輝きをしていて、白金の倍近くの重量がある……といったところだろう。
このように、よく白金と比べられるほど、似ている箇所が多い鉱物である。
―――だからこそ、銀鋼だけが持つ、世にも珍しい特徴が目立たない。
氷に匹敵するほど摩擦力が存在しないという特異な性質に。
どれほど鋭利な刃物や、大口径の弾丸であろうが、強力な耐衝撃性と材質のなだらかさによって、滑るように受け流されてしまう。
それだけではなく、摩擦力の無さによって、鎧同士が擦れることや、それによって動くことができないといった、動作制限を緩和できるのだ。
強靭で強固なだけでなく、しなやかさや機動力を併せ持つといった、まさに最高峰の鎧と呼べる代物である。
勿論、弱点といえる部分もいくつか存在するが、鎧の主はそれをものともしない力量を持っていた。
そして、傍から見るだけでもおかしな武器、背の左側に斜め掛けされた板のような大剣。
大きな板に穴を開けて、そこに柄を取り付けただけのような質素な造りをした剣は、鎧と同様に銀鋼で作られているが、剣戟を受け止めるためか、それとも所有者の扱いが良くないのか、他の兵士が持つ剣と比べると、傷がはっきりと目立っている鈍らな剣であった。
―――それか、あえてそのように見せているのかもしれない。
使い込まれている武器は、所有者の歴史を顕著に示す。ぱっと見ただけで傷だらけのなまくらに見えるその剣は、担いでいる者が幾たびの戦場をくぐり抜けてきた歴戦の勇士だと判断させるにふさわしく、その雄大さを際立たせるものといえる。
だが、そんな威風堂々とした装いであるにもかかわらず、中から聞こえてきた声は、その見た目を明らかに裏切る、不安そうな女性の声だった。
おまけにその動きも、戦場に似使わぬ不安気な足取りという、何とも不釣り合いなものだった。
誰かの鎧を追い剥ぎしたのではないか、と思われても仕方がない様子だが、親しき者にとってはいつも通りの光景でしかない。
なにせ、彼女こそがこの鎧の所有者である『城塞のハルトマン』こと、『不屈』のバリュー・ヴァルハルトなのだから。
そんな『十忠』の一人が、こんな森奥で何をやっているのかというと……。
「あれ!? ここ、前に通った場所と同じだ!」
現在進行中で道に迷っていた。
予め言っておくと、別段彼女は方向音痴な訳でも、空間把握能力が無い訳でもない。
それなのに、なぜ道に迷っているのかといえば……。
「前以外全然見えないし、天気はどんどん悪くなっていくし……。早く帰りたいなぁ……」
そう、昼間なのに曇天のせいで非常に暗い森の中、振り続ける雨と視野を狭めている兜のせいで、彼女の視界は通常の半分以下となっていた。
さらに、この森は同一種の樹木のみが生えている極めて珍しい場所なのだが、そのせいで逆に、現在位置を把握することすら難儀であった。
行きたい場所に行くだけでも困難を極める森の中、指定された場所に行くという変な指令が出た以上、その場へとどうにか向かわねばいけないのだが。
「あっ、まただ……。また同じ場所に来ちゃってる……」
再三告げることになるが、彼女は普段道に迷うようなドジをしない。
空間把握能力においては、国中を探しても自分以上のポテンシャルを持つ者はいないと自負しているほどであるし、森は彼女が最も得意としている場所でもある。
戦場で兜の上顎を持ち上げるわけにもいかず……はたまた、奥の手を使うにしても、誰の目があるか分かったものじゃないこの場所で、そうやすやすと発動していいものではない。
「でも、敵がいるこんな場所で話し合うなんて……切羽詰まっているみたいだし、帰るわけにはいかないよね」
垂れていた首を上げ、彼女は再度歩き出す。
その頭の中に、先ほど応急処置をした三人の兵士の姿がよぎる。
横たわり呻いていた彼らは皆、作戦通り別々の場所に待機していた。
森の中個々に散らばり、動くものは敵だと判断して行動する、通称『蜘蛛の巣作戦』でフェルメア軍の動きは制限されているはずだった。
にもかかわらず、敵の発見には至っていない。それどころか、戦線の薄い部分を担っていた彼らがやられている以上、一部の敵兵は突破されている可能性すらあり得る。
それにしても、彼らがやられている状況には、少し不可解な部分があった。
一つは彼らが戦闘したであろうその場所に、足跡はたった二つしか存在しなかったこと。
足跡のうち、一つが戦う際に動いた味方兵のものだとすると、フェルメア軍の一員とサシで戦ったことになる。
まあ、それならまだわからなくもない。一度散らばり、森を抜けた後に陣形や装備を整え直す、という手段を取ったということになるのだから。
だが、それ以外に至っては、まったくと言っていいほど理解できない。
『蜘蛛の巣作戦』は、隠れていた兵が敵を見つけたら、すぐさま連絡が周り、辺りに散らばっていた兵士がその場に集合する作戦で、一人で戦うことはない。
それなのに、どうして彼らは戦うことになったのだろう。
敵に発見されないよう、細心の注意を払って潜んでいるはずなのに、連絡を飛ばす前に見つかってしまったのだろうか?
特に不可解だったのは、彼らのやられ方だった。普通に考えると、味方陣営から何の報告も出回ってない状態ということは、フォンテリア軍員は敵と遭遇していないか、はたまた敵と遭遇し殺されてしまったかの二択だ。
だが、彼女が処置を施した三人は殺されているのではなく、ただ意識を奪われているだけだった。
……いや、ただ意識を奪われているだけという言い方は間違えている。
正確に言えば皆一様に、鈍器のようなもので膝を砕かれていた。
その激痛で兵士たちの意識は飛んだのだろうが、それならば何故、敵はとどめを刺さないのか。
大体、やすやすと膝を砕くことができる、怪力を持つ鈍器使いならば、頭部を狙った方が効果的であり、何よりも一瞬にして敵を絶命させることだって可能なはず。
にもかかわらず、狙いにくい膝を潰す事には、何かしらの理由があるのか。
「……って、そんなこと考えている暇なんてないんだって! 一刻も早く辿り着かないと!」
自分に突っ込みを入れながら、一旦落ち着くために、その場に立ち止まって深呼吸する。
(とりあえず、今はあの場所に向かわないと。もし、あの人に何かあったら……!)
「森の精霊よ、お願い、私をあの場所まで案内して。―――『未知案内』」
居ても立っても居られなくなった彼女は、ついに力の一端を使うことにした。
短絡的で思い立ったら考えなしに行動するのは、慎重であるべき騎士とは言えない。
そんなバリューの悪癖だが、その直感的な判断力は、無駄にならない程度に多くの場面で、彼女やその周りの助けとなっている。
今回もそうであることを願い、親愛する人の無事を祈りながら彼女が地に両手をつくと、淡く小さな緑の光がふわりと浮かび上がり、道を示すかのようにゆっくりと進み始めた。
「すぐに向かいます。それまでどうかご無事で……!」
目的地で待ち続けているだろう、かの人へ告げるように呟くと、見た目からは想像もつかない速さで、彼女は暗がりへと駆けだした。




