25.インターミッション~フォム・リヒト~
今日も、なべて事も無し、か。
警備隊との合同訓練は、意外なほどうまくいっていた。
やはり何と言ってもオストがいないことが大きい。
奴は、フクロオオカミに限らず新規なものや自分の意に沿わないものはすべて、平気で排斥してきたからな。
セレス家の嫡子という立場を利用して、やりたい放題だった。
まずいことに、奴には実力があった。
格闘術だけでなく、歪んだ形でのリーダーシップや統率力もある。
しかも、上司には媚びて便宜を図るという最悪の形で、警備隊の階級を駆け上がっていった。
あのままだったら、早晩奴は総隊長の階級に達していただろう。そうしたら、俺などお先真っ暗だ。
奴にとって、俺なんか道端に転がっている障害物でしかなかっただろうからな。
上手くいった。
最初に描いた構図などより、遙かに上等な結果になった。
こみ上げる笑いが抑えきれない。
そのはずなのに。
「どうして、嬉しくないのか不思議ですか?」
不意にかけられた声に、ぎくっと振り向くと、そこには司法官がいた。
後ろに立つ司法補佐官は、じっとこちらを見つめている。
そして、その横にはラナエ事務部長がひっそりと立っていた。
何だ?
いきなり俺に何を言いたい?
「人払いしてあります。
少し、お話ししたいことがありまして」
「司法官閣下が、私にですか?」
声が掠れた。
この司法官は切れ者だ。
若い娘だからといって侮れない。
しかも、ただ切れるだけでなく、自ら汚れることを知っている。
人づてに聞いたが、その司法官が俺を評価しているという。
その意味が判らないほど、俺はお子様ではない。
「はい。
非難しようというわけではないのです。
むしろ、賞賛を贈りたい。
そして、あなたの心の負担を軽くして差し上げたいと考えております」
くそっ。
駄目だ。
勝てない。
ここを切り抜けられる気もしない。
「それはありがたいお話ですが、賞賛とは?」
「もちろん、今回の騒動のことです。
あなたは上手くやった。
何をやったのか誰にも判らないほど、上手に立ち回りました。
でも、それが重いのでしょう?」
恐ろしい女だ。
全部判っているのか。
「私が何をしたと?」
「むしろ、しなかったというべきでしょうか。
フォム・リヒト。
あなたには判っていたのでしょう?
合同訓練にかこつけて、オスト・セラスが仕掛けてくることを」
もちろん、判っていた。
領主代行官と奴は繋がっていて、代官は舎長代理に確執があり、だからやるに違いないと思っていた。
だから俺は。
「そこまでご存じなのに、賞賛ですか?」
「そうです。
事実上、何もしないことで物事を思い通りに誘導できる。
これは、希有な才能と言えます。
しかも、それを行うことを躊躇わない。
その結果を自分の身体を張って受け入れようとする勇気も、賞賛に値します」
本当に全部判っているんだな。
領主代行官に出し抜かれたのは、情報が足りなかったからか。
司法官が、声を落とした。
「私は恥じています。
トニ・ローラルトの意図に気づいていながら、マコトさんを危険にさらしてしまった。
過信していました。
もっと、マコトさんの性格を考えるべきだったのに」
何と。
出し抜かれたわけではなかったと。
そうか、そういうことか。
俺の意図まで計算に入れていたのか。
だが、土壇場で舎長代理がどう動くかまでは把握できていなかったと。
そこまで読み切っていながら、そして冷徹に事態を動かしておきながら、自分を恥じることも知っている。
この歳で。
本物の怪物だな。
「仕方がないことではないでしょうか。
私も舎長代理を誤解していました」
これは本当だ。
あの勇気、そして実力。
俺は何を観ていたのか。
「そもそも、今回の事態は私が故意に情報を隠したせいでもあります。
警備隊にいれば、色々伝わってきますから。
領主代行官の執着や、ギルド警備隊の幹部との癒着とか」
フォムは、開き直って言った。
「私がそれを一言伝えるだけで、司法官閣下は必然的に動けたはずです。
いや、動かざるを得なかったでしょう。
結果として、舎長代理を危険に曝すこともなかった。
それを非難しないんですか?」
「結果良ければすべて良し、ということです。
マコトさんの新しい一面も見られましたし……あ、これはオフレコでお願いしますね」
何を言っているのか。
それとも、これは本音か?
「ともあれ、あなたの意図はわかっていたつもりです。
あの時、マコトさんの代理で戦うつもりだったのでしょう?」
そうだ。
そして、俺は負ける予定だった。
それも思い切り無様に。
そのことで、舎長や幹部連中にも恩を売れるはずだったのだ。
怪我が回復した後、それをもって警備隊を退職し、アレスト興業舎に就職する。
そして、アレスト興業舎舎員の立場でフクロオオカミたちを守る。
オストに対抗するためには、それしかないと思っていた。
だが。
「舎長代理は勝ってしまった。
まさか、彼があれほど強いとは思いも寄りませんでした」
そう、精神的にも肉体的にも。
舎長代理を、いやマコトさんを見くびっていた。
流されるだけの、運が良い人だとしか思っていなかったのだ。
だが、注意深く見ていれば気づけていたはずだ。
彼は、ここぞと言うときには逃げない。
帝国の難民騒動の時には、自らフクロオオカミに騎乗して山脈に分け入った。
騎士や山男ですら躊躇う状況でも、マコトさんはやり遂げる。
あの場面で、俺に代理など任せるわけがなかったのに。
「そこがあなたの甘さであり、また賞賛に値するところでもあるのですよ」
司法官が微笑んでいる!
「あくまでも冷徹に物事を遂行する。
それもまた、有効な資質です。
しかし、情に重きを置いて計画し、実行しようとすることもまた、素晴らしい特質です。
戦略的に、戦術的にそれを実行できるあなたは、賞賛に値すると考えるのですよ。
ですからあなた、ヤジマ家に仕えていただけませんか?」
「は?」
突然、何を言い出すんだこの司法官様は。
そもそもヤジマ家って?
「あ、いえ、違う家名になるかもしれませんが、とりあえずマコトさんの将来の家臣として働いていただきたいと」
司法官が慌てている。
後ろに立つ司法補佐官は舌打ちしたように見えたし、ラナエ事務部長は手を額に当てていた。
ドジか?
「ヤジマ家、ですか」
「将来的に、です。
今すぐどうこうというわけではありません。未来は流動的ですからね。
ですがまあ、方向性としてはそういう事で」
何とか立て直したな。
凄いのか変なのか、よく判らん。
「具体的にはフォム・リヒト、あなたにはこのままギルド警備隊に在籍し続けていただきたいのです」
ラナエ事務部長が口を開いた。
「我々としても、警備隊の内部に同志がいることは大きなアドバンテージになります。
もちろん、時期を見てこちらに移っていただきますが」
「……しかし、そうした所で私にどのようなメリットがあるのでしょうか」
「リヒト家の再興を、成し遂げたいのでしょう?」
司法官の不意打ち。
ドジなんかじゃない。
すべて知られていることを忘れていたか。
何だ、断れないじゃないか。
いや、むしろこれはチャンスだ。
ララネル公爵家の名代が保証してくれている。
しかもミクファール侯爵家も関わっている。
アレスト伯爵家は言うにおよばず。
ははは。
そして何より。
「ありがとうございます。
心が晴れました」
「それはようございました」
ラナエ嬢の笑みも、気にはならない。
俺は、ここにいてもいいんだな。
舎長代理を、マコトさんを失望させずに済むのか。
ありがたい。
フォム・リヒトは初めて、莞爾として笑った。




