潮風の島について その1
潮風の島は、《北西大陸》から遠く南南東に離れた《ティルクミット》諸島に連なる小島である。
大陸とは違い点在する島の数多くが平坦な地形であり、それ故に主な食料は魚介類や高温多湿な環境でも問題なく育つ穀物、そして諸島にのみ群生するシマヤシの果実となっていた。
諸島の中でも人気のある落日の島は、豊かな自然とリゾートな雰囲気を楽しもうと、年中観光客が絶えず訪れている。
ここ潮風の島も知名度こそは無いが、白い砂浜が広がる海岸線はまさに絶景と呼べるだろう。
永遠に続くかのような浜辺を望むと、なるほど確かに心踊るような、それでいて安らぎを感じられるような、言葉で表すにはなかなか難しい感動を覚えるものだな、とライトはゆったりと動く車椅子に揺られながら、ぼうっと海辺を見つめていた。
(この場にバリューがいたら、絶対裸足になってはしゃいでいただろうな……)
置いてきてしまった相棒のことを思い出し、溜め込んだ息をゆっくりと吐き出すと、むすっとした顔が下から覗き込んできた。
「もう、せっかくきぶんてんかんもかねておさんぽにさそったのに、さっきからずっと、しんきくさいかおのまま、ためいきばっかりついてるよ?」
「……ああ、うん。気を悪くしたならごめん」
「べつにきにしてないけどさー。こころここにあらずってかんじだし。もしかして、おいてきたこいびとがしんぱい?」
「恋人じゃなくて、ただの相棒だけどね。……うーん、どうだろう。よくわからない、かな」
えー、つまんないのー、などと言って道の先へと駆けていくユニに目を向けながら、年端もいかない少女にまで悟られるかと、彼は今一度小さく嘆息する。
閉じ込められていた時にも気づいていたが、それでも彼が思っているよりも長い長い間、碌に食事をしていなかったのか、はたまた食べて吐き出すを繰り返していたのか、バリューの顔は随分とやつれ、痩せ細っていた。
それに……。
「どうしました? もしかして、体の調子が悪くなってきたのでは……?」
「いや、そんなことはありません。……けれど、体が弱っているからでしょうね、心の調子が非常に悪いのは」
「ほらー、やっぱりしんぱいなんじゃん。ほらほら、こんなときこそふだんのうっぷんをはらせるチャンスだよ!」
「鬱憤を晴らすって……」
そんなに落ち込んだ表情になっているのか、鏡がないので確認するすべがなかったが、一瞬にしてその場に戻ってきていたユニはともかく、絶景を楽しんでいたアレスにまでこうも心配されるほど、今の自分には平常心を保つことすら難しいのだと、気づかざるを得なくなった。
「……まあ、積りに積もった文句ならあるかな。もうちょっと口調を柔らかくできないのか、行儀よく食事が出来ないのか。それに、喧嘩っ早い癖をいい加減直してほしかったり、不器用なら俺に頼ってくれたっていいのに、何でも自分でやろうとして無理ばかりして――――」
……だからだろうか。
彼の口から自然とバリューの愚痴が出てきたのは。
意地っ張りでワガママ、それでいて他人思いで無理ばかりする彼女へ、普段から言っている文句言えない文句を止めどなく言葉にして、そこでライトも漸く理解した。
旅の中で、自分の話をバリューに伝えたことも、彼女の話を聞いたことも殆ど無いということに。
「急に沈黙しましたが、どうかしました?」
「いえ……散々文句を言ってしまいましたが、俺がバリューにそう言える資格なんてないんですよ。あいつは不真面目そうでいて、誰よりも努力家なので」
「しかくがないっていうのはどうして? らいとはどりょくしてないの?」
「あー……。恥ずかしい話だけど、ベッドに寝ていたバリューに、何て声をかけてやればいいかわからなかったんだ。動けないことは辛いだろうし、自分のせいで……なんて思っているのなら見当違いだと言ってやる気ではいるけれど、どうしてもね」
「それでいて、この場で僕たちにこうして話していることが、心苦しく感じてしまう。……そういうことですね?」
「ふうん……。なんぎなことでなやむんだねぇ?」
海岸を背にして話していたユニは、ライトの正面に移動すると、手を後ろに回し前のめりになって、項垂れる彼のの顔を覗き込む。
「いろいろきにしすぎじゃない? ばりゅーはらいとにもんくがあるとかではなさそうだったけどなぁ。どちらかといえば、おもいつめたようなかおしてたけどね」
「うん。それは俺も感じていたよ。でも、肝心の理由についてわからないのが悩みの種でね」
「うんうん、おとめごころはむずかしいもんねー」
どこからどう見ても小さな女の子にしか見えないが、まるで乙女心が何たるかを分かっているかのように、神妙な顔つきでウンウン頷く。
そんなユニに対して突っ込みを入れたくなったのか、アレスは、ははは……、と乾いた口調て苦笑いを浮かべたままだった。
「他人の内心を悟ることがここまで難しいとは思いもしなかったよ。昔の自分にもっと勉強しろって言わないとな」
「ながいあいだそばにいたんじゃないの?」
「……どうだろう。互いにいがみ合っている時期が長すぎて、相手のことを考える機会がなかったからね」
ライトは寂しそうに笑い、小高い丘の広葉樹の林の中にある診療所へと首を向けるのと同時に、一昔前までのことをふと振り返る。
二人が普通に会話できるようになったのは、最後の砦を攻め落としてレイジから別れを告げられた時と、随分と最近のことである。
ともに作戦行動をとることになってから逆算しても、知り合ってからまだ四年もたたない。
戦いに明け暮れる日々だったからか四年間とは思えないほどやけに濃密に感じられるが、それでも彼らが会話する機会は、共に過ごした時間にしてはあまりにも短かった。
「それと、考えられるとしたら、普段から必要最低限の会話しかしなかったからかな。無理に話をすることはないし、俺からバリューに話す機会もあまりなかった気がするよ」
「ふむふむ、ようするにあいてにあわせているつもりのたいぷのかんぺきしゅぎってことね。それじゃあだめだよー」
「……? 完璧主義じゃいけないのかい? 少なくともお互いに会話するくらいならむしろいいんじゃないかなと僕は思うけれど」
「はーぁ、これだからおとこは……。かんぺきしゅぎで、ごうりしゅぎなひとばっかり。だから、あたまがかちかちにかたいんだよ?」
聞くことに徹しているからか、あまり会話へと参加しないアレスを一喝すると、ユニはそのまま人差し指を突き付ける相手をライトに移す。
「らいとはさ、もしかしなくても、かいわひとつひとつにいみをもとめてるでしょ」
「……そう、だね。その通りだよ」
想定外のことを言われ、思わずたじろいでしまう。
嘘を吐く意味がないので何も身構えてはいなかったが、こうも容易く確信を突かれるとはライト自身想定すらしていなかった。
「やっぱり。でも、それじゃだーめ。ひとのほんしんをみぬきたいなら、たあいもなくてとくにいみもないはなしがいいよ。かんがえながらはなすよりも、そっちのほうがいとすることなく、ほんねがついぽろっとでちゃうの。かんがえながらはなしたって、ただつかれちゃうだけだしね」
「そう、なのかな?」
「そうそう。それとさ、らいとはまちがいやしっぱいをおそれて、おおきなからにとじこもっているようにみえるよ?」
「う……っ」
またもや図星を指されてしまい、流石のライトも戸惑いがちになるが、それよりも早く浮かんできたのは素朴な疑問。
十才にも満たないこの女の子は、どうしてこうも自分の心中がわかるのだろうか。
些細な興味からそのことを問いかけようとして、彼は口を開くが、出てきた言葉は全く別のものだった。
「それはね、理由があって話せないんだけど、ちょっとしたことがあって臆病になっているんだ。間違えてしまったら、それこそ大切なものを失ってしまうような気がしてね」
吐露した声は自らの心中を赤裸々に語るようなもので、当然ながらライトは話すつもりもなかった。
それでいて、ユニの前では隠し事が出来そうに無いとも本気で思ってしまう。
子供ながらの純粋さに惹かれた結果なのか、或いは自分が知らない何らかの不思議な力を持っているかのようだった。
「あのね、なにもできないことが、なによりもしっぱいなんだよ。こうどうしたらぜったいにかてになるし、いいわけすることだってできるもんね」
「……まあ、言い訳なんてする気はないけれどね」
聞いたことのある言葉に彼の声はつっかえ、少し反応差がある返しとなってしまった。
一言一句は違えども、ユニが言っていたことはトラウマが彼の夢の中で語りかけてきた言葉とほぼ同じ。
それでも、夢の中の男と違って言われても嫌な気がしないからか、彼女の言葉はぽたりと点滴のようにライトの腑に落ちる。
「もちろん、そのしんちょうさがわるいというわけじゃないよ。ばりゅーがあんなかんじのひとならなおさらね」
「こら。あんな感じの人って言うのは流石に言いすぎじゃないかな?」
「あ、もしかしてゆうびんきょくいんさんってああいったひとがタイプなの? ひいきしちゃだめだよ、らいともたいがいだけど、ばりゅーもけっこうなひどさだからね」
どうやら室内にいたあの短時間で、バリューが抱えている問題にも気づいているようだ。
この子は本当に何者なのだろうか、と、ライトが真剣に考えてしまうくらいユニちゃんは冴えていた。
それにしても、ユニはアレスが何か言うたび、敵対視するようにしつこくつっかかっているが、目の敵にしてしまう理由でもあるのだろうか。
いちいち律義にライトの背に回り、アレスの脇腹を執拗に抉り取るような拳でガツガツ殴り掛かるユニちゃんは、どうしても年相応の女の子に見えず、ライトは微かに頬を緩めた。
「ああ。ユニちゃんの言う通り、あまり慎重になりすぎないように心がけてみるよ」
「んー、とうぜんだけど、だれにたいしてもむりにこうどうをおこせとはいわないよ? でも、せめてばりゅーのまえではしぜんたいでいてあげて。そしたらきっと、らいとのおくびょうさがしぜんになくなっていくはずだとわたしはおもうから」
「自然体、か」
今まで自分のことを語ろうとも、人のことを知ろうともしなかったライトだが、ユニから散歩に駆り出されたことで、随分と考えを改め始めていた。
バリューの悩みについて深く踏み込んでもいいのか、一度問いかけることもありかもしれない。それに……今まで口にしなかったことを、伝えられなかったことをいい加減に語るべきなのかもしれないな、と。
「それと、ささいなことでけんかしていいんだよ? きをつかってばかりだとつかれちゃうでしょ。ねぎらいのことばをかけあうなかもいいけれど、やっぱりなんでもいいあえるような、そんななかがいちばんなんだからね」
ライトの膝にぴょんと腰かけると、彼の顔がある背後を見上げて、えへへー、と笑いかける。
その顔がなぜか、自分より少し目上の女性が慈しみにあふれた微笑みを浮かべているような錯覚を感じつつも、彼はどこか疑問の確証を得たかのような、石鹸でまっさらに洗われたかのような清々しい気持ちになる。
「――――ありがとう、ユニちゃん。思いつめていた分、結構気が楽になったよ」
「さすがユニちゃん、島をあてもなくうろついているのは伊達じゃないね」
「えへへー、どういたしまして! ……でも、ゆうびんきょくいんさんはあとでやしきうらね」
唐突に不穏な事を言われたからか、屋敷裏!? どうしてだい!? 何も悪いことは言ってないじゃないか! と細身の青年があたふたし始める。
一見は好青年の印象があるが、どうやら素で腹黒いというか、他人の怒りのツボを押すというか、そういった一面がアレスにはあるようだった。
ユニがああもつっかかっていたのは、そのことが原因かもしれない。
「ああ、そうだ。さっきから気になってはいたんだけど、ユニちゃんは難しい言葉をよく知っているね。……アレスさん、この島の子供たちはみんなこんな感じなんですか?」
見ていて流石に不憫だと感じたライトは、ここにきてようやく助け舟を見出す。
当初から気分こそ落ち込んではいたが、島を散策しているうちに小さい子から成年間近の年齢層の子供たちによく遭遇していたので、少しばかり気になっていた。
その時に、大人はいないのかとアレスに問いかけると、日中は仕事に出ているから街中ではなかなか見かけない、との返答があったが、それでもライトの疑問は絶えなかった。
「さあ、ユニちゃんの家がそういった教育方針なのではありませんか? みんながみんなユニちゃんのようなのかはさておいて、こういった話し方をするのはユニちゃんぐらいだと思いますよ」
さっきまで仲がよさそうだったというのに、この話題を振ってからアレスがどこか他人行儀に感じられる。
それか、ついに脇腹を左腕でガードし始めたことから、笑みこそ絶やさないが、いい加減にうざったらしいとも感じているのかもしれない。
「まるで別の国から来た人みたいな言い方ですね」
「あ、そうです。言ってませんでしたが、僕は《北西大陸》の出身なのですよ。この島に着任したのもつい二、三月前でして……」
「もしかして、《クラッドレイン》ですか?」
「おや、よくわかりましたね。さてはライト君も《ハーツ》の出身だとか?」
「いえいえ、勘で言ってみたら当たっただけですよ。自分はもう少し西の小さい農村の出身です」
「へぇ……《フェルメア》に差し掛かる辺りかな」
「まあ、そんなところです」
(……なんてな。なるべく話さないようにしているあたり、やっぱり何か隠しているな)
ライトは先程勘といっていたが、あれは嘘だ。
アレスは南国とはかけ離れた白い肌をしている。その割に温暖な気候に慣れていることを考えれば、自然と《クラッドレイン》の出身だということは把握できた。
わざわざ勘という嘘を吐く必要もなかったのだが、ずっと隠し事をされていると気付いてしまった以上、どうしても正直に答える気にはならなかった。
隠し事といえば、目の前でにんまりしているユニもそうだ。
親身に接してくれたことは感謝しているけれども、どこかいたずら心のようなものを感じ取れてしまう。
――――なので、先程諭されたことを実践するように、ライトは何気なく声をかけた。
「そうだ。ユニちゃん、一つ質問してもいいかな?」
「しつもん? いいよ。なんだってこたえてあげる!」
「それじゃあ遠慮なく。
――――君は、一体いくつなんだ?」




