其の玖 『半人半吸血鬼』
**********
『勝てないことは、進めないのと同じことだ』
いつだったか、ブラドが言っていたことだ。
確かに、勝てなければ前には進めないし、勝てなければ何もできない。
俺が心底憎んだ、あの吸血鬼なりの持論は、皮肉にも今の俺にかなりの影響を与えている。――例えば、『誰にも負けることなかれ』という、負けず嫌いなところなどだ。
勝てなければ誰も救えない。
負けた者は、何かを失う。
強ければどんなに間違っていても正しく、弱ければどんなに正しくても間違っていることにされる。それが世界の理不尽だ。
――俺は、自分が正しいとは決して思っていない。むしろ、間違いだらけの人生だと思っている。何が正しいのか、未だに分かっていない。けれど、『正しくありたい』と願うのとは別だ。
正しくありながら、強くありたい。
人間ではなくなったときに、自分で誓ったことだ。
それが、吸血鬼に殺される人間と、人間を殺そうとする吸血鬼の、中立の位置にいる俺の存在理由だ。
しかし、正しくあっても、強くなければ、俺の存在理由はなくなる。
強くなければ、人間は吸血鬼に殺され、吸血鬼は人間を殺すだろう。
それを止めることは、できないだろう。
――強さのない俺は、俺じゃないんだ。
**********
肉の焼ける匂いが鼻を突く。地面が揺れるように感じる。立っているのがやっとな状態だ。膝が笑うようにケタケタと震える。一応立てたものの、両腕が上がらず、だらんと身体の両側に垂れている。
満身創痍。
しかし闘志満々。
「……死にますよ?」
「生憎、死にたがりなんだ」
腕の再生はあと神経だけ、身体の孔は少しずつだが再生できている。――全快まであと三分、というところか。
三分。
戦えるまで、三分間。
逆に言えば、何もできない三分間。
どうする。
涼川にこいつを任せるわけにはいかない。かと言って、英治はまだ気絶している。ならば、共闘という期待はできないだろう。
どうする。
異変解決という見方ならば、ここで俺はリタイアして、博麗に頼むこともできるが、霊命さんに任された以上、投げ出すのもばつが悪い。
どうする。
どうする。
残りの二分十五秒。
とてつもなく長く感じる、二分十五秒。
たった、百三十五秒。されども、百三十五秒。
「もう倒れていて下さい」
投擲。宝塔ではない。槍だ。俺はそれを、後ろに転がる勢いで倒れ、ギリギリで避ける。目の前で銀色の刃が光り、遠くに飛んで行った。――あと二分。
たった百二十秒なのに。
今まで生きてきた時間よりも圧倒的に短いはずなのに。
とても――。
長い。
「そのまま倒れていて下さいよ」
毘沙門天は、先ほど落とした、俺の腕だったもの――落とされた時は鎌にしていた――を手に、こちらに歩み寄る。敵の武器を使うくらいなら槍を遠くに飛ばすなよ、と場違いなことを言いかける。
「ゆっくり休んでいて下さい」
右脇腹をそれで貫かれる。痛いとは感じず、ただ温かいと思った。――全快まであと一分三十秒。その前に死んでしまうかもしれない、と本気で思うが、吸血鬼の治癒力のお蔭か、まだ死なずにすんでいる。
たかだか脳の化学反応結果の意識と命を、無理矢理に異常な治癒力で続かせている状態だ。残り一分二十秒――八十秒。早く、早く!
「あと百秒もないですよね――、多分。それを長くするには、もっと致命傷を与えればいいですよね」
「……お前が言う台詞じゃねぇな、それ――」
余裕の笑みを、見かけだけでも浮かべる。内心は、余裕のよの字もない状態だが、こうでもしないと、落ち着けられなかった。反撃の順序が立てられなかった。
毘沙門天は、俺の右脇腹に刺した刃物を引き抜き、今度は首に振り下ろそうと、頭の方へ持ってくる。右脇腹だけでも既に十分致命傷ではあるが、幸いにも内臓へのダメージはなかったため、比較的早く再生できる。
しかし――。あと六十秒。
どう急いだとしても、最低で五十秒。
「死んでしまわないで下さいよ」
「死なねぇよ」
錬金術。錬成陣のへったくれもない無茶な錬成。土中から僅かに含まれるマグネシウムを少量右手に集め、左手を金属の棒状にして、思いっきり毘沙門天が持つ鎌に当てる。金属と金属がぶつかり、橙色の火花が走った。
決して、鎌を折るなどと思ったわけではない。散らした火花をマグネシウムに――。
「なッ……」
即席の閃光弾だ。
目を閉じても、瞼の間から白い光が見える。毘沙門天は咄嗟のことだったので、一瞬、光がもろに網膜に焼き付いただろう。少なくとも十秒間は、何も見えないはずだ。
あと、三十秒。
毘沙門天はよろよろと後ろに下がった。視界を封じた後で、何か追撃されると思ったのだろうが、無理だ。俺は息を大きく吸い込み、少しでも多く酸素を血液中に循環させる。
もう一度同じことをしようにも、二度目は通じないだろう。そもそも、ここら一帯にある地中のマグネシウムの量は、ほとんど存在しないに等しい。マグネシウムは本来、海に多く存在するものなのだ。
しかし、幻想郷に海はない。
マグネシウムは、もうほとんどない。
あと二十秒。毘沙門天はようやく目が見えるようになったのか、目を覆う指の隙間から、こちらを見ている。
「……お上手ですね」
「……手品じゃねぇよ」
ある意味手品だが。
「……言っておくが、もう一つ同じものがあるからな」
もちろん、嘘だ。はったりだ。しかし、あと十五秒。丁度いいくらいなはずだ。
俺は閃光弾を持っているということを本当のように見せるため、ポケットに入っていた、マグネシウムに似た色の鉄を右手に掴んだ。毘沙門天に見えるように。
あと十秒。大丈夫だ、大丈夫だ。
しかし、毘沙門天は俺の希望を一発でぶち壊す。それが、武神、毘沙門天の特性であるかのように。
「――それに火を点ける前に刺せればいいんです」
と、その場から空に跳躍。真昼時の太陽が、毘沙門天の影を俺の上に落とした。
先ほどやったように、左手を金属にしようにも、あの刃には落下速度が加わっているので、重量的にさばききれない。太陽の光を反射して、刃の先が白く光った。
「終わりです」
あと――。
**********




