last memory in after school
『 二年生になったら、それぞれのクラスで新しい輪を広げて、皆が活躍してくれることを期待しています。それじゃあ、一年六組の最後のHRを終わりにします。皆、一年間お疲れ様でした 』
机に突っ伏して窓の外を眺めながら、担任の最後の言葉を何気なく頭で繰り返す。目を閉じればぼんやりとこの一年間の思い出がまぶたに浮かんでは消え、頭の中では昼休みの騒がしさが響いていた。
楽しかったなぁ。
学校にいくの面倒くさい。そう何度も言っていたくせに、最後には一年間が短く感じて少し寂しくも思う。なんだかんだでいいクラスだった。そう思えてきた頃には終わりが見えてきて、その日はあっという間にやってきてしまった。
「やり残したこともあるけど…もう、いいかな」
ゆっくりと頭を持ち上げて、机の上に置いた両手に力を入れた。すると、あいつの声が静かな教室に突然入ってきた。
「今日部活ないんじゃなかったのかよ」
反射的に後ろのドアの方へと顔を向けると、あいつは部活のユニフォーム姿でそこに立っていた。
「立川こそ、部活サボって何してんの」
ばぁか、サボりじゃねえよ。
そう言いながら、立川は私の斜め後ろに腰をおろした。平然としている姿を見る限り、さっきの独り言は聞かれていないようだ。よかったと胸をなでおろしながら、私はもう一度机にうなだれる。そこ、俺の席なんだけど。あいつがそう言ってこないのが救いだった。
私がやり残したこと。
それは、いま斜め後ろにいる立川裕也に好きだと一言伝えることだった。
きっといまがそのチャンスなのかもしれないが、いきなり二人きりになったこの状況に内心驚いている私にはそんなこと到底無理だった。沈黙が続く間、頭をフル回転にして話題を探し、立川がこちらを向いているのではないかと勝手に意識しまくっていた。あのさ、と口を開いたのは意外にも立川の方で、こんなに考えていた私が馬鹿なんじゃないかと思うほどあっさりとしている。
「今度のクラスの集まりいく?」
「…暇だし。いくと思う」
「お前、部活ないのかよ⁉ 体育館部活は練習少なくて大変だなぁ」
その言葉に、少し驚く。部活があまりないというと、大抵の人は羨ましいなと愚痴をこぼす。勉強する時間がないほどやっている部活の人は心の底から尊敬しているし、自分だってその部活に入っていたらきっとそんなことを言うだろう。だが、やりたくてもできない部活だって案外大変なのだ。そう思うからこそ余計、立川のそんな言葉が胸に響く。自然と口元が緩んでいるのが、自分でもわかった。
思い切って後ろを振り返ると、立川はずっとこっちを見て話していたのか、すぐに目が合った。
「サッカー部は遠征あるんでしょ? クラス会これるの⁇」
やばい。声が震える。
「馬鹿、誰が計画したと思ってんだよ。サッカー部は全員余裕で出席」
得意気にVサインするその顔には、あの笑顔が浮かんでいる。馬鹿はどっちだ。…そんな顔するなんて、ずるい。
「立川、何組だっけ?」
居ても立っても居られず、口頭で言われたときにしっかりと記憶したことをわざと聞く。俺は七組だよ、という答えを期待して。しかし、なかなか返事がこず、二人の間には沈黙が流れていた。どうしたのかと恐る恐る視線を合わせると、その顔はいつも不機嫌になるときのそれだった。
「…どうした?」
「いや、別に……。あぁ、俺は七組だよ」
なんでよ。なんでそんな顔して笑うの。そっちの方がもっともっとずるい。そんな顔されたら、胸が締め付けられて上手く息もできない。
「立川、好き」
思わず、零れ落ちた。意外にも冷静に言えた、と思った瞬間、心臓が暴れ始める。窓の外から聞こえる音だとか、遠くの方から聞こえてくる吹奏楽部の音だとか、そんなん一切私には聞こえなくなっていた。長い長い沈黙が答えとなっているようで、恐い。しかし、私は立川から目を離すことも、この教室から立ち去ることもできなかった。永遠にこの時間が続けばいい。そう思った瞬間、胸の奥の方から熱いものがこみ上げてきて、みるみるうちに視界はぼやけていた。泣かない。泣くもんか。膝の上にある手に力を入れた、その時だった。
「…ご、めん」
あぁ、やっぱり……。
「うわ、どうしよう。な…で俺が泣いてんのかな」
ごめんと言った立川の目には、涙がぼろぼろと溢れ出していた。
「ちょ……と。立川⁈」
勢いよく立ち上がって、どうしようかと動けずにいる。私の目に溢れていた涙は、とっくに引いていた。そうだ、とバックからタオルを取り出そうと、立川から背を向ける。すると、背中に熱いものがかぶさり、立川の息が耳元にかかった。一瞬なにが起きたのかわからず、熱を感じた方へと視線を落とすと、その先にはあの大きな手が遠慮がちに回されている。まさに、心臓が止まったかと思った。
「先に言わせてごめん」
耳から直接、立川の低い声が頭に響いた。
「俺も、加藤が好きだ」
頭の中が真っ白になった。ふられたと思っていた私は、信じられないその一言を何度も何度も頭の中で繰り返しながら、じわじわとこみ上げてくる喜びを噛み締めた。腕の力が緩められたと同時に、ゆっくりと後ろを振り返る。
「なんで立川が泣いてんのよ」
強がって笑ってみると、うるせぇ、と立川も笑ってみせた。さっきからどこかがこそばゆくて、身体全身が熱の塊のように熱くなっている。告白した恥ずかしさはどこかへ消えて、残っているのは夢のようなどこか他人事な嬉しさだった。
「秀真が、加藤まだ教室にいるぞって声かけてきたから、クラス替えの前に言おうと思って戻ってきたんだけど…。なんかよくわかんねぇけど泣いちゃったし、言わせちゃったし、カッコ悪ぃな」
そういいながらさりげなく手を繋ぎ、ゆっくりと抱きしめられる。ばぁか、といつも立川が言うことを言ったのは、私なりの照れ隠しだった。
「クラス…離れてさ。ちょっと。いや、かなり落ち込んだんだけど、加藤は俺のクラスも聞いてなかったのかよ、とかさっき思っちゃってさ…」
「ごめん、嘘。私も落ち込んだ」
「そっか…。なんだ、良かった」
「私も、立川の席座ってたとこみられて、ちょっと焦った」
「あぁ…。それみて俺はちょっと期待しちゃったけどな」
「ばぁか」
「馬鹿、お前それパクんなよな」
「お前じゃないし」
「……夏希」
「うん」
「うんってなんだよ‼ お前も呼べよ‼‼」
「またお前って言った‼ 」
「な……夏希」
「…はい! もう着いたっ」
繋いでいた手を離して、下駄箱の前で上履きを脱いだ。なんだよ、とブツブツ言っている立川の方は向かずに、そのままローファーを履いて二歩、三歩と歩く。ちょっと待てよ夏希、と後ろから呼ばれるだけで嬉しいと感じるのは、恥ずかしいから誰にも言わない。
「じゃあ、俺部活戻るから」
「うん」
「休みとか…あったらメールする」
「うん、待ってる」
「じゃあ、気をつけてな」
少し名残惜しそうに背を向けた立川は、校庭に向かって走り出した。
「裕也‼ 部活、頑張ってね」
驚いたように目を大きく開けると、立川は、おぅ、と笑って手を降ってくれた。
次、いつ会えるかな。
校門の隣には、だんだんと花を咲かせている桜の木が、春の風に吹かれて揺れていた。ひらひらと包むこむように舞う花びらをみて、私はもう一度、そっと彼の名前をつぶやいた。