十日目の明朝、彼女は姿を消す
それが発覚したのは、普段と変わらない快晴の早朝時だった。
「…………」
右手が使えないライトは、前のめりになって机の上の新聞を眺めつつ、紙面の内容に目を眇める。
一面にはでかでかと『トゥエントリー沿岸国、遂に陥落!!』の文字が踊っていた。
バリューと少しだけ話しをした夜の翌日から、彼は朝早く診療所を出ると郵便局に立ち寄って新聞を読む日課をつけている。
普段なら世の中の情勢を知るためだけの理由だが、今はそれだけではない。
バリューと会話する内容が、あまりにも堅苦しいものばかりとなっていたことを加味して、今後の話題探しも兼ねている。
こうして話題探しに本気で取り組む辺り、手先こそ器用ではあるが、人との関わり合いに対してはやけに不器用だった。
とはいえ、今のライトは陥落した《トゥエントリー》の状況把握のみに考えを注力しているのか、大きな机の上に置かれた新聞から目を離すことなく、すぐ近くに置いていたコーヒーをちびちびと飲んでいる。
これには、普段なら気軽に話しかけていたアレスも、話しかけるタイミングに困っていた。
「随分と熱心に読んでいますね。そんなにその記事が気になりますか?」
「……ん? ああ、これでも旅する身だからな。国際情勢の影響で足止めを喰らう、なんてことは極力避けたい」
「確か、お二人は東へと旅に出ていたのでしたね。だとしたら、まあ、今回の一件もありますし、至極当然ではありますか」
二人が乗っていた蒸気船は、本来ならそのすぐ隣に位置する小国、《ナイメル》に到着する予定だった。
だが、途中で海賊に襲われ船長不在となった今、そのまま《ナイメル》の地まで航行するのは難しく、かといって《トゥエントリー》に臨時入港するわけにもいかない。
蒸気船の乗客たちは不運なことに、また《チルダ》まで戻されることになったのだろう。
「それにしても、ライトくん、遂に僕に対して敬語すら使わなくなりましたね……」
「考えてみれば同年代だし、この国の人じゃないんだから当然だろ。むしろユニに対してああいった態度を取れるくらいなんだし、俺としてはアレスも砕けた口調で全然構わないんだけどな」
「うーん、それだけで判断されるのは少々解せませんね……。それに、ライトくんたちはこの国のお客様みたいなものですし……あ、コーヒー無くなってますね。おかわりはどうします?」
「ああ、ありがとう。もう少し濃いめで頼む」
「ははは、これではもう郵便局員というよりも執事ですね……」
軽くボヤきつつも、空になったマグカップを手に取ったアレスは、近くの給仕室へと向かう。
オレンジジュースを強請りにくるユニのためか、給仕室の入り口には瓶詰めされたオレンジ色の液体がずらりと並んでいる。
されど、それは昼時の話。早朝の今頃に郵便局へと訪れるのはライトぐらいだった。
ちなみに、あれからユニはほぼ毎日診療所へと顔を出している。
ライトやバリューという、気の許せる友人が二人もできて喜んでいるのだろう。
特に女性同士ということもあってか、バリューとはウマが合うらしく、ライトをほっぽり出して二人で盛り上がることがしばしあった。
バリューの気さくさはこういった場合に役立つが、だからといって誰彼構わず普通に話しかけるのはどうかと思うライトだった。
「そういえば、僕とは度々話してますが、バリューさんとはちゃんと話しているのですか?」
「……? ユニに邪魔されることこそあるけれど、話はしているぞ。それがどうかしたのか?」
「いえ、朝一番にこうして新聞を読みに来ることを咎める気で言うわけではありませんが、せっかくの話せる時間をこうして割いている辺り、話しているつもりになっているんじゃないかな、とね」
……何が言いたいのだろうか。
新聞紙に向けられていた目線だけをアレスの方へ向けると、色白のっぽな青年は肩をすぼめていた。
「……そうしないためにも、こうして早朝を選んでるんだろ。新聞の閲覧も話題作りの一環だと予言っていたはずだけどな」
いや、確かにそう聞いて入るけれど、実際に目にしたことはないからね、などと宣いながらアレスはマグカップを流しに置いて戻ってきた。
「とにかく、コーヒーのおかわりはキャンセルにしておくから、今日はもう戻ったらどうだい? 新聞ならちゃんととっておくからさ」
「ーーーーわかったよ。こんな感じで何かしら思わせぶりな行動するから、アレスは度々ユニにちょっかい出されるんだぞ、ったく……」
多分コーヒーが尽きたから追い出されたな、などと考えて郵便局を出ると、診療所へと向かう道すがら、思考を先ほどの新聞の内容へと切り替える。
「ひと月前の話だから、知ることが随分と遅くなってしまった……。とはいえ、《チルダ》での出来事で気付けなかったことが一番のミスか」
今頃になって情報が新聞に掲載されたのも、治安の悪さから情報が錯綜したからに違いない。
また、ここは島国ということもあって、大陸と比べるとこういった新聞が流通するのに時間がかかるのだろう。
それでも、新聞が出回るのが遅れるほど治安が悪くなっていると仮定すると、《トゥエントリー》近辺を通る道はなるべく避けるべきだと、進むべきルートを大回りの形に切り替える。
(《チルダ》のマーケットで見かけた奴隷たちやナトリーも、おそらく《トゥエントリー》の出身だろうな。そうでなければ、屋敷で見かけた奴隷たちの種族的に説明がつかない)
普通ならば奴隷商たちは、人間よりも力の強い獣人たちを、爪や角や牙といった鋭利なものを削ぎ落として隷属する場合が多い。
しかし、《チルダ》のマーケットでは救出された奴隷たちの大半が、見た目こそ普通の人たちだったので、その時からライトは疑問を覚えていたのだが、本日新聞を確認したことで漸く納得することができた。
(……けれど、納得できていない箇所も多いんだよな)
一つは首都を陥落せしめた者たちの数が百人規模の少人数だったこと。
予め慎重に練られた電撃作戦だとすれば一概に否定はできないが、そんなことを容易く達成できる者たちとすると、一人一人の能力が一部隊相当なものだということになる。
二つ目は外壁をたった一撃で破壊した物の存在。
考えられるとすれば『三種の神器』の一つ『焦雷弩』だが、そもそも『三種の神器』は何者かに利用されないよう厳重に保管されているか、あまりの危険性から破壊されているかのどちらかの手がとられている。
『焦雷弩』は破壊されたとライトは認識しているが、それを何者らが蘇らせたのだとしたら、技術力としても新興国を超えていることになる。
そして三つ目、生物兵器として製造又は改造された人たちを瞬く間に味方につけ、首都圏に住む者たちを見殺しにするようにするよう告げた男。
その文の続きには、『片角を生やし、死人のような顔で屈託のない笑みを浮かべる、まるで悪魔のような男が目撃された』と書き込まれているが……。
「ーーーーいや、あいつのはずはない。あいつはあの時、間違いなくバリューがとどめを刺したはずだ」
思い浮かんでしまった最悪の想定を振り払うように頭を振っているうちに、いつのまにか彼は診療所の前まで戻ってきていた。
普段よりも早く郵便局から去ったので、おそらくまだ誰も起きていないだろう。
(結局、アレスのせいで今日は話題にできそうなものを見つけられなかったな……)
さて、どうしたものか、と今更になって悩み始めたライトは、冷え切った廊下を進む……。
(……ん? 待て、どうして廊下が冷え切っているんだ?)
朝方はどうしても冷え込むので、寝る前はしっかりと戸締りとしておくようにな、とロウエンから言われていた以上、廊下がここまで冷え込むはずはない。
アレスからの意味深な発言が、今になってライトの思考を浸食していく。
まさか、という思いから、半ば早足で共同病室へと歩みを進めるとーーーー。
「……バリュー?」
いつもはベッドの上でまだすやすやと寝ているはずのバリューの姿はなく、朝の涼しげな風を受けてカーテンがなびくほど、すぐ隣の窓が大きく開け放たれていた。




