Past:離れ、落ちる。
何事もない船底生活からはや三日。
船底だからこそ今までは揺れを気にしなくても済んでいたが、この日だけは少しばかり振動が強く感じる一日だった。
そのため、二人の調子は互いの顔をしっかりとみることが出来ないほど絶不調。
しかし、一人で部屋にこもりっきりは良くないと、バリューはこの日もライトの部屋に訪れていた。
「やっぱり、海賊たちを制圧して、船を近くの陸地に着けるってのは……」
「駄目だ。俺がいる以上、どうしてもバリューの足を引っ張ることになる。それに、たった二人でこの巨大な帆船を動かすのはどうしても無理がある」
「そう、だよね……。腹立つなあ、武器も鎧もあるのに何もできないなんて」
二人が話しているのはもっぱら現状打開の算段立てだった。
大体はバリューが提案し、ライトがその提案を否定する繰り返し。
それでも、良い策が浮かばなかったわけではない。
最も成功率が高くライトも認めた手段として、『海賊たちに一時的に隷属する形で陸地に上がって傷を癒し、体調が万全になったところで裏切る』といったものがある。
しかし、実行しようにも肝心の船長が認めてくれないらしく、顔に青あざを作ったボロ服の男が申し訳なさそうに謝っていた。
それはまるで、海賊団というよりも、まるで船長が奴隷たちに海賊行為をさせただけの船のようだった。
「やはり、今日もろくな解決策が出そうにないな。せめて俺が万全だったら……」
「それは言わない約束でしょ。とりあえず、今はどうにか策を練る。それしか、私たちにはできないんだから」
「ああ、そうだな」
夕飯の時間ということもあり、バリューは外していた兜を装着し、ボロ服の男が来るのを待ち構える。
時計すらない一室だが、時間間隔を正確に覚えているライトのおかげで、定刻おきにやってくる男に緊迫することなく待ち構えることが出来ていた。……この日を除いては。
「……あれ?」
「……来ないな」
待てど暮らせど、ボロ服の男が二人のいる船室に訪れる気配がなかった。
普段ならば多少遅れただけでどたばたと廊下を走る音と共に息を切らせながら登場するというのに、今晩は一体どうしたのだろう。
などと考えながら、何で敵の心配をしているんだと頭を抱えそうになったライトだったが、考えに余裕が出来たことを含め、ある出来事に気が付いた。
「……お、揺れがやんだな」
「確かに。いつの間にかやんでるね」
二人を一日中悩ませ続けた小刻みな揺れは、ここにきて突如としてなくなっている。
それはまるで凪いだ水面にぷかぷかと浮かんでいるというよりも、硬い地面に接着しているかのように、ライトは感じ取った。
(……いや待て、どうしてそう思った? 水の上に浮かんでいる限り浮遊感は無くならないはず。それこそ、この船が着底するか、何かに固定されない限りは――――)
「ふぅ。船酔いを心配していたけど、これならだいじょ――――」
バリューのほっとした言葉は最後まで発することを許されず。
――――今までとは比べ物にならない揺れ……ではなく、もはや衝撃と呼んでも過言ではない振動が船を襲った。
「……………………うッ!」
数十秒に満たないわずかな時間、それでも部屋の中は滅茶苦茶に荒れ果て、ベッドから反対の壁まで吹き飛ばされて右肩の激痛がぶり返したライトの視界を霞ませる。
「ぐ、ぅっ……! バ、バ、リュー、無事か……!」
呻く声を抑えながら必死に声をかけるが、揺れ続ける船室内から彼女の返答はない。
もしや扉の外へと投げ出されたのかと、ライトは必死に目をしばたたかせる。
霞んだ瞳は少しずつ潤いを取り戻し、どうにか数秒で元の視界を確保すると、彼の目に映ったのは……。
「――――バリュー? ……なあ、おい!? しっかりしろよ!!」
壁に手をついて体を起こし、全く声を発しないバリューのもとへよろよろと近づく。
意識があるのかどうかは兜のせいで確認することが出来ないが、おおよそ正常と呼べる状態ではなかった。
横たわったままの彼女は全身を震わせ、絶えず血みどろの嘔吐を繰り返していたのだから。
「はぁ…はぁ…! おい、あんたら! この船はもうダメだ! さっさと逃げるぞ! ……って、どうした!? 鎧のあんちゃんはそんなに酷い怪我していたのかよ!!」
「……俺のせいだ。俺が気づいてやれなかったから――――」
「そんなこと言ってる暇かよ!? こん畜生! こんな具合ならオレだけじゃなく、他の奴もつれてくるべきだった!!」
息を切らしつつ階段を駆け下りてきたボロ服の男の背には、彼の得物なのか、二人が今までに見たことのない二振りのカトラスが背負われている。
普段は非武装で船底まで会いに来ていたというのに、こうしてわざわざ武器を装着した状態で駆け付けてくれた以上、切羽詰まっているのは間違いなかった。
「と、とにかく、外で怪物が暴れてんだ! さっさと脱出するぞ! 船の代わりなら用意できてる! オレ一人で二人を運ぶのはちと辛いが――――」
「大丈夫だ、俺は一人で歩ける。これ以上、迷惑をかけられない――――ッ!」
「おいおい!? 無茶すんなって!」
「この程度の痛みくらいで、動けなくなって、たまるか……ッ!」
男の制止を振り切り、左腕を壁に添えて右肩へとなるべく力を加えないように立ち上がる。
痛みと久々に立ち上がったことによる眩暈に襲われ全身が絶えず震えるが、まだ歩くことは出来そうだった。
「な、なかなかイカれてんな、あんた。よし、ならばオレは鎧のあんちゃんを――――」
強張ったライトの顔に怯みつつ、バリューの肩に手をかけようと男が屈みこんだその時、突き上げられるような衝撃が船を襲い、かろうじてバランスをとっていたライトは体勢を崩して頭から床に倒れこむ。
「がっ、あああああああああああああああああ!!」
右肩へダメージがいかないように上手く庇ったはずだったが、全身に伝わった衝撃の全てを殺しきれなかったのか、赤褐色に染まった肩を抑え、もんどりうって絶叫する。
明暗する視界と鼓膜を破りかねないほど大音量の耳鳴り、そして燃えているように熱い右肩の感覚しか認知できなかったが、それでも気力を懸命に振り絞ってライトは扉のある方向へと目を向けると、巨大な丸太のようなもので押しつぶされているように見えた。
「なん……だ、あ……れは……」
戻り始めた視界でよくよく確認すると、丸太のように見えたものは軟体動物の足のようにぬめり気を感じられる、おそらく生命の体の一部だった。
次第に耳鳴りが収まってくると、体の感覚も戻ったのか、上下の違和感に胴体に何かが巻き付いているような感触もある。
同時に、彼へと懸命に声をかけてくれる者がいることにも気が付いた。
「……しっかりしろ! こんな時にくたばってもらっちゃ、オレが助けに来た意味がないだろうが!」
「なん、だ、お前か……」
あの衝撃の後、丸太を中心に船は次第に斜めへと傾き、床には所々大きな穴が開き始めている。
穴の遥か下に暗い海が広がっていることから、この船は怪物によって持ち上げられているようだった。
そのままでは眼下の荒れた海に落下していたライトだったが、すぐ近くにいたボロ服の男に支えられたおかげで、どうにかその場にとどまっていた。
男は持っていた二本のカトラスを、一本は床に突き立て足場にし、もう一本は自分を支える手すりとしてその場を持ちこたえている。
カトラスを握っていない右腕はライトが穴に落ちないよう腰をガッチリと掴んでいた。
「あんたの相棒じゃなくて悪かったな。……ってか、その鎧のあんちゃんはどこ行った!?」
「――――っ! まさか……!」
動転した大声を耳にした黒曜の双眸は、ひときわ見開かれると間もなく閉じられるほどに細く凝らす。
未だちらつくライトの視界には彼女らしき鎧の姿が見当たらない。
もし、床穴からバリューが落ちていたとしたら……。
「あっ! いたぞ! けど、このままじゃあ、海に落ちちまう!」
「ど、どこ、だ――――!」
ボロ服の男が体を動かした方向へと彼が慌てて目を向けると、もともとベッドが置かれていた部屋の右端付近、少し下は黒い穴が開いているその場所にそれらしき灰銀色が映った。
ライトとは逆に、突き上げる衝撃で意識を取り戻したバリューは、足元に空いた穴に吸い込まれないよう、ボロ服の男と同様に、咄嗟に壁剣を床へと突き立ててぶら下がる形となっていたが、その床部分は穴に近いこともあり今にも崩れ落ちそうになっていた。
「鎧のあんちゃん、もう少し耐えてくれ! どうにかして拾いに行くからよ!」
「…いや、お前はその場を動くな」
「バリュー! お前、何、言って――――」
「…こんなこともと思って、ライトの服にロケットを括りつけておいて正解だったな」
慌てて左腕を動かし確認すると、バリューの言う通り彼のズボンの右ポケット付近には、ベルトに二重三重に巻き付けられているロケットがあった。
いつの間に取り付けられていたのだろう、とも、そんなそぶりは一度として見たことがなかった、とも思い浮かぶよりも早く、彼女が自分にロケットを渡した理由に思い至る。
どれほど前からかは分からなかったがいずれこんな日が来るんだろうと、確信と決意をもってバリューはロケットを保持する役割を放棄したのだと。
「…私のことは気にするな。ライトが助かるのならば、それでいい」
「ふざ、ける、な……! そんな、こと、許す、わけ、ないだろ……っ!!」
諦めた声色を押しとどめようと、途切れ途切れの言葉を懸命に紡ぐ。
それでもなぜか伝わってしまう。
兜をかぶったままだというのに、届かない左腕を伸ばす自分を見てバリューは優しく微笑んでいるのだと、はっきりと分かった。
分かりたくないのに、理解してしまった。
「……ありがと。そう言ってくれるのは、きっとライトだけ――――」
悲鳴とも似た木材が裂ける音がバリューの言葉を容赦なく遮る。
今にも泣きだしそうな、それでいて嬉しそうに弾んだ清純な声は、非情にも最後までライトの耳に伝わることはなかった。
「あ――――っ!」
「――――――――! バリュー!!」
壁剣が突き立てられていた床があっけなく剥がれると、バリューの体は頭からゆっくりゆっくりと落ちていく。
未だボロ服の男に腰をガッチリと掴まれているライトは、届くことはないとわかっていても、不自由なく動かせる左腕を伸ばして――――。
『彼女を見捨てるいい機会じゃないか』
夢の中で笑う大敵が脳裏を掠める。
本当ならば、この場こそ危険を退け安全を齎す最良の選択をとるべきなのだろう。
……ただ、今回は皮肉なことに、その言葉が彼の背中を押した。
(見捨てることなんて、出来るわけないだろ!!)
最良の選択肢を全て無視して、妥協策すら練ることなく、体を無意識のうちに動かす。
何が正解なのかではなく、何を行いたいのか。
――――その解はたった一つしかない。
「……悪い。恩を仇で返すことになって」
「ちょっ! ば……っ!?」
満身創痍だったはずの青年は、右肩の激痛すらも噛み殺し、男の右肘に容赦なく肘打ちをかます。
想定外の痛みに緩んでしまった男の腕から逃れると、その勢いのまま落下する相棒を追いかけるように空中へと飛び出した。
時間にして一秒にすら満たないほんの僅かな刻。
それでも落ちていく彼らは、互いに相棒へと必死に手を伸ばし――――。
その手が届いたのか定かではないまま、冷たく暗く深い嵐の海に叩きつけられた。




