思い
大変ご無沙汰しておりました。
お久しぶりの『神官』です。
少しでも、エルピスの綴る祝福の言の葉が、誰かの癒しになりますように。
憂うことなく、全ての生者に今日という日を生きていてほしいと、思うのです。
我らが《アクティース教》は、古くより続いている反面、神官の数は他の宗教に比べ、少ない部類であるということを、以前教えて頂きました。
もっと多くの方に、共に生者を祝福して頂ければ……と思うことは、私も含め、多くの《アクティース教》の神官が思っていることではありますが、その際何よりも大切だと感じるものは、〝思い〟です。
私たちが願うことは、ただ一つ。
――生きている命に、生き続けてもらいたい。
ただ、それだけです。
祈りは、もう少し多いでしょう。
――健やかに、平穏に、楽しく、安らかに、生の時を過ごせますように……。
そして、この願いと祈りのどちらにも、純粋な〝思い〟が必要なのです。
「私たちの持ちうる力の全て、おくりうる全ての祝福にて、あなたがより好く生き続けられますよう」
そう、目の前で懸命に生きる命を、誰かを、思えることこそが、《アクティース教》の神官にとって、最も大切なことなのではないかと思うのです。
――いいえ。なにも、難しいことではありませんね。
ただただ、その方が笑顔になれますように。
好きな歌を口ずさめますように。
澄んだ空に心を躍らせられますように。
愛する人の手を握ったままであれますように。
祈りが、願いが、いつしか〝思い〟をつくるのです。
それはとても、自然な流れ。
それでも、だからこそ。
私たちだけは、その〝思い〟を失うことがないように。
今ここに、この〝思い〟を、書き記しておきましょう。
「病める方、傷ついた方、憂う方……あなた方に、この癒しの祝福を。
立ち止まった方、座して惑う方、光を失った方……あなた方に、この導きの祝福を。
全ての生者に等しく、生きるための力添えを。
私と、私たちが出来うる全ての祝福を、おくります。
――あなたに生きて、ほしいから」
ひっそりと、つらつらと、続ける事が出来ているこの『神官』も、はや六十話。
これほど長い短編集が書けるとは、正直一話目を書いた時には、思っていませんでした。
これもひとえに、読んで下さる皆様のおかげです。
改めまして、今後とも、まったり更新な『神官エルピスの心書き』を、どうぞよろしくお願いします。




