15.キャンプにやって来た(夜)
さぁ薪も拾ったし晩飯の準備だ、鈴音は火を起こすのが上手いな。
こんな所で焚き木をしていいのかと思ったが、火を扱う狐もいるし大丈夫なのだろう。
あぁパチパチと燃える音が癒される――なんて思ってた所に、七姉さんが無茶苦茶な事を言ってきた。
「要は『あの生意気なイノシシを始末してきな』だろ!!」
「まぁ平たく言えばそうじゃが、褒美に士官として採用してもらえるぞ?」
「嘘だっ!!」
「して武器はあるのか?」
「鈴音さんっ!?」
鈴音はやる気満々だった……。
モブの意見は無視し、七姉さんは待っておれとどこに保管していたのか弓矢と槍を持って来た。
あ、これ時代劇でよく見るやつぅー。歩兵が持ってるよく見るやつぅー。
「童は何が起こったのか分からぬが、こ奴は頭でも打ったのかの……?」
「おぉっ朱槍ではないかっ!! この穂先も何と言う見事な業物――おおお……この弓も見事っ!! なぁこれくれるのかっ!!」
「貸すだけじゃ馬鹿者っ」
薪割りなどに使う鉈や手斧もやたら気合の入ったものだったし……もしかしてこれらって七姉さんの私物なの?
この真っ黒な片刃の剣とかもう中二心くすぐられまくりだ。
「この方は、武器大好きじゃからの……。シャムシールのカーブの美しさについて二十時間語られた時は拷問じゃった……。
ちなみにお主が握っておるのはマチェットじゃ、主に藪など切り開く時に使われるものじゃの」
「へぇー……それらを使いたいからキャンプしてたりしてな」
「……」
え、マジでそうなの……?
流石に猪狩りのような事は頻繁にしないだろうけど、こんな伐採用のナイフとかあれば使いたくなる気持ちは分からないでもない。
後からやって来た久野さんも猪狩りに参加し、傍から見れば時代を完全に間違えているハンター二名が猪のヌシを狩る事になった。
俺とにびは役に立ちそうにもないので見学だ――この手の技能を持ってない一般人で良かったと本当に思う。
久野さんが追い立て、森から姿を現した所で仕留める――と言った算段だそうだ。
さて、晩飯のカレーの準備しなきゃな。
「来たか――」
どこに? と思ってその場所を見ていたが全く分からん。
鈴音はギリギリと弓を大きく引き絞り始め、ビュウッと風切り音を立てて矢が森の中に飛び込んだ。
やはり鈴音は武器を構えた姿が凛として美しい……矢を射った直後も流れるような動作なぞ見惚れてしまうぐらいだった。
間髪入れずにもう一発、更にもう一発――
射る度に聞こえてくる獣の雄たけび……ここから見ても分からないけど全部命中してるのかよ……。
最後の一発を放った直後、その茂みから何か巨大な物が飛び出してきた――
「で、でででけぇっ!?」
猪ってこんなデカいのかよっ!! 熊かと思ったぞ……。
鈴音は槍を構え、最後の一撃でブィィッブィィッと悲鳴のような鳴き声をあげ悶えている猪に一歩一歩慎重に近づいて行く。
もう殆ど動かなくなったし大丈夫なのだろう……と思った瞬間――猪が突然その巨体を起こし、
体格に見合わぬ速さで鈴音に向かって突っ込んで来た。
一瞬の事なので声も出なかった。
『危ないっ』と言う言葉が出そうになった頃には手遅れだった――
ピギィィィッと断末魔をあげる猪、鈴音の持つ槍がその獣の首に深く突き刺さっている。
地面に倒れ最後のあがきを見せるも更に深くまで突き入れられ、次第にその動きか小さくなり遂にはピタリと止んでしまっていた。
「あ、あれを避けたのか――」
「これくらい出来ねば戦で生き残れぬぞ?」
猪の突進を身を翻して回避したのと同時にブスッと――ぐらいしか見えなかった。
イノシシが突っ込む直前、鈴音からフッと一瞬力が抜けた気がする――もしかしてわざと隙を作って反撃を誘った……?
それに仕留められた猪をよく見ると、射った数と同じ本数の矢に太い鋲のようなのが突き刺さっているが……
これが忍者の使う棒手裏剣ってやつなのか?
「お見事でございます」
「いや、久野殿のおかげでありますぞ」
「私はただ獣の動きを制御していただけですよ、最後の矢は完璧でありました」
このくのいちは、手裏剣でツボのような所に突き刺して動きを制御していたのだと言う。
何そのチート性能、忍者ってあのポンコツ以外皆そうなの?
彼女は『ではバラします』と言って、目の前で猪の解体ショーが始められたけど中々グロい……。
いや、切り開かれて臓物が見えているのがグロいんじゃない。そこから臓物を貪り食い始めた狐どもが怖いんだ……。
内蔵を引きずり出してぐっちゃぐっちゃと音を立てて食うとか下手なゾンビ映画より怖いよっ!!
七姉さんとかもう食い方がエゲつない、顔真っ赤じゃん……怒っているんじゃなくて血で。
「何じゃ、お主も食いたいのか? ほれ、心臓やるぞ」
「七姉様っそれ童が欲しいのじゃっ!!」
「ほう……かく大きくあろうとも、やはり人と猪の臓物は違うのだな」
「いい物食べてたようですね、ほらこの肝とか艶々してる」
「お前らおかしいよっ!!」
にびもああ見えてかなり肉食である。七姉さんと同じくホルモン系が好きだ。
だけど、食肉加工場は毎日のようにあんな惨劇が行われているのだろうか……この機会にベジタリアンになろうかな。
多分三日もすれば普通に肉食ってる気がするけど。
猪の肉は必要な部分だけを切り出し、残りはこの場所を使わせてくれている神様に捧げると山に置いて来たらしい。
見せしめって言おうとしてたぽいけど気のせいだよな……? 晒し首みたいにならないよね?
血抜きもするので普通に食えるようになるまで数日かかるとの事、食えるようになったら牡丹鍋にでもしようか。
その後、晩飯のカレーに必須の米の準備をしていた鈴音なのだが、何やら不思議そうに飯盒を眺め頭に被ったりしている。
今度は一体何をやっているんだ……?
「いや、これも戦時に兵が使うておったのが始まりであらば、何処か守れる防具なのではないかと思うてな……」
「ま、まぁぶら下げておけばどこかは守れるだろうけど……」
「軽い上に何とも奇天烈な物よ……。
飯炊きどころか皿にもなり水汲み桶にもなり鍋にもなる、この持ち手を使えば"ふらいぱん"になる。
うぅむ、戦であらずとも普段の飯炊きでも便利であるな……」
久野さん曰く、征夷大将軍の徳川慶喜も自宅で飯盒炊飯を楽しんでいた記録があると聞いた。
確かにこの飯盒炊飯って楽しいんだよなぁ、おこげが出来てそれがまた美味いし、失敗してもそれはそれで楽しいもんだ。
「しかも飯釜と同じ理屈であるか……暖かい飯が食えるのは良いな」
「手間はかかりますが竹でもできますよ。
暖かいだけでよければ、忍の飯炊きで水で戻した干飯を包み地中に埋め、その上で焚き木をすると言うのもあります。
本当にただ暖かいだけですが」
昔も試行錯誤して色々やってるんだな……いや、試行錯誤やって来たからこそ今こんな便利な道具が生まれたのか。
今があるのは先人のおかげだし感謝しないといけないな……。
「……」
「ん、何だ?」
「顔に何かついてますか?」
四百年前の人が現代に、目の前に居る事が不思議でなくなってきたが
この人たちも一応先人になるのか……?
それはさて置き調理再開。火を起こしてそこで調理するのはいいんだけど、
火の熱気で顔の表面だけすっごい火照って風邪引きのような感じがするんだよね。煙も目に入って痛いし……。
だが、そうは言ってもたき火で料理を作るのがキャンプの醍醐味でもある。
調理は鈴音がするそうなので、火の傍で二人並び作り方を説明していく。
やはり火を使った調理の方が慣れているらしく、火の傍でも何のそのと説明通りに作業をこなしていた。
後はルーを入れて煮立たせれば完成だな。
陽が傾き、辺りが薄暗くなるにつれて燃える火明りがありがたくなってくる。
焚き火の明りやパチパチとした音って、何でこう腹を割って何でも話したくなるような気持ちになっちゃうんだろう。
ふと赤く照らされる鈴音の顔を見ると、先ほどの涙していた鈴音を思い出してしまっていた……。
「実は言いにくく恥ずかしい話であるのだが……私の所ではよく油を入れた皿に火を燈して明りにしておってな、
かのような火の明りを見ると母上に叱られた事を思いだしてしまう……。
一人になり、火明かりをじっと眺めておると堪えていたのが我慢出来ずよく涙しておったのだ……
武士になったのは正しい道であったのか、到底敵わぬのに続けて良いものか、とな。
いや、早くに分かっておった……分かっておったのだが認めたくはなかったのだ。
これまでしてきたのが無駄になるのが怖かったのだ……」
やはりあの時の鈴音は本当の姿だったのか――。
静かに頬を伝う涙を指でぬぐい、泣いてないと強がってくる。
こうやって弱い自分を隠しながら男社会の中で生き抜いて来たんだな……
強情で頑固で時々雑になるけど、本当の鈴音は繊細で怖がりな女の子なんだ。
「ふふっ、私らしくもないな……
だがこの間、徹底的に打ちのめされてようやく踏ん切りをつける事ができた。
私は――刀を置く。この世に居って分かった、私にはもう必要あらぬと」
「え、えぇっ!? でも、そうなったら……」
「元々居った世に私の居場所はあらぬ、だがここにならある」
「ちょ、ちょっと――それは駄目だっ。第一、鈴音の帰りを待つ親御さん達はどうするんだよ」
「父上は諦めておらぬであろうが、それは家の為……母上は書状で
『去りし夜を想えど愁う必要にあらず。柵に鶴鳴き、次なる夜に鈴の音を奏でたまへ』
と申しておった。会えぬのは寂しいが構わぬ」
「さ、さりし……?」
「"夜"は"世"、"柵"は"柵"、"鶴鳴き"はそれに絡む"蔓無き"
"鈴の音"は、私が産まれた際に鈴の音が鳴ったのだ……つまりは――」
え、えぇっと……去った世を愁う必要はない、しがらみの無いこの世に鈴の音を奏で――
つまりは――過ぎ去った時代に囚われずこの時代を生きろ、と……。
娘の為ならば……母の想いとは何と強いものなのだろうか――。
「だが武芸は止めぬぞ、ただ武士の真似事はもう止めるだけぞ。うむ、言えてスッキリした。
それで――だ、帰るまでと申しておったのだが……その、お主が良ければなのだが……そのっ…いいっ」
「に゛ゃー飯はまだかー!! ……って、あれ?何かまた間が悪いよう、な――ひぃっ!?」
俺にも分かった、物凄く恐ろしい人の赤い目がギンッと光ったのを……。
あぁいつの間にか星が出てて綺麗だなぁ、虫の声に混じって何か悲鳴と謝罪の声がする。いとおかし。
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・
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「こんな所に天然の温泉があるってのも凄いな」
温泉があると聞いていたが、簡素ながら岩を並べた露天風呂があるとは思わなかった。
山の上の方から源泉が湧き出ており、それが長い年月をかけ岩の上を流れ続け水の通り道が形成されたのだろう。
雨だれ石を穿つと言うべきか、その天然の水路を通り冷まされた湯がこうしてやや熱めの温泉となっている。
だがこの縁石から敷き詰められた石は一体誰が並べたのか? これだけは明らかに人工的に作られたものだ。
はるか昔、誰かが作ったのか――石を見る限りでは最近の物ではないと思われる。
これを作った人を何を思いながら作ったのだろう、後世の人間も入る事も考えていたのだろうか、
古代浪漫には言うほど興味はないが何故かふとそう考えた。
古代浪漫か……鈴音も時代は新しいが古代の人物なんだよな、その人が現代にやって来た。
このご時勢に侍を名乗った時代錯誤な女性――その人が侍である己を捨て現代に留まると言う。
肩から荷を降ろした鈴音はとても清々しい顔をしていた。長く重く思い悩んでいたのから解放されたのだから当然だろう。
だが、それで良いのだろうか――侍である事が彼女のアイデンティティだったはず。
それを失えば彼女は何を支えに生きねばならないのか……。
まぁ、それは俺が決めることではないのけど――。
「いいや、お主が決めるのじゃ――」
「なっ七姉さんっ!?」
「ほっほ、自然に男湯女湯なぞないのじゃぞ。それに一人では寂しかろう」
「ま、まぁそうだけど……」
「拠りどころを失い、拠りどころを求める気持ちはお主が一番知っておろう。
鈴音もまた同じじゃ――長く共にあった物を捨てようとしておる。
辛い決断であったであろう……覚悟を決めておるが、未だに迷うてもおる。
右も左も分からぬこの世で誰を頼る、妾らか? 我々狐らもずっとお主らの面倒見るわけにはいかぬ。
なれば、残るは誰しかおらぬか分かるであろう――
その者は本心では気づいておるはずじゃ、他愛も無い道理に囚われて気づかぬフリをしておるだけぞ。
必要なれば得ればよい。して、その者はどうする、孤独を人に与え己もまた孤独を味わい続けるか」
「…………」
「決断は今ぞ。こればかりは時は解決せぬ。先延ばしはより酷な結末を与えるぞ――」
「七姉さん、どうして……」
「気になるか? それは妾もまた孤独じゃからの――失い、得られるものを得られておらぬ」
背に真っ白七つの尾を広げ、寂しげにそう呟いて去って行く姿は何とも美しく儚かった。
あの人には何もかも全て見透かされているな……。
分かってはいる、分かってはいるんだけど――そろそろ腹をくくるべきだろうか。
と考えていると、背後から何者かが近づいてくる足音がしていた。
「ひ、弘嗣……よな? な?」
「すす鈴音っ――ふふ風呂に入りに来たのか? 待ってろ、今出るからっ……」
「い、いや良いのだっ構わぬ。むしろ入っておれっ」
先ほどの事もあって物凄くギクシャクしている。飯の時も二人ガチガチだったからなぁ……。
でも今の鈴音は何かそう言った感じでもなさそうだけど……。
「ににっにびも久野殿もおらぬでな、気配がせぬのに外から熊のようなのがうごめいておる気がしてなっうむっ」
あぁつまりテントの外に何かいる気配がして怖くなって来たのか。
ハッキリ言わない所が鈴音らしい。けど鈴音のおかげでちょっと気持ちの整理がついた気がする……が、
湯に入ってきた鈴音を見て別の意味で気持ちがかき乱されてしまう……。
た、タオル一枚って……水着はっせめて水着ぐらいはしてくれないとジュニアがっ。
「水着が、水着が無くなっておったのじゃっ……襦袢も置いてきてしもうたし、あああまり見るでないっ」
「す、すまんっ混浴なんて初めてだから――」
いや正確に言えばさっき七姉さんが入ってきたので二度目だ。けどあの人は狐だからセーフってことにしておこう。
一応自分もタオルで隠しているけど、気づかれないように、これ以上刺激しないようにしておこかないと……。
「そ、その……先ほどはすまぬな、おかしな事を言って……」
「い、いや、突然言われたからビックリしただけだから大丈夫だ……でも、本気なのか?」
「……正直に申せば明日、明後日には戻っておるやもしれぬ……」
「朝令暮改になる気も分からないでもないな、物凄く重い決断だったと思うし……」
「うむ……そのなのだが……」
未だに迷っている――七姉さんの言った通りだった。
不安で元通りに何事もなかったようにすれば楽になれる――けどこぼれた水は戻らないように、一度宣言したからには戻れない。
不安を取り除くには……やはり言わないといけないな。彼女の背中を押す為にも――
「な、なぁっ鈴音っ――」
「うっうむっ……!?」
肩を掴んだもののここから先の言葉が出てこない――ええい、気合を入れろっ
「実を言うと俺も気づかないフリをしてた。鈴音が来てからそれを忘れられると思ってた。
けど、今日になって分かったんだ、毎日が満たされているのは孤独を埋めてくれいたからじゃなく、
俺にとってなくてはならない大事な人が傍にいたからなんだって……」
「えっ……」
「この先もその、この世に居るつもりなら……ええいっ、帰らないのならこれからも俺と一緒に居てくれ!!」
「あっ――でも本当に良いのか……? お主にもその……」
「俺はもう踏ん切りがついた。うんそうだっ、俺には鈴音が居ないと駄目だっ、お前が居ない生活なんてしたくない!!」
「なら……あっいや――はい、是非に……」
このまま鈴音の唇を――
「そう言う事は然るべき場所でしろ――」
温泉からザバァッと何かが浮かびあがってきた――って犬かこれ!?
デカいけど何だこれ、さっきの猪といい不法投棄された成長剤でも食ってんのかっ!?
何から言っていいのか分からないけど、言ったらバッサリ切り捨てられそうな気がする。
「人の領地でベタベタするな、ただの犬扱いするな。それと黙れ小僧とも言わんからな」
そもそも犬が喋る事自体おかしいのだけども、狐どものせいで新鮮味が感じられないんだよなぁ……慣れって怖い。
てか領地ってこの犬も狐の関係者なのか、確かごっちゃんの紹介だと言ってたけど……。
「犬、犬と言うでないわ。私は犬神だ、い・ぬ・が・み!!」
何となくにびと近いノリだなこの犬……神は――って犬神っ!?
てことは財産相続でモメてたりなんかもするのか?
「いい加減にせんとシバき回すぞお前」
「い、犬神と申せば……きゅ、九尾から生まれた子ではあらぬかっ!?」
「そうそう、そう言った反応が欲しいのこっちは。分かったかそこのボンクラ?
こんなとこで裸の男と女が二人ちゅっちゅしたら、流れ的にその続きもしようとするだろ?
そうしたら湯汚れるじゃん? 気持ちよく風呂に入ろうとしてんのに、湯の中に変なの浮いてたらテンション下がるだろうがボケェ!!
したきゃ然るべき場所でしろ。それで備え付けのゴムに穴開けられてて、半年後に授かりましたって言ってくっつけ、な?」
散々な言われようであるが、神様にしては俗世に詳しいなおい。
九尾と言えばあのぐーすかしてるのだろうけど、それの子とは思えないぐらい口が悪い。
犬神って犬の中の神様だと思って思っていたけど、九尾の狐から生まれていた子なのか……神様も結構複雑なものだな。
だが止めてくれて良かったのかもしれない。
このままだったら確かに更に一線を越えてしまう事になっていただろうし……だって鈴音らが来てから色々できなかったんだもん。
「テントに戻ってヤってみろ、一発で命中させて末代まで憑いてやるからな」
「分かってるわっ!!」
「じゃ、俺はにびと風呂に入るから帰れ。シッシッ――あ、お嬢さんはまだ浸かってても大丈夫だぞ」
「い、いえ――私も失礼致しまするっ」
鈴音のタオルはここに入るのに使ってしまったので、先に俺のタオルで身体を拭き着替えて貰い、
その後自分の身体を拭いていると、あちこち泥だけになったにびが茂みからガサガサと音を立てながら出て来た。
見かけないと思ったら犬神と一緒に遊んでいたのか……九尾の子であるなら叔父にあたるのか?
なるほど、それならこの満面の笑みも頷けるな。
「ワンちゃん、もう風呂に入れるのかのっ?」
「うむ、もう入れるぞー」
「……」
犬神が『何か文句あるのかこの野郎』って目で見てきた。
犬扱いするなと言っていたのに、ワンちゃんて……。
身内ならいいのか?
「身内だからいいんだろうがっ」
ごもっとも……。
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それからテントに戻るまで始終無言のままだった。
付き合い始めの中学生かと思うも、中学生のがまだ喋るよな……。
何を喋っていいのか分からないし、犬神に妨げられたけど先ほどまでピンキーなムードだったから余計に話題が見つからない。
いや、そのムードを保ったまま戻っても続きしたらシバかれそうだし、一発でなんてされたら……いや確証はないが。
とりあえず色々ありすぎたしもう寝よう……。
「弘嗣――先ほどの何かしようとしておったな?」
「いいいえっべべ別になにも……」
「ふふっ……しても構わぬぞ」
「え……」
「だ、だからっしてもよいと言っておるのだっ――そのっおかしな事でなければ……」
い、いいんだよな? した瞬間どこからか吹き矢やにびが飛び込んでこないよな?
「あっ――」
戸惑う鈴音の頬を支え、ゆっくりとそっと唇を重ねた――少し荒れてはいるけど柔らかい。
本音を正直に言えば『ああやっちまった――。』だった。
先ほどまでは『昨日のは気の迷いでしたーごめんねっ』で済んだ(済まないが)のだが、これで完全に後戻りできなくなった。
やっちゃったものはしょうがないし、今となってはそんな事はどうでもいいか……これが俺の本当の気持ち、本当の望みなのだから。
何が起こったのか分からないと言った顔をして惚け、右人差し指で触れ合った部分を確かめている鈴音を見ると、もう後悔なんてなかった。
「……」
「……」
薄暗いけど瞳が潤んでいるのが分かる……あぁもっとしたいのにどうして首に針が刺さるかなぁ?
ねぇ久野さん、せめてもう一回ぐらいさせてから吹き矢いこうよ――あぁ、眠っている間に事件解決してるのかな。




