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絶対安静期間

「……これが、俺たちが覚えている全てです」

「そうか……、災難だったのう」


 ライトからこれまでの経緯を聞かされると、苦々しくロウエンは唸り、その隣でオルカは口元を手で覆い慄く。

 怪我による痛々しい出来事もさることながら、二人が顔を顰めるに至ったのはそれだけではない。

 常人にはおよそ耐えられそうにない、日の光すら当たらない不衛生な環境での生活。

 それを丸三日間、彼らは意識を保ったままで過ごしていたというのだから、あまりの壮絶さに顔を顰めてしまうのも無理はなかった。


「結局、海賊船を襲った怪物に関して、俺たちは認知できていないことになりますが……」

「それについてはこの近海において目下の問題点であってな、わしらの問題でもある故、今は割愛させてもらうわい。むしろ、おぬしらが蒸気船にが乗っておったとき、人魚が見られなかったことが少々気になるのう」

「それって、ただ運が悪かったとかじゃなくて?」

「実は人魚って亜人種でも人間に近い分類に位置する種族なのよ。だから、水中で呼吸できないから息継ぎするために海面に出てくることはよくあるわ」

「もし、海に落とした船長を助けてもらわないよう、人魚たちにちょっかいを出していたのだとすると、やはり海賊船の船長はあの大悪党に違いなかろうな」

「あの大悪党、とは?」

「それは……」


 ロウエンの顔がピタリと硬直し、しまった、と言いたそうにもごもごと口ごもる。

 だが、一度言ってしまったことを訂正するにはもう遅いと感じさせるほど、ライトの双眸は食い入るように見つめてきた。

 ならば、やむを得まいと、少しばかり逡巡した末、ロウエンは意を決したように話し始める。


「数年前、この大海を統べる海王へ反乱を企てる輩がおった。おぬしらの話に出てきた魚人と、その反乱の主犯者の見た目や周到さが酷似しているものでな。まず間違いなかろう」

「当時は旦那も海王様の元に務めていたから、大きな被害が出なくて済んだのよ。北東大陸の内陸地にある湖に追放されたはずなのに、まさか今になって戻ってくるなんて……」

「にわかには信じられんが、どうにか脱出したのであろうな。怪物にやられるほどやわなやつではない故、下手すれば今もおぬしらを狙っているかもしれん。敵の姿も知らずに対策を立てるほど無理な話はなかろうし、この際やつの見た目だけでも教えておかねばなるまいな」


 本当は教える気などさらさらなかったのだが、と小声とは呼べない声量で嘆息するロウエンだったが、ここまで話してしまってはやむを得まいと、続く言葉を吐き出す。


「やつの名はカルカリアス・デパンドル。赤褐色の体色と二並びの鋭利な牙が特徴的な、渇欲鮫(クリフォシャーク)の魚人である。この島におる限り遭遇することはまずなかろうが、油断はしないように。よいな?」

「カルカリアス・デパンドル、か……」

「あら、ライト君はカルカリアスについて何か知っているのかしら?」

「いえ、そんな頭の切れる魚人が一体どのような目的で俺たちを拘束したのか、どうしても判断できずにいまして……」

「人質を交換した理由は、強い人たちを捕らえられるほどの力を示すことが出来るからって言っていたけど、多分それだけじゃ無いような気がするんだよね……」


 行方知れずとなった悪党の思考がいまいち読めず、自然と深刻な顔つきになった二人に、頭上から警告の言葉が落ちてきた。


「良いか? 教えてはやったが、のちに奴と合間見えても復讐しようという気だけは起こすなよ」

「……何で? もしかして、誰に対しても『寛大』だからとか!?」

「その通りである。そも復讐で得られるものは碌でもないものばかり。ならば、まだ和解の道を選ぶべきであろう? ……とはいえ、犠牲者を出さないための抑制ならば必要ではあるがのう」

「抑圧、ですか」


 ロウエンの口から出た『抑制』という言葉で、ライトはふと、元『騎士連合』による妨害の線もあるのか、と考えてはみたが、流石に想定が飛躍し過ぎかと思考を止める。

 すぐ隣にいる相棒が頭を悩ませる中、バリューに至ってはそんなことよりも早く聞き出しておきたいことがあった。


「じゃあさ、怪我のことについてもっと教えてよ! 私たちは先を急いでいるんだから!」

「おお、そうだったな。すまんすまん。最近忘れっぽくなって良くないわい」


 急ぎの旅というのになかなか進めない時が続き、焦燥感のあまり声を荒げるバリューを宥めつつも、ロウエンはゆっくりと思い出したとばかりの表情をしている。

 オルカ曰く、ロウエンとは結構な年齢差があるらしいようで、口調や物忘れの様子からして老人のように感じられるが、水陸両生できる獣人だからか、はたまた別の理由があるのか不明だが、傍目で見るだけでは年齢が幾つなのか、ライトですら判別は難しかった。


「おぬしらの体の具合だが、無茶を積み重ねておるせいで酷いものであったぞ。修羅場を潜り抜けた回数は決して一度や二度のことではないのであろうな。……故に絶対安静期間なるものを設定した」

「えっ! まさか、このまま数日は動いちゃダメとか言わないよね!?」

「当たり前に決まっているでしょう! 特にバリューちゃんは見た目ではわからないとしても、体内は相当酷かったのよ? わたしの目が黒いうちは、当分外出許可は出せません」

「ぐぬぬぬぬぬ……」


 オルカのクワッと開かれた瞳と口に怯みつつ、かといって何か一つでも言い返すことも出来ずに、歯を食いしばりとても悔しそうに汚れ一つないシーツを握りしめる。

 体を動かすのが好きな好きなバリューにとって、船底生活で長らく体を動かせなかったことや安静期間を設けられることはさぞかし苦痛なことだろう。

 流石に気の毒にも感じるが、普段からしている無茶がたたったのだから休めるときはしっかり休んでほしいと思いながらも、ライトは一つとして気遣いの言葉を投げかけられずにいた。


「絶対安静期間って、どれくらいの間なの? まさか年単位とか言わないよね!?」

「流石にそれは大げさよ……。なんて、言えないくらいの状態ではあったけれども」

「そうさな……。少なくともライト君は一週間右肩を動かさないこと、バリューさんは今日一日ベッドから出ないことと二週間はこれといった運動を控えること、よいな?」

「……はい」

「――――はぁい」


 告げられた絶対安静期間に、彼らはしぶしぶと首肯する。

 とはいえ、なぜその日数が必要なのか、尋ねてみたいという気も二人にはあった。

 決して医師であるロウエンの診断に文句をつけるわけではない。

 だとしても、およそ半月の間この島に滞在し続けなければならないことには、どうしても納得がいかなかった。


 下を向くライトたちの返答を皮切りに、ロウエンやオルカも彼らの心中を察して言葉を発することをせず、場に重い沈黙が流れ始める。

 まるで沼に足を取られているような感覚に、どうしようもなく耐え切れなくなったバリューが口を開き……、


「あーーーーっ!」


 予想外の方向から聞こえてきた声に口を噤む。

 俯いていたライトたちと少し申し訳なさそうにしていたロウエン夫妻は、風鈴のような透明感のある、されど騒音蝙蝠(ギャンバット)ともいい勝負が出来そうな声量に驚き、声の主へと目を向ける。

 病室の入り口に立っていたのは、大きな家に似つかぬとても小さな女の子だった。


「ふたりともめがさめたんだ! よかったぁ!」


 言うが早いか、女の子は見た目にそぐわぬ奇麗なフォームで、ライトたちのもとへと駆け寄ってくる。

 喋り方が少し舌足らずなので、おそらく七、八歳ぐらいと思われる女の子は、ライトたちと同様に薄手で少し大きめの白い半袖半ズボンといった服装だった。

 どうやら二人が来ていた衣服は患者衣などではなく、この島においては普通の衣類らしい。


「のっていたふねからなげだされたんだってねー。みんなしんぱいしてたんだよ」

「これ、ユニ。勝手に診療所に入り込むなといったであろう」

「あぅ、ロウエンはいじわるなんだからー」


 ライトたちの周りをうろうろとしていた女の子……ユニは、ロウエンの大きな手に道を阻まれ、むぅ、とほほを膨らませてぽかぽかとロウエンの足に殴り掛かるが、サイズ差がありすぎることもあり、まるで歯が立たないようだった。


「あの、この子は……?」

「彼女はこの島に住む住人のユニ・セルファちゃんよ。ユニちゃん、男の人はライト君、女の人はバリューちゃんっていう名前なんだよ」

「ふーん。らいとに、ばりゅーね。よろしくー!」

「ちっちゃい子に呼び捨てされた……」

「普段誰にでも失礼な態度をとっている割に、それくらいでショックを受けるなよ……」


 普段の無礼さは無学な自分を正当化するものかと思っていたライトは少し戸惑いつつも、男性と見せかけ虚勢を張っているのは、多少なりとも内面には打たれ弱さがあるからかと考えを改める。


「ねぇ! ふたりはひまでしょ? てんきもいいし、しまのあんないもかねて、いっしょにおさんぽしよ!」

「何を言っておる。駄目に決まっておろう」

「えぇ? べつにいいじゃん! やっぱりいじわるなんだから!」

「何も今日でなくて良かろう。そも、バリューさんはベッドから出れぬし、ライト君は車椅子がないとろくに移動出来やせんぞ」

「そうだよ。何より私は外出しちゃダメだって言われてるからね」


 はしゃいでいるユニの言う通り、この日は心地よい風に日差しが差し込む時間が多い天気なので、絶好の散歩日和であるのは間違いない。

 それでも、二人は診療所を出ることが難しい体調であり、ロウエンも決して外出を承諾しないだろう。

 だが、ユニの表情には自信が満ち溢れていた。

 なぜならば、彼女には奥の手があったのだ。


「ばりゅーはざんねんだけど、そうなっちゃうよね。でも……ふふん! そんないじわるなことをいうとおもったから、こんなこともあろうかと、ゆうびんきょくいんさんにもきてもらったんだよ!」

「いや、僕はお届け物を渡しに来ただけなんですけどね……」

「あら、アレスさん。わざわざご苦労様ね」


 じゃじゃじゃじゃーん、と口にしながら廊下に出たユニが大袈裟に手招きをすると、数秒たったのちに、線が細く背の高い優男が扉からひょっこりと顔を出す。

 どうやら郵便局員のようで、大きな小包を抱えたまま満面に苦笑いを浮かべていた。


「荷物は後でいつもの場所に置いておきます。それと、君たちのことは島中に知り渡っていてね。とりあえず無事で何よりだよ」

「……のう、アレス。ユニの言う事など聞かんでも良いぞ? 所詮ただのワガママであろうしな」

「むー! そんなことないもん! ロウエンのバカ!」


 悪口とも受け取れる言葉に傷ついたユニは頬を赤らめて泣きそうになっているが、彼女の泣き落としは常套句なのか、ロウエンは毅然とした態度のままだった。

 だが、側にいたオルカはオロオロしているあたり、こういったことに騙されやすいタイプなのだろう。


「いえ、今二人の顔を見て確信しましたよ。目が覚めて時間もそうたっていないのかもですが、僕としても散歩は賛成です。辛気臭そうな顔で休むのは流石に難しいのではないかと。バリューさんはさておき、ライトくんなら僕一人でも運べそうですしね」

「そーだそーだ!」


 泣き顔からうって変わり、勝ち誇ったかのようなドヤ顔でアレスの冷静な言葉を肯定する。

 あまりの調子の良さにロウエンはついに頭を抱えだすと、心配そうにしているオルカの顔は逆にぱあっと明るくなる。

 身長差といい、随分と対照的な夫婦だなぁ、などと思いながら、ライトはぼうっと事の成り行きを任せ、バリューは時折近づいてくるユニの相手をしていた。


「はあ、そこまで言うのであれば良かろう。ではアレス、済まんがライト君が乗る車椅子を押してやってくれ。片手が使えない故、ろくに移動できないであろうからのう」

「もちろんです。快く受け賜りますよ」

「でしたら、わたしは車椅子を持ってきますわね」


 抱きついて来ていたユニちゃんを名残惜しそうに引き剥がすと、オルカは早足で部屋から出て行く。

 そのタイミングで、彼女の後ろ姿を眺めていたロウエンに不満げな声がかけられた。


「ふうん、やっぱり『寛大』なんだね。そのまま私たちの旅の続行も許してくれたらいいのに」

「いくら寛大とはいえ、自殺行為をするようなら普通に止めるわい。正直なところ、わしとしてはおぬしらがせっかく互いに生きて再開できたのだから、水入らずで話せるようにしたかったんだがのう」

「ん……。それもいいけど、無事が確認できたからこれといって話すことなんて、ねぇ?」

「そもそも、先ほどまでバリューは騒いでいましたし、少し休憩が必要かと」

「ううむ、それもそうか」


 話は後でもできるとばかりに素っ気ない言葉が返ってきたことに、どうやら納得はいかないようだったが、彼らには彼らなりの話すタイミングがあるのだろうと、ロウエンは深く言及しなかった。


「お待たせしました。見送る役目はあなたにお任せしますよ。わたしはバリューちゃんの診察をしますから」

「えっ」

「えっ、じゃないの。暴れて痛がっていたんだから、手術跡の様子を見させてもらいますからね!」

「えー」


 すぐさま車椅子を持ってきたオルカへとバリューがぶつくさ文句を言っているうちに、ライトは車椅子に座り、はやくぅ! と言って先に部屋から飛び出したユニを追い、アレスに押してもらう。


「じゃあ、少し出かけてくる」

「うん」


 顔こそ相手の方を向いていたが、目線があっていないままの会話を、ほんの一回の往復で終わらせて、二人は別れた。



「……お忙しいところすみません」

「いえいえ、お仕事もひと段落着いたので、僕は全然問題ありませんよ」


 数日前の嵐の名残りが残っているのか、少しだけ強い潮風を感じつつ、玄関先でアレスへと謝る。


「それより、……大丈夫ですか?」

「立っていると多少は辛いですが、座ったままなら全然――――」

「いえ、そちらではなく……。バリューさんとお話があったのではないのかと」

「ああ、大丈夫ですよ。ロウエンさんが見張っている以上、無理はしないと思いますし、話は診療所に戻ってからでも出来ますから」


 などと言いつつ、少しだけ気になったのか、ライトは玄関から続く一本道の廊下を振り返ることが

 部屋に入る前にあれほど騒いでいたはずのバリューの声が、開かれたままの玄関口から聞こえてこないことになぜか一抹の寂しさを感じたが、気のせいだろうと無視を決め込んだ。


「それじゃあ、レッツゴー!」

「全く……。ライト君、気分が悪くなったらすぐにアレスへと伝えて、早めに診療所へと帰るようにな」

「はい。それでは、少しだけ散歩してきます」


 誰の気を知ることなさそうに、ユニは大声を張り上げてずんずんと前を歩き出す。

 そんな気ままな女の子に呆れた顔を見せつつも、多少なりとも心配しながら手を振って送り出すロウエンに、二人は軽く会釈して前へと向き直る。

 その際、ライトはバリューが寝かされている部屋へと視線を向けたが、光の反射のせいか眩しくなった室内を見ることは叶わなかった。


「ライト……」


 反対にバリューは、窓の外に映る三人の後姿が見えなくなるまで終始無言でじっと眺め続けていた。

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