Past:襲い来る体の異変
(ここは、あの時の……)
視界に靄がかかったような感覚で目が覚めたライトが居たのは色のない空間。
存在するものといったら、自身と辛うじて見える地平線。……そして、目の前に立つもう一人の自分の姿。
それは、彼が幾度となく見ている夢の中の世界だった。
「こうして顔を合わせるのは久しぶりかな。オレとしてはここから君を見ているだけでも満足なんだけれど、君の方はよくこっちに来るものだね」
「お前に会いたくて会っているわけじゃない。むしろ出ていってほしいくらいだ」
目の前の自分が何者なのか、ライトは随分と前から理解している。
第二の故郷、《フェルメア》で起こった大規模な粛清。
そこで出会ったある男と、その後に遭ったとある出来事で生み出された、所謂トラウマのような存在なのだと。
「君がどう抗おうともオレは消せないし、いい加減に諦めたらいいのに」
「それは無理な話だ。お前が居座っている限り、俺の衝動は望まなくても発生する。もうあんな出来事は二度とごめんだ」
「なんだ、知ってたんだ。あー、だとしたらずっと慎重に行動しているのもわからなくはないかな」
ライトは主であるクレバス・ハイヌフェルゼンやレイジ、そしてバリューから人殺しを禁じられている。
理由は至極単純で、精神的なタガが外れてしまうから。
『人を手に掛けた』という事実が、彼自身の精神を大きく脅かしてしまうのだ。
そして、ライトの皮を被った何者かこそ、その大元を作り出した人物だった。
何者かの目的は定かではないが、こうして居座っている以上、ライトは殺人やそれに近しい出来事を極力避けている。
故に『破壊』という選択を選んできた彼だが、最近ではそれすらも怪しくなり始めていた。
「でもさ、君がオレのことをずっと考えてばかりで、行動を伴えなくなっている臆病者だとして、いつまで慎重で居続けるつもりかい?」
「いつまでも、だ。誤った選択を行うわけにはいかない。――――お前にこれ以上好き勝手させてたまるか」
何と問いかけようとも反抗的な回答しか返ってこないことがどこか面白かったのか、ライトの顔をした何者かは、クックッと味わいを楽しみながら噛み殺すように笑う。
「いいのかな? 今こうしているうちにも世界は目まぐるしく変わっている。君の知り合いたちが君の知らないところで選択を迫られているんだ」
「いいも何も、それは俺が決めることじゃないだろ」
「まあそうだね。とはいえ、彼らは恐れを抱くことはあったとしても、迷いなく選択するだろうさ。それが自分にできる最善だと信じて。……だけど、君はどうだい? 選択肢が無数にあっても、実行できないのなら宝の持ち腐れってものじゃないか?」
ライトの姿をした何者かの言い分は至極まっとうなものではある。
事実、彼自身が実行に戸惑っているせいで失ったものは数知れない。
それでも彼が行動よりも考えを優先するのは、今までの失敗からの反省であり、つい最近ではある商人に自殺を教唆させるような発言までしてしまったことによる後悔が大きな要因だった。
だが、それをよしと思わないのか、ライトの姿をした何者かは今まで浮かべていた笑みを消す。
「君の隣にいてくれる彼女だって、君がそうしているうちにいなくなっていてもおかしくはないんだから」
「……どういう、意味だ」
「いや、どうもこうもないよ」
動けなくなっているライトにそっくりな何者かは無表情なままゆっくり近づくと、食い入るように顔を覗き込む。
「君の中に存在する無数の選択肢の中には、彼女を見捨てる選択も、その場で暗殺する選択も存在するんだから、あとは実行に移せばいいじゃないか」
何も見えず底すら感じさせない黒く濃く塗りつぶされたような瞳が、
*
「違う……っ!」
「わっ! び、ビックリしたぁ……」
安心できる声を聞き、混乱している思考をまとめなおすためにも、ライトは口をつぐむと瞬きを繰り返す。
吸い込まれてしまいそうな黒は消え去り、代わりに彼の視界に見えるのは橙の薄明かりに照らされた木目の天井と、兜だけ外した相棒がライトの顔を心配そうにのぞき込んでいる姿だった。
「あ、ああ……バリューか、悪い」
「大丈夫? 酷くうなされていたよ?」
「ああ、なんとも――――ッ!?」
横たわったままだと会話しずらいだろうと察したライトが体を起き上がらせようとした途端、右肩に走る感じたことのない激痛に体が痙攣して声すら出なくなってしまう。
「あんまり動かないで。これ以上右肩が酷くなったら……」
「み、右肩……?」
何のことだかわからなかった彼がシーツをめくると、そこにあった自分の右肩は不自然なまでに青白く膨れ上がり、縦に長い傷から膿が出ていた。
「そうか、あの時の傷が化膿していたのか……。ぐうぅっ……!」
「だから、あんまり動いちゃダメだって……!」
左手でせめて膿だけでも取り除こうとしたライトだったが、あまりの激痛に伸ばした左腕を戻す。
彼が言ったあの時とは、《クラッドレイン・カッパー》にて、ゾディアックと戦った時の事。
戦いの最中、ナイフが本体であるゾディアックにとどめを刺すために、ライトは自らの右肩でナイフを受け止めている。
そこでの傷が精霊術とレプリカに従えていた専属騎士の魔術だけではうまく治りきらなかったのだろう。
「き、傷のことは分かった。極力動かないようにする」
「もう、ずっと起きなかったからどうなるのかと思ったんだよ」
「悪い、心配かけたな。……それで、あの後一体何があったんだ?」
「うーんと、いろいろあったんだけど簡単に説明するね」
ライトが突如倒れたことにより、彼女は勿論だが、海賊たちもバリューが思っていた以上に動揺していた。
そこで、一度仕切り直そうという提案が双方でなされ、バリューは倒れたライトを抱えて船室に戻る。
……そのはずだった。
「仕切り直すとはまた変な話だな」
「いや、うん。それはそうなんだけどみんな気が動転しちゃって、なぜかそんな流れになっちゃったんだよね。でも、そんな時に海賊たちの頭が出てきちゃってね……。老夫妻たちを逃がすことは出来たんだけど、私とライトは捕まっちゃったんだ」
どこからともなく現れた海賊たちの船長は、金属のように分厚い筋肉と鋭利な牙を持ち、バリューよりも背丈が高い魚人だった。
魚人は積み荷を奪ったことを確認すると、老夫妻と共に二人を連れ去るように団員たちに指示を出す。
が、そんなことはさせないと、バリューが抗ったおかげで老夫妻は逃がすことに成功していた。
その代わり、昏倒したライトと必死で抗うも抑え込まれたバリューの二人は逃げられなかったわけだが。
「なるほど。つまり、ここは無名海賊団の帆船か」
「うん。その船底にある部屋に監禁されているってことになるのかな」
「そうか……。わざわざ部屋まで与えられるとはな」
「なんでも、大切な人質だから一番見つかりにくい船底すべてを使わせろ、って船長の指示があったみたい」
「……少し解せないな。武器を回収されなかったことも考えると、逃げれるのなら逃げろとでも言っているみたいだ」
「たぶんそれくらい余裕があるんだと思う。今のキサマらはろくに戦えないから、せいぜいお守り代わりにでもしてろ、ってあのボロ服男も言ってたし」
二人が片方を見捨てるという選択ができないと判断しているあたり、ボロ服の男は比較的新品の服を着ていたあの若者二人と違って、この手の場を結構な数踏んでいるのかもしれない。
場に流されない慎重さや、二人が来ると予測していたかのような配置を取らせていたことも含めて、相手としては厄介な人物だと、ライトは回らない頭をどうにか働かせてボロ服の男に対する評価を改める。
そもそも、途中から意識を失ってしまったため、いまいち人物像がつかみ切れていないので、彼としては今一度会話する機会が欲しいところだった。
そんな時、タイミングよくドアが叩かれ、聞き覚えのある男の声が聞こえてきた。
「あー、失礼。夕飯を持ってきたぞ」
「(……入れなくてもいい?)」
「(いや、聞きたいことがあるから追い返す必要はない。それに夕飯を持ってきてくれたんだ、いただけるものはいただこう)」
「(でも、もし毒物が入っていたらどうするの?)」
「(最初から殺す気なら、わざわざそんな回りくどい手段はとらないはずだ)」
「(……わかった)…入れ」
バリューは兜を被りなおすと、入ってくるように声をかける。
その言葉から一刻も置くことなく開かれた扉の前には、案の定ボロ服の男が二人分の軽食をトレーに乗せて立っていた。
「よお、体調はどうだい?」
「…貴様、閉じ込めておいてよくそんな口が利けるな」
「そう睨みつけないでくれよ。こう見えてしっかり心配しているんだぜ? けど、オレたちの船長がおっかなくてな、あんたらとはあまり関わるなとのお達しが来てんのよ。だから……堪忍してくれよな」
悔しそうな口調でそのように言ってのけるが、本音なのか適当に答えた嘘なのか、光源が天井に吊り下げられた心もとないカンテラで表情を判別するのは難しかった。
「一つだけ教えてほしい」
「質問はお断りしたいんだけどな……。まあ、一つくらいならいいぜ」
「方角だけで構わない。この船はどこへと向かっている?」
「どこって、そりゃあ……」
長い沈黙の末、ボロ服男の開かれた口から零れたのは、戸惑いの言葉だった。
「……ん? どこだろうな? とりあえず南下しろって指示されているが、地図上では島一つすら見当たらなくてオレたちもちょっと困惑気味なんだ。役に立てず悪いな」
「……いや、それだけ聞けたら十分―――――ッ!」
相槌を打とうと声を発しただけだったが、右肩の痛みがぶり返したライトは苦悶の表情を浮かべる。
「ああ、見ただけでも痛い怪我してたんだよな、あんた。貧血とかならどうにかならなくないんだが、痛み止めとかの類や癒術師とかオレたちの中にいなくてな……。それも申し訳ないが次の島に着くまでどうにか耐えてくれよ。死体を見るのはもうこりごりなんだわ」
「…それは貴様らの船長次第だろう? 怖い相手だからと尻込みしている限り、そのボロ服も良い物に変わることはない」
「そうだよなぁ。まあ、善処してみるが、期待はしないでくれよな。……んじゃあ、安静にな」
机の上に夕食を置いた男は、本当に最低限の言葉を話し終えると部屋を足早に去っていった。
「……やっぱり、どうしても、悪い奴には、見えないな」
「体の痛みのせいでそう思うだけだって、きっと。……右手、動かせないなら食べさせてあげるよ」
「いや、このくらい……ッ!!」
「ほら、無茶しないで」
「……悪い。俺があの時倒れたりしなければ――――」
「ううん、あの場を切り抜けられなかった私にも責任があるから」
反省の言い合いはこれくらいにして、とりあえず夕食を食べよう、と二人はゆっくりと夕食に手を付ける。
途中、バリューが食事にありつかなくなったため、ライトが問いかけることがあったが、あとで部屋で食べると言ってライトが食事を終えた頃に食事中に外していた兜を身に着ける。
「私は隣の部屋にいるから、何かあったら壁を叩いて教えてね」
「ああ、あまり無茶するなよ」
「――――うん」
何かを言おうとして、言い出せなかったのか、ほんの少しの間を開けてバリューは承諾の相槌を返す。
そうして、横になったままのライトを心配そうに見守ったまま、彼女はゆっくりと扉を閉じた。
*
バリューが部屋から出ていくのを音で確認し、ライトはゆっくりと瞼を閉じる。
そのまま五感を限りなく0に近づけ、代わりにそのリソースの全てを思考に割く。
行動がとれない状況に陥るたび、現状打開のため考えにふけるうちに彼が編み出した独自の思考方法。
ゴブリンに捕らわれていた状況に似ている現状ならば、上々な結果が得られると予想していたが……。
「……くそ、やっぱり駄目か」
右肩の違和感と余裕のない心身。そして、意識を失っていた間に見た悪夢から来る雑念に惑わされ、深々と熟考出来ないことを歯噛みしながら、それでも半ばぼぅっとしたまま頭を回す。
バリューのように力技で攻略することが出来ない彼は、自分に出来る半ば絡めてのようなものですら考慮して、打開策を練ることしかできない。
自分の右肩を治す手立てもなく、絶不調そうな彼女の傷を癒してやることも出来ない。
ただただ考えをまとめて、正解だと思える選択を取り続けて。
その結果が今の自分だとしたら――――。
「……いくら考えても、今の俺に何が出来る?」
『右肩が使えないだけで現状打開する力を失った君に、初めから何かが変えられるとでも思ったのかい』
「……煩い――――ッ!」
夢に出てきた忌々しい男の声が聞こえた気がして、左手の拳をベッドに叩きつける。
雑念が増えてまとまらなくなった考えは、右肩の痛みと共にいつの間にか闇の中に溶け込み、動けなくなった彼もあとに続く形で、深く暗く底の見えない暗澹に沈んでいった。
*
夕飯をテーブルの上に置き、鎧を脱ぎ捨て部屋の片隅に寄せると、よろよろとライトがいる反対の壁に移動して、今まで我慢していた分の嘔吐を繰り返す。
吐き出しているのは胃液だけではなく、むしろその殆どは血や内臓の一部と思われる肉片だった。
「はぁ、はぁっ……! やっぱり、気づかれて、いるのかなぁ……」
反対の壁に背中で寄りかかり、体の力を抜いてずるずると倒れこむ。
部屋の隅に吐き続けた血だまりは小さなタンスに隠すようにしていたが、監禁されて数日間で隠し切れないほどの量になっていた。
実はライトの右肩と同様に、彼女の体内に受けた傷も完治しておらず、サルヴェイに殴打されたことでボロボロの状態だった。
それに、ライトには話していないが、老夫妻を逃がすために甲板上で彼女は無名海賊団の船長と全力でぶつかっている。
壁剣の一撃を胴体にかまそうとしたその時、タイミング悪く内臓の痛みがぶり返し、その機会を狙った船長は壁剣を掴むと、バリューもろとも蒸気船の煙突に叩きつけた。
限界ギリギリで持ちこたえていた彼女の体には、もはやその衝撃を耐えることも出来ず、そのまま動けなくなってしまったのだ。
「……ぐすっ。やっぱり、ダメだなぁ、私……」
赤く染まった唇を強く強く噛みしめるバリューの瞳からは、ライトの前では決して見せまいと堪えていた涙がとめどなく零れ落ちる。
涙のわけは収まることのない上半身の激痛からだ。
右肩に負担をかけなければまだ動けなくもないライトとは違い、複数の臓器に壊滅的損傷がある彼女は、ほんの少しの身じろぎ……こうして抑えきれなくなった嗚咽すらも、身が引き裂かれるような痛みに襲われているのだから。
だが、こうして悟られないように声を殺し、静かに泣き臥せっているのは、何を隠そう自分の不甲斐なさと彼への申し訳なさから来るものだった。
誰よりも傍にいたのに、ライトの不調に気付かなかったことを、彼女は食い恥じている。
レイジを失ったのも同じような理由からということもあり、その激情は一層の激しさを以て彼女の身に強い負荷をかけていた。
決してライトが衰弱しきっている姿をバリューが見るのは、何もこれが初めてというわけではない。
それでも今回ばかりは自身が彼にしてあげられることはないという事実に、彼女は打ちひしがれている。
暗く隔離された船底という空間に精霊なんて存在しない。
ましてや奥の手を使おうとも、その前に自分の体が持ちこたえられないだろうし、ライトの意識が残っている限り奥の手を使うことを決して許さないと理解している以上、彼女に出来ることは話し相手になる程度のことだけだった。
「……他に、私に出来ることがあったらよかったのに」
身を偽る気力もなくなった彼女は、ふらふらとベッドへ倒れこむと、止まらない涙を隠すようにシーツを被ってうずくまる。
そのうちに自然と意識は遠くなり、浅く苦しい眠りへと誘われることとなった。
二人ともすでに気が付いている。――――このままでは、そう長くないうちに自分は死に至ると。
そして、重く沈んだ考えに捕らわれた二人に、その時が訪れるのはそう遅くはなかった。




