せせらぎ
大変お久しぶりにございます。
多忙な夏の日、皆様に少しでも、癒しがありますように。
《アクティース教》の神官は、六日に一度、《自癒の日》と呼ばれる休日があります。
【他者に癒しをおくるならば、まずは自らが癒されるが良し】
古き時代に生きた《アクティース教》の先人神官、その言葉通り、五日間を生きとし生ける方へ祝福を送ったのち、次の一日は、自らを癒すことに専念するのです。
教えを受ける新人神官は、師事する神官と《自癒の日》を共にすることが通例であり、私はティティと共に、神殿から少し離れた森の中に流れる、小さな川を訪れました。
本を抱え、木陰で腰を下ろすティティを後ろに、私は川の側に腰を下ろし、そのせせらぎに耳を澄まします。
さらさらと、流れる水の音。
木の葉が揺れるざわめきと、小鳥のさえずり、虫たちのささやき。
私は、こうした自然の音に耳を傾けることが、幼い頃から好きでした。
ふと耳を傾けた瞬間、思うのです。
風も、樹々も、小さな川も。
すべて等しく、やはり生きているのだと。
私たち《アクティース教》の神官は、普段祝福をおくっている方から、元気や喜び、癒しを貰うことが多くあります。
私にとっては鳥や虫、自然もまた、人々と同じように生き、祝福をおくりたいと思える存在なのです。
――そうでなければ、きっとこれほどまでに、心癒されることはなかったでしょうから。
人々と同じように、私に力を、癒しを与えてくれるこのせせらぎへ。
心から、感謝を――。
キラキラと煌めく水面に瞳を細め、流れ行く水の音に心をあずけて。
今もう一度、ひと呼吸。




