今日の日が終わる前に
「……では、何かあったら、先ほど教えたように壁のボタンを押すように。また、昼寝したとはいえあまり夜更かししてはならんぞ?」
「はい」
「それじゃあ、おやすみなさい、ライトくん、バリューちゃん」
「おやすみー」
時刻月明かりが島を仄かに明るく照らす夜になり、同室に移動されたライトたちは、一足先に寝ると言っていたハンセン夫妻が部屋を出て行く後ろ姿を見送った。
バリューが浅い眠りについたその後、数刻もせずにライトとアレスは診療所へと戻っていた。
アレスは、明日の朝は早いからと、すぐに職場兼自宅の郵便局へと帰り、先に戻っていたハンセン夫妻は医学書を読み耽ったり夕食の支度中だったりと声をかけづらい状況だったため、彼の足は自然とバリューのいる病室へと向かうこととなる。
「どうだ、調子は……って、寝てるのか」
ベッドに仰向けになっているバリューは、端正な顔を崩すことなく静かに寝息を立てている。
普段なら人の接近に気づいて眼を覚ますはずなのだが、物置を立てながら真横まで接近しても起きないあたり、相当の疲労が蓄積されていたのだろう。
「……悪い、俺のせいで色々と気を遣わせてしまって。右肩の不調は蒸気船内で既に気づいていたが、心配をかけさせないように黙っていたのは間違いだった。……反省している」
ばっさりと短髪にされた彼女の寝顔をじっと見つめていると、ライトの口は自然と開いていた。
それも、自分でも驚くほどにすらすらと、伝えたい言葉が口から溢れてくる。
「けど、お前も大概だからな? 俺と同じで体の不調に気づいていたのに、ずっと話すことなく一人で抱え込んでいただろ? それでいて意識を失った俺を庇いながら戦うなんて、無謀にも程があるぞ」
浜辺の道でユニから諭されたばかりだからか、はたまた疲れのせいで普段よりも口数が増えているのかは定かではない。
もしかしたら、昔のように何かと口に出してしまう癖が戻って来ているのかもしれない。
ふと仲の良かった友人たちを思い出し、彼の顔に憂愁が浮かぶ。
「……まあ、少なくとも、俺一人ではこんなところまで行くことすら出来ないのは確かだろう。俺がここまで来れたのは、ひとえにバリュー、お前が居てくれたお陰で、紛れもない事実だ」
思い返してみても、今後の方式や反省、たまにどうということもない話もするが、こうして感謝を伝える機会など殆どない。
本当ならば面と向かって口にするべき言葉だが、たとえ聞こえてなかったとしても、これは予行演習みたいなものだと自分に言い聞かせて、ライトは再度口を開く。
「だから、あまり一人で抱え込もうとするな。お前が背負えないものは俺が背負うし、一人で抱えることが出来ない問題は二人で抱えればいい。違うか? それに何よりも……」
ライトは病室の机に置かれていたロケットを、……元々は壊すことが無いようにバリューが持っていたそれを、再び彼女の左手に握らせる。
「俺たちは共に旅路を歩む相棒だろ」
たとえそれが、親友の死を親族に通告し自らの騎士人生に終止符を打つ終わりに向かう旅だとしても……。
ロケットを握らせたバリューの手に自分の手を添える。
彼女には、もう二度とそれを手放して欲しくはないから。
「あら、あらあらあら! ライトくんも隅に置けないわねぇ」
「――――っ!!」
慌てて声が聞こえてきた方へ顔を向けると、逆光に照らされた割烹着姿のオルカがニヤニヤと笑っている。
きっと眠っているバリューへと話しかける不器用さに、微笑ましさを感じているのだろうが、影色になったオルカの笑みがあまりにも不気味なので、ライトですらも怯みかけていた。
「なんて、茶化すのはさておいて、夕ご飯の支度が終わったから、バリューちゃんを起こしてもらえるかしら? お話の続きは食事の後に作ってあげるから」
「あ、ああ……。そうさせて貰う」
「ふふ、その感じだと、ユニちゃんから色々と言われたのかしら。お散歩の話は食事中にでもしましょうね」
どうやらオルカは自分たちの事情を何かとお見通しのようだ、と勘づいたライトは、その場で小さく溜息を吐くと、一向に起きる気配のない呑気な寝顔をした相棒の額を少し強めに弾いた。
その後、叩き起こされて少し不機嫌になっていたバリューを連れ、ハンセン夫妻と共に夕食をありつくこととなる。
病室から一切出ていなかったバリューは、ライトが急に砕けた口調で夫妻へと語りかけていたことに困惑するが、島での話を聞いて納得しつつも驚いていた。
病気の件についても多少触れることにはなったが、今の段階では治癒手段の見込みがないらしい。
そのためロウエンは、日中島を歩いて原因となりそうなものを探し、夜は医学書に解明のヒントを探しているといった多忙な身となっている。
珍しく賑わった食事を終えると、ライトのベッドをバリューの病室に移動される運びになっていた。
オルカが彼に話す機会を作ると言ったのはこのことだろう。
また、その際にリハビリに向かないからと車椅子を没収されるが、代わりに左腕用の松葉杖が支給された。
そうして今、並んだベッドの上に座っている二人が、向かい合って話し始めるという状況に至る。
「さて、ようやく二人だけで話せるようになったが……、とりあえず今一度現状の確認と今後の課題について話すか」
「蒸気船で海賊たちに襲われて、止めようとしたら返り討ちにあって捕虜として連れ去られて、化け物のせいで船から投げ出されて、運良くロウエンに助けられた、ってところだよね。……《クラッドレイン》でもそうだったけど、だった数日間の出来事とは思えないよね……」
「旅路から脱線している状況だと考えると、正直、《クラッドレイン》での出来事の方がマシだと思うぐらいはある。今回は島国で動きたくても動けない状態が拍車をかけているしな」
今でも《クラッドレイン》は、二人とも長く足止めをしてしまった場所として共通の認識となっている。
とはいえ、あちらは半月程度の滞在なので、ひと月以上移動が困難な今回に比べてはまだマシではあるが。
「それにしても、運がいいのか悪いのかよくわからないよね。あのままだったら絶対死んでたけど、運良く通りかかったロウエンが医者だったおかげで、一つも失ったものなんてなかったけど、そのロウエンがまさかの『寛大』だったなんて……」
「『悠鯨のハンス』だったことは俺も流石に驚いた。だが、あの場を運良く通りかかったというのは恐らく嘘だ」
「え、そうなの?」
「多分だが、ロウエンは海賊船を襲った怪物と何かしらの因縁がある。普段島からあまり出ないというロウエンの言葉を信じるなら、だけどな」
「だから、海に沈む私たちに気づいたってこと?」
「そうでもないと、あんな怪物の側を通った時に見つけただなんて言えないだろ。俺たちに言えないってことは、あくまで騎士としてではなく、個人的な因縁に依るものなのか、或いは――――」
聞いているバリューが困惑するほど唐突に、話の途中で急に口を噤むと、やってしまったとばかりに左手でこめかみを抑えた。
「……何で話を脱線させているんだか……。そんな話をするために言いだしたことじゃないってのに」
「……? 急に頭を抱えてどうかしたの? まさか、頭に傷があったり……!」
「違う違う! そうじゃなくてだな……」
曖昧な回答のせいでなおのこと彼女の頭に疑問符がつくが、困惑しているのはライトも同様で、夕食をいただく前、あれほどスムーズに出てきた言葉が全く言い出せないでいた。
きっかけを言い出すことほど簡単なものはないというのに、肝心な時に言葉が詰まってしまい、戸惑いを覚える。
(何を慌てているんだか……。バリューに言うことなんて、予め決めていただろ)
余計な雑念を振り払うように軽く頭を揺らし、肺に溜めていた息を一旦吐いた上で、漸く喉元で詰まっていた言葉が吐き出された。
「……バリュー、体調を偽ってまで無茶をするのは、今後一切やめてくれ。海賊船内で動かなくなった時は本当に心臓が止まるかと思ったぞ」
「それは……ごめん」
「とはいえ、俺も自分の考えに捉われ過ぎていたから、バリューのことを言える立場ではないけどな。旅という一筋縄ではいかない状況である以上、やはり考え方を改める必要がある」
その節は本当に済まないと思っているのだろう、肩を落としてしょんぼりと項垂れていたバリューは、続いた言葉にハッとして、上目遣いするような形で顔を上げる。
「ライトもユニちゃんから色々と言われたんだね」
「も、ってことは、バリューもオルカから何かしら言われたんだな。そう考えるとやはりハンセン夫妻とアレス、それにストラク王とユニには、病以外の何かしらの関係がありそうだな……ってそうじゃなくてだな……」
再び頭を抱え始めたライトを見て、思わず笑みが浮かぶ。
普段なら考えに詰まることがない彼がこうも言い淀んでいるのは半ば新鮮だった。
「やっぱり、普段の癖を直すのってなかなか難しいね」
「だからこそ、この機会にある程度は直しておくべきだ。目的地まではまだまだ遠いしな」
「まだ三分の一もいってないもんね……。張り切り過ぎたら途中でへばっちゃうってわかったから、これからは適度に休息しなきゃね」
潮風の島は諸島の中でも最南端付近に位置してはいるが、大陸との距離は南大陸、北西大陸、北東大陸の順に近い。
なので、二人は随分と遠回りをしている状況だった。
バリューの言葉に相槌を返そうとして、つい彼の口から欠伸が溢れる。
彼女とは違いライトは意識を取り戻して以降ずっと起きていたこともあり、体力的にはもう限界を迎えていた。
「じゃあ、今晩はもう寝るぞ。遅くまで起きていてもどうしようもないからな」
「夕方に少し寝ちゃったから、あんまり眠たくないんだけど……」
「横になって瞼を閉じれば自然と寝付けるぞ」
「えぇ、それって本当なの……?」
信憑性を感じられない内容から怪訝な表情になるバリューだったが、言い出した本人はすでにシーツを被り横になっていたので、バリューも渋々とその言葉に従う。
「おやすみ、ライト」
「ああ。おやすみ、バリュー」
既に明かりが消された部屋は、彼らの挨拶を終えたあと、久方ぶりとなる心地よい沈黙に包まれる。
されど、二人とも気づいていた。
いくら誰かからアドバイスを受けたとしても、そのアドバイスを実践したとしても、それだけで解決してしまうほど、自分たちが抱えている問題は単純ではないと。
それでも、もしレイジが生きていたならば、今の二人を見てこう言ってくれるだろう。
『つま先だけの距離だとしても、前に進んだことに変わりはない。進める時に進めばいいんだぜ?』と、アドバイスでも、意見でもなく、ただ自分はそう思うといった言葉を。
……ただ、その言葉に二人がどれほど救われたとしても、普段から染み付いてしまった悪癖はそう簡単に抜け落ちない。
そして、十日目の朝。
ついに二人に対してロウエンが危惧していた出来事が起こってしまった。




