孤高の王女
『お顔をお見せすることは出来ません。どなたにも。例え、その方が私の夫となる方でも――・・・・・・』
美しいその娘の一言が、全ての始まりだった。
イシュトシュタインが誇る白亜の城には、有名な中庭がある。白亜の柱が立ち並ぶ、中庭に面した南回廊から望む南庭園は春の麗らかな日差しが心地よく降り注いでいた。小鳥のさえずりが聞こえ、色とりどりの花々に心が癒やされる。しかし、その中庭を背に北へ進むと、すこし物寂しい北回廊が見えてくる。庭師が整然と手入れをしているが、南回廊から見えるような華やかさはない。そして一本、とある場所へ続く道があった。
「あの・・・・・・あの道の先にある離宮って1日に何回か人の出入りがありますよね。何の場所なのですか」
まだ着慣れないお仕着せに身を包んだ少女が、北庭園からのびる道の先にある、本殿から少し離れた所に建つ離宮を見て尋ねた。
「ああ、おまえはまだこの城に上がったばっかりだったね。あそこには、この国の王女様がお住まいになっているんだよ」
「えっ?あんな所にですか?」
「王女様は十六歳の生誕パーティーで男性恐怖症になってしまわれてね。それ以来あの離宮に引きこもりっぱなしさ」
彼女は冷たく薄暗い離宮に閉じこもり、従者は全て女性のみを従え、姿を見せなくなったのだ。メイド長は少女と同じように離宮を見上げ、ひとつ息をついた。
「第一王位継承権は王女様のものだから、陛下は未だに何度も縁談を持ってきているけれど――」
「あ、それは聞いたことがあります。もう何十と縁談を断っているとか」
「顔も姿も見せない、相手も見ない。そんなんで縁談が成立する方がおかしいよ」
「はぁ・・・・・・」
「それに先月オレリアン殿下がお生まれになったからね。次の縁談からは、もしかすると婿取りじゃなくて嫁入りになるのかもしれないねぇ」
王女を哀れんだ父王は、彼女に縁談を勧め幸せになってもらいたいと言う。しかし、正妃が懐妊してからは厄介払いをしたいのではないかというのが専らの噂だ。しかも生まれたのは男児であり、近々王位継承順位はオレリアンが第一位となる。それでもなお縁談を受けさせるのは、離宮に閉じこもってばかりの気味の悪い王女を追い出したいのだ、と貴族の中では嘲笑の種となっているとか。
「よくそんな方に縁談が来ますね」
「これ、そんな言い方をしたら不敬罪で捕まっちまうよ!・・・・・・まあでも、王女様は本当にお綺麗でね。心根も優しくて、私らにも優しい方だった。お母上である今は亡き側妃様が市井の出身だったから、貴族出身の侍女達は嫌がらせをしていたようだったけれど」
「そうなんですか・・・・・・」
「あの方のお顔を見られなくなってから、もう2年が経つんだねぇ・・・・・・」
以前は宝物庫だった建物を改装した王女の離宮。あの離宮に立ち入った男性の誰も、彼女を連れ出すことに成功した者は居ない。
「王女様のあの笑顔はもう見られないのかねぇ・・・・・・」
王女の成長する様子を生まれた時から見てきたメイド長はそっと独りごちた。
約二十年ほど前のこと。現イシュトシュタイン国王は、絶世の美女と謳われた歌姫、『ミシュリーヌ・ロア』という女性に惚れ込み、側妃とした。まもなく、正妃よりも先に二人の間にはそれは美しい娘が生まれた。名をリリアンヌ、愛称をリリィとし、誕生を喜ばれた。しかし身体の弱かった側妃・ミシュリーヌは産後の肥立ちが悪く病床に伏し、数年でこの世を去ってしまった。リリアンヌはそれはそれは美しい娘で、満天の星空の輝きを閉じ込めたような金色の柔らかな髪、爽やかな青空を切り取ったかのような、この国では見られない澄んだ蒼の瞳。白磁のきめ細やかな肌、ふっくらと桃色に色づいた頬に、さくらんぼのように可愛らしい唇。鈴を転がしたような声。どこをとっても美しい彼女は、亡き母と並ぶ美女として噂された。さらに、弱きものを愛し、心優しいことでも有名であった。しかしその彼女に転機が訪れる。
――それが十六歳の誕生日の夜、『顔なし姫』の始まりだった。
そして彼女はその日を境に、北の離宮に閉じこもってしまったのだ。
* * *
イシュトシュタイン王国の首都、メインベルグ。中心にそびえ立つ王宮は、白亜の美しい城だ。澄んだ大河が国の中心を流れ、芳醇な大地を抱えるこの国は、代々イシュトシュタイン家が治めている。現王は善政を敷く賢王として名高く他国との関係も良好。国の一番の権力者の家の娘を正妃に迎え、国は更に活気づいていった。
その白亜のイシュトシュタイン城に、ある日無骨な騎士の一行が到着した。
「あの騎士団は一体……?」
「ああ、あの国章は!」
儚げなスノードロップを守るように翼を広げる雄々しい鷹が描かれた国章籏を見て、門番達が直立不動で敬礼を行う。馬に跨がり国章を背負った青年は、それを見て柔らかく微笑んだ。決して今までの王子や子息達のように顔立ちが飛び抜けて良いわけではない。黒髪の短髪に、目元はややつり上がっているが優しい琥珀色の瞳。長身で一見細身だが鍛え上げられていることが分かる体躯。副騎士団長という点を除けばどこにでも居る青年だ。しかしその誠実実直そうな面は優しかった。
青年の斜め前に馬を歩かせていた男性が、声高に言い放つ。
「リガルド国元首嫡男にして副騎士団長、オーウェン・リガルドが到着した。門を開けられたい!」
リガルド国――――それは、北の山を越えた先にある、厳しい極寒の地にある軍事国家である。領地を不肖の王から守るため騎士団を結成したのが建国の始まりだ。その時初代騎士団長を努めていたマルクス・リガルドが元首となり、代々高い身体能力と統率力を備えた子孫が元首を務めている。騎士を育成するために各国から騎士・兵士候補を預かり養成する国立士官学校もあり、各地の名のある騎士や兵士達はリガルド国の士官学校の出身であることが多い。国際平和機構の先頭に立ち中立的軍事国家という立場をとるリガルド国は、各国の均衡を図るため国際警察的な役割も担っている。
「ここが、イシュトシュタイン――――」
副騎士団長の名を背負う青年は、白亜の城を見上げながらそうつぶやいた。
この国に視察に行くよう父である元首から命ぜられた日。
「・・・・・・縁談?」
聞こえてきた単語に、まずは己の耳を疑った。
「自分が、ですか」
「王女との縁談だぞ。男のお前以外に誰が居る」
苦笑混じりに答えた父は、手元の資料をオーウェンに差し出しながら話を続けた。
「ただし、形だけだ。イシュトシュタインには先日視察を送って引き上げたばかりだろう。同じ視察ではもう理由にならない。今回は視察ではなく縁談の候補者としてイシュトシュタイン入りすることになるから準備しておけ」
「はぁ・・・・・・」
生返事をしながら手渡された資料に目を走らせる。内容は縁談などと浮かれたものではなかった。
「イシュトシュタインと――ガリュア帝国、ですか」
ガリュア帝国。それはイシュトシュタインの北西に位置する大国だ。広大な国土を持つがほとんどが雪と山に覆われ、多くの民族が集まった国である。帝政で近年軍力を伸ばし、他国の侵攻を狙っている脅威国だ。国際平和を目指し中立を謳うリガルド国にとっては天敵とも言えるだろう。
「諜報員が先日持ってきた情報だ。イシュトシュタインの上位貴族が最近ガリュアへの接近を試みているらしい」
「イシュトシュタインが今王位継承者問題で荒れていることと関係しているのでしょうか」
「有り得るな。今回の縁談は、王女の年齢的にも時期的にも最後だと言われている。縁談者はお前を含めて五人だ。一名は隣国の第三王子だが、後の三名はイシュトシュタイン貴族だ。縁談者の身辺も警戒しろ」
王位を狙うなら、現在第一王位継承権をもつ王女に群がる可能性が高い。
「絶対に情報の裏付けを取ってこい。イシュトシュタインとガリュアが懇意にされては困るからな」
「了解しました。――父上」
イシュトシュタインともあろう大国が、何故リガルド国のような軍事国家に縁談を持ち込んだのか理解できなかった。しかし今回の本来の目的は、他国侵攻をもくろみ国内でも紛争が絶えない天敵・ガリュア帝国に関する情報を探ることだ。オーウェンは一度頭を振ると、縁談の話は頭の隅に追いやり旅隊の編成に取りかかった。
しかしその縁談の背景を、後にオーウェンは意外な人物から聞かされることになる。
「お義兄様っ!聞きましたわよ。イシュトシュタインに行かれるのですって?」
家族での晩餐を終えた後、引っ込むように早々と執務室に引き上げ仕事を始めたオーウェンの元に、騒がしい来訪者やってきた。突然やってきたその来訪者は、無遠慮に扉を開け部屋に駆け込んできた。
「なっ、ドロシー!未婚の娘が、供も連れず夜に男の部屋に来るんじゃない!」
慌てて立ち上がると、ドロシーは聞き飽きたとばかりに肩をすくめる。
「まだそれを言いますの?血は繋がっていなくとも、私は先日正式に貴方の『妹』になったのですわ。『お兄様』に妹が会いに行くことのどこが咎められますかしら」
「それは、そうだが・・・・・・」
「それにお義兄様は、絶世の美女と一晩閉じ込められても手を出さない鉄壁の理性をお持ちと専らの噂ですもの」
「何なんだその噂は・・・・・・」
ドロシーと呼ばれた少女は口ごもるオーウェンを横目で見つつ、何度となく繰り返されてきた会話に飽きたかのようにため息をついて応接用ソファに腰を下ろした。
ドロシー・リガルド。燃えるような赤毛に金緑の瞳。猫のようなきりりとした目元は涼しげだが、少し丸みを帯びた顔や仕草が可愛らしい少女だった。オーウェンとは似ても似つかない『妹』。それもそのはず――彼女はオーウェンの本当の妹ではない。父の後妻の連れ子で、血の繋がりのない義妹である。
オーウェンの母は、オーウェンが幼い頃に「とある事情」により亡くなった。オーウェンの父はしばらく新しく妻を娶ることをしなかったが、つい先日、再婚を発表した。そしてその後妻と共にやってきたのがこのドロシーだった。後妻となった義母とドロシーはとある騎馬戦に秀でた有能な部族の出身で、父の政策の支えになることを望まれている。
しかし男所帯で育ち、唯一近しい女性だったはずの母も早くに亡くしたオーウェンである。女性の扱い方には滅法弱く、毎回ドロシーの強い押しにたじたじになっているのである。
「全く、剣の扱い方はよくご存じでも、女性の扱い方は本当にダメですのね」
「・・・・・・仕方ないだろう。俺の近くに居る女性と言えば、乳母か君、あと義母上だけだ」
「まぁ、弱気ですこと。そんなことでは今回の縁談は乗り越えられませんわよ?」
意味ありげに諭してくるドロシーにオーウェンは不可解げに眉を寄せた。
「ご存じないんですの?今回のイシュトシュタインの縁談。イシュトシュタインの『顔なし姫』の最後の縁談ですわ」
「縁談・・・・・・『顔なし姫』?」
どこかで聞いたことがある単語である。最近、何かの調書に書かれていた語群。
ようやくある言葉に思い至り顔を上げた。
「――ああ、そうか。イシュトシュタインの第一王女、リリアンヌ・L・イシュトシュタインの縁談か」
「遅いですわよ、お義兄様。ほんと自分に関係の無さそうな話は興味ないんですのね」
「まあ、今日までこんな縁談が自分の身に降りかかるとは思ってなかったからな・・・・・・第一この縁談が来た理由が皆目見当が付かない。俺はこの国を継ぐと決めているから、婿入りすることは出来ない。イシュトシュタインの第一王女は第一王位継承者だろう。俺が縁談を受けられるはずがないんだが・・・・・・」
「あら、お義父様は大事な部分をお話にならなかったのかしら。よろしいですわ、特別に貴婦人の噂をお義兄様にも教えて差し上げます。確かに最初の縁談は王女に婿を取るためのものでしたわ。ですが正妃との間に男児が生まれ、イシュトシュタイン王は考えを変えられたようですの。今回の縁談は、王女を『嫁がせる』ことが目的だと噂されていますわ。今は第一王位継承者であるはずの王女に他国の貴賓との縁談を勧めることで頭がいっぱいのようですわよ」
すかさずやってきたドロシーの侍女が応接用テーブルに紅茶を置く。彼女こだわりの茶葉は、ソファと執務机を挟んで座るオーウェンの所まで香りが届いた。
「お義兄様もいかがです?新作のフレーバーですわ」
「・・・・・・ああ、有り難う」
居座る気満々の義妹に諦め、オーウェンは彼女の座る応接ソファの向かい側に腰を下ろした。
「なんでも、近々第一王位継承権は去年お生まれになったオレリアン様に移すそうですわ。妃殿下のたっての希望と――王女殿下の御意志だとか」
「王女本人の?」
「ええ。『顔なし姫』は異名のごとく、16歳の生誕パーティーでのある事件を境に離宮に引きこもって国事に参加しないままもう2年が経ちますし。王太子殿下がお生まれになったのだから、正妃の御子に継承権を譲りたいと」
紅茶の香りを楽しみながら、ドロシーは静かにティーカップをソーサーに置く。
「イシュトシュタイン王は王女殿下が18歳の成人の儀をするまでに縁談を成立させようとお考えのようですわよ。ですから時期的に今回が最後の縁談と考えても良いでしょう。何十と縁談を反故にしているためにもう縁談も限られていますしね」
ああそれと、と思い差したようにドロシーは続ける。
「引きこもって顔も見せない『顔なし姫』には、ひとつ良くない醜聞があるんですの。それが離宮に引きこもることになった「ある事件」。最後に姿を見せた十六歳の生誕パーティーで、目のあった男性を『狂わせてしまった』そうですわ」
「狂わせる?」
「ええ。縁談の男性達だったそうですけど、一週間は姫の名を譫言の様に呼んでいたとか。姫は男性恐怖症になって離宮にお引きこもりに。外聞が悪く、縁談の申し入れもこの件のせいで躊躇する所も多いようですわよ」
「それでうちみたいな所にも縁談が来た訳か・・・・・・」
ソファーに背を預け腕を組むオーウェンにドロシーは扇を口元に当てクスリと笑う。
「あら。各国に有能な兵士を輩出するリガルド国と縁を結んでおくのは思いの外効果的ではなくて?対外的に、軍事国家を味方に付けたようなものですもの。ま、そのお相手がお義兄様なのは・・・・・・」
ぷっ、と吹き出し嘲笑をこらえるような仕草を見せる義妹にオーウェンはため息をつく。
「お前、本当に俺を兄だと思っているのか・・・・・・?」
「あら、お疑いですの?きちんと尊敬しておりますわ」
「・・・・・・」
「それはそうと、もうひとつ忠告がありますのよお兄様」
素知らぬふりで話題を変える義妹の勝手さにももう慣れた。
なんだ、とオーウェンが彼女に合わせて尋ねると、ドロシーは珍しく眉根を寄せて声を落とした。
「視察中はお気を付け下さいませ。お義兄様の次期騎士団長就任に反発する騎士団の幹部数名が、どこか他国の貴族と手を結ぼうとしているようですわ。くれぐれも油断はなさらぬよう」
「・・・・・・ああ」
騎士団の副団長を務めているオーウェンは、次期騎士団長候補となっている。部下からの信頼は厚いオーウェンだったが、幹部達は若輩者が自分の上に立つことが屈辱らしい。元首である父が革新的な政策を打ち出すことで騎士団も変わりつつあるのだが、それも気に入らないという。オーウェンが騎士団長になれば更に自分たちがやりにくくなると考えているのか、ここ数年オーウェンに対する風当たりが強くなっていた。
「階級とか地位とか、俺はどうでもいいんだがな・・・・・・」
オーウェンは紅茶を一口含みながらそのほろ苦さを噛みしめた。
短い回想が終わる頃には、身分を検めて認められ豪奢な城門が開かれた。
兵団を休ませるため西の離宮1つを借り旅装を解く。イシュトシュタイン国特有の白亜で芸術品のような内装にどこか所在の無さを感じながらも、オーウェンは王と謁見するため正装に身を包んだ。
「オーウェン様、ご準備は」
副官のアベルが扉の向こうから声をかけてくる。今行く、と一言伝えてから、オーウェンは鏡台で自分の姿を一瞥した。そしてふと思った。他の王子達のような煌びやかさも気品も、自分には無い。どちらかというと粗野で、義妹にさえ朴念仁と呼ばれ女心に疎いと言われるほどだ。
そんな自分を、あの噂の孤高の姫君が振り向くなど、誰が思うのだろうか。
自分さえも無理だと思っているのに。滞在期間が短くなる前に必要な情報を掴んでおかなければと感じながら、オーウェンはアベルが開いた扉に向かって歩き出した。
「お久しゅうございます、国王陛下、妃殿下。イシュトシュタイン国におかれましては、作物の実りもよく、民の活気も素晴らしいとのこと。益々のご健勝をお慶び申し上げます」
厳かな雰囲気の王謁見の間。玉座に並ぶは、この国の王・イシュトシュタイン王と、その正妃だ。
「おお、遠路はるばるよく来てくれた。すっかり大きくなったな。今年いくつになったのだ?」
国王が皺の増えた優しい面持ちで懐かしむように目を細めた。
「今年で丁度25となりました」
「まぁ、前にそちらの国でお会いした時はまだ少年らしいご様子でしたのに、もうこんなにご立派になられて」
ほほほ、と値踏みするように視線を滑らせる正妃。豪華絢爛なドレスに派手な飾りをこれでもかとつけた結い髪、年を隠す厚い化粧。壇上に居る彼女のきつい香が壇下にいる自分にまで臭ってきてむせかえるような思いがした。
「いえ、自分などまだまだです。副騎士団長を拝命して、配下に助けられる毎日でございます」
「謙虚な所は変わらんな。……ところで、さっそくであるが」
王は真剣な表情で話を切り替える。
「娘はもう何十とあった縁談を反故にしている。私たちも、これ以上娘を苦しめたくないのだ」
――――顔を見せない、「顔なし姫」との縁談・・・・・・。
縁談がまとまらないのも当然のように感じた。それでも縁談を急ぐ理由が、オーウェンには理解できなかった。
「この国にはあの子しか王位継承者がおりませんでしたから、婿をと考えていたのですが……やっと、私に子が出来たのです。マリア、オレリアンをこちらに」
マリアと呼ばれた侍女は、乳母車の中から赤子を抱き上げ王妃に渡した。玉のような男の子だった。
「お生まれは先々月でございましたね。祝賀会でのオレリアン様の健やかなご様子は、ご招待頂きました父より聞いております。改めておめでとうございます」
「ありがとう、オーウェン。ですから、王位はこのオレリアンに継がせ、あの子には出来るだけ良い方の所にお嫁にやりたいのです。新しい地に行けば、あの子も心が癒やされるかもしれません。今のあの子は、嫌な事件を思い出してしまう中庭はおろか、王室に近づくことさえ出来ないのですもの」
王妃は涙を流しながら話し、国王はその肩を抱いた。
さめざめと泣く正妃を見ながら、オーウェンはすっと目を細めた。
正妃は側妃を嫌っていたと聞く。その娘である王女のために涙を流しているというのだろうか。
――不自然だ。
その違和感に、オーウェンはどこか納得できないような表情を浮かべる。しかしそれを国王夫妻はともに姫の境遇を悲しんでいるものととって話を続けた。
「正妃は子どもが出来にくい体質でな。側妃に迎えたミシュリーヌとの間にやっと授かったのがあの子だ。今まで第一王位継承者としてよくやってくれた可愛いあの子を本当に大切に思っている。今回の縁談を最後にしようと思うのだ」
「そうでしたか……」
「今回の縁談はお主を含めて5人。今日丁度4人目の面談が終わった所だ。娘の所には明日案内させよう。長旅で疲れただろう、今日はゆっくりと休んでくれたまえ」
「ご配慮感謝いたします」
オーウェンは釈然としないまま、王の間を後にした。背後で扉が閉まるのを感じて一息つくと、横からすかさずアベルがやってくる。
「オーウェン様。いかがでしたか」
「ああ、やはり縁談のようだ。・・・・・・夜の晩餐会に招かれている。それまでに隊の状態を把握したい。一度部屋に戻る」
「了解しました」
アベルは預かっていたオーウェンの剣を差し出すと、伝令に言伝をして走らせる。それを見送りながらオーウェンはもう一度肩をすくめながらため息をついた。
「オーウェン様、少し顔色がよろしくないように見えますが・・・・・・」
「・・・・・・すまない。少し、昔の事を思い出してしまっただけだ。心配ない」
「は。しかし長旅の疲れもあります。ひどいようでしたら大事を取られて下さい」
「ああ、そうする」
目を閉じると、着飾った色とりどりのドレスしか思い浮かべられない「あの人」が思い浮かんできた。それが脳裏に何度もちらつき、少し吐き気がする。それを振り払おうとするかのようにオーウェンは歩き出した。
『ベアトリス夫人、またなの?』
『最近隠そうともなさらず朝帰りなさって・・・・・・若様がおかわいそう』
『元首は何もおっしゃらないけど・・・・・・ねぇ』
――母は、いつも違う男と一緒に居た。
母に何かしてもらった記憶も、父と母が仲良く寄り添う姿も見たことは無い。
『ばあや、母上は?』
毎日毎晩、ばあやに母の所在を尋ねた。母が自分のために館に残ってくれることをこりもせず期待して。しかし誕生日の日でさえ、母は自分と過ごしてくれなかった。
『若君、お母上に期待してはなりません。一日も早く、お父上のような立派な騎士を目指すのですよ』
そうすれば、母が自分を省みてくれるのでは無いかと思った自分は、やはり幼かったのだろう。
――月が、ゆっくりと宵闇をすべる頃。しんと静まりかえった闇に、篝火と月明かりだけが照らす夜。
オーウェンは、夜更けにふと目を覚ました。豪奢な天蓋が目に入り、自分がイシュトシュタインに来ていることを思い出す。長旅で身体が凝り固まってしまい、晩餐会でも気が休まらなかったせいか寝付きが悪かったのを思い出した。もう一度眠ろうと目を閉じたが眠気は一向にやって来ない。何度か寝返りを打ち無理矢理目を閉じたが、だんだん冴えてくる視界と思考に諦めを感じ始めた。もともと即時対応が出来るよう眠りが浅い方なので、こうなっては眠れないことも分かっていた。ならば少し剣を振ろうと思いついて、オーウェンは静かに起き上がると寝間着から練習着に着替え、ベルトに剣をさしてテラスに出た。明かりを付けなくても、月明かりで十分明るい。少し冷たい夜風が身体のだるさを攫っていくように感じた。深呼吸をして剣を構え、一心に素振りをして汗を流す。そろそろ終わりにしようかと剣を引きかけた、その時だった。
どこからともなく、囁くような歌声が聞こえた。
――――月のふねよ
「……なんだ?」
剣を鞘に収めよく耳を澄ますと、それは離れにある塔から聞こえてくる。
「あの塔は、姫君の?」
ということは、彼女が謳っているのだろうか。
――――櫂を漕ぎ 星屑の海へすべりだした月のふね
哀しい、寂しい旋律。
――――おまえは何を目指し 夜を渡る
しかしどこか助けを求めているような切ない歌。
明日面会することになっている姫君の歌声に、オーウェンは複雑な思いを抱いた。
昼間の王妃の言葉は、表面上は姫を心配する口ぶりだった。しかし、「王位をレオンに継がせ姫は良い所に嫁がせる」――――もともと王位第一継承者は第一子の姫君だ。その力を恐れ、息子を確実に国王にしたいがために姫君を国から追い出そうとしているのではないか。イシュトシュタインの調査書には、顔を出さない王女を担ぎ上げ、その裏で自分が権力を握ろうと企む貴族勢力も多いと聞く。
「彼女に味方はいないのか・・・・・・?」
――――ひとりで 星屑の海を ひとりで 途方もない刻を
自分を追い出そうとする継母、何も言わず縁談を勧める父。彼女の実母は既に亡くなっている。闇夜に響く歌声は、史上最高の歌姫と称された姫君の母から受け継いだもの。
――――ひとりで、月のふねは、何を思う
すがるような旋律は、亡き母を思い出しているのだろうか。
「――オーウェン様、いかがされましたか」
「ああ、すまないアベル。起こしたか」
「いえ」
従者兼護衛としてオーウェンの傍に常に控えているアベルが、気付けば部屋からテラスへ入ってきていた。何かあればすぐに駆けつけられるように控えていたため、オーウェンが起き出したことを不審に思い様子を見に来たのだろう。
「アベル、お前はこの国の王女について何か知っているか?」
「は。オーウェン様が陛下に謁見されている間、侍女達が話していたのを耳に挟みましたが・・・・・・」
アベルの話では、調書では知り得なかった『事情』が浮き彫りになった。
王女がすくすくと成長し、やがて十六歳となった時。正妃からの勧めもあり、国王はリリアンヌに縁談を進めた。娘リリアンヌはそれに従って、求婚を申し出ている殿方たちと面会することとなった。
そして十六歳の生誕パーティーの夜――・・・・・・。
リリアンヌと縁談者との親交を深めるための夜会で、その『事件』は起こった。
リリアンヌを見た途端、縁談者達が狂ったように彼女の名を呼び迫ったのだ。男達はそれから一週間は彼女の名を譫言の様に繰り返し、彼女を探して暴れ回ったという。
リリアンヌは逃げるように離宮に引きこもった。人との交流、特に男性との関わりを絶ち、公の場に姿を見せなくなったのだ。
しかし一人娘であるリリアンヌには、どうしても結婚をして子を産んでもらわなければならない。そこで王は一年ほど経った後、そろそろ心の傷も癒えただろうとリリアンヌにもう一度縁談を持ってきた。すると彼女は意外にもあっさりと了承した。その答えに安堵した国王だったが、リリアンヌは「しかし」と続けた。
『お顔をお見せすることは出来ません。どなたにも。例え、その方が私の夫となる方でも――・・・・・・』
姫が縁談に答えるようになったのは良いが、顔を見せない、顔を見てもらえないという事に婿候補達は不満を漏らした。怯えた様子の姫君に少しでも近寄ろうとした者達もいたが、今にもとって食われそうな叫び声を上げられ断念していた。
「姫、どうかその美しいご尊顔をお見せ下さい。私は隣国の第二王子クラウドと申します。今日は姫のために献上品も持参いたしました。きっと貴方に似合うと思って……」
「頂いても、身に付けた所をお見せできません」
またある名家の子息には、
「リリアンヌ様、ご機嫌麗しゅうございます。今日は良いお天気ですね。私の館にある庭園では、こんな日は薔薇狩りをするのですよ。姫君もいかがかな?」
「外には出たくありませんわ」
「ああ、確かにきっと貴女のような美しい方がいらしたら、いくら美しい薔薇でも貴女のまえでは恥じらって俯いてしまいますからね!ははは!」
「私の顔をご覧になったことが?」
「ああ、いや、それは・・・・・・」
こんな調子で、自分の美貌を自慢に思って足を運ぶ王子や良家の子息たちも、姫の顔を拝めないばかりか自分さえ見てもらえず、縁談がまとまることはなかった。
そしていつしか『姫には男を狂わせる異能の力がある』などと噂され、縁談の足音さえも遠のこうとしていた。
「本当に徹底して顔を見せないんだな。王女と正妃の関係は?」
「険悪ですね。元々王女のお母上は市井出身の歌姫で、正妃より先に御子をお産みになっていますから・・・・・・正妃は宮中でも有名なほど王女のお母上を敵視していたとか。王女のお母上が亡くなってからは矛先が全て王女に向かっていたそうですよ。『奇跡の歌姫』と呼ばれたお母上に似てとても歌がお上手だったそうですが、正妃がうるさいと禁止なさったという話もあります」
その言葉に思わず離れた場所にある離宮を見やった。
「だから、こんな夜半に――」
「オーウェン様?」
不思議そうに首を傾げるアベルに首を振ってみせると、中に戻るよう促す。
最後に一度振り返り離宮と月を見上げながら独りごちた。
「月のふねが休まる場所が、どうか見つからんことを」
初めまして、叶月桜です。
小説家になろう、初投稿となります。王道ラブファンタジーを書きたくて生まれたのがこの作品です。オリジナル作品として完結したものを公開するのはこの作品が初となります。皆様に、少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
では、引き続き物語をお楽しみ下さい。