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7.狐のお医者様がやって来た

 あれから三週間が経った――。

 こうやって眩しい朝日を浴びて目が覚めるのは久しぶりだ。

 休日以外は夜が明けきらぬ内に起こされていたしな――そう言えば、今日って平日じゃなかったっけ?

 いつもは起きているはずの鈴音はまだ寝ているようだし

 ……と言う事はまだそんな時間じゃないな、よしよし起こされるまで惰眠を貪ろう。


 朝日が昇るのも早くなって来たし、言ってる間に梅雨が来て夏か……。

 入学したての一年生達も学校に慣れ、

 こうやって外から聞こえる子供達の賑やかな声がより大きくなるんだろうな……あれ、子供達の声??

 いくら学校が楽しくて待ちきれないとは言えこんな早くから登校するなんて……


「……」


 なんだ、まだ7時35分じゃないか……。

 えぇっと今日は平日だな、良かった良かった。

 50分の電車に乗らなきゃ遅刻確定してしまう所だ。


 …

 …

 …


「のおおおおおおおおおおおおおおっ!!??」

「ななっ何ぞっ!? 敵かっ!? はっ――!?」


 鈴音も寝過ごした事に気がついたようだ、だが今はそんな事に気をかけていられない。

 月曜日と言う最強の敵との戦いの日なのに、時間と言う最大の敵が加わっている。

 既に起床していたジュニアは就寝しかけ、代わりに俺の頭は完全に覚醒してしまった。

 これはマズい、これはマズいぞ――落ち着け、落ち着くんだ俺……。


「こ、こらっかのような所で――」

「このままでは遅刻する――許せっ」


 飛び起きた鈴音の眼の前で寝巻きを脱ぎ捨て下着一枚だけになった。こう言う時は慌てず急ぐんだ。

 恥も外聞も無い、気にしていたら間に合わない――諌める鈴音の声を背に大急ぎで着替えを済まし、

 ネクタイは電車の中で、洗顔とかは会社で、よし、鞄も財布も持ったな――。


「すまん、行ってくるっ!! 鍵は頼んだっ」


 この時間なら走ればギリギリ間に合う――。


 /


 ま、まるで嵐が起きたかのようであった――。

 あのような早さで仕度できるのではあれば普段からもっとやれば良いものを……。

 嗚呼しかし、此度の事は私にも落ち度がある、いやそれどころか完全に私の責任であるな……。

 確かに今朝目覚めたはずなのだが、何ゆえか身体が重く朦朧としておった……。

 もう少しだけ横に、と思うておる内にそのまま再び寝入ってしまったのであろう、

 私とした事が何たる失態を犯してしまったのだ。

 そう言えば鍵をかけに行かねばな――起き抜けに色々な事が起きたからか頭がまだ定まっておらぬようだ。

 身体もまだ思うように動かぬ……。


「あ、あれっ――」


 ようやく施錠を終えると、急に部屋が傾き壁に押し付けられてしまった……。

 いやここが傾いたのではない――目の前がぐらぐらと揺らぎ、足元がおぼつかぬ。

 頭が重い――喉の奥の首の付け根の辺りも不快ぞ……頭が独りでに動き目の前が揺らいで気分が――


「んぐっ――ッ……がッごほッ……ぅぅッ……」


 近くに流しがあったおかげで玄関先で嘔吐物をぶちまけずに済んだ……。

 だがこれは……月の物の影響であってもかのような事を起こさぬ。とすれば――


「はぁっ……風邪、か……まさかかのような所で……」


 よたよたと這い蹲るようにしてベッドへと戻ろうとしたが、上に登る気力が出ぬ……。

 申し訳ないが弘嗣の使うておる寝床で横にならせてもらおう、たかが風邪ならば眠っておれば治るのだ。

 そう、此度も少し眠ればじきに良くなるはず……。


 ・

 ・

 ・


「ぅぅっ……はぁ……っ……」


 あれから何刻だ――

 苦しさが増すばかりで一向に眠れぬ……あの時は父上も母上もおった、家臣の者もおった。

 だが今は私しかおらぬ……。弘嗣は夜まで帰って来ぬし――それまでは私は……。

 ――っ、何を弱気になっておるのだっ!!


「んん~、ほっほ。何やら楽しそうな事になっておるようじゃの――」

「はぁっ……誰ぞっ!!」

「そのような身体で妾を斬れるのかの?」


 白い着物に白い獣の耳と尾……目が眩み何本か数えられぬがこやつは恐らく――。


「そうじゃ、あのグズや弘嗣より聞いておろう?

 折角足を運んでやったと思えば、あのグズはおらぬしつまらぬと思うておった所じゃ。

 ま、お主の方ももうそろそろかと思うておったがの」

「な、何のことだ……」

「己に起こっておる事が分からぬか? ほっほ、ならば教えてやろう――そなたこの病で死ぬのじゃ」


 私が死ぬ――だと? たかだか風邪如きで?

 この者の言うておる事が理解できぬ――。


「理解できないのではなく、理解したくないのじゃ。風邪であっても死ぬ時は死ぬからの。

 本来お主はここに来ずとも近く病で命を落とす運命にあったのじゃ――つまり、その時が来たって事ぞ。

 どれ、思い残した事はあるか……ま、聞かずとも未練たらたらなようじゃが」

「何を言って――うっ」

「汚物を撒き散らされとうないし、それ以上は話さなくとも良い。

 そうじゃな、このままでは残り三日――と言った所かの。して、残された時間をお主はどう過ごす?

 このまま武士らしく潔く果てるか、それとも生きながらえようと運命に抗うか?

 人の運命と言うのは容易く変わるもの、選ぶ道次第じゃ」


 三日――私がこの世に居られるのもあとそれだけか……はは、思い返せばつまらぬ一生であった。

 女子としてとはかけ離れ、武士として生き戦場を駆けただけ――己で選んだ道ぞ後悔はしておらぬが。

 だが、武士としても女としても生きて来られたのだろうか……。

 かのような時は詩を詠み遺すものであるが、学もなく全く浮かんでも来ぬ。

 いや元々私が武士となったのも……。


 その世を離れ、最期に僅かでも女子として生きられた事は御仏の慈悲であろうか……。

 平和で戦もない、ただただ平穏な暮らし……あ奴――弘嗣と寝食を共にしておっただけであるが、それだけでも……。


「――う、ない……」

「んん? 何じゃ?」

「死に――とう……ないっ……ぐすっ……私はまだ――」


 武士は死に際が重要であると言う、今の私は何て無様なのであろう。

 この世での――本当に望んでいた暮らしを思い出して涙を流してしまっていた。

 どうしてだか分からぬ……ただ、今は去るのが怖い……。手を離し一人になるのが怖い……。


「ほっほ、それで良いぞ――そなたには生きてもらわねば縁も結べぬからのう。

 さて、後の事は妾に任せておくが良い」

「な、何――を――?」


 急激に眠気が……


 瞼が……おも……く――。


 /


「人とは瀬戸際に立たされねば己に気づかぬ憐れな生き物よの――。じゃからこそ面白いのであるが。

 ま、此度は妾が気づかせたようなもんじゃし、己でそれに気づかねば面白くないのでの、

 目覚めた時には忘れておるが許されよ」


 ま、死の運命と言ってもあくまで"そなたの世で"の話じゃがな、

 それでも生きる選択をして貰わねば幸も得られぬ。そなたの幸はその先にあるのだからの――。

 だが、このまま不都合から目を背け続けておればそれも得られぬのじゃ。

 事故とは言え、にびはそなたの願いを叶えておる。それを無駄にされても困るのじゃ。


 さて、にびに伝えておくかの。病人ここにあり――と。


 /


「あ、あのー……ここに白川弘嗣と言う人がいると思うのじゃ、ですが」

「え、あぁいるけど今は席を離れているかな……えーっと、お嬢ちゃんは――?」


 ええいっ忌々しい、あの役立たずは一体何をしておるのじゃ――

 そもそもあ奴がちゃんと鈴音を見ておればこのような……。

 ああもうっ、頭がズキズキと痛む度にむしゃくしゃする……。


 いなり寿司の出来立てを食おう、と開店待ちしておった時じゃ……

 七姉様から『何処をほっつき歩いておるこの馬鹿たれ。殴られたければさっさと奴の家に来い。 時が来た。』

 なんてメールが届いた時はどこか遠くに逃げてやろうかと思うたが、

 最後の一文を読んであの娘に起こる事を思い出し飛んで帰ったのじゃ――そして着くなり扇子で思いっきり一発シバかれた。

 忘れておった童も悪いのじゃが、むぅぅぅっ……。


「あぁ、その……これ"お父さん"に渡して

  『"お母さん"が病気で倒れて看病しております』と伝えておいて下さいです。ではじゃっ!!」


 弘嗣よ、童の恨みを思い知るのじゃっ!!


 /


 何故こんな事になっているのだろう……。

 倉庫に在庫確認をして戻って来れば、女性社員の皆さんから隠し子疑惑を持たれていた。

 それも全てこの手紙の差し出し主――にびのせいだ。

 あいつが何故か俺の事を"お父さん"と呼び、鈴音の事を"お母さん"と呼んだ……

 そのせいでここ最近の俺の様子などから

『あんな子供がいたなんて――。』

『奥さん病気って大丈夫なのかい?』

『いつ結婚して――あっ……。』

『もしかして奥さんの連れ子じゃ……。』

 と、言いたい放題言われ、質問攻めにあっていた……。


 ここで正直に――

『戦国時代の娘さんを預かってて、あの子は狐の女の子で悪戯で言ったんですよー。』

 なんて言おうものなら心に大きな防壁が作られてしまう。

 なので適当にはぐらかしておいたけれど……絶対にワケ有りだと思われてしまっている。


 鈴音の事が心配で今すぐにでも帰りたいが、メモには

 ―童たちが見ておるから心配いらぬ。鈴音が気に病んでしまうのでちゃんと仕事を終えて来るように。

 ―それとこれ買ってくるように

 ―

 ―スポーツ飲料(いっぱい)・タオル(数枚)・プリン(童に対し申し訳ないと思う数)

 ―サザエ(あるだけ※絶対必要 なければ帰って来るな)

 ―ハムスター(いらない、あっても持ってくるな。売ってなかったと言え)


 ……サザエとハムスター?


 /


 少し眠れたお陰か先ほどより多少楽になっておった……だが目の奥、鼻、身体の節々が不快なのは変わっておらぬが。

 頭の下に敷かれてある物、額に貼り付けられておる布が心地よい――。


「目覚めたようじゃの」

「にびか――これは?」

「氷枕に熱さましのシートじゃ、まだ楽じゃろ?」

「うむ……して、お主も病を患っておるのか?」

「いや…童のはたんこぶじゃ……」


 私の看病をしながら、片手で氷が入ってあるのであろう袋を己の頭に乗せておった。

 今気づいたが、いつの間にか"べっど"に――にびでは無理であろうし、傍らにおる七殿が運んでくれたのであろうか?

 さあ知らぬと言った顔をしておるが、かのような態度を取っておっても心根は優しいのかもしれぬな。

 それとその七殿の後ろにもう一人の女子は……。


「…………いい音鳴った……ベシーンッて……」

「すまぬが――あの者は……?」

「紹介がまだじゃったの、童の姉――六姉様じゃ。小児科で子供の病気などを診ておる」

「…………子供大好き……ふふ……」

「ままっ、まぁそれはさておき、鈴音の病を診てもらおうと七姉が呼んだのじゃ」

「ほう医者か……立派な方が私の為にかたじけない」

「…………ナナに呼ばれたから来ただけ…………診察するから…………脱いで…………」

「ぬ、脱ぐっ!?」

「あー鈴音、この方は……自分の歩調でしか動かぬ方じゃ……」


 私は病床の身、その道に精通した医者がおるなら従わねばならぬ――。

 六尾……と申したか、玉鬘(たまかずら)と申すに相応しい美しき黒髪に羨ましくも妬ましくも思う。

 女子ばかりであるし恥ずかしがっておる場合ではない、私は六殿が申される通り着物の帯を解き胸元を露わにした。


「…………もじゃもじゃ…………これ挟んで……そのまま……そう……。

 口をあけて…………うん…………舌動かさないで…………うんうん…………。

 …………熱は…………ある……やっぱり……」

「やはり――やはり何なのだ?」

「…………インフルエンザ…………寄らないでばっちぃ…………」

「い、いんふ…………?」

「インフルエンザじゃ……まぁそなたの所で言う流行り風邪の一種じゃの。

 それと六姉様は医者なのですから、大人の患者を病原菌扱いしないでくだされ……それに童らにはかかりませぬし。

 ついでに申せば、いちいち服を脱がせずとも分かるではありませぬか……いつも意味も無く脱がすのじゃから……」


 なっ……ぬ、脱がずとも良かったのか!?

 何なのだ、一体何なのだこの者らは――だがやはりはやり風邪か、薬もろくに効かぬ性質の悪い病だ。

 大方の予想はついておったが、やはり私は治らずこのまま果てるのか……。


「…………そんなの知ったこっちゃない…………」

「それで六よ、この後はどうするのじゃ?」

「…………注射打って…………飲み薬…………調合する…………あとこれ…………ふふっ…………」


 な、何か分からぬ言葉が次々と……それと最後に取り出したあれは何ぞ?

 薬と申しておったが――煎じるのか? うう、飲み薬は嫌いなのだが……苦いから……。


「ほっほ、なるほどなるほど! いや楽しみじゃの」

「な、何なのだ? 何をするつもりなのだ?」

「…………これを…………ねじこ……じゃない、入れる……」


 い、入れるとは――いや、その前におかしな言葉を発しておらぬかっ!?

 かのようなのを入れるとすれば……鼻かもしくはそのまま飲み込むのであろうか。

 着物をはだけたままうつ伏せになるよう申され――何やら嫌な予感しかせぬのだが……。


 なっ、かか、身体が動かぬっ――!?

 まるで傀儡の如く、動かぬ後ろから腹を掴み身体を持ち上げ、狐の手で好き放題動かされて――。

 "べっど"に突っ伏し、尻を高く持ち上げた姿――い、一体……な、何をするきさまら、や……やめぬかっ……。


「や、やめよっかのような辱め――殺せ、いっそ殺せっ――」

「それだけ元気があれば大丈夫そうじゃがの。まぁ悪いようにはせぬ、いや何――ただ薬を入れるだけじゃ」

「く、薬を入れる!? い、何処に……ま、まさか――や、やめ私はまだ……」

「…………違う…………こっち…………」


 触れられたそこは――いいい、いかぬっ……そこにそんなものなぞ――


「…………大丈夫…………武士はこっちでもする…………」

「ち、違うっ……いや違わぬがそれは衆道で男が――に、にび頼むっ止めるように言ってくれっ!?」

「あまり騒ぐと熱が更に上がるのじゃ、それに坐薬と言ってちゃんと正しい治療じゃ――ま、諦めるのじゃな」

「なっ、なんだと……ちょ、ままっ待てっ、やめ――っ――……」


 あっ、鮭が――

 堰を越え、川を遡っておる――

 流れに負けずどんどん先へ――


「もう……嫁に行けぬ――」

「元から行けぬじゃろ……」


 /


 朝もダッシュ、帰りもダッシュで自宅に帰ってきた。

 鈴音は大丈夫か!と部屋に駆け込むと――何やら部屋の中が以前より賑やかになっている。

 にびに七姉さんに……誰だあれ? サラサラした綺麗な黒髪美人だけど……。


「おぉ、帰って来たようじゃの。この方は童の姉の六姉様、鈴音を診てもろうたのじゃ。

 よしよし注文した物は買うて来たか、どれ――プリンは一個だけじゃとっ!? お主の気持ちはその程度なのかっ!?」

「……待ちくたびれた……」

「ほれ、妾のはどこぞ?」

「弘嗣か、おかえり……うぅ……」


 OK、まず状況を整理しよう――。

 まず鈴音はベッドの上でそっぽを向いてさめざめとした雰囲気をかもし出している、まぁ病気だからしょうがない。

 次はから紹介された六姉と言う人、格好からして医者であるようだ……手に魚焼き用の網を持っているのは何故だ。

 そして七姉さん、手に持っている鉄串は一体……。

 最後ににび、スプーンを握っている。

 ――よし、わけが分からん。


「…………サザエ…………」

「ハムスター」

「プリン」


 とりあえず分かる物からまず消化していく、筆記テストで効率よく解答していく方法だ。

 金網にサザエ――つまり六姉さんがそれを食いたいって事か。

 スプーンにプリン――つまりにびがそれを食いたいって事か。

 鉄串にハムスター――つまり七姉さんがそれを食いたい事になる。


「一人だけおかしくないですかね……?」

「…………ナナはゲテモノ食い…………」

「ゲテモノとはなんじゃ!! れっきとした食い物じゃ!!」

「愛でる物だと思うのですじゃ……」


 全部で十五本の尻尾がワイワイと動いていて、どれが誰の尻尾なのか分からなくなってくる。

 亜麻色がにび、白色が七姉さんで、黒と白色が六姉さんか――この人だけ毛色が違うんだな。

 賑やかな姉妹の反面、鈴音はどんより暗いオーラに包まれているし……本当に大丈夫なのか?

 にび曰く、今は突っ込んだ薬が効いているので調子は良い、病状はインフルエンザとのことだ。

 何でこの時期にインフルエンザ?


「……この世とあっちの世では抗体や抵抗力が違う……」


 あれは冬にかかるものじゃないのかと思ったが、鈴音はこの世に必要な抗体や抵抗力を持っておらず。

 抵抗力が低かったりすると夏場にかかる者もいる(沖縄などはそこそこいるらしい)――との事。

 "この世に留まれば留まるほど感染症にかかるリスクが高くなる"ようだ。

 俺らは確か子供の頃に色んな予防接種受けてたけど、そんな問題もあったのか……。

 絶対に大丈夫――と言う確証はないが、鈴音自身体力があるのでまぁ大丈夫であろうとの事だった。


「……で、注射する……」

「なっ…………ま、まさかまた――」


 それを聞いてそっぽ向いていた鈴音がビクっと反応した。

 注射が嫌いなのだろうか……戦国時代にそんなのあったっけ……?


「今度は普通に腕にする物じゃ、お主が思った場所にするのはまた別の分野じゃ……」

「う、腕とは……それは針ではないのか、そんなのを刺すと言うのか……?」

「…………ブスッと…………でも今日はしない…………今から………サザエ食べる…………」


 明日まで鈴音はブルーな気持ちでいるだろうな……。

 小学校の時に予防接種の注射の日の前日など一日テンションが低かったものだ。


 六姉さんはそんな事おかまいなしと言わんばかりに、袋からサザエを取り出し網に乗せて食う準備をしていた。

 なんともマイペースな人だろうか……。

 あと七姉さん、いくら探してもハムスターはありませんよ?


「…………にびちゃん……火…………」

「え゛っ……は、はいどうぞ――」

「……ライターの火じゃ焼けない……次やったら殻ねじ込む…………早く……」

「折角の力が戻って来ておるのです……これ使うたらまた……」

「……それはにびちゃんの都合……」

「え、えぅぅぅ~~…………」


 姉の威圧に負け涙目になったにびは両手を前にやると、手の平から青い塊が……。

 本物の火――狐火と言うのだろうか、次第に赤くなって……凄い、にびがこんな事できるなんて。

 火を発している狐娘だけを見れば何とも神秘的な光景であるが、

 もう一歩離れるとコンロ代わりにされている情けない光景である。


「凄いが凄くない――」

「えぅぅ……」


 サザエのつぼ焼きの美味しそうな匂いが部屋中に広まっていた。


 ・

 ・

 ・


「……熱出たらこの頓服……強いから胃薬も………あまりに熱出すようならこれでトドメ刺して………」


 最後の薬は丁重にお返しした、さらっととんでもない事を言う。

 好物であるのか、高かったサザエをあっと言う間に平らげた六姉さんは、

 鈴音に『朝、注射を打ちにくる」と告げ、一回り縮んだように見えるにびを尻目に消えて行った――。

 にびは風呂場で『毛が無いのじゃ……』と嘆き、一緒に入っていた七姉さんに五月蝿いと叱られていた。何だかんだ言って仲の良い姉妹だと思う。


「弘嗣、今日は迷惑をかけてすまぬ……少しばかり気が緩んでおったようだ」

「起きてたのか。アラームかけてなかったし鈴音に頼りっきりだった俺も悪い……朝気がつかなくてすまなかったな。

 調子の方はどうだ? もし熱が出て来たようなら頓服ももらってあるし、寝てるときでも良いからいつでも言ってくれ」

「あ、あぁ……大丈夫であるぞ。ようやく異物感が無くなって――いや何でもない。

 ……だがその薬と申すのは何と言うか、またおかしな使い方をするのではなかろうな?」

「いや、普通の飲み薬だけど――解熱用の」

「ちゃんと薬があるではないかっ――!?」


 一体あの狐達に何を盛られたのだろう……

 あまりいきり立つと熱が上がると諭し、今日はもうゆっくり眠っておくように言っておいた。

 給湯タンクの湯を使い切った狐どもに布団まで取られた俺は、真っ暗な部屋の端で毛布を敷いて眠る事になった……。

 あぁ寒くないのに寒い……。


 /


 翌朝――これほど目に涙を溜めたのはいつ以来であろうか……。

 いや泣いてなぞおらぬ……かのような事で私が泣くものかっ!

 私は武士でもあるのだぞ、矢が突き刺さろうとも刀や槍に刺されようとも私は屈せぬ。

 この程度の痛みなぞ、虻蜂(あぶはち)より取るに足りぬ痛みであるわっ!


「……じゃあもう一発いっとく……」

「後生だ、もう許してっ頼むっ……や、やめっ――!?」


 三回目の針が突き刺された時にはもう私は完全に屈しておった。

 正直に言えば一回目の時にもう駄目だと悟っていた、かのようなのは人のする事ではないではないだろっ。

 今の私はこの世の病に耐えうる身体ではないらしく、注射と言う物で身体に対抗できる薬を流し込むとの事だ……。

 針を刺されるだけでも正気かと疑うのに、かのようなギラリと光る針を突き刺されて平気でおられるわけないであろう……!!


「うっうぅ……誰が()(この)んでかのようなのを受けねばならぬのだ……」

「好き好む者がおれば、それはそれで病気じゃぞ……まぁこれで病への対策も出来たし良いではないか」

「……後四本打ちたい……」

「それ以降は六姉様がやりたいだけでございましょう……必要以上の事はお止めになってくださいまし」

「……残念…………あ、そうそう四本で思い出した……」

「どうされたのですか?」

「……しばらく来られない………四本がうろうろ……ぶるぶる……」

「な、なんですとっ――!?」

「……会っても居場所言わないで…………絶対……言ったらちょん切る……」

「まっ待って――――あ、あわわわわわっ……」


 にびが机の下に潜り込んでブルブル震えておる……私の治療はもう大丈夫なのであろうか?

 確か四と言っておった気がするがまた姉が来たのであろう、尾まで隠しておることは相当恐ろしい者なのであろうな。

 七で尾が七本、六で尾が六本であるから、次は四本か――


「ん? このグズはまた何かやらかしたのか?」

「あああっ、ななな七姉様ぁ~~大変ですじゃっ――てててててってんさまがぁっ……!!」

「てんさま――おお、おおっあ奴も来おったか! どれ、とっておきの酒でも振舞ってやろうかの」

「話が全く見えぬ――」

「あぁ、鈴音か調子はどうじゃ?

 昨日の悲壮感漂った死に顔に比べればまだ良いようじゃの。尻に六特製の薬を突っ込まれたおかげか、ほっほ――」


 ああ……あの辱めは思い出したくもないし二度としたくもない。

 こやつらは何の助けも無くば、見て笑うておるだけであった――

 私の苦悶の声にこの七殿は必死に笑いをこらえておったではないか!!

 しかも後で聞けば飲み薬がちゃんとあると申すではないかっ、ぐぅぅ……思い出すだけでまた熱がぶり返して来そうだ……。


「まっ、性格と性癖はちとアレであるが六の医術の腕は保障するぞ。

 目的は言わぬが特に薬に関しては長年研究し続けてきておるからの。

 それはお主が一番感じておるじゃろ、奴は人がどうなろうが興味の無い奴じゃが、

 やれと言われた時はちゃんとやる奴じゃ」


 確かに七殿の申す通りであった――辱めを受けたものの、当初に比べれば嘘のように身体の調子が良い。

 まだ朦朧としておるが、食欲も僅かに戻って来ておるし兆しが見えておる……。うむ、少し……腹が減ったな……。


「……すまぬが飯を頼めるであろうか?」

「ん? おお、そこにある味気ない粥であるな――

 いや、お主からすれば心配で殆ど眠れておらぬ君が早起きして作っておった何よりの馳走であるな」

「な、何を言うかっ……!?」


 "べらんだ"への硝子扉の際で眠っておったのは、そもそもこの狐どもが弘嗣の布団を占領したせいであろうっ。

 頭の布や飲み物などの心配をし、それどころか朝早くから粥を作り、好物の鮭まで入れてくれておった……。

 それなのにこやつらは手伝いもせずグースカと……。

 味付けは――し忘れたのであろうが、あ奴の気遣いが染み入る粥であった……確かにどんな馳走にも勝る飯であろう。


「薬が効きすぎておるようですじゃ……」

「ああつまらぬ、温めなおす必要も無さそうじゃの――」

「え、あっあぁちがっ……」


 わ、私は何を考えておったのだ――気の迷いだ、病になれば気が弱くなると言うのは確かであるな。

 粥に味は無いと言っても過言ではないが、共についてあった梅干の塩気との兼ね合いが丁度良かった……。

 あの梅干はあ奴の故郷の名産であるようだ――うむ、やはり本場の物は美味いものだ。

 食欲が戻りつつあるとは申したものの未だあまり量は食えぬが、朝よりは食え腹に収める事ができた。

 薬よりこちらが効きそうぞ。病の時ほど食わねばならぬ、と聞くが真にその通りであるな。


「薬は気休め、であるかもしれませぬな」

「たまには良い事を言うんじゃな」

「……?? すまぬが少し休ませてもらう事にするぞ――」


 薬が効いてきたのであろうか、確か後から眠気もやって来ると言っておったが……。

 腹も膨れたのもあり眠――く――。


「……いつも思うのですが、六姉様の薬は何が入っておるのですか?」

「分からぬ。さてと……あやつが来るようじゃし、見つけられれば久々に腕をふるってやろうかの」

「え゛っ――天様がお怒りになりますっ、どうか出来合いの物をお願いしまするっ!!」

「妾の飯はそんなにか……?」

「イワシとイナゴと大豆にピーマンでどうしてプリンを作るのですか……?」

「いや――あれ美味いじゃろ?」

「七姉様と魚ぐらいしか食べぬと思いますのじゃ……」


 /


 殆ど眠れなかった上に朝もバタバタしていたのもあって、午前中は仕事に全く身が入っていなかった。

 この昼食で切り替えないとな、七姉さんが『弁当じゃ』とツンデレ気味に包みを渡してくれたのは力になる。

 手作り弁当なんて前に付き合っていた彼女以来かな……。

 だが、女性従業員の居る場で開けてはならないと俺の本能が告げている――嫉妬や羨望を呼ぶからではない


 ガサガサガサガサッ――


 包んでいる布の中で何かが動き回っているのだ。それも複数。

 自分の席で恐る恐る結び目を解き透明なタッパーの側面を覗き中身を確認すると――ムカデ・クモ・サソリと目があった。




「昼行ってきます」


 その日のハンバーガーはとても美味かった。

 願わくば鞄の中であれの蓋が開きませぬように――。

衆道:男同士でするあれ。

   セクシャルマイノリティなのではなく、一般的な物だった。


~今回登場キャラ~


六姉さん(六尾)

六本の尾を持つ小児科医。人間に対してはあまり興味がない悪狐。


体毛:白黒・のらくろ 性格:マイペース

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