20.副業?
「で、でも例えばハスィー様は伯爵公女という身分があるのでは」
「それは敬称であって、身分ではありません。
誰かに紹介する時に、何らかの肩書きが必要ですからそう呼称しているだけです。
単なる習慣ですね」
ユマ閣下は、いやもうユマ殿下かもしれないけど、しごく真面目な顔をしていた。
ということは、本当なのだろう。
えらいことになってしまった。
てっきり、平騎士な俺が最低身分だと思っていたんだが。
だって、ラノベだと貴族の娘とかはみんな貴族だったはずだし。
いや、違ったっけ。
そういうのは王子とか王女だけだったような。
てことは、やっぱりハスィー様やラナエ嬢は貴族ではないのか?
「でも、あの方たちは貴族として扱われていますよね?」
「それも慣習ですね。
というよりは、少なくともハスィーやラナエについては、正真正銘の貴族である父親が存在しますし、貴族家の一員であることは間違いないわけです。
また、縁戚関係にも貴族がいるでしょう。
これらをバックにした存在感、というところでしょうか。
普段のシルレラがまったく貴族、いや皇族として扱われていないのは、今のところバックがない上に、本人が自分の身分を主張せず、周囲に皇女であることが知られていないためですが、その逆ですね」
参ったな。
ますます近衛騎士を辞めたくなってきた。
でも、自分からは辞められないんだよなあ。
いや、ユマ殿下が解任してくれたら辞められるんだよね?
「マコトさん、昔に起きた出来事をお話しします」
唐突にユマ殿下が言った。
「とある近衛騎士の話です。
その近衛騎士は、多大な功績があったということで、当時の某公爵から叙任されました。
ですが、その近衛騎士は公爵を裏切り、幾多の血が流れました。公爵も亡くなり、跡を継いだ者がその近衛騎士を解任しました」
「……それで?」
「解任されたことで、この者は公爵家の近衛騎士ではなくなりましたが、騎士爵の身分はそのままでした。
最終的には、騎士団に囚われて処刑されましたが、貴族の作法で葬られたということです」
「つまり、ユマ殿下が今私を解任しても、それはララネル公爵家の近衛騎士でなくなるだけで、依然として騎士身分のままだと」
「そうなりますね」
ホントかよ。
本当なんだろうな。
法を司る司法官が、こういうことで嘘ついても仕方がないしね。
何となく判る気はするなあ。
ラノベでも、一度与えられた身分はよほどのことがないと取り消されないからな。
貴族が看過できないほどの罪を犯した場合は、良くて後継者に爵位を譲って引退、悪ければ処刑だ。一代身分の騎士なら、処刑以外にない。
なぜって、貴族家自体の爵位を下げたり取り消したりしたら、その爵位を与えた貴族や王族が過ちを犯したことになってしまうからだ。
また、その貴族の庇護下にあったり、縁戚や協力関係にあった貴族家にも大きな影響があるだろう。
その効果はあらゆる方面に波及する。
当貴族家だけでなく周り全部、さらに言えば貴族制度全体が多かれ少なかれダメージを負ってしまうのだ。
それくらいなら、貴族身分はそのままにして本人を処刑してしまった方がいい。
悪いのはそいつ個人だということにして。
また、一度貴族にしたものを平民に戻したりすると、悪しき前例を残すことになる。
貴族って平民にされることもあるんだぜ、と。
そんな噂が広まったら、貴族の権威に影響が出かねないしな。
なんてこった。
俺が平民に戻るためには、何かやって処刑されるしかないってことかよ。
いや、それでも平民には戻れないのか。
なんで俺みたいなぺーぺーのサラリーマンが、こんな目に遭わなければならないのかなあ。
俺、何も悪い事してないのに。
良いことも何もしてないけど。
俺が俯いて考え込んでしまった事に慌てたのか、ユマ殿下が突然明るい声を上げた。
「そういえば忘れていました!
マコトさんは公爵家、というよりは私の近衛騎士なんですから、俸給が出ますよ」
「はあ?」
「支給額は決まっていませんが、任せて下さい。
きっとご満足いただける額を支給させていただきますから!」
何言ってるんだ、このお姫様は?
だが、そのTPOをわきまえない発言で、何だか気が楽になって来たことも確かだ。
うん。
そうだよね。
物事は、前向きに考えよう。
俺は何も失っていないし、公爵家のお姫様の近衛騎士になれて、しかも貴族なんだぜ。
さらに給料も出るのだ!
ラノベそのものたけど。
もうやけくそだな。
あれ?
これって、ひょっとしたら就職したことにならない?
違うか。
毎月一定額の収入があって、しかも今の仕事と兼業でいいという、いわば副業?
ギルドのプロジェクト次席でアレスト興業舎の舎長代理が今のところ俺の本業なんだから、近衛騎士はやっぱ副業ということになるよね。
それも、本業の邪魔にならない程度のお仕事。
ネットのアフィリエイトみたいなもんで、仕事から帰った後に自宅で課金をチェックする程度の作業で良いという。
問題は、普段はちょっと様子見していればいい程度なんだけど、いざ何かあったら凄いことになりかねないことだな。
近衛騎士も同じか。
いやいや、そもそも近衛騎士って何するのよ。
何もしなくて良いとか言われたけど、そういうわけにもいかないでしょう。
「近衛騎士は自由ですから、マコトさんのお好きなようにしていただいていいんですよ。
でも、マコトさんは司法騎士でもあるので、たまには司法官事務所に顔を出していただければ、と」
無邪気な顔して、結構きつい要求してくるなあ。
それでは、アレスト興業舎と司法官事務所が露骨に癒着していると周囲に示すようなものではないか。
いや、違うか。
ユマ殿下のことだから、近衛騎士や司法騎士のことをあちこちで吹聴するだろうね。
ギルドに知られたら何と言われるか。
臨時職は首かな?
「そんなことはありませんよ。
ギルドにとっても、近衛騎士を雇用しているということはステータスですから、むしろ歓迎されるかもしれません。
貴族身分とギルド職員は別に矛盾しませんので。
実際、王都のギルドや役所では法衣貴族が働いていますよ」
そうなんですか。
まあ、ギルドも行政の一部みたいなもんだからな。
貴族と対立しているわけでもなさそうだし。
でも、益々めんどくさくなってきているなあ。
俺は、ただ落ち着いて働きたいだけなのに。
いや、どっちかというと、働きたくないな。
ニートは嫌だけど。
まあいいや。
これで何度目になるか判らないけど、俺は覚悟を決めた。
なるようになれ。
今までだって、流れに身を任せていてどうにかなったんだし。
何とかなるでしょう。
結局、それから俺は馬車が止まるまでユマ殿下と楽しく雑談をして過ごしたのだった。
ユマ殿下は公爵令嬢で、しかも今は公爵の名代という馬鹿高い身分のお姫様なんだけど、どうしてか今まで出会ったどの貴顕の方々より、話していてリラックスできた事も大きい。
ハスィー様やラナエ嬢も、連日の夜の酒抜き居酒屋で大分打ち解けてきてはいるけど、やはりどうしても一線を引くようなところがあるからな。
だって、お二人とも同じ職場の上司と部下なんだぜ。
サラリーマンにとっては自明のことだけど、宴会なんかで無礼講とか言われても、本当に無礼講になることは有り得ない。
組織の上下関係というものは、それだけ強制力が強いのだ。
現在は無礼講でも、宴会が終わったらまた職場の上司や部下に戻るんだし、それを思うとやはりどこかでブレーキを踏んでしまう。
それが悪いという事ではないけどね。
でも、今のところユマ殿下と俺は関係がない他人同士と言える。
いやまあ、近衛騎士とその叙任者、あるいは司法官と司法騎士という、この上もない上司部下の関係ではあるんだけどね。
なんでか、俺たちはお互いに了解出来ていたんだよなあ。
そういう上下関係を冗談にしてしまえる雰囲気があったのだ。
多分、俺とユマ殿下の他に誰かいたら、そんな雰囲気にはならなかっただろうけどね。
いいのか?




