其の陸 『毘沙門天様』
何か文がおかしい気がする……。気のせいでしょうか。
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〜英治Side〜
左腕がだらんと垂れ下がる。指の間にかろうじて挟まっている状態の八卦炉からは、黒煙が立ち上っていた。
「……痛ってぇ」
右腕で、左腕――、左肘を触る。不快な感触と共に、強い痛みが脳まで走った。
――もう使えなさそうだなぁ。
馬鹿なことをやってしまった、と反省する。幸い、先ほどの鼠さんは船の壁にもたれながらダウンしている。向かってくる気配もなく、一度落ち着くには都合がよかった。
右手を伸ばし、八卦炉を抜いてポケットに入れる。焦げ臭い匂いが服についてしまうな、と思いながら。――次に、首に巻いていたマフラーを取って、マスパの衝撃で散り散りに吹き飛んだ木を当て木代わりに、左腕にマフラーで巻きつけた。
前後左右に軽く揺らして、マフラーの巻き加減を調節する。
「なるべく右腕だけで行けますように」
僕自身は無宗教だが、こんな時くらいは祈らせてもらおう。何せ、幻想郷には神もいるのだから。
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〜ロッヅェSide〜
「で、どうするよ」
俺らは、先ほど爆発させた唐傘を放って、森の木々の上に立ち、空を見上げていた。その先にあるのは、勿論『箱舟』だ。
「The Flying Ark...」
涼川が不意に言った。流暢な英語に発音だったので、現在の人格が竜なのか否かの判断がつかない。少なくとも、俺が戦っている時は竜の方だった。
「涼川は飛べるか?」
「今は私じゃよ」
おっと、竜の方でした。
俺は咳払いをして、もう一度尋ねる。
「竜さん、あの舟まで飛べますか?」
俺でやっと五百年以上、しかし竜の精神はもっと古くから存在していたらしい。肉体はないとは言え、彼の方が断然年上である。
故に敬語を使う。
「なめないでほしいのう」
和やかな声だった。見た目は俺と同じくらい(二十歳くらいに見られているのが理想)なのに、顔面だけ七十か八十歳になったような雰囲気だった。
今のうちに零士に頼んで写真に撮ってやろうか、と思った。大真面目に。
「腰を痛めないで下さいよ」
「なに、涼川のものだから心配ない」
涼川も大変だな、と少しばかり同情した。
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〜英治Side〜
操縦室を進む。折れた左腕を庇いながら、慎重に。鼠さんは相変わらず、壁に埋もれたままなのでそのまま放っておくことにした。見る限り、目立った怪我はないので多分大丈夫だろう。
操縦室の入ってきた扉と、逆側にある扉の間にある真ん中の扉を開ける。逆側に行けば、ここに来た時と逆の廊下を挟んで、また甲板に出ると思ったからだ。
案の定、真ん中の扉には長い長い廊下が続いていた。真っ直ぐ行くルートと、下に向かう階段の二方向だ。
「……下はいいでしょ」
ロッヅェ君たちは多分、舟の下から攻めてくるはずだから――と、勝手に決めつけて僕は真っ直ぐに廊下を進んだ。
暗かった。こんな時に灰場君がいればなぁ、と思うが、生憎、彼は人里だ。とてもじゃないが、異変の解決をしようとして動くことはないだろう。慧音さんと寺子屋で授業をしているはずだ。
「しかし、だ」
こうも暗いと、いつ不意打ちされても反撃ができない。
そう考え、僕は左手を開き――ゴキゴキ、と骨が軋んだ――歯車を出現させ、右手に水剣を握りしめた。
あとはなるようになれ、と残りの思考は放棄した。面倒臭くなっただけだ。
そして、僕はゲームのダンジョン攻略さながら、剣とアイテムを持って、暗い洞窟(実際は廊下だが)の地面に一歩、また一歩と、踏み出していった。
――突然。
「正義の威光」
床から、声が聞こえた。
「……ッ」
――元来、人間は視覚で見える限りの突然的なことには、結果がどうであれ反射が働くが、こんな場合――、例えば、見えないところからの突然的な攻撃などには、反射も何もない。脚が一瞬、動かなくなってしまうのだ。
床が一瞬、白く輝き、強く揺れる。
身体を大きく揺する轟音。ロッヅェ君の音よりも強い振動。
「ッぁあ!」
ここでやっと身体が動いた。左手を握りつぶすように閉じ、歯車を廻す。火花が飛び、辺りを仄かに赤くした。
「ッ『ギアチェンジ』――」宙に跳びながら叫ぶ。
直後、自分が先ほどまで立っていた場所が『くり抜かれ』た。
マスタースパークのようなレーザーが六本、遅れて黄色の弾幕が飛び交う。咄嗟に跳んで回避したのは間違いだった。僕を囲うように六本のレーザー、レーザーの牢そのものを壊すかのように弾幕の嵐――。
「斬骸剣ッ!」
右に握る水剣を、自分を中心に360度回転させてレーザーを叩っ斬る。しかし、六本の線は途切れない。小さく舌打ちして、自分の足元を見やる。
黄色に染まった、眩しいくらいの弾幕。
「ああもういい!」
叫んで、一枚のカードを呼ぶ。
「人鬼!」
目を閉じ、脳裏にあの居合を思い出す。楼観剣を振るう冥界の人物を、剣の振るう速さを、――あの忠誠心を。
水剣を左側の腰につけるようにして、大きく息を吸って――、吐いて――。
「未来永劫斬」
一閃。
床に着地した瞬間に水剣をただの水に戻し、試験管に入れる。そして半回転、相手と対峙する。次の瞬間、六本のレーザーを含んだ全ての弾幕が半分に割け、霧散した。魂喰いの特性、模倣――今回は居合の模倣――だ。
「初めまして、でしょうか」
「初めまして、ですね」
全然初めましてじゃないよ、と内心で言う。表情こそ冷静だが、中身ではかなり嫌な表情をしている。武器をあの時点で出していなかったら、と思うとぞっとする。
試験管を右指の四つの間に挟み、相手に向かう。
「毘沙門天ですね」
僕は言った。金と黒の髪、左手に彼女の身長以上の槍、右手に宝塔、虎柄の腰巻き――。実在の毘沙門天のような格好だ、と思った。ロッヅェ君の図書館で見た文献によるものだが。
「星です」
「英治です」
毘沙門天ということを否定しない辺り――、毘沙門天様本人としていいだろう。しかし、そうなるとかなり厄介だ。
毘沙門天様は――武神だ。
それも、持国天、増長天、広目天に次ぐ、四天王だ。
どんな無理ゲーをさせる気だ。殺す気満々じゃないか。勝てる気もしないよ。
冷汗が頬を伝った。勝手な妄想ではあるが、これが真実ならばほとんど勝てる見込みがないだろう。いくら強くても所詮は魂喰い、武神様に勝てるはずがない。――冷汗が皮膚を離れ、地面に落ちた。
そして、毘沙門天の足は、手は動く。
自然に、ごく自然に。
「水……、水災画ッ」
試験管を投げつけ、宙を舞う水を操り鋭い槍にする。『勝てる気がしない』。その分、手加減などしないつもりだ。
縦横無尽に伸びる槍。多少の動きを制限させるであろう水の檻。完全に串刺しには出来なくとも、動きを封じることくらいならできるだろう――!
「――え」
囲まれていたのは――。
「甘いです、よ」
――僕の方だった。
『焦土曼荼羅』と微笑む。毘沙門天を中心に5×5マスの25の囲い。その一角に僕はいた。――跳んで回避しようにも、その先にはまた囲いが。逃げられない。
時間を止めようにも、逃げ場はない。運命を変えようにも、僕にとって都合のいい現実にはできない。スペルカードをかまそうにも、体勢的に無理だ。――そして、悪夢は始まる。
毘沙門天を中心に、赤、青、黄の三色の弾幕。しかも、先ほどの不意打ちの時の比ではない量だ。単純にあの弾幕を三倍にしたような弾幕だ。
僕は水剣を咄嗟に創り、急所にあたりそうな弾幕のみをを一つ一つ潰していった。両腕、両脚、身体の端に掠る感覚があるが、今気にしている余裕はない。ただ、『切り伏せろ』としか考えていなかった。
「上、疎かですよ」
刹那、右側からの激しい衝撃。何が起きたのか分からない。左目で視認する――、毘沙門天が先ほどまで立っていた場所から跳躍し、僕の頭を蹴り飛ばしたことが分かった。左側に吹っ飛び、レーザーに突き刺さる。右側に持っていたはずの剣が、地面で僕を嘲笑っていた。
「有刺鉄線かよ……」
骨折した方の腕から血を流しながら、よろよろと立ち上がる。正直言って、ここで倒れてしまいたかった。そうすれば、見逃して貰えるかな――、なんて思いながら、肩で息をする。
視界が霞む。両腕が上がらない。脚が震える。
魔理沙には悪いけど、もうここでゲームオーバーかな。
「至宝の独鈷杵」
緑に光る、先ほどのレーザーとは比較にならないレーザーが、僕を船底まで落とした。
ヤバいかも、と実感するが、遅い。
第二撃のレーザー。船底を突き破り、重力に任せて落下する。
船の底と、青い空、白い雲が見えた。
毘沙門天が、僕を見下ろしていた。
「……ゲームオーバーか」
「んにゃ」
真後ろ――、地上から声がした。僕がよく知る声、よく知る口調、よく知る人物。
「現代のゲームには『引き継ぎ』ってのがあるんだぜ」
ロッヅェ・スカーレットと古木涼川。半人半吸血鬼と竜人であり。
幻想郷トップレベルの戦闘狂だ。
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