13.使用人じゃない?
玄関の方が騒がしかったが、俺は聞こえないふりをして二階に上がった。
あの娘、どうみてもギルドの職員じゃないし、仕事に関係しているとも思えなかったからな。
大体、こんな朝っぱらから人の家を訪ねてくること自体がおかしい。
正体不明未確定人物には、カカワリアイにならない方がいい。
ハスィー様も、変なのが接近してくるかもしれないから、用心するようにと言っていたし。
服を脱いで、身体を拭いたりしているうちに、玄関の騒ぎは聞こえなくなっていた。
諦めて帰ったらしい。
やれやれ。
不愉快な事は忘れることにして、ギルドに出勤するための服を着る。
その時点で気がついた。
一日警察署長の制服しかないじゃないか!
まずい。
昨日のうちに、通常服を貰うのを忘れていた。
どうしたらいいんだろう。
色々考えたが、結論としては仕方がないので儀礼用制服で出勤する、だった。
だって、冒険者の服で出かけるわけにはいかないだろう。
中途入社した会社、それも役職付きの立場で出勤する初日に、ジーパンとTシャツで出社するようなものだぞ。
タキシードで行った方が、まだましだ。
とびきり変な目で見られるとしても。
仕方なく着替えて、玄関を出る時に辺りを見回してみたが、あの迷惑女の姿はなかった。
何しに来たんだろう。
スカートなんか履いて。
前にも言ったけど、こっちの世界の女性は仕事中はめったにスカートを履かない。
特に活動的な仕事の場合はほぼズボンだ。
受付のキディちゃんはスカートを履いていたことがあったけど、外出する時はズボンに履き替えていた。
さらに言えば、さっきの女が履いていたような、ズラズラしたスカートの仕事着は、まず有り得ない。
あれは私服、それもお出かけ用だろう。
本当に何者だったんだろうな。
もう二度と会わないことを望むけど。
一日警察署長服でギルドに出勤しても、誰も何も言わなかった。
それどころか、制服を認めた人がみんな頭を下げてくる。
いたたまれないなあ。
俺って、物凄く自己顕示欲が強い奴だと思われているんだろうな。
プロジェクトの部屋に入ると、まだ早いせいか人があまりいなかった。
「おはようございます、マコトさん」
アレナさんが挨拶してくれた。
一番で出社か。
さすが内務担当。
「おはようございます」
「……どうしたんですか、その恰好。今日は式典はありませんが」
判っているよ。
「いや、一般服を貰うのを忘れまして。着替えたいので、用意していただけませんか」
「一般服は、昨日のうちに用意して、ハスィー様にお渡ししましたが。
お会いになりませんでしたか?」
「昨日は、『栄冠の空』に寄った後にすぐに宿舎に帰って休んでしまいましたので。
尋ねてこられても、気がつかなかったのかもしれません」
「でしたら、今朝早くお届けに上がるはずですが。ハスィー様はもちろん無理ですが、使用人が届けるはずですよ」
聞きながら、冷や汗が出てきた。
ひょっとして、あの女の子はハスィー様の使用人だったのか?
いや、だったらあんなに高飛車なはずがない。そもそもずらずらしたスカートを履いている使用人なんか、いるはずがないだろう。
「マコトさん、おはようございます」
ハスィー様が部屋に入ってきた。
「おはようございます」
「? マコトさん、その儀礼服は」
「実は、一般服を受け取り損ねまして」
これは間違いないか。
だけど、あんな高慢な使用人はいないはずだ。
使用人じゃないのか?
「おかしいですね。昨日お会いできなかったので、今朝は出社前に絶対お届けすると、タフィは申しておりましたのに」
出社って聞こえたと言うことは、俺はもう、ギルドを自分の会社だと思っているのか。
いや違う。
問題はそこじゃないだろう。
タフィさんというのか、あの女の子は。
まずい。
失礼なことをしてしまったか。
「私が朝の運動から帰ってきた時に、確かにそのタフィさんという人が玄関で待っていました。でも、スカートを履いた女の子でしたので、まさかハスィー様の使用人だとは思わず」
「スカートを履いた女の子? タフィは中年の女性ですが?」
「はい?」
ハスィー様と俺は、顔を見合わせて絶句した。
何か、お互いの認識に食い違いがある。
突然、ハスィー様が上を見上げた。
拳を握って、震えている。
どうなさいました?
「……マコトさん。その使いの者は、スカートを履いていたとおっしゃいましたね」
「はい。それも、装飾の多い、かなり豪華なものとお見受けしました」
「若かったのですね」
「そうですね。まだ十代に見えました」
ハスィー様が、ため息をついた。
「判りました。マコトさん、申し訳ありませんでした。わたくしに、心当たりがあります。
その娘は、わたくしの使用人ではありません」
そうなのか。
やれやれ。
「あの、私がこの立場になったことで、色々と接近してくる人があるかもしれないと聞いていたので、撥ねつけてしまいましたが……まずかったですか」
「いいのです。当然の報いです。失礼いたしました。一般服は、早急にご用意いたします」
ハスィー様は、なぜか黄昏れていた。
わけが判らん。
あのツンツンは誰だったんだろう。
ハスィー様には、心当たりがありそうだが。
疑問が解消されないまま、その他の人たちが出勤してきて、仕事が始まった。
朝礼でもあるのかと思ったが、なかった。
マレさんの話では、ハスィー様はそういったことには関心がないらしい。
ただし、ギルドの他の部門では、毎朝朝礼をやって出欠を確認するところもあるとか。
まあ、集団行動する部門なんかは、それやらないと収拾が付かなくなるだろうな。
警備隊とか。
ハスィー様が手配したのか、1時間くらいでギルドの一般服が届いたので、俺はようやく一日警察署長から解放された。
助かった。
トイレに行くことも出来なかったからな。
ハスィー様は、着替えた俺を見て微笑んでくれたが、忙しいらしくて構っては貰えなかった。
俺、仕事がないんだよね。
次席といってもここで書類を決裁とかするわけでもないし。
大体、俺はまだこっちの字がよく読めないから、書類を持ってこられてもどうしようもない。
かといって、次席の席でいつまでもぼやっとしているというのもアレだし。
トイレにでも隠れていようか、と思っていたら、アレナさんが声をかけてくれた。
「マコトさん、プロジェクトで確保した分室があるのですが、見ていただけないでしょうか」
「あ、はい。何でもやります」
ジロッと見られた。
「何でも」はまずかったか。
でも、俺は基本的にぺーぺーなんだよ。
偉い人の言い回しとか態度とか、判るはずがないでしょう。
それでなくてもハスィー様には、上品な言い回しをしようとして悪戦苦闘しているのに。
あ、もちろん、俺がいくら上品に話したとしても、それがそのままハスィー様や他の人に伝わるわけではない。
だけど、判ってきたことがある。
魔素翻訳って、必ずしも言ったとおりの言葉が伝わるわけではないということだ。
これは単語の意味についてもそうなのだが、実はその言葉を発する時の感情や恣意にもかなり影響される。
簡単に言えば、「判りました」という場合、こっちが怒っている時と喜んでいる時では、伝わる言葉が違ってくるらしいのだ。
まさに本音が伝わってしまうわけで、ある意味物凄くやりにくい。
嫌っている相手には、何を言ってもその感情がぶつけられてしまうわけだからな。
社交辞令が効かない世界なのだ。
それでも、こっちの世界に最初からいる人は慣れているようで、あまり感情は伝わってこないんだけどね。
だが俺にはそんな気遣いは出来ない。
俺、今まで常に本音で人と接してきたことになるんだよ!
これに気づいた時は、その場で転げ回って苦しんだものだ。
常に全裸でいたようなもんだからな。
でも、どうしようもない。
発してしまった言葉は消せない。
だから、少なくともこれからは頑張ろうと思って、言葉には気をつけているのだ。
魔素翻訳は、言葉を発しない限りは翻訳機能が働かないらしいから。
でもなあ。
俺もまだまだだから、今朝みたいに相手がツンツンしていると、つい本音で反応してしまうんだよね。
だから、何とか何も言わないで通したんだけど。
何か言ったら、イライラがそのまま伝わってしまいそうだったから。
これからも気をつけよう。
「それでは、これからご一緒させていただいてよろしいでしょうか」
「はい」
アレナさん、凄いな。
この部屋の中だけは、完璧に次席に対する配下の態度を押し通すつもりらしい。
周りに誰もいなくなると、いつもの態度に戻るんだけどね。
やっぱバネェな。




