15.交配?
ラヤ様はむしろ驚いたように応えた。
「違います。
我々は独自の文字を持たないというだけです。
というよりは固有言語がないと言った方が良いでしょう」
意外。
自分を遺伝的に改良出来るスウォークなんだから高度な文明を持っているのは当然だ。
そして文明の発達には文字が付き物。
だと思っていたんだけど。
そういえば古いSFでそういう話を読んだことがある。
科学技術に優れた異星人が何と文字を持ってなかったのだ。
なぜかというと、その種族は完全記憶が出来たからだという設定だった。
設計図や理論、物質生成方法なんかを全部暗記出来ればマニュアルなんかいらないからね。
でもそれって致命的な弱点があって、知識の継承が出来ない事はないが難しい。
自分の知識を与えるには面と向かって説明するしかないからだ。
更に伝言形式では情報の伝達に齟齬が発生する確率が高くなる。
まあ、荒唐無稽な設定だったけどね。
しかしスウォークがそれだとは。
「違います。
我々も物忘れしますし、そもそも暗記はあまり得意ではありません。
忘れるという機能は重要ですよ。
でないと生物は過去の記憶に捕らわれて身動き出来なくなってしまいます」
否定されてしまった。
それはそうか。
忘却という脳の機能については、俺も心理学科の講義で習った覚えがある。
生存戦略の重要な柱なのだそうだ。
色々説はあるんだけど、一番簡単な例としては、一度上手くいったからといって次にその方法が通用するとは限らない、ということかな。
もし完全記憶というか成功体験が忘れられなかったら大変だ。
それしか出来なくなってしまう。
ルーレットで赤に賭けて勝った記憶がずっと残っていたら、金が無くなるまで赤に賭け続けるだけだ。
賭け事なら文無しになるだけで済むけど、サバイバルの場合は失敗したらそれきりだからね。
よって成功体験は覚えているにしてもぼんやりしていることが望ましい。
はっきりしないからその都度考えて行動するわけで、結果としてずっと同じ事をやり続けるよりは生き残る確率は高くなる。
いやそんなことはいい。
スウォークに完全記憶能力はないと。
「我々が固有の文字を持たないのは、おそらく過去に転移してきた個体が単独かあるいは少数だったからでしょう。
失われたのですよ。
増して我々には魔素がありますからね。
意思疎通に問題がなければ読み書きの能力は必要なくなります」
そうとは限らないと思うけど、確かに少数の人しかいなかったらそうなるか。
例えば船の事故か何かで遭難した数人の生存者が孤島に辿り着いたとする。
ロビンソン・クルーソーと違って一緒に流れ着いた道具は一切なし。
幸い生きていけるだけの食べ物や水はあるし、島に居た野生動物たちもすぐに馴れてくれてあまり危険はない。
そのまま数世代過ぎたら文明はともかく文字はなくしているかもなあ。
だって必要ないし。
するとラヤ様が言った。
「正確に言えば、スウォーク語とも言うべき言語はあったかもしれません。
現代には伝わっていないというだけです」
「なぜでしょうか?」
ユマさんが無邪気に聞いた。
判ってないんじゃなくて思考放棄したな。
解答が目の前にあるんだからわざわざ考える必要もないか。
「人類と出会ったからですよ」
ラヤ様も悠々と応えた。
「その時、既に人類は言語と文字を持っていたと考えられます。
魔素翻訳がない状態では意思疎通のための手段が必要ですからね。
ある程度以上の規模の集団には不可欠です」
なるほど。
そこでスウォークは人類の言語というか文字を採用したと。
あるいはスウォーク語を教えたのかもしれない。
どっちにしても、最初は辿々しい言葉だったはずだ。
主に記録用の。
ひょっとしたら両方が融合して独特の言語体系が組上げられていったのかもなあ。
「判りませんね。
ただ、人類側が先に言語を生んでいたという説が有力です」
「というと?」
「話し言葉が残っているからです」
それはそうか。
最初から魔素に頼って意思疎通していたら、読み書きはともかく話して聞く方の言語は発達しようがないからな。
表音文字も生まれない。
何を言おうがどう発音しようが意志が伝わってしまうのだ。
下手したら鳴き声とか唸り声だけになってしまうかもしれない。
だけどこっちの世界の人類はきちんとした口語体系を持っているからね。
魔素翻訳で伝わるのは情報というよりはむしろ感情や意志だ。
細かい部分はどうしても文字で書いておかないと曖昧になってしまうんだよ。
口述でも同じだ。
それで思い出したけど、野生動物とギルドの協定が適当なのはそのせいらしい。
野生動物側が文字を持っていない、というよりは書けないから文書化しようがないんだよね。
もっとも猫又のニャルーさんみたいに歴史学者と対等に議論したり読み書きしたり出来る野生動物も稀にはいるらしいけど、すべての群れにそれを強要するのは無理だ。
だから大筋合意的な協定になっているそうだ。
どうでもいいけどニャルーさんってどうやって字を書くんだろう。
「思考が逸れてますよ」
ラヤ様に言われてしまった。
すみません。
何の話でしたっけ。
スウォーク語が無かったと。
「違います。
スウォークと人間が会った事です」
そうでした。
ミルトバの初期ね。
「出会いは平和的だったんでしょうか」
「判りません。
ただその時点で我々は野生動物を味方につけていましたから、人間側も敵対行動を取るのには躊躇したと思いますね」
それはそうか。
例えばフクロオオカミみたいなのが傅いている相手に出会ったら、人間としてもとりあえずは従うだろうな。
勝てっこないから(泣)。
そして話し? てみると当時の人類を遙かに超える知識や技能の持ち主。
しかも魔素の恩恵付き。
人間もすぐに配下に下っただろう。
「共同生活をしていたと?」
「しばらくはそうしていたかもしれませんが、何と言っても我等の姿形は異質ですからね。
体躯も華奢で、人間と一緒に暮らすのは難しかったでしょう。
それにマコトには以前話したと思いますが、スウォークは徹底した個人主義です。
わざわざ人間と関わろうとするようなスウォークは当時からあまり多くなかったと思われます」
そのくせ人間の文字とかは取り込んだわけね。
おそらく生活物資なんかも人間に作らせていた臭いな。
魔素の恩恵はそんなの軽くぶっちぎるだろうけど。
「それで?」
「人間の数が増えてくるとスウォーク側の戦略が変化したのでしょう。
幸い相手はスウォークに対して畏敬の念を持っています。
だったらということで自らは神格化して裏から制御する方向に向かったのですよ」
この辺りから当時の我等の記録が増えていきます、とラヤ様。
スウォークが人類社会に本格的に介入を始めたわけか。
ちなみに野生動物たちは傍観していたらしい。
連中は覇権種族じゃないからな。
ほっとくと際限なく増えるといった厄介な性質はないそうだ。
でも人類は違う。
それは地球で証明されている。
放置されたおかげでヤバくなっているもんなあ。
「我等側でも色々と研究したようです。
ご存じの通り、我等の故郷の生物相と違ってこちら側の生物には魔素の支配機能が疎外されます」
そうみたいなんだよ。
心の壁はそのために生成されたと考えられているらしい。
俺やカールさんにはないんだけど、逆にスウォークの支配を受け入れる脳の構造もないので無事だ。
スウォークの地球では魔素効果でスウォーク以外の生物は奴隷だったらしいんだけど。
でなければ華奢であまり強いとは言えないスウォークが覇権を取れるわけないからね。
「こっちの世界でも魔素の他者支配効果はあるんでしょう?」
スウォークが異様に崇拝されているのもそのせいと睨んでいる。
「そうですね。
ある程度は有功ですが、相手の意志に反して何かを強要することが出来ないわけです。
だったら最初から我等に従うか、あるいは我等の意志を代弁出来る人間を作ろうと考えたようです」
衝撃の告白!
人間を「作る」って?
スウォークはそんな技術を持っていたのか!
「違います。
マコトなら判るでしょう?
交配による品種改良というか、特定の特質を持つ個体を掛け合わせてより明確な特徴を持った個体を生み出す方法で」
それなら中学校の理科とかで習ったような。
ショウジョウバエとかを交配させて遺伝子がどうとかでしたっけ?
「そのような表現になるのですか?
マコトの故郷は技術が進んでいるのですね」
「まあ、遺伝子治療とかも出来てましたからね」
よく知らないけど。
「そうですか。
当時のスウォークにはとてもそのような技術はありませんでしたので、単純に特定の特質を持つ人間に交配を行わせたようです」
それって地球でも昔からやっていたような。
家畜の品種改良ってそれそのものだし。
遺伝子とかの知識がないうちから経験則で判っていたからね。
優れた性質や特徴を持つ家畜同士を掛け合わせる事で品種改良を行う。
しかしこっちの人達は平気で言われるままに子供作ったのか。
まあ、地球でも似たようなものだったけど(泣)。
貴族の政略結婚なんか、ある意味それだもんな。
だからヒロインと悪役令嬢が。
するとラヤ様が何でもないことのように言った。
「試行錯誤だったようですが、それでも成功しました。
その成果が北方種というわけです」
なんだってーっ!




