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 心の中には、様々な感情が存在します。


 目覚めの陽光に瞳を細める清々しさ。

 訪れた方々に聖歌を歌う祈りと歓喜。

 街行く人々に微笑みかける穏やかさ。

 神官嫌いな貴族様と話す困惑と願い。

 自然の中にひとり身をおく心地よさ。


 喜怒哀楽だけでは語れない、様々な思い。

 時に渦巻き、複雑に絡み合うその思いは、しかし多くは綺麗に並んでいます。


 《アクティース教》の神官であるならば、それはより分かりやすい。


 常に、生きている者への祝福を願って毎日を過ごしている私たちは、日々出会う方々がどのような種族、性格であれ、生きていらっしゃるだけで無性に嬉しくなるのです。

 必然、心の中は、喜び、楽しさ、幸福と言ったものが、並びます。


 普通の人族であれば老人となる年月を生き、ようやく分かり始めました。

 私たち《アクティース教》の神官が、他の方々より多くの時間、明るい感情で満たされている、その理由。


 他の人と接する時。

 それは、たとえ同じ神官の者であった時も、皆等しく。

 生きている者に接していることに、変わりなく。


 整理してみれば分かること。

 こんなにも簡単なこと。


 私たちが、より多く歓喜に包まれているその理由。


 私たちにとって、祈りは祝福であり、祝福をおくることは喜び。


 生者溢れるこの街で生きていて、喜びと言う感情が多いのも道理。

 私たちにとって、眼前にいる方が生きていることこそが、最大の喜びなのだから。


 聖歌を聞きに来る方々。聞いてくれる方々。

 私たちが祝福をおくれる存在。


 そういった方々が身近にいて、嬉しくならないわけがなかったのですね。


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