言葉
言葉は、武器です。
たった一言。それだけで。
他者の一生を、変えてしまえるほどの。
私たちは、いつも《アクティース教》の神官として、言葉を紡いでいます。
たとえば、優しさを手渡すように。
たとえば、慈しみを示すように。
たとえば、笑顔を返すように。
たとえば――楽しさを分かち合えるように。
様々な心で、言葉を紡ぐのです。
私たちにとって、その多くが《アクティース教》の神官として捧ぐものであることは、ある種の特徴と呼べるでしょう。
〝祝福を〟――と。
〝生きているあなたが、生きつづける為に〟――と。
私たちは、そう願い、祈り、思って、言葉を紡ぎます。
……けれど、時として私たちの言葉であってさえ、他者を傷つける剣と成り得てしまいます。
……あるいは。
私たち《アクティース教》の神官でない方々は、もっと、容易に――。
言葉は、きっと、とても強い力を秘めたものなのでしょう。
剣の一線を鋭くさせ、更に強大な魔法を生み出す、力。
――命に干渉する、力。
ならばこそ、と私は思います。
そうであるからこそ、その力は、生者を救うためにこそ、使わなければ、と。
傷つける力があるのならば。
きっと、同じように。
守り、癒し、救う力もまた。
必ず、あるはずですから。
さぁ、おくりましょう。
こうして綴る〝言葉〟もまた、生者のためになると、私は信じます。
たとえ、万命が傷つかない言葉など、なかったのだとしても。
万命を祝福する言葉を、生み出す可能性は〝ある〟のだと。
他でもない〝言葉〟で、私たちは肯定できるのですから。
あるいは、もうすでに。
万命を、生者を、あなたを。
守り、癒し、救う言葉は、生まれているのかもしれません。
さぁ、今日もまた綴りましょう。
この心と、思いを込めて。
〝私たちの祝福は、あなたたちの為にあるのです〟
さぁ――全ての生きとし生ける命へ。
〝この言葉で以って、あなたの全てを肯定します〟
〝なぜなら……あなたは、今、この場で、生きているから〟
そう――これが、私たちの言葉の力。
全ての生者を、祝福する力。
今一度、心より。
〝あなたという命に――祝福を〟
あなたに捧ぐ、優力の言の葉。




