未来を、この手に。
――コンコンコン。小鳥がさえずる朝の知らせと共に控えめなノックが耳に届いた。失礼いたします、という聞き慣れた声に安堵感を感じる。
「リリィ様、お目覚めですか」
「セリーヌ・・・・・・」
「おはようございます。モーニングティーをお持ちしました」
「ありがとう、頂くわ」
彼女のモーニングティーを飲むのはいつぶりだろうか。怒濤のような日々を送っていたために、こんな穏やかな朝が懐かしく感じられる。香り立つ茶葉とミルクの香りが鼻腔をくすぐる。口に含むと、起き抜けの身体に熱が灯り意識がはっきりとしてきた。静かにティーカップをソーサーに置き一息つく。
王との面会を終えオーウェンに自室へと送られた後、どうやって寝室まで辿り着いたのかは覚えていない。ただ呆然としていて、何も考えたくなかった。着の身着のままシーツにくるまったのだと思う。見下ろすと、昨日着ていたドレスがしわくちゃになっていた。
「ごめんなさいセリーヌ。昨日、あのまま寝てしまったのね」
「お気になさらないで下さい。ずっと大変なことが続いて、お疲れだったのですわ」
後で新しいお召し物を持ってきますね、と微笑む侍女の優しさにリリアンヌは微笑んだ。
「姫様、お目覚めに?」
寝室の続きの部屋から姿を現したのは、騎士服に身を包んだルネだった。首や手首の包帯が襟元や袖からちらりと見えるのが痛々しい。腹部にも切り傷があり、彼女は今全身包帯だらけなのだ。
「ルネ、怪我は大丈夫?回復するまで休んでいていいのよ」
いかなる状況でもリリアンヌを守り、女性の身でありながら剣を持ち忠誠を誓ってくれた騎士。リリアンヌがボイル侯爵に攫われた後、傷ついた身体を引きずり助けようと奔走してくれたという。心配になって声を掛けるが、ルネは笑って首を横に振る。
「この位大丈夫ですよ。もうほとんど癒えました。先日、リガルド卿の副官殿に良い傷薬をお譲り頂いたのです。その効き目がとても良くて」
「まあ、そうだったの」
ルネがリリアンヌやセリーヌ以外の人間と親しくしたり物を貰い受けるのは珍しい。真面目で言葉数の少ないルネは、人見知りが激しいのだ。
「副官のアベル・フィッシャー様ですわね。離宮の火事の時も、彼と旅隊の方が私とルネを助けて下さって」
セリーヌが茶器を片付けながら、火事の時の状況を話し始める。死人が出なかったのは彼らの的確な消火と避難誘導のおかげである。ルネもセリーヌの話に頷きながら話しを付け足していく。
「今回も姫様を助けるために、リガルド卿とリガルド卿の妹君と共に不眠不休で馬を走らせて駆けつけて下さったのです」
「本当に、リガルドの皆様方には感謝してもしきれないわ」
何かこの感謝を形にして返せたら良いのだけれど、と呟くと二人は頷いてくれた。
「でも、ルネがそこまで人を褒めたり親しくするのは珍しいですね」
「確かにそうね」
セリーヌが不思議そうにルネに視線を向ける。リリアンヌも同調しルネを見やると、ルネは目を丸くして固まっていた。その様子にセリーヌは何かを察したのか、目を細めてにやりと笑う。
「あら?ルネ、貴女もしかして・・・・・・」
「・・・・・・何」
表情は相変わらず変わらないが、耳だけが赤く染まっていく。その様子を見てリリアンヌもピンと来た。
「まあ」
「違います。気のせいです」
リリアンヌは嬉しくなって微笑んだが、ルネは断固として否定する。
「あらルネ、何が違うの?私もリリィ様も、まだ何も言ってないわ」
「セリーヌ・・・・・・!貴女はいじわるだ」
肘でルネの脇腹をつつくセリーヌはいかにも楽しそうだ。ルネは困ったように彼女の追求を躱していた。
しばらく侍女と騎士の微笑ましい攻防戦を眺めていたが、そろそろ着替えなければという時間となり、ルネはこれ幸いと退室してしまった。
「逃げられてしまいましたわ」
「ふふ、恥ずかしいのでしょう」
次こそは聞き出してやります、と息巻くセリーヌにリリアンヌは思わずクスリと吹き出した
「それはそうとリリィ様。お召し物を準備しようと思うのですが、今日のご予定は?」
セリーヌが衣装部屋に行きかけた足を止めリリアンヌに尋ねる。リリアンヌは少し悩んだ後、立ち上がった。
「・・・・・・これからのことを、陛下に話しに行くわ。――真実を明らかにしてしまった以上、もうこの国に留まることは出来ないから」
「・・・・・・リリィ様が、そんなにも罪悪感を感じる必要があるのでしょうか」
「え?」
ぽつりと吐き出されたセリーヌのつぶやき。意外な言葉に顔を上げると、セリーヌは少し悲しそうな顔をしてリリアンヌを見つめていた。
「リリィ様は何も悪くありません。不敬を承知で言わせて頂きますが、ミシュリーヌ様を強引に側妃にしておいて、正妃様の所行を傍観されていたのは陛下です」
「セリーヌ、それは」
「だって悔しいのですもの!ミシュリーヌ様が亡くなってから、リリィ様がどれだけ苦しんでこられたか・・・・・・この国を守ろうと影でボイル侯爵の足止めをして、あのような暗い離宮で二年もの長い間姿を隠して。命まで狙われて・・・・・・」
「セリーヌ・・・・・・」
語るにつれて言葉に熱が籠もり、やりきれない思いをこめてお仕着せの裾をぎゅっと握りしめる拳が痛々しい。セリーヌはリリアンヌより十も年上で、幼い頃から姉のように慕ってきた存在だ。母ミシュリーヌが亡くなってからは自ら侍女を申し出、リリアンヌを支えてくれた。リリアンヌの境遇を誰よりも悲しみ、憤ってくれたのは彼女だった。
「ごめんなさいセリーヌ。私、ずっと貴女に心配かけてばかりだわ」
立ち尽くす彼女に駆け寄り背に手を添える。顔をのぞき込むと、彼女はぎゅっと目を瞑り首を横に振る。
「・・・・・・陛下は、ずっとお母様の面影を私の中に見ておられたから。大切な人を亡くすのは、とても辛い事よ。私は今回のことでよく思い知ったの」
オーウェンがボイル侯爵の策略により命を落としたと知らされた時、目の前が真っ暗になった。世界の色が全て色あせて――ああ、これが絶望なのだと知った。
「どんな形であれ、陛下は確かにお母様を愛していた。私の事も、実の娘ではないと知っていながら第一王女として育ててくれたわ。オレリアンが生まれなければ、私は本当に女王になっていたのだと思う」
為政者としては褒められた事ではないが、彼は確かに『父親』だった。誕生日は必ず盛大に祝ってくれたし、正妃からのいじめに対しても表立っては助けてくれなかったものの、壊れた物の修理や替えの物はすぐに与えてくれた。それは決まって、美しい色とりどりの花束が添えられていた。
「覚えている?まだ離宮に籠もる前の、陛下とよく食事を同席していた頃のこと」
第一王女としての責務と、女王にはなるなという母の言いつけ。どちらも守るためにはどうしたら良いのか分からないまま、それでも王の前では毅然とした振る舞いをしていた頃。王との面会の最後に決まってみせる王の少し寂しげな表情は、きっと懐かしさと贖罪の表れだったのかもしれない。それが強引に側妃にしてしまったミシュリーヌに対してなのか、不遇な扱いを受けてなお第一王女の責務を負うリリアンヌに対してなのかは分からないが。
「陛下の行動が全ての原因なのは確かなことだと思うわ。許すことが出来ない部分もある。・・・・・・でも、恨むことも出来ないの」
人を恋い焦がれる気持ちを知ってしまった今は、もう、責められない。
「リリアンヌ様・・・・・・」
「今日はとびきりのドレスを選んでね、セリーヌ。私の未来が決まる日よ」
ほほえみかけると、セリーヌは涙をこらえた表情で頷いてくれた。扉の向こうで、ルネが鼻をすする音が聞こえてくる。どこか微笑ましい状況にリリアンヌはそっと笑みを深めた。
「・・・・・・どこか、変かしら」
「いえ、よくお似合いですよ」
不安そうに自分の姿を見下ろすリリアンヌに対し、ルネは首を振って答える。しかし周囲から浴びせられる遠慮の無い視線が気になり縮こまるようにして歩を進めた。
――リリアンヌは王との面会のため、セリーヌとルネを従え、王の間へと続く王宮内の回廊を進んでいた。しかし与えられた貴賓室から王の間へ向かうには多くの城の者が行き交う中央回廊を通らねばならなかった。行き交う城内の侍女や従僕、臣下達が驚きと好奇の眼差しを痛いほど向けてくるのをひしひしと感じた。中には呆然とした様子で礼を取り忘れ隣に居た上司に叱られる者まで居たほどだ。
「皆リリィ様のお美しいお姿に見惚れているのです。ああっ、やっとリリィ様を公の場で自慢できますわ!今まで馬鹿にしてきた者達に我が主の美しさをとことん教え込ませて差し上げませんと!」
「姫様、セリーヌは少々乱心しております。お気になさらず」
「まあ、でも本当のことでございますわ。リリィ様は心はもちろんのこと、お姿も本当にお美しいのですもの」
セリーヌがうっとりと呟くと、ルネもそれには同感らしくうんうんと頷いてみせた。
今日の装いはリリアンヌが一番好きなピンクベージュのドレス。胸元にはレースで模った花があしらわれ、くびれた腰から下は裾に向かって真っ白なレースになるよう色を淡く重ねている。美しいドレープがドレスの優美な曲線を作り上げていた。豊かな金の髪はよく梳いて下ろし、丈夫だけを緩くまとめ正装用に着けるダイヤモンドのティアラを乗せた。イヤリング、ネックレスもティアラと揃いのものとしたが、胸には別のブローチを飾った。
――これがあれば、私は強く在れる。
そっと撫でたブローチは、丸みを帯びた真珠で模られていた。スノードロップを模したそのブローチは、身につけているだけで勇気をくれる気がした。
「あの大きな事件の後だからというのもありましょう。当事者である姫様やリガルド卿は注目の的になっているようです」
「そうよね。オーウェン様もこれではお困りでしょうね・・・・・・」
2年ぶりの王宮。華やかな雰囲気は変わらないが、懐かしさを感じないのはやはりここが自分の帰る場所ではないからだろうか。それにこれではオーウェンも居心地が悪いことだろう。
「さぁ、陛下がお待ちです。先を急ぎましょう」
「ええ」
少しの緊張と、不安。しかし以前と違って気持ちを強く持てるのは、生きる意味を持ったからかもしれない。長い回廊の先にある王の間を思い、リリアンヌは握り合わせた手に力を込めた。
「リリアンヌ・L・イシュトシュタイン、参りました」
――毅然として。私は王女。
この大扉の前で、昔、何度となく胸の内で繰り返した言葉。自分を奮い立たせるための呪文のようなものだ。しかしふと、この呪文を唱えるのも今日が最後だろうと思い少しだけ「寂しい」と感じた。自分と共に戦ってきた戦友を、ひとり、またひとりと置いていくような思いがしたのだ。こうやて自分は、この国を去るのだろうと。
少しの間があって、王の許可が下りたのか重厚な扉の左右に立つ衛兵が恭しく扉を開ける。豪奢な王の間の扉の向こうには赤のビロードの絨毯が敷かれ、最奥にある階段を登った先には玉座が据えられている。そこにゆったりと背を預けこちらを見下ろす王の姿は、昨日正妃の寝室で見た時とはまるで違う。威圧感と気品を漂わせる彼はやはり、王なのだ。
「この度はお目通り叶いましたこと、嬉しく存じます」
顔を伏せ前に進み出ると、深々と礼をとる。2年ぶりの王の間は、昔と変わらず緊張を強いられる場所だった。この国の中枢であり、王にのみ許される玉座がある場所。ここに足を踏み入れられるのは王に許された者か、王族のみである。
リリアンヌが殊に圧迫感を感じるのは、自分が王族の血を引いていないことを引け目に感じているからだ。それでも今は、堂々としていなければならない。ここにいるのは王だけではない。今日な左右に並び立つ大臣達や、各部署の長が集っている。リリアンヌの快復の報告と、これからについて審議するためだ。
「リリアンヌ、そして皆の者、顔を上げよ」
王は威圧感を消しリリアンヌに優しい声をかける。周囲の者達と共にそっとその面を上げると、周囲がどよめいた。
「・・・・・・?」
顔に何かついているのだろうか。リリアンヌが不思議に思っていると、王はふっと瞳を細め小首を傾げた。眩しいものを見るように、そしてどこか懐かしむように。
「つくづく美しく育ったな、リリアンヌ。2年ぶりにそなたの姿を見て、皆驚いている」
「えっ」
周囲に目配せすれば、顔を赤らめている者や慌てふためく者が散見された。しかし視線を投げかけると、人々は皆目を伏せる。目が合えば狂ってしまうという噂が、目を合わせるのを恐れさせているのだろう。怖いもの見たさ、という言葉がしっくり来る。
「本当に、そなたはミシュリーヌの生き写しだ」
「陛下・・・・・・」
王はリリアンヌを通して亡き母を見ている。そこには底なしの愛情と、贖罪をともなって。
自分の存在は、王の心を捕らえてしまった母の存在をここにとどめてしまう。
――もう、この人の傍には居られない。はっきりとそう感じた瞬間だった。
「さて、リリアンヌ。もう身体の方はよいのか?」
「はい。食事もとれるようになりました。・・・・・・殿方と目を合わせても、もうあの夜のような怪異は起こらなくなりました」
その言葉に周囲から安堵の声が漏れる。すると視線はさらにリリアンヌに集中して、居心地の悪さを感じた。
「そうか。此度の火事やボイル侯爵が謀った賊の侵入といい、そなたが無事で本当に良かった」
「・・・・・・オーウェン・リガルド卿と旅隊の方々がご尽力下さったからだと心から感謝しています」
「そうだな。リガルド卿とリガルド国にはわが国をあげて礼を尽くさねばな」
頷く王にリリアンヌはほっとする。オーウェンと王の話し合いによって、今回のリガルド国の干渉は国際法に則る応援要請だったと発表することになったのだ。緊急事態であったことを認められ、リガルド国旅隊の行動は正式に認められた。ガリュア帝国からの反発も危惧されたが、ボイル侯爵と繋がっていた証拠が公表され事無きを得た。
残る問題はただ1つ。
「陛下、本日は私の回復の報告と共に、今後についてご相談に参りました。・・・・・・私は、先日の上申通り王位継承権の譲渡と王族籍の返還を考えております」
リリアンヌの口から直接語られたことで、周囲の臣下達は少しざわつく。噂は本当だったのかと囁く声が半数以上だ。しかし王は予想していたのか顔色を変えることはなかった。
「王位継承権の譲渡は私から言い出したことだ、認めよう。しかし何故王族籍まで返還しようと考えたのだ?」
「私は王位を望みません。母の遺言にも、決して王位を望むなと」
「譲渡すればそなたは第二位だ。それさえも嫌だと?」
「今回の件で、私は自分の意思に関わらずこの存在だけで国を危うくさせるのだと学びました」
女の身でありながら、生まれたばかりのオレリアンの次に王位に近い自分。権力を望む者にとっては格好の踏み台になってしまう。
「私が女王に立ったとして、私に国を動かす力量はありません。婿となった方が実権を握ることは明白です。・・・・・・私は王位継承権保持者として、この国の安定に王族籍返上が必要だと考えました」
声が震える。自分は本当はこんな偉そうなことを言える立場じゃない。王位という重責から逃げ、母の遺言に縋ってきたのも事実だから。
「しかし・・・・・・せめてオレリアンが成人するまで・・・・・・」
「陛下・・・・・・私は」
「リゼリア修道院に行くつもりであることは知っている。しかしまだ若いお前をそんなところにやりたくはないのだ」
王は中々首を縦に振らない。リリアンヌはどうしたら分かってもらえるのか、許可がもらえるのか分からなかった。
「嫁ぎ先をもう一度探し直そうではないか。顔を見せることの出来るそなたならば縁談も山のように来よう」
握り合わせた手にぎゅっと力を込める。王は、自分を手の届かない場所に置きたくないのだろう。それにリリアンヌは今回の一連の事件で曰く付きの姫である。縁談も思ったようには進むはずがない。
――もう、全てを公に明かすしかないのだろうか。それが母の名誉を傷つけることであっても。
リリアンヌは俯き、唇を噛みしめた。
王族の血を継いでいない、王の子ではない、と――・・・・・・
「恐れながら」
王の間に凛とした声が響いた。聞き覚えのある、少し低めの堂々とした声。驚いて顔を上げると、臣下が列を乱した中から一人の男性が進み出るのが見えた。黒に銀の縁取りが光る軍服はイシュトシュタインのものではない。胸には数々の徽章が光り、腕章にはスノードロップを守るように翼を広げた雄々しい鷹が描かれている。帯剣し正装した彼の姿を見るのは初めてだ。
「オーウェン、さま・・・・・・?」
思わず唇を震わせて小さく呟くと、オーウェンは視線をちらりとこちらに移し、口元に柔らかい笑みを浮かべた。しかしそれも一瞬のことで、目を瞬かせた次の瞬間には彼は王に向き合っていた。
「オーウェン・リガルドより、ご提案させて頂きたいことがございます」
「リガルド卿、しかし」
「・・・・・・陛下。王女殿下のお顔を、もう一度ご覧になって下さい」
王は言葉を詰まらせながらリリアンヌの顔を見る。自分がどんな顔をしているのか分からない。しかし、王はリリアンヌの表情をしっかりと見つめた後、目を閉じ嘆息を漏らした。背もたれに背を預けると、何かを振り切るように首を振り、やがて重い口を開く。
「リガルド卿、続けておくれ」
その言葉にオーウェンは静かに頷いた。王とオーウェンは、この会談の前に何か話し合いをしたのかも知れない。二人の間で、視線を交わすだけの会話が成立していた。
「王女殿下が王位継承権を持つことで、まだ掃討しきれていないボイル侯爵派の残党が殿下を担ぎ上げようとする可能性も否めません。しかし王女殿下がリゼリア修道院へ入られるのは忍びない」
オーウェンは淡々と、しかし明朗な声で言葉を紡ぐ。
「彼女はまだ、自分の幸せのために生きていない」
その言葉に王の表情が変わった。はっと目を覚ましたようなその表情は、次の瞬間悲しみと切なさの色を滲ませ歪んだ。
「王女殿下はとても聡明な方です。王も王女殿下を失うのは避けたいことと存じます。・・・・・・ですからほとぼりが冷めるまで、王女殿下を我がリガルド国で保護することを提案します」
「待って頂きたい。リガルド国は中立国のはず。イシュトシュタインに荷担しては国際的批判が」
慌てて声を上げた臣下の一人に、オーウェンはすかさず返す。
「大使として招けば良いのです。今回の一件はイシュトシュタインだけでなくわが国の上層部やガリュア帝国も関わっています。ガリュア帝国は近年国際法を無視し軍備拡大をし続けている脅威国です。国際連盟を脱退する可能性も高くなっています。そこでリガルド国元首は、イシュトシュタイン国とは情報を共有しこの大陸を守るパートナーとなりたいと申しております」
オーウェンの言葉に臣下は口々に議論を始める。国際的対面、利益、リスク。王も考えを巡らせているのか黙ったままだ。
「リガルド国には各国の大使も集まります。王女殿下の遊学にも良いかと存じます。もちろん、身の安全は私がこの身に代えても保証いたします」
オーウェンは力強い瞳で王を見据えた。穏やかな彼の琥珀の瞳に固い意思が映る。
――長い沈黙が王の間を支配した。臣下も議論を止め、今はただ王の言葉を待っている。
「・・・・・・リリアンヌ」
優しい声だった。眉間に寄せていた皺は解かれ、口元には少し寂しげだけれど微笑みが讃えられていた。
「そなたは、どうしたい?」
聞かれて胸が詰まる。私がしたいこと。私が、望むこと。それを口にするのがこんなにも難しいだなんて知らなかった。誰かのための、誰も不幸にならない道じゃない。
私が決める道。
「・・・・・・世界を、見てみたいです」
いつか母が語ってくれた異国の物語、心が躍るような異国の歌が知りたい。咲き綻ぶ花々や草木の違いをこの目で確かめたい。オーウェンが語ってくれた、真っ白な雪の世界を知りたい――。
「まだ知りたいことが、沢山あります」
目からぽろぽろと涙が零れる。自分が何をしたいのか、何を望んでいるのか。この瞬間に生まれて初めて考えた。胸の内から想いが次々に溢れ、抱えきれない。
「そうか」
王は頷いた後、静かに立ち上がった。大仰なマントを捌きゆっくりと会談を降りる。オーウェンを通り過ぎリリアンヌの所までやってくると、やさしくリリアンヌの頬を流れる涙を拭う。
「行きなさい。そなたをもう縛り付けはしないよ」
「陛下」
「こんな父親ですまない。いや、そなたにとっては・・・・・・」
父でもないか、と小さく呟いた王の手をリリアンヌはそっと包み込んだ。
「・・・・・・おとう、さま」
全ての思いを込めてそう呼ぶと、王は泣き出しそうな顔でくしゃりと笑った。
「有り難う。私の愛しい子」
――そしてこの日、王より正式にリリアンヌ・L・イシュトシュタインのリガルド国大使任命が国中に知らされた。