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猶予時間《モラトリアム》

それから数日後。茶会へ急な欠席をしたオーウェンを王女リリアンヌは責めること無く、よろしければと言う遠慮がちな書面で再度茶会の誘いが来た。

「オーウェン様、いかがなさいますか」

「何かお詫びをしなければならないな。まず手紙を出すよ」

オーウェンは心底申し訳なく思いながら返事を出そうとペンを探していると、ふと国から持ってきた荷物の中に、忘れ去っていた『あるもの』を思い出したのだった。

「・・・・・・アベル。女性に贈り物をしたことはあるか?」

「へ?え、いや・・・・・・あっ、ありますよ!それくらい!」

「何を贈ったんだ?」

「・・・・・・蛙?」

「・・・・・・反応は」

「泣かれましたけど」

「・・・・・・いつの話をしている」

アベルはそっと五本の指を開いてみせる。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

会話が続かなくなったことに諦め、オーウェンは髪を掻き上げながら天井を振り仰いだ。

「どうしたものか・・・・・・何と言って渡せば良いんだ?」

「何か差し上げるのですか?」

「ああ。丁度ドロシーがそういうもののひとつでも持って行けと――あ」

荷物の中から『それ』を手にした途端、ひらりと何かが落ちた。何かと思い拾い上げると、そこには見慣れた妹の文字。

『持つべきものは賢い妹だと触れ回って頂いてもよろしいですわよ』

その一言と共に、プレゼントを渡す際の言葉や渡し方のアドバイスが書かれていた。

固まるオーウェンの手元をのぞき込んだアベルは、瞬間思わず吹き出した。

「ぶっ・・・・・・オーウェン様、よい妹君をお持ちになりましたね」

「・・・・・・全くだ。持つべきものは賢い妹だよ」


「王女殿下、先日はあのような失礼な真似をしてしまい、大変申し訳ありませんでした」

「いいえ!体調を崩されたと聞きましたわ。慣れない場所での生活ですもの、無理もありません。今はもう大丈夫なのですか?」

嘘を気遣う優しさに少し胸がちくりとしたが、オーウェンは首を振りながら応える。

「いえ、騎士ともあろう者が本当に情けない。ご心配をお掛けしてしまい、申し訳ありませんでした。そのお詫びと言ってはつまらないものなのですが・・・・・・これを」

そう言い置いて、オーウェンは給仕している侍女に手の平に乗るほどの包みを渡した。渡してくれと頼むと、なぜか彼女が嬉しそうな顔をして受け取りついたての向こうへ駆けていった。

「これは・・・・・・?」

「開けてみて下さい。実は、宝石箱をお持ちしました」

「まあ、宝石箱?」

「ええ」

そう答えると、さらりと包みを開く音が聞こえた。そして次の瞬間、姫の歓声が聞こえてきた。

「すごいです!こんなに素敵な宝石箱、初めて見ました!」

「喜んで頂けたようで良かった。以前お話しした、有名な小物職人が作った宝石箱です」

女性の事には疎い自分に、義妹のドロシーがプレゼントの1つでも持って行けと急かしてきたことが懐かしい。花があまり育たないリガルドでは、女性の贈り物にはこのような小物が好まれる。

小物屋を呼んで姫君との縁談について考えながら選んだものだから、それなりに形になっているだろう。繊細な花の彫刻に、いくつかリガルド原産の宝石が埋め込まれている。今リガルドで流行っている小物職人の手のものだった。

リリアンヌは終始嬉しそうな様子だった。

「素敵!まあ、中の敷き詰められた布は昨日おっしゃっていた織物ですね!」

眺めながら夢中になっていることが手に取るように分かるほど楽しそうにはしゃいでいた。

すると微笑んでいた女騎士がリリアンヌにそっと話しかけた。

「姫様、あれをお渡しにならなくてよろしいのですか?」

「あ・・・・・・でも、こんな素敵なものを頂いた後なのに、なんだか申し訳なくて」

急に花がしおれてしまったようにしゅんとした声を出すリリアンヌに、オーウェンは思わず吹き出してしまう。

「リ、リガルド卿?」

「いえ、何だか殿下のくるくる変わる表情が思い浮かぶようで。想像するのが楽しかっただけです」

そう答えると、少し間をおいてリリアンヌが呟いた。

「・・・・・・リガルド卿は、私に顔を見せろとはおっしゃらないんですね」

その言葉に、オーウェンは持っていたカップをソーサーに戻した。興味があると伝えた紅茶は初日から毎回色んな種類を出してくれている。カップも繊細すぎるものは手の大きなオーウェンには持ちにくかったのだが、2回目の訪問以降男性用に作られたと分かる持ちやすいカップになっていた。女騎士に聞けば、「どのような方か聞かれました」と話した。

「私は殿下がこうして話をして、笑って下されば結構です。こういった茶会に不慣れな私でも、粗相をせずにいられるのは姫君が心を砕いて下さったからでしょう」

「リガルド卿・・・・・・」

本心でそう告げると、先ほど衝立の向こうに消えた侍女が戻ってきた。新しい紅茶だろうかなどと思っていると、何かを手にこちらにやってくる。

「リガルド卿、姫様からでございます」

「?」

差し出されたものは、絹で作られた白手袋だった。そして履き口に銀糸でオーウェンの名とリガルドの国花であるスノードロップが控えめに、しかし美しく刺繍されていた。

「これは・・・・・・」

「す、すみません!リガルド卿が先日白手袋を汚してしまったと聞いて・・・・・・あの、拙い刺繍で・・・・・・っ」

しどろもどろに答えるリリアンヌ。しかし彼女が言うような拙い刺繍などではない。繊細な刺繍は職人の手で作られたかのような美しさで、スノードロップは今にも春を呼んできそうなみずみずしさがあった。オーウェンが白手袋を汚してしまったという旨は、多分白手袋の手持ちが尽きて城の従僕に業者の手配をさせた時にリリアンヌの耳にも入ってきたのだろう。

「こんなに素晴らしい贈り物は初めてです。・・・・・・大切に使わせて頂きます。有り難うございます、王女殿下」

「・・・・・・!」

女騎士と侍女が優しい表情で姫君に声を掛けているのを聞きながら、刺繍を指でなぞりオーウェンは目元を緩ませた。自国では元首の息子という肩書き以上に認めてもらうため、眦を上げて配下を指導する毎日を送っていた。平和で穏やかな日常は、少し疲れていたオーウェンの心を癒やしていったのだった。



「姫様、リガルド卿を送り届けました」

「有り難う、ルネ。リガルド卿は何かおっしゃっていた?」

戻ってきた女騎士――ルネは、静かにリリアンヌの傍に行き報告を始める。

「はい、白手袋を大切そうにしまってらっしゃいました。『女性にこんな手の込んだプレゼントをもらうのは初めてで緊張した』と笑っておられました」

「そう・・・・・・」

報告を聞いてほう、っと息をついたリリアンヌ。まだ、顔の火照りが冷めない。

「・・・・・・リガルド卿は、優しい方ね」

「はい。言葉数は少ないですが、姫様を思ってお話しされているのがよく分かります」

すると奥の方からずっと給仕を任されていたリリアンヌ専属の侍女のセリーヌ・ベルトンが新しいティーセットを持ってやってきた。

「リリィ様、新しい茶葉を持ってきましたよ」

「ありがとうセリーヌ。これは・・・・・・レトセトルの茶葉ね。ミルクに合うから、次にリガルド卿がいらっしゃる時はミルクティーをお出ししようかしら」

さっそく次の茶会の茶葉を楽しそうに選び始めるリリアンヌ。彼女を幼い頃から知るセリーヌはほっと温かい気持ちになる。

「リリィ様、良かったですね。あの方なら、きっとリリィ様を妻として大切にして下さいますよ」

「そうですね。リガルド卿ならきっと」

ルネも頬を緩めて同意した。しかしリリアンヌは微笑んだまま、ふと紅茶を選ぶ手を止めた。

空気がどこか冷えてしまったのを感じてはっとしたセリーヌはおそろそるリリアンヌの顔をのぞき込んだ。

「リリィ様?」

不安そうな侍女の瞳と目がかち合い、リリアンヌは少し身じろぎした。しかし、いつまでも告げるのを先延ばしにしているわけにはいかなかった。

「・・・・・・そろそろ、貴方たちにも話すべきだったわね。準備も必要になるし」

「準備、でございますか?」

嫌な予感がしたセリーヌは息を呑み、ルネも身体を硬くしてリリアンヌを見つめた。空気が重い。勘の良い従者達の心境を思いながらも、意を決してリリアンヌは言葉を吐き出した。

「私は、生涯どの殿方とも結婚しないと決めたの」

「えっ?」

予想を裏切るリリアンヌの返答に、ルネとセリーヌは同時に声を上げた。

「何故です?リガルド卿がいらっしゃるではありませんか!姫様を笑顔にして下さった方はあの方が初めてです!」

「そうですわリリィ様!それとも、リガルド卿をお慕いできない理由でも・・・・・・?」

するとリリアンヌは作ったような微笑みを浮かべながら首を振った。

「リガルド卿はすてきな方よ。今までのどんな方よりも心優しくて・・・・・・」

「でしたら!」

では何故、と言外に問うセリーヌにリリアンヌは静かに答えた。

「だからこそ、よ。あんなすてきな方には、もっと素晴らしい女性がお似合いだもの。私がリガルド卿の幸せな未来を奪うわけにはいかないわ。私のように、妻の役目の1つも満足に果たせないのでは・・・・・・」

ね、と同意を求めるリリアンヌにセリーヌとルネは何も言えなくなる。

「それに、リガルド卿はきっと頃合いを見て縁談をお断りになるわ。リガルド国はもともと中立を謳う国。イシュトシュタインのような大国の王女を妻にするとは考えにくいもの」

「では・・・・・・姫様は?姫様の幸せはどうなるのです」

やっとのことで出た言葉をルネは噛みしめるように紡ぐ。

考えてみれば、今までリリアンヌが自分から「何かをしたい」と言ったことは無い。

あるとすれば、彼女が公言する「夫となる者でも決して顔を見せない」ことだけだ。

父王から勧められる縁談も、傷つくことが分かっていていつも嫌とは言わない。

この暗く寂しい宝物庫を改装して住まわせたのは王妃である。決してリリアンヌが望んでこのような離宮に隔絶されて暮らしているわけでは無いのだ。しかし王妃側近の者には「王族の責務を果たしていない」と詰る者までいる。

リリアンヌは、今まで何ひとつ望んだことなど無いというのに。

寂しげに陰った蒼の瞳は、静かに手元を見つめる。

「それにね。縁談最終日までに、第一王位継承権を譲渡することになったわ。私は第二継承者へとのことよ」

「・・・・・・そうでしたね。そのお話もございましたね・・・・・・」

セリーヌはティーカップを片付ける手を止めた。リリアンヌはセリーヌの手元を見つめながら、小さく微笑んで見せた。

「先日お父様が、縁談を成立させる前に王位継承権をオレリアン様に譲渡するようにおっしゃったから。縁談の最終日は、私が成人する誕生日でもある。成人の儀を終える前に委譲することになると思うわ。オレリアン様も近頃は落ち着いて、元気にお育ちだと聞くし。喜ばしいことよ」

「そう、ですね」

リリアンヌの言葉を受け入れられないセリーヌは言葉を濁す。そんな彼女を見つめながら、リリアンヌは静かに続けた。

「そしてね。それと同時に王族籍も返還するつもりなの」

どこかで予想していたのだろう。さっと顔を強ばらせるセリーヌにリリアンヌは申し訳なさそうに眉尻を下げる。

「しかしそれでは、姫様があまりにも・・・・・・っ」

それ以上言うことをためらったルネは唇をきつく噛みしめる。

「姫様・・・・・・っお考え直しを!」

リリアンヌの座るソファに駆け寄ると、膝をつきすがるように主の手を握るルネ。幼い時から、ルネはリリアンヌが強がろうとする時必ずこうして手を握ってきた。辛いことがあっても泣かないリリアンヌに、いつも泣いて良いのだと諭すのだ。ルネの後ろでは、同じくリリアンヌよりも辛そうな顔をしたセリーヌがこちらを見守っていた。自分を母が亡くなった後も慈しんでくれる者達。彼女たちを笑顔にすることすら出来ない自分は、なんと役立たずなのだろう。

しかし、だからこそリリアンヌは努めて明るく告げた。自分の決めた道だと示す為に。

「私も望んでいることよ。それに、お母様の御意志でもあるわ。ね、そうでしょう?」

リリアンヌの母ミシュリーヌは、絶世の美女であり奇跡の歌姫とまで呼ばれた女性だった。しかし元は市井の出身。側室とはいえ妾妃となることに周囲からの反発は大きかった。

『決して王位を望んではなりません。貴女の王位継承権はお預かりしているだけ。正妃様に御子がお生まれになったら、すぐにお返しするものなのですよ』

いつもリリアンヌに、この言葉を言い聞かせていたミシュリーヌ。母に国母になるという野望は微塵も無かった。正妃の陰湿な嫌がらせからリリアンヌを庇いながらも、正妃を批判するようなことは一切口にしなかった。

『正妃様は、王を愛していらっしゃるの。これは仕方の無い事なのですよ。決して、正妃様を悪く思ってはいけません』

切り刻まれた花束を撫でながら、「でもお花には罪が無いのに可哀想よね」と儚げな笑顔を見せる母に、リリアンヌはいつも胸が痛かった。自分を産んだせいで床に伏せがちになった母。正妃に遠慮してほとんど見舞いにも来ない父王。毎日のように陰湿な嫌がらせをする正妃とその取り巻き達。優しくしてくれるのはメイド長や侍女、従僕などの使用人だけだった。

「私は王位など望んだこともないわ。王族なんて身分も。もちろん王族として義務を果たしてきたつもりだけれど・・・・・・」

もともとは自分のものではない。本心からそう思っているから手放せるのだ。

「正妃様は私がこの城に居続ける限り私に固執し続けるでしょう。オレリアンを立派な王に育て上げて頂くためにも、私という不安因子は排除しておくべきだわ。だからこそ――私は、王位継承権を譲渡すると同時に王族籍を返還し、リゼリア修道院に入ります」

「リゼリア修道院!?」

セリーヌもルネも悲鳴のような声を上げた。しかしそれもそのはず、リゼリア修道院とは遙か西にある孤島にある男子禁制の修道院だからだ。そして寡婦や年老いた未婚の貴族の娘が最後に選ぶ神への奉仕の道。

「18の誕生日に行われる成人の儀を終えてしまえば、私は王族籍を返還できなくなってしまう。私を女王へ担ぎ上げようとしている者達も、その前に私を手に入れようとするはずだわ。それだけは防がないと」

「ですがこんなお若い御年で・・・・・・!お考え直し下さいませ、リリィ様!」

「姫様だけがそんな辛い道を選ぶ必要など無いはずです!陛下もお止めになります!」

必死に訴えるセリーヌとルネ。しかしリリアンヌは薄く微笑んだ表情を変えずに言った。

「でも、誰も不幸にならない道だわ」

そう言いながら、視界にふと入ってきた物があった。先ほどオーウェンから贈られた宝石箱である。その美しい彫刻の曲線を指でなぞりながら彼の人を思い浮かべ、やがて優しく微笑んだ。

「だから今だけ・・・・・・ほんの少しだけ、夢を見ていてもいいかしら」

寂しそうなその微笑みに、セリーヌもルネも返す言葉が見つからず口を閉ざすばかりだった。

誰もが口を閉ざし沈黙が続いた。しかしその沈黙を破ったのは部屋に近づく足音だった。

足音はリリアンヌ達の居る部屋の前で止まり、控えめに3回ノック音が聞こえた。

「失礼いたします、衛兵のリュシー・バリエールでございます。ご報告が」

聞き慣れた声にリリアンヌは顔を上げ、ルネへと視線を送る。ルネは頷くと扉を開け、訪問者を扉の中へ促した。

「ご機嫌麗しく存じ上げます、王女殿下」

「ご苦労様、リュシー。報告は何?」

「は。実は――」

リュシーの報告を聞いた途端、リリアンヌはさっと顔色を変えた。ルネやセリーヌは顔を見合わせて動揺した様子を見せる。

「・・・・・・なんてこと」

「姫様・・・・・・」

ルネがか細く主君を呼ぶが、もうリリアンヌの意思は固まっていた。

「セリーヌ、ペンと紙を。お父様にお手紙を書くわ。それからルネ、離宮の警備を強化して」

「仰せのままに」

セリーヌは全てを理解したように頷き、隣の部屋へと退室した。ルネもリュシーに今後の指示を出し、己も退出を願い出てその場を後にした。一人残されたリリアンヌは大きく息をつくと、大きなソファの背もたれにゆっくりと背中を沈めた。

「・・・・・・もう、夢もおしまい」

渇いた微笑みの中で、美しい聖蒼の瞳がうつろに揺れていた。



* * *




オーウェンがその『知らせ』を聞いたのは、白手袋を贈られた日から三日ほど経った頃だった。イシュトシュタインに来ていた他国の使節団との交流会があり、リリアンヌの所へ顔を出せない日々が続いていた。交流会が終わり、夜も更けた頃。やっと一息つけると部屋に戻った所に、腹心のアベルが少し動揺気味に報告に来たのだった。そして彼の口から語られた報告は大きく2つ。しかしそのどちらも信じがたい内容だった。

「オレリアン殿下が毒を盛られかけた?」

聞こえた言葉を反芻すると、報告しているアベルは驚きを隠せないのか、迷うように口を開く。

「は。昨夜、オレリアン殿下が寝る前に飲まれている白湯に毒物が検出されました。寸でのところで世話係の侍女が異臭に気付き毒味役に確認させたので、口にされることはなく大事には至らなかったそうですが」

「やはり王女殿下を女王にしたい者が城内にいるということか・・・・・・それも、中枢に入り込めるほどの力を持った者だ」

この国に入り、縁談を受けるふりをしながら調査を続け分かったことがある。それはこの国の貴族がふたつの勢力に分かれていると言うことだった。オレリアンを次期国王にと考える正妃派、そして身寄りの無いリリアンヌに取り入りリリアンヌを女王に祭り上げようとしている女王擁立推進派。正妃派にはあのボイル侯爵が筆頭に立っており、リリアンヌを女王に押す貴族は少数派であるようだった。リリアンヌ自身が女王になることを承諾しないからである。しかしリリアンヌが第一王位継承権を譲渡する前にリリアンヌを頷かせようと、この縁談期間中彼女へ押しかける貴族が後を絶たなかった。このままでは何か事を起こすのではないかと思っていたが、こんなにおおっぴらにしでかすとは予想外だ。

「おそらく高位貴族でしょう。オレリアン様の世話係は正妃ロジェンヌ様の信頼の厚い侍女達です。後宮にはロジェンヌ様と侍女、王、それと許された高位貴族しか足を踏み入れることは出来ません。そのため犯行の手口が分からず城内も混乱しております」

「王女の最後の縁談期間も残り少ない。相手も焦っている可能性が高いな・・・・・・今後後宮に監視を置く。人員を配置して報告するように」

「了解しました。・・・・・・後もう一つご報告が。正式には発表されていませんが、今朝から急速に広まっている噂があります。――王女殿下が、王位継承権を時期を早めて返還されると」

「早める?まあ、もともとあった話ではあるが・・・・・・」

「しかしそれだけではないのです。王族籍も同時に返上されるとのことです」

「なっ、王族籍を?待て、どういうことだ?」

身を沈めていたソファから離れ、オーウェンは身を乗り出し報告の続きを促した。

「国王陛下は王族籍の返還については了承していないそうです。しかし当の王女殿下はそのつもりで既に離宮を引き払う準備を進めていらっしゃるそうで・・・・・・今回の縁談者にも動揺が広がっています。話が違う、と」

確かにその通りだ。王位継承権が第二位となりさる有力貴族に降嫁することは予想の範疇だとしても、王族籍を返還するなど誰も予想していなかっただろう。顔を見せない王女の唯一の売りは『王族であること』だった。王女を妻とし王族に連なることが出来れば国内外問わずその権威を誇ることができる。王族籍を返還するとは、イシュトシュタイン王族歴から完全に除外されると言うことだ。しかし王女が王族籍を返還してしまえば、彼女を妻にする社会的価値は半減する。

「それに、王族籍を捨てた王女殿下は一体どこに行くつもりなんだ?」

「まだ明らかにされていません」

「・・・・・・王女殿下は何を考えている?縁談は最初から白紙に戻すつもりだったのか」

「その可能性が高いかと。情報によると、既にイシュトシュタイン貴族ではない三名はこの話を聞いてすぐ縁談を断ったとのことです」

「残るのは俺とあの廊下で会ったマーティン・ボイル侯爵のみということか」

頷くアベル。続けて持っていた書類を差し出した。

「取り急ぎ元首へ報告なさいますか?イシュトシュタイン王からは、王族籍返還の件については明確な返答を得られていませんが」

受け取った書面には、イシュトシュタイン王家から王女の王位継承権譲渡の件、縁談者三名が辞退した件についての知らせだった。王族籍返還の件に関しては何の記載もない。しかし話の流れが急すぎる。王女の気まぐれか、王女を嫌う王妃の策略か。

「どうされますか?」

「いや、父上にはまだ報告しなくていい。実際、この縁談はイシュトシュタイン入りするために受けただけだから、縁談が白紙になろうが関係ない。気になるのは、あれだけ王女を罵倒していたマーティン・ボイル侯爵が引き下がらなかった点だ」

「そのマーティン・ボイル侯爵については少し情報が入りました。調書はこちらに。・・・・・・彼が世話をしている商会が数年前にガリュア帝国とイシュトシュタインの国境沿いに支部を建設しているそうです。貿易内容は調書上は食糧や衣類等となっていますが」

「どのあたりの国境だ?」

尋ねると、アベルは棚から地図を取り出し広げて見せた。

「ええと・・・・・・ここです。首都メインベルグの北、ここからは馬車で三日という所でしょうか」

アベルの指差す場所を確認しオーウェンは眉を潜める。

「ガリュア帝国のカルイースク地区に最も近い街だな・・・・・・」

「はい。カルイースク地区は自治権を主張して長らく帝国との間で紛争状態にあります。一ヶ月ほど前に帝国側との会談開催が決まったため、一時停戦しにらみ合いが続いていますが・・・・・・」

「確か会談前に地区長選挙を行う予定だったはずだ。監査役としてうちの国の使節が駐屯しているな」

マーティン・ボイル侯爵の調書にもう一度目を走らせる。王妃と血縁がある名家であり、いくつもの大商会のスポンサーとしても有名な男。数年前から裏で情報や武器を流す闇商を疑われている――。

「ガリュア帝国との繋がりをもっている可能性は一番高いな。それが独断なのか、王や王妃の采配が絡んでいるのかが重要だが――」

そうオーウェンが言いかけた時、窓の外から悲鳴が上がった。

「!」

「北の方角です!」

アベルが鋭く叫ぶ。

外からは悲鳴に続いて野太い怒声も聞こえる。カンカンカン、と金属を叩く音が耳をつんざいた。嫌な予感を胸に抱きながら北側のテラスに駆け寄ると、目の前の宵闇に包まれていたはずの景色が一変していた。

「火事だ!北の離宮が燃えてるぞ!」

「きゃあああああ!庭まで燃え広がるわ!」

静寂を破るような叫び声が夜空に響く。

「アベル、状況を把握!第一旅隊に避難救護、第二旅隊に消火活動に当たらせろ!俺は陛下に報告し増援の許可をとってくる!」

「了解!」

オーウェンの瞬時の命令にアベルは敬礼を以て従い、踵を返し部屋を後にした。

その間にも暗闇に煌々と燃えさかる赤い炎と立ちこめる黒煙。焦げ臭い硝煙の香りがオーウェンの居る本殿のテラスまで風に乗って運ばれてきた。北の離宮――それは、あの王女殿下が住まう離宮だった。離宮の玄関口を見やると、慌てた使用人達が着の身着のままに転がるように逃げ出てくるのが見えた。しかし一向に肝心の王女殿下の姿が現れない。心臓が一気に凍ったような気がした。

「まさか、王女殿下は逃げ遅れているのか・・・・・・!」

はやる気持ちが離宮に駆け込むことを急いたが、状況が把握できない以上踏み込むことが出来ない。

部屋を飛び出し王の謁見を求め報告と増援を求めた後、オーウェンは足を止めることなく離宮へと向かった。王宮を出て北の離宮への小道を突き進んでいると前から走ってくるアベルの姿を捉えた。

「オーウェン様、情報が入りました!」

「報告しろ!」

鬼気迫るオーウェンの命令にアベルは瞬時に背筋を伸ばし応答する。

「現在北の離宮で原因不明の発火。第一旅隊は避難・救護に徹しています。消火活動は現在我が第二旅団が指揮をして行っています。しかし石造りの宮殿で内部の木造部分が燃えており、窓が少ないため水が内部へ届かずはかどっていません!」

「王女殿下や使用人達は!」

「数名の使用人と、王女殿下の姿が見当たらないようです。まだ取り残されている可能性が」

「ではまだ、王女は中に・・・・・・」

ごうごうと燃えさかる離宮を、オーウェンは呆然と見上げた。暗闇が、赤く、赤く、血塗られたように染まっていた。






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