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太陽と月

 



 生きる者たちを癒す、天上の光。

 温もりと眩しさで癒す太陽と、明るさと静けさで癒す月。


 凍える冷たさをも溶かし、闇を払って世界を照らし出す、教えの光。

 喧騒を主とする賑やかな時間の代表者にして、力強い輝き、そのもの。

 暗闇の中でさえ在り続け、星々ではおぎなえない光輝を世界に放つ、導きの光。

 沈黙を主とする静かな時間の代表者にして、清らかなる輝き、そのもの。


 我ら《アクティース教》は、基本的には〝生きる〟という状態を如実に表す朝昼の光たる太陽を、光としては好みます。

 しかし一方で、多くにとって安らぎの時間の光である月もまた、大切な光と考えています。


 活動する。それは、生きているからこその姿です。

 温もりで背を押し、その姿を鮮やかに照らし出す眩しき光は、まるで生そのものを表現しているかのよう。

 眠る。それもまた、生きているからこその姿。

 休息の時を穏やかに見守り、静かな淡い光をそそいでくれるその癒しは、確かに、生きている者にとっての特権なのです。


 太陽と月。

 一見して太陽の方が神聖視されがちですが、種族によっては月こそを神聖としている場合もあります。


 私が《アクティース教》の神官として思うことは、光であるだけで生者にとっては祝福になりえる、と言うことです。

 そこに、鮮やかな陽光と淡い月光の差はありません。


 人族以外の種族も、一部を除き多くは闇を恐れて生きてきました。


 前も後ろも分からない、真っ暗な世界。

 そこに差し込むものが光である限り。

 例えどれほど小さな微光でも、きっと、生きる力となるでしょう。


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